新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

不平・不満は、宝 ?

2017-02-26 08:39:55 | 私の声
親子や夫婦をはじめ職場など人と人との間で、自分の思ったようにならないとき、イライラしたり憎らしく思ったり、顔をみたくなかったり、その相手の人を嫌いになったり・・・。このような取り除きたくなるような感情は、実は自分が人間にならせていただくために、必要なのです。ただし、不平・不満は胸の内に抱え込んでいたままでは、宝になれない。自分の声にしてみて、ようやく宝になれるのです。そこには、聞いてくださる人(カウンセラー)が必要なのです。聞いていただけたなぁ、と感じられたとき、自分の誕生に値遇(であ)えるのです。いわゆる、自分が変わった とも言える。ほとんどの方は不平・不満を内語にしたままですから、あるいは言い放しのままで、言った自分のことばに値遇えないままですから、戦争状態と言えます。苦しいでしょうし晴れないでる。人は人の間で人間にならせていただけるのです。主体的に創造的に社会的に育まれていけるように、資質はどなたにも備えられて生まれてきているのです。カウンセリング学習の場は、そこを歩めるように用意させていただいているところです。どうぞ、せっかく抱いた不平・不満の持ち腐れになさらないように・・・・・・・。思い立ったときが始まりです。


楽になりました!

2017-02-22 07:45:37 | 私の声
 自分の声にして語った後に、ことばが自分に届いてくる。今おかれているその関係によって、ことばになる。〝聞いてもらった感じがしない”とか〝そう言っていない”とか、〝はい・そうです”とか〝肩の力がぬけた感じになりました”〝すっきりしました”等などに。カウンセリング学習の場では、言ったら他の人にすぐ漏れるから、言えない思いや、言ってもその通りに聞いてもらえない思いを、十分語れるのである。人はどんなにかどんなにか、自分を語りたいし、そのまま聞いてっ欲しいのではないのか。声にできないで、ことばは内語のまま積もり積もって、いよいよ闇が深まるばかりだ。闇に葬られたことばたちは、悪さを始める。身体のいろいろの賞状に現れ、受診し内服薬に頼るが、心身は納得しないことに、ようやく気付ける。ことばが大事になっていなかったと。心身は、楽になるように楽(ねが)われていたようだ。「楽になりました・語れて」としばしば聞かせていただく。独りのかけがえのないその人に、少しでも触れさせていただきたい・聞かせていただきたい一心で、共々に学び合うカウンセリング学習の場を、用意させていただいている。いつでも・どなたにも開かれています。

肉体の声を聞け!

2017-02-15 13:26:19 | 私の声
 肉体の動きが届いてこない・動きが聞こえてこないままに、目先のことに気をとられてはいまいか。肉体は四六時中語っているようだ。どうも、観念のことばに押されて、かき消されてしまっている。いわゆるストレスということばになり、ようやく観念で生活していることの不自由さに関心が向けられる。現代は観念にのみ頼って、生身の一人の人間が尊重されなくなっているから、心身の殺し合いになっている。この私のことばが、目に触れたどなたかに伝わることを願っている。どうぞ肉体の動きを感じ取り、語り合いませんか。「肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから。仮面よ脱げ、素面を身よ」は小林秀雄のことば。
 カウンセリング楽習会は、まさに「肉体の動きに則って観念の動きを修正になってゆけるための場です。思い立ちは学びの始まりです。 ☎025-230-5320(新潟カウンセリング研修センター)へ。

 人間は 変わる ことはできない。 ところが 変わられる ことはできる。

2017-02-11 08:25:21 | 私の声
 ある所に相談に行ったら、あなたが変わらないと、と言われた。どうしたら変わられるんですか? と、尋ねられることがある。不自由さをさらに背負った姿だ。本来変わることができないようになっている故、その訴えは至極当然。あなたが変わらないと、と相手に向けて言っている人は、人間は変わることができると、思っているからであろう。自分の力では変わることができないようになっている、と言う事実に値遇っていないと言いたい。どうしたら変わられるんですか、とことばになれれば道は開かれていけよう。変わられるように、道はどの方にもすでに用意されている。自分を変えたい・変わりたい・どうしたら と思い立った方々との楽習会をさせていただいている。共々に変わられる関わりは、私にとって大切にならせていただいている場である。

ストレス時代 ストレスになりやすい人へ

2017-02-09 07:44:03 | 私の声
 ❝ストレスになっちゃって”と言うことばをよく耳にする。そのまま他人事のようにして、やり過ごして生活している人のなんと多いことか。あたかもストレスが社会のせいで、と。確かに自分一人だけではストレスになれまい。ストレスになる自分自身に向き合う手を知らないでいる。向き合おうとする学びが欠落しているのだ。次第次第に溜まってしまい、爆発する。まるで、火山の噴火のように。ストレスはイライラになって他人に危害を加えたり、共同作業が成り立たなくなったり、滅入ったり・・・。危険な方向に向かわせるはたらきを宿しているのだが、人生が満ち足りていけるようにもしてくれる宝なのである。ストレスは凶器にもなったり、建設的な人に誕生していける有難いものにもなるのだ。カウンセリング楽習会は、ストレスが新しい自分に誕生なれるように用意されている場です。定期的に開催しています。詳細についての問い合わせは☎025-230-5320(新潟カウンセリング研修センター)へ