新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

学びの慶びを体験しませんか。

2016-05-26 10:26:39 | 私の声
 ものごころがついた頃から、学校教育をはじめとし、勉強と言うことばに慣れ親しみ、疑うことを知らなくなってしまっている人たちの多いことを、カウンセリングに出会って想わせていただいている。真に学びになった・ならせていただいていると、私に想わせていただける人(師)に出会えたことである。そのきっかけになったのは、「どうしていいか分からない」に自分事として向き合えたからだった。学びにならせていただいて、初めて学びの慶びが体験できたのだ。自分の身(細胞・血液)になれるできごとを、学びと言いたい。不思議なことに、理論に・知識に命が通うではないか。勉強と学びをあえて区分けしてみると、しなければいけないとして大変さが伴うのが勉強、おのずから能動的にますます取り組めてゆけるのが学びと。学びは、限りなく広くなるにしたがい、深められていくのである。カウンセリングと言う名の組織は多く存在し、初めての人には選べないのが実際である。一口にカウンセリングと言うが、その質が全く異なるのである。これまで学びを体験してみて、言えるのだから・・・
 7・15(金)~18(月・祝)カウンセリング研修会を開催します。カウンセラーの資格を希望しているか方、職場や学校や家庭での人間関係で、不安や不満・辛さを感じている方。教育や育児を充実したいと望んでいる方。今の自分を変えたいと思っている方。カウンセリングに関心のある方。詳細は☎ 025-230-5320へ。(新潟カウンセリング研修センター)申し込み受付中

九品仏(くぼんぶつ)を訪ねて

2016-05-13 08:51:33 | 私の声
 緑風を心身にいただきながら、九品仏を巡ってきた。暑くもなく寒くもなく、この季節は巡るには最適だった。以前東京でのカウンセリング研修会の折りに、たまたまテレビの番組で知った九品寺を訪ねたことがあった。そして、最近新聞の「城下町の安寧を見守る」として掲載された記事に関心が向いた。新潟の村上市に、九品仏があることを知って、さっそく同伴してもらえそうな人に声をかけ訪ねることになった。一人で訪ねるのもよいが、ことばを交わせる人が傍にいる方が学べることを知っているから。江戸時代に当時の城下の出入り口の要所に、上品上生(じょうぼんじょうしょう)から下品下生(げぼんげしょう)までの九品仏が、9か所に建てられたものという。極楽浄土に往生する者の生前に積んだ功徳に応じて分けた九等の階級・上品・中品・下品のそれぞれに、上生・中生・下生が在るのだ。これまでの生活の個々の思いや行いを振り返り、一体自分は、と想う。九品の中のどこに自分が見出されても、その人にとって絶対なのである、と説かれている。下下品の説教こそ、限りのない仏の大悲の涙に溢れているところといえる。絶対平等の浄土の徳を説き表してくださるための、九品仏だったのでした。良し悪し・比較・優劣などの一切を超え、絶対平等のところに聞かせていただき、その人はその人として、十分機能してゆけるように分かち合えるカウンセリングの心と全く違わないのだ。