新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

現代人の陥っている落とし穴

2024-10-05 08:33:56 | 私の声
落ちている者には、落とし穴に落ちていると思っちゃいない。
他者に言われては、受け入れがたい。
落ちていた、と気がつけたときに納得になる。
気がつけるには、聞いていただけるもう一人の独りの人が必要である。
ところで、現代人の陥っているところは、「知識」「理屈」「考える」である。
疑いはなく、最高の価値があると思い込んでいる。
知識、理屈を絶対視し、学校教育の児童生徒への影響は、計り知れない。
人間疎外は、専らである。
これでは人類が滅んでしまうのである。
教育に携わっている方々、足を運んでいらっしゃいませんか。
息切れ、苦痛、疲労、焦り、疲労、イライラ、答えを外に探している、これでよかったのか不安のあなたへ
健全な人間を育める教師になる学びをしませんか。
教育に携わっていくこと、楽しめるようになるのですから。

成長(十分に機能する)人間になれる人

2024-10-03 07:57:19 | 私の声
「カウンセリングに関心があると言って、当カウンセリング研修センターを訪れる人は、少なくない。他のところで資格を取ったのだが、とか大学で心理学、哲学を勉強してきた、等と言っている人は珍しくない。
これらの方々は、ほとんど学びは続かない。
「関心がある」では、継続し成長する動機としては薄いようだ。
「困る」「死にそう」「苦しい」が、他人事では無くほんものであるかであろう。
真に血肉になる学び(十分に機能する)になる人は、思考(知識・観念)ではなく、身体が欲求している人だ。
目的のためにカウンセリング「を勉強する人」は、成長への学びにはなりにくい。
「ただカウンセリングに学び続ける人」を、カウンセラー(十分に機能する人間)と名付けられる。

「死にそう」苦しい」と声になる人は

2024-10-01 11:34:08 | 私の声
「苦しい」死にそう」と、声になるかどうかだ。
救われる・成長になる人は、このことばになっている。
そして、自分の思い、感じなりを語り始める。
苦しい・死にそうは、あなたが救われるために、やってきていることばなのである。
ところが、ほとんどの人は、取り除こうとして回避行動にもっぱらである。
回避行刷るほかは刷るほかは、ない。
体験がもの語っているはずだが、気づかないでいる。
持続しているのは、対応が不適切ということなのだが、どうなっているのだろうか。
自分が思う対応は、「する」に終始している。
「カウンセリング」に足を運ぶ人は、希望の方向に向かって往ける。
まず、臨んでみることであろう。
自分で考えては、分かるはずがない。


「できる」「できない」の奴隷に

2024-09-22 08:20:15 | 私の声
全く、学校教育の被害者になっている、と言わざるをえない。
あるとき、ある人に「聞かせていただけなさに出会わせていただける人は、聞かせていただける人にならせていただける」と伝えさせていただいた。
ところが、「聞くことができない」自分に、萎縮して行動ができなくなっているとのこと。
疑いなく、「できる」はよく、「できない」は劣っていると捉えている。
「聞かせて~ならせていただける」のことばが、聞いたその人の耳の底に遺るかどうかなのだ。
そのことばの相(すがた)が遺れば、行動が能動的になるに違いないのであるが。
まさに、聞いたその人にかかっている。なにごとも。
今日も、聞かせていただく学び合いを行う。
どなたも、どなたも学び合う価値があるもの。
志す方、子どもを育む立場の親と教師は、必修です。
先ずは、取り組みましょう!

感性

2024-09-17 10:39:40 | 私の声
感性
分かるようで分からないでありましょう
鈍感 になっている自分に、鈍感が感じられていない在りよう
苦しい になっている自分が、苦しいという言葉になっていない在りよう ということができよう。
日常に振り回されっぱなし、ごまかし、装い、力みに、感性が殺されているのであろうか。
どんどん自己が見失われることを由として、突き進んだり死んだようにして生きているすがたであろう。
そこに、いよいよ疑問を感じ、放っておけなくなれた人が、当カウンセリング研修センターに訪ね来ている方々だ。
動機が弱い人は、すぐに自身に向き合うことを止めていく。
学びは本来楽しいものだが、真の自分に出会うにはプロセスが必要。
ことばが信じられるかどうかに、かけられているのである。
自分の声にして、「関係」に恵まれれば!
急いで一人で考え、ためになる体験せずして、人間にならせていただく進むべき道を、自分が見捨ててしまっている愚かさよ!
自己疎外こそ、八方塞がりへのみち・・・
苦しい・死にそう・気持ちが悪い・動けないなどになった人は、最も救われ往くのである。