新潟カウンセリング研修センター

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マニュアル尽くし

2021-07-28 09:15:15 | 私の声
現代人は、いつしかマニュアルに冒されている。
マニュアルに彩られている。
私には、なるべくしてなった。当然といえる。
学校教育に始まり、知識の記憶に価値をおき、見直されぬまま現在に至ってきている。
知識の記憶の影響がどうなっているか、自覚がない故に、今後も変化・改善は望めない。
マニュアル人間になっている本人は、決して満足は在ろうはずは無いのだが。
はっきりその人に、空しい違和感・苦しみ・変わりたい欲求になるかどうかなのだ。
目先の生活に夢中になっている人には、内面の心情は感じられないようになっている。

最も私が問題にするのは、教育やカウンセリングに携わっている人の在りようである。
資格を疑わず知識・理屈・観念・方法などに囚われ、囚われに鈍感になっている有り様だ。
生身の人間は、マニュアル(知識・理屈・観念・方法等など)を拒絶している。
二人として同じ人間はいない。その独りの人は変化し続けている。
マニュアルが通用するわけがない。
そのことが分からずに資格の奴隷になっている。
資格に囚われ、資格の取得を目的としている姿勢は、望まない。

他者のためになっていると思い込んでいるから、厄介だ。
特に、いのち(心身)に直接関わっている教師やカウンセラーの在りように、深く深く憂慮している。
人間にならせていただく学びは、カウンセリングに託されているゆえ。
ほんものでなければならない!!!

当研修センターでは、ほんものを願い・ほんものに願われている学び、専らである。

「今ここ」に生かされている

2021-07-22 09:02:55 | 私の声
 「もやもやしている」『不安になっている」「気が重い」「やる気が起きない」「仕事が続かない」「いらいらする」「子供や家族に当たる」「眠れない」「苦しい」「死にたい」「生きている価値がない」「他者が怖い」等などが、訪れる。
なりたくなくとも。
どんなにか、どんなにか、生かされているこの身に、「今ここ」に値遇(であ)いたがっていることかと。
この身に顯かにならせていただきたがっていることかと。
取り除きたい、と思い本を読んでよい方法がないかと探したり、気分転換を計ったり、忘れようとしたり、他人のせいにしたり、自分の頑張りが足りないからだと想ったりして、重症化に向かっていく。
日常生活に支障をきたし、精神科を訪れる人がほとんどの傾向だ。

 最近は、「カウンセリングを受けたい」という方々が増加してきている。
「カウンセリング」が日本に伝えられて、歴史が新しいということもあるのだが。

 そもそも、他の動物との違いは、ことばで精神の成長が可能なように、生まれながらにして、その資質が具えられていることだ。
その資質が生かされるように、手を差し延べさせていただくのが「カウンセリング」である。
薬物では、精神の成長は望めない。
今ここを声にしたその人に即して、ともどもに育まれ合える関わりは、なににも換えがたい喜びと言える。

 普段、肉眼に見えるものだけを頼りに生きている人には、信じられないから、資格を取る手段にしてみたり、そわそわして継続にならない。
呼吸が止まるその瞬間まで二度同じ呼吸ができないように、その都度違う言葉がやってきているのだから、もう解ったはない。
どの方にとっても、生涯学習で在るはずなのだが。
解ってしまう人は、カウンセラーにならせていただけない。
関わりに成長させていただくのだ。どこまでも、どこまでも。
もう一人の独りの人間(ひと)のおかげさまで、より機能する人間(私)にならせていただけるのである。
コロナ禍にあって、人間にならせていただく学びは、当センターは年中無休・日常生活として、有要有急であり大事にならせていただいている。


一人独りに今、問われている

2021-07-15 09:04:16 | 私の声
「不要不急」という他者の物差しに、自分の人生は流されていやしないのか。
ウイルスは、生きた細胞と共にある。自分の細胞が全て死滅したとき、ウイルスから解放されるときだ。
「終息してから」と言っていると、大事なものがおろそかになり続ける他はない。
無い終息を、頼りにしている人が多い。
コロナウイルスは、人生の根源を問いかけている。
生身の人を極度に避け続け、言葉を声にせず闇に葬り、何事も無いかのようにして生活していて、いよいよ心身が不自由になっていることに、気づきにくくなってきている。
内なる語では、人間にならせていただく、育まれ合いは起こらない。
幸い、当センターに通ってきておられる方々には、集って声にするは、「有要有急」になっている。
コロナ感染症発生以前も以後も、育まれ合いは活発になされている。
正しく怖れ、コロナウイルスに振り回されてはいない。

「あなたが変わらなければ」と

2021-07-09 11:22:07 | 私の声
「相談に行ったら『お母さん、あなたが変わらなければ』、と言われた。変わるには、どうすればいいんですか」と。
そうですね。言って済むはずがない。相談を受けた者が言って済んでいたら、とんでもない。言われて分ってしまう人は、独りもいない。
そもそも、人間は変わろうとして変われるようには、なっていない。
しかし、現実はどうなっているだろうか。
母親は・父親は、子供を指図して、無理矢理変えようとしている自分のこと、おかまいなしだ。
日常茶飯事に。
つまり、自分は変られないのに、相手を変えさせようと専らだ。
変えようとして、変えられるとでも。疑問が起こらないところに、さまざまな悲劇が起こっている。

当研修センターでは、自分の在りように関心をよせ、声にして新しい自分の誕生に迎えられいる。
変えようと、頑張らなくていい。本来、学びとは楽しいもの。
今、こうなっています、と声にするだけ。ことばに、お任せして。
ことばは、用(はたら)き。
おのずから、変わられる。
おのずから、変わられる、ともどもに育まれ合う親子の関係に。
易行である。