新潟カウンセリング研修センター

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気付こう! 病んでいる自分に

2018-10-28 08:53:05 | 私の声
 体は太りて精神は細り、人は滅亡の一途をたどっている。いじめ・不登校は過去最多などと報じられるのを、頻繁に耳にし目にする。単なる他人ごとと捉えているレベルで済んでいるから、一向に傾向は変わらない。食べたい・着たい欲求は、誰もがすぐに満たそうと行動に移すが、精神の貧しさは感じにくいばかりか、悩むのは恥ずかしいと感じたり、自分でごまかしができるから、後回しにしたままだ。当たり前になり鈍感になっている。子育て・夫婦・職場・教育等などは、貧しい精神のレベルで全てはなされているのである。自分自身に疑いが感じられ、カウンセリングに出会えたら閉塞された自分から開放され充実の方向に向かえる。学べる人は、自分を疑える人だ。自分一人では絶対に成長できないように、なっているのである。自分で頑張り、自分で我慢して何とかなると信じ込んでいる人は、成長の道を自ら閉ざしているばかりか、自分を殺し他人を殺している。無意識のうちになっている。覚醒されないままでいいのですか。

ことばは はたら(用)き

2018-10-19 09:18:19 | 私の声
 ことばで私たちは自分の歩みをしている。ことばにしてみると、なかなか相手に通じない。自分の想いが通じないで、大抵はあの人には通じないと思い込む。その相手にネガティブな感情を抱き、関わらないようにする。そしてついには、自分の中に閉じこもり、にっちもさっちもいかなくなる闇になる。ことばは光に当たらずにため込まれ、やがて暴れ出す。自他ともに、破壊になる。ことばは声にするのが自然なんだ。ところが、現代は声にし難い方向に向かって進んでいる。危険だ。悲惨な出来事はますます増えるばかりだ。人々は病的に向かっているからである。どんな人とも通じ合える道は用意されてあるのだが、その道は学びによって見えてくる。一人で考え一人で思っても決して見えやしない。「カウンセリング」の学びを、ただひたすら継続していたら見えてきた。カウンセリングの知識を知っても役に立たない。むしろ自分が分かった気になり、ごまかされるだけ。すぐに答えを探そうとして学べない人のなんと多いことか。急ぐ乞食はもらいがない。なんだか分からないが続けられるうちに、「道」に値遇(であ)える。どんな人とも関わり合える、大安心の世界に生きているうちに値遇いませんか。

「思う」

2018-10-05 08:01:44 | 私の声
 「・・・思う」は日常の生活のなかで、職場で家庭で無意識に使っている。従って、人間は(ひと)は「思う」のお世話になってきている。「思う」は宝を秘めているのだが、おおかたの人間は宝に値遇(であ)えないまま肉体は亡くなってしまう。なんと勿体無いことか。人生を台無しにして、そのことに気付けないままに、この世をさらねばならないのであるから。この世に生まれた甲斐を感じられる真の慶びがあるのだと、言わずにはおれない。「私は今こう思っている」と、まずは声にしてみることだ。簡単なことのようだが現代はしにくくなってきている。胸のうちに飲み込みこんだままにしたり、気の合ったもの同士がおしゃべりしているのはあっても、その他のところでは黙り込む。自分の思うを声にして、聞いていただけた体験に出会ったら、変容という出来事がこの身に起こる。説明がつかない不可思議な体験に。「思う」の捉われから開放され、無意識に振り回されない広々とした視界だ。「カウンセリング」に出会えて40余年、継続してきてのお陰様だ。苦しみ・悲しみ・迷い・不安は、「思う」に起因していると言っていい。程度はさまざまであるが、該当しない人は一人もいないのだ。我慢したり、感じに鈍感になり、そのうち消えるとでも思っているふしがあるようだが、そうはなっていない。せっかくのチャンスが逃れる。丁寧に自分に向き合おうとした人に、私は会いたい。