新潟カウンセリング研修センター

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手作りのあたたかさ

2013-10-31 14:36:42 | 私の声
 先日、母親の納骨を済ませた。亡くなったのは随分前だったのだが、生前母親は検体を希望していた故。文部科学大臣からの感謝状と、医学生の方々からのお礼の手紙が届いた。母親の肉体は、具体的に確認していないが、医学面に、そして医学の道を志している方に役立てられるのであろう。当日は、母親を偲びつつ、身近な関係者と「正信げ」を称えさせていただいた。たどたどしいリズムで。手作りの温もりが感じられ、満たされていた。ダンスやピアノを弾いている場面の写真が遺っている。今は、私のなかに居る。

花びらは散っても花は散らぬ

2013-10-30 08:44:30 | 私の声
 歎異抄のなかの金子大榮氏のことばである。明後日、これまで長年に渡り私を育んでくださった、恩師の納骨に臨むことになっている。育んでくださったと私に思えているのであり、その恩師は、育んだ・育もうとしていたのではないと、はっきり言える。育もうとして育んでいたのでないからこそ、私は育んでいただけたのだと言えるのであろう。この出会いのご縁が有り難さに満ちている。唯・在ること難し。教える人、教えられる人のようになっている、いわゆる学校教育の場では、決して得られられないものだ。単なる知識を記憶するための、単調なものに陥りがちになっている。現に白骨になろうとも、私の心身に常に活き活きとエネルギーになって存在しているのだ。「花びらは散っても花は散らぬ」も、恩師に学ばせていただいたことばである。その恩師は、朝に夕に、ことばになって、たった今・ここも、ことばの相(すがた)になって尋ねきている。  

思い立ちは、ことを成就する

2013-10-25 07:10:55 | 私の声
 「今からでも遅くないでしょうか」に、聞かせていただいた。「今からでも、遅くないでしょうか」に、すでに始まらせていただいているこの事実。ここをとかく外されてしまっているようだ。「遅い」はそこが自覚にならないところに起因していると言えよう。このようなありように、なっているのではないだろうか。生活は。なぜならば、高い・低い、広い・狭い、長い・短い、重い・軽い、暗い・明るい等などと。「今・ここ」がいつだって、見失われたままだ。惜しいではないか。いのちが輝きたがっているはずだから。聞かせていただこうよ、ことばの信(まこと)に、値遇(であ)わせていただけるために。

いい加減になっている! 常に問われている自身のありようが

2013-10-24 11:21:36 | 私の声
 「トラブル」という状態は、ないのである。「トラブっている人」もいない。あたかも、その状態があるかのように、居るかのように言っているのを聞く。まさしく、「雑」談になっているところと、言えよう。しかし、そのような状態がある・そのような人が居るのだ。そのように見えた・思えた・ことばになった人のところに。ここが、おさえられているかどうかにかかっている。ほとんどいい加減なもんだ。自分の見えよう・思いよう・聞こえようを疑えないままだ。救われたくはないのか。いや、救われていないが、自覚なし。

ことばは、ことばになりたがっている

2013-10-23 13:54:22 | 私の声
 行動は、ことばに支配されているのだ。したがって、自分のことばになることを、求められていると言える。ことばに、証されて納得になるのだ。虐待だって言えよう。してはいけないと知ってはいても、止まない。止めさせようとさまざまな立場の者がアドバイスするが、さらにストレスになり激化するのだ。アドバイスにならないことを、深く深く熟知し研鑽を積まれた人間との、関わりに恵まれることを願うばかりだ。アドバイスをするのでは適わない。アドバイスにならなければ・・・・・・・