新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

草木との関わり

2024-07-05 10:46:36 | 私の声
私と草花との関わりは、職に就いて間もなくにあった。
「花を愛でる人になって」と、ことばを添えてクチナシの鉢植えを贈られたことに始まった。
深緑の葉に真っ白な花弁は、甘~い香り立ちて、同時に異性との出会いであった。
「カウンセリング」に値遇(であ)って、植物に、動物に、人間に、一切の関わりにおいて、幾年月を経て味わいは一層深みを覚える。
庭には、様々な草木が年間を通して移ろい続けている相(すがた)を観させていただいている。
「手入れが大変」「花が好き」などのことばをよく聞く。
そのことばは、言っている人の思いを表しているのだが、言っている人は、どうもそうなっていないらしい。
草木や動物等などは、私の大先輩。
よ~く観させていただくんだよ、よ~く聞かせていただいてね、と私に問いかけ続けられている。
観念や知識の水準ではなく、智恵にならせていただける宝庫と、受け止めている。
花だけみていては、その花の真の美しさは解りようが無い。
毎日毎日、夏の暑いときも、凍り付く厳寒のときも、一生お付き合いさせていただいてこそ、観させていただけるのだ。
ロジャーズは、「秩序」を見いだされと著書に遺されている。
私なりに「秩序」を発見し、喜びを得たり。


[謝る」の真相

2024-06-26 12:54:37 | 私の声
謝ると言っている具体的な言葉には、「ごめんなさい」「すみませんでした」「私が悪かった」「今度から気をつけます」「申し訳ありませんでした」等になっているようだ。
日常では、頻繁に謝っている姿を見たり聞いたりする。
ある小学生のK君は、学級担任に「謝りなさい」と言われたけれど、僕は謝る意味が解らなかったので、謝らなかったと聞かせていただいた。
当たり前の行動であるが、感動になった。
「謝る」人のところに、私は純粋さが感じられない。
表面的、手段化に陥っているようだ。
自己理解の必要あり。
さぁ、カウンセリング学習で、自己理解を深めよう!
無意識に振り回されずになるためにね。


ご案内

2024-06-14 12:00:45 | 私の声
「秋季新潟カウンセリング研修会」の宿泊研修会を、開催します。
気になっている、モヤモヤしている、憂鬱、充実感がない、不安、話したいけど話す相手がいない、自己肯定感がない等、抱いていませんか。
あなたのために、新潟カウンセリング研修センターはあります。
放っておけばおくほど、道は開かれにくくなっていきます。思い立った時、まず取り組んでいきましょう。
カウンセリングは、年齢・性別。職業・動機など、一切問いません。
変わることは、できないんだと思い込んでいませんか。
カウンセリング関係は、変われる体験をさせていただけるのです。
ご自分を大事に!
詳細は、025-230-5320(新潟カウンセリング研修センター)へ

人間になるには

2024-05-28 09:46:26 | 私の声
あなたは、自分は人間だと思っていやしませんか。
思い込んでいて、疑うこともないに違いない。
私に言わせると、人間になれるような資質を具えて産まれてきた動物なのである。
人間になれる資質を具えてきているのであるが、大多数の人は生かされずじまいで死に至っている。
その資質が生かされる人間関係に恵まれないで一生を終えてしまうのだ。
生かされる人間関係とは、「カウンセリング関係」を言う。
教育が地にに落ちたのは、人間になる学びの欠落した教師の責任は計り知れない。
カウンセリングを、スキル・技術と捉えていることに尽きる。
教師は、まず自分の問題を認識すべきだ。
認識できていないゆえ、学ぼうとしないのである。
知識を覚えることが価値があるとしているが、そこが大問題なのである。
今週から、教師の方々のための夜間の学習会も始める。
思い立った方、☎025-230-5320 新潟カウンセリング研修センターへ
あなたのための学習の場です。

田植えに臨んで

2024-05-23 12:00:15 | 私の声
過日、田植え体験に臨んだ。
会場に向かうこと2時間余り、新緑に包まれた山間の田んぼを目がけて向かった。
耕され平らにならされた表面には、枠で十字に記されている所に苗を植えたのだが、泥に足が取られ進まなかった。
タニシにどじょう、オタマジャクシが懐かしく、昔に還らせてもらえた。
全てが機械化し、便利に価値がおかれている昨今、間接体験がもっぱらであることからである。
人と人との関わり、教育もしかり、不自然・不健康そのもの。
人間になる学びになるはずの教育は、地に落ちたまま。
まず、教師が人間になる学びなくして、教育を「している」ことに終始し、教育に「なっていない」のであるから。
「知識を知る」の間接ではなく、「体得になる」直接が必要。
カウンセリング学習は、そこに応えるものである。
体得には、手間暇がかかるのである。
知れば、できると大多数の教師が思い込んでいる。
スキル・技術だと疑わないでいる。ここが大きな問題なのである。