新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

カウンセリングに託されているもの

2023-04-28 11:04:16 | 私の声
 精神科に受診したことがある、通院している、という方々が、当カウンセリング研修センターを訪れる。行き詰まって精神科に行くことを、まず思うとのこと。
長年通院し服薬をしてきたが、ちっとも良くならない、全然変わらない、服薬の直後は治まったがなどなどを、聞かせていただいている。
精神科の受診をはじめ、宗教、他のカウンセリング、本を読んだ、占いも受けた、毎日反省もしている等などしたが、生きている意味が感じられない、自分はここにいていいんだ、って希望がもてない、どうしていいか分からないと。

 そうなっているところに、うなずかせていただいている。
そうなるであろうことを、聞かせていただいている。
よく、訪ねていらっしゃいましたね、とお迎えさせていただいている。
「カウンセリング」と名称が同じであるから、訪ねる方は区別がつかないのが当たり前。
学び続けて50年近くの私には、違いが鮮明に見える。
深さと広さ、と言えよう。単なるマニュアルではないのである。ほんもの。
なかには、ブログを見て深く学べそうと思ったから、選んで来たという方もおられたが、わずかだ。
複雑な生身の人間に、マニュアル(カウンセリングとは、こうするもの・すべき・してはいけないの水準)通用するわけがない。
目先の都合の悪さを除去するような、その場しのぎには希望がない。今はここまで。

ひとは、真の成長に取り組まないわけ

2023-04-23 11:45:25 | 私の声
 当カウンセリング研修センターに訪れる方々に、私は感動し畏敬の念のような気持ちでお迎えしている。なぜならば、なかなか足を運んでくるというような行動にはならないようだから。
そうならないわけを、私なりに挙げてみると
・真の成長は、成長させていただいたものにだけ分かる精神の世界
・一般的には、肉体が大きくなることだと思っている
・不安・苦しい・意欲が沸かない等は、恥ずかしいこととして否定し装っている
・不快なものなどは、時間を経ればなくなると思っている
・他のことをしてごまかしている
・人間なんてこんなもん、と解ってしまう
・我慢などし続けて、精神疾患に発展したり、非社会的行動に

不安や苦しい等などを感じたら、「カウンセリング」が必要なとき。
真の成長に呼ばれているときなのである。
人間は、「カウンセリング」が必要のように、生まれてきていたのである。
不安や苦しい怖い等などのかたちで、いのちの願いを伝えてくれているようだ。
いのちからのお便りに、従おう。



貴重な体験

2023-04-17 17:13:13 | 私の声
新型コロナ感染症が発生し、それまで対面でなされるのが当たり前になっていたカウンセリング研修会が、人の移動が制限されパッタリその機会が絶たれてしまった。
人と人との関わりが、足を使うことから電話やオンラインやメールに頼らざるを得なくなった。
メールでの関わりは、対面より望ましくないことは、知ってはいたのだが・・・

この度はメールでの関わりに、身がえぐられるほどの実感・体験をさせていただいた。
文字面だけに注目している
その人に、すでに有る答えを要求されているように聞こえてきている
その人の「だった」との過去になっているところとの関わり
用意されていることばの他は、受け入れてはいただけない

ことばにならせていただけない私
不自由が極まった体験
この度は、ことばが交わせる対面での関わりの意義を、実感させていただいた。
知っている、水準ではなくなった私
その人との関わりと引き換えに、私にいただけたもの。

勉強と学習

2023-04-02 14:59:05 | 私の声
「勉強」「学習」という言葉がある。
勉強という言葉は、どなたも使い慣れているようだ。
幼い頃から、聞き慣れてきたからであろう。
勉強と学習を私は、使い分けさせていただいている。
「勉強」は、受動的で在り、窮屈であり、目的的だ。

50年ちかくカウンセリングに学ばせていただいてきたこの身は、勉強という言葉にはならない。勉強であれば、すでに、息切れがしていたに違いない。
これ程継続され、身になってきていることで、勉強と区別がつく。

学びになる程に、分からなさに迎えられる。
学ぶ程に、課題がいただける。
学ぶ程に、楽しさが味わえる。
学ぶ程に、充実感が実感させていただける。
学ぶ程に、老いない。

それなのに、なぜ、人間は学ばずにいられるのか。
それはね、学んでみないと分からないのだから。
学んでみたゆえに、今いわせていただいている。

「カウンセリングに学ぶ」は、まさに生涯教育に最適だ。