昨日は秋分の日、彼岸の中日。我が家の庭の彼岸花は、赤々と燃え立って見える。
呼び名は多いようだ。なかでも、「はみずはなみず」は、視覚に訴えられた名称だ。見る毎に、葉のみであり、花のみであり私の印象に遺っている植物だ。
カウンセリング学習に集った方々に尋ねてみた、あなたにとって「彼岸」とはと。
”お母さんとおはぎ”を、思い出話として複数の方々に聞かせていただいた。
今や、おはぎは家庭で作るからスーパーから買い求めるものに変わってきているようだ。しかも、一年中食せる時代に。
秋分の日に「育まれ合い」をさせていただけるに、その意義一入である。
彼岸には此岸がすでに在る・必要だ。「私には『此岸』は、なかった」と声になった方が。
「言葉の欠けるところものあるべくもなし」は、ハイデッガーのことばだ。
此岸が欠けては、彼岸はなく、その世界が味わえない。恐ろしさを改めて感じさせていただいた。
お独りお独りの此岸を語り、彼岸にならせていただく時間を、過ごさせていただいた幸せを味わっている。
太陽は、真東から真西に沈むことからして、彼岸に通じやすいと説かれていた。
生活のなかに、東洋思想は根付いている。人間にならせていただく奥深い教えが。
呼び名は多いようだ。なかでも、「はみずはなみず」は、視覚に訴えられた名称だ。見る毎に、葉のみであり、花のみであり私の印象に遺っている植物だ。
カウンセリング学習に集った方々に尋ねてみた、あなたにとって「彼岸」とはと。
”お母さんとおはぎ”を、思い出話として複数の方々に聞かせていただいた。
今や、おはぎは家庭で作るからスーパーから買い求めるものに変わってきているようだ。しかも、一年中食せる時代に。
秋分の日に「育まれ合い」をさせていただけるに、その意義一入である。
彼岸には此岸がすでに在る・必要だ。「私には『此岸』は、なかった」と声になった方が。
「言葉の欠けるところものあるべくもなし」は、ハイデッガーのことばだ。
此岸が欠けては、彼岸はなく、その世界が味わえない。恐ろしさを改めて感じさせていただいた。
お独りお独りの此岸を語り、彼岸にならせていただく時間を、過ごさせていただいた幸せを味わっている。
太陽は、真東から真西に沈むことからして、彼岸に通じやすいと説かれていた。
生活のなかに、東洋思想は根付いている。人間にならせていただく奥深い教えが。