新潟カウンセリング研修センター

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真に学ぼうとする人と、学ぼうとしない人

2023-10-29 07:41:52 | 私の声
真に学ぼうとする人は、実に少ない。
いわゆる「観念・知識」で済めるる人は、学ばないでおれる。
分かっていない自覚が欠落していることが、分かっていない。
つまり、分かっているつもりで過ごせている。
お節介と知りつつも、お誘いしてみるが、案の定 しない理由が先立つのである。
哀しいかな、広くお知らせは辞めるわけにはいかないのである。
人類の存続を危惧している故、健全の方向に共に歩ませていただきたいのだ。
とりわけ教育に携わっている職種の方々には、その願いは強い。
社会に及ぼしている弊害は、計り知れない。
現状が物語っている。
そして、お節介とも思えるはたらきかけは、私の使命と捉えさせていただいている。
ご自分のことばになっている「課題・問題」を、我がものになって欲しい。
他の都合をはねのけても、自分の「課題・問題」に取り組まずにはいられなくなる人は、真に学べる人。
そのような教師がこの世に一人でも現れないものかと、願って止まない。

「今ここ」 を大事にね!

2023-10-26 09:24:52 | 私の声
最初に過日の「私の声」の中の「車中」と表したつもりが、「社中」になっていたことに後日気がつき、訂正させていただく。
3ヶ月ほど前にパソコンを新しく購入した際、ほぼ同じような大きさのものにしたのだが、1センチほど小さかったため、文字のサイズが小さく薄くなり誤字が増える等、効率が悪くなった。気をつけねば・・・。

生活をしていると、辛い、滅入ってしまう、不安、苦しい等など心身に起こるものだ。
大抵は気にしないように抑圧し、我慢を強いているようだ。
みんなそうだ、そのうちに忘れるのではないか、我慢が足りないから、ボランティアでもしたり買い物したりして楽しむ、本を読んだり講演でも聞いてなどして、ごまかそうとしている。
的外れとしか言い様がない。そうして真の満足になっているのか。
言い聞かせているときが長くなると、固定化して感性が鈍感になるようだ。
課題が生じにくくなり、響きにくくなっていく。
肩書きに頼って、何事もなくなるように姑息的・自己保身に走るようになる。
そのような管理者や教師の影響が大きい。
過日、教師になって年数の浅い方々の学習会に招かれ、彼らの課題がはっきりしており、切実さに感動した。
彼らのみずみずしい課題に、応じさせていただくべく打ち合わせている。
児童生徒と保護者のためになる彼らのために。
それをさせていただくのが私の使命である。

若手教師の研修会にご縁をいただいて

2023-10-21 08:53:41 | 私の声
直江津駅発の新潟行きに乗車し、最終便にて小針駅下車、帰宅時間は朝帰りになっていた。
最終便を利用したのは、今回初めての経験に。
社内はラッシュじのような混雑で、推測に反していて驚いた。
利用客は若者達でしめられていた。

天気予報どうり、午後は風雨で夕暮れは早かった。
参会者はともかくとして、天候にかかわらず、また距離的な要素も、私の気分は楽しみに彩られていた。
参会者の年齢が若かったことからでしょうか、今感じている、困っている、想っていることなど、生き生きなものを聞かせていただいた。
よき教師になる期待をもたせていただき、今後の援助関係にならせていただきたい想いが湧いてきている。

まるで人ごと!

2023-10-04 09:10:29 | 私の声
購読している新聞紙面の一面の「小中不登校 最多29万9000人 5万4000人贈 いじめ認知68万件」の見出しが、目にとまった。
過去10年、増加の一途を辿っている。増加は当然のことであり、今後も増加しないといえるものは見当たらず、加速していくこと必然である。
テレビも新聞も、コロナウイルス云々と言っているが、見当違いが甚だしい。
見当違いの、その場しのぎのものを全国に報じるのではなく、解釈を疑い深く探究するのでなければ、報道が国民の為になっていかない。
そこで、過去最多・過去最多となるのである。
統計だけが虚しく推移していくのである。
小中の不登校、いじめを取り上げているが、病的な人間は物理的に見えないだけに、深刻である。
外に訳を求めている限り、人類に希望はない。
特に、教育に関わっている者、報道に関わっている者は、自分事にならなければならない。
観念ではなくて、人間関係で体得することだ。
今月は、教師の集会に招かれている。
嘆いているのでは始まらない。私のできることを、させていただくだけである。