新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

あなたは、分かっちゃている! 「カウンセリングとは」 を。

2013-04-28 09:13:29 | 私の声
 「分かっちゃう」「分かっちゃている」の、なんとなんと恐ろしいことか。恐ろしいことになっていることか。なんとなんと罪深いことになっていることか。なんとなんと不安定なことかと、今にして想わせていただけております。そう想わせていただけているのは、これまでのカウンセリングの学びなくしては、とてもとても味わえないものでした。「分かる」ということに、囚われていた私が在ったようです。いつしか、関係(それまでの学校教育も含めて)に影響されていた「ものさし」・・・「分かっちゃている」が意識されないまんま、その人間(ひと)に用(はたら)いているのです。「学ばずに済む・学ばずに済めている」という行動になって。人間の奥深さが味わえる道が、閉ざされないためには、もう一人の独りの人間との学び合いが絶対に必要なのです。さあ 学び始めませんか。単なる知識・観念が役に立たないということが、身をもって知らしめられるために。「より真なるものを求め求めて止まない過程の象徴でしょうか」は(友田不二男氏のことば)

あなたは・私は、真に貰いたがっているものとは

2013-04-21 08:34:53 | 私の声
 「~のためには、どうしたらいいのか」と言った類のことばを、日常よく耳にすることがあります。「 」内のことば、そのまんまが鍵なんだと言いたいのです。広い広い視界が開かれていけるための。他者の回答(知)で真に満足になれないように、いのちはできているのです。そのことが、まずは自覚になることが肝心でしょう。言っているだけで、通りすぎていってしまているのでは、貰い損ね続けるしかないのです。ことばには、用(はたら)きがすでに宿されていたのです。どの人間(ひと)にも、どの人間(ひと)にも。ところが、そのことばの深みにまで届き、真に自分のためにならせていただけるための学びが、欠落していると申し上げたいのです。その学びの場として、各種講座・研修の案内を、当ホームページに掲載させていただいております。℡・hax 025-230-5320で受付けています。資料請求者には、用意しております。
 上記「 」内のことばに、「学ばせていただきなさいよ」としきりに語りかけてくれているように、私には聞かせていただくのです。「本居宣長」の研究で日本文学大賞・文化勲章を受章された小林秀雄氏の著書の中の“常識について”のところを紹介させていただきます。「出来上がった知を貰う事が、学ぶことではなし、」出来上がった知を与える事が教える事でもなかろう。質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。だから、孔子は、相手の、この意志を叩くのだ、と言う。叩いてその方向を示すのだ、と言う。それは、自分自身に対してもそう言っている事に他なるまい。正しく質問しょうと努める他に、何処に正しい知の働きを身につける道があろうか。実在を解決する事ではない。正しい質問の形でしか、人間にふさわしい回答は得られはしない。」と。
 カウンセリング研修とは、まさしく「真に貰いたがっている、その人間にふさわしい回答」の得られる場として、参会者が共々に、実にダイナミックに展開され、すばらしい学びができます。まず、あなたが足を運び、足で学ぶことです。考えてから足を運ぶのではありません。足を運んで、考えさせていただける人間(ひと)になれるのです。
 

「私が変わるには、どうしたらいいのですか?」と。

2013-04-14 08:40:17 | 私の声
 「『あなたが変われば、お子さんが変わる』と言われました。それでは、私が変わるためには、どうすればいいのですか?」と、聞かせていただくことがよくあります。至極当然のこととして聞かせていただけるのです。なぜならば、変わろうとして人間(ひと)は、変わられるようにはできていない、とはっきり申し上げたいのです。ですから、助言をしようとして伝えたとしたならば、助言になっていないし、その方の役立ちになっていかない、不適切なことばといいたいのです。さらに悩ませてもらえるには充分なことばだった、といえそうですが。変わろうとして変わられるようにできていたならば、なにも悩まずに、苦しまずにいられるのでしょうから。ところが、悩みになったり、苦しみ悲しみ憎しみになったり・・・ちゃんと用意されているのです。職場で家庭で、人間と人間・物の関係するところでは。なにゆえに。成長させていただけるためにです。限りなく成長させていただけるように、尽きないのです。迷いも悲しみも辛さも不安も。それでは、真に成長になっていけるその手だては、用意されていたのです。しかし、その手だてはというと、肉眼には見えません。日常会話の水準のところではないと、はっきり申し上げたいのです。「カウンセリング研修」という場で、身につけさせていただけます。まず、あなたのその足を運ぶことです、とお伝えさせていただきたい。

ひとは、人と人との間(ま)に育まれ合うから、人間と書き表す

2013-04-07 08:26:22 | 私の声
 “間”は“はたらき”といいたいのです。人と人の関係しあっているところには、必ず“ことば”がはたらきあっている。意識の有無に関わらず、常に生かされている(いた、いく)この身。この点に気付かせていただけたのは、“カウンセリング”に出会えたお陰でした。学校という場の教育を経て、教職に就いて後のことです。ある生徒さんとの関わりに、行き詰まることができたからです。“行き詰まり”は、ややもすると否定的になって、取り除きたい・忘れたい等と思いがちですが、幸いなことに、学ばずにはおれなくならせてもらえたのです。カウンセリング研修会の案内をくださった方がいて、その場にまず足を運べたのです。考えてからとか、都合が云々とかのところではなくなっておりました。“おのずから”のところでありましょうか。実に積極的!努力するとか・しなければ・するようにといわれてでは、消極的なのです。他人ごとだからです。研修の場で声になった私に「実力ですよ」の師のことばに、私の視点がはっきり変われたのでした。いわゆる“人格の変容”の瞬間でした。