新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

人間(ひと)はなぜ殺し合わねばならないのか

2015-11-27 10:15:37 | 私の声
 今の私には、はっきり観えている。殺し合わねばならなくなっているところ・どうあれば救われ合えるようになれるのかが。こう言えているのには、学びの道程・年月が必要だった。「殺してはいけない」「命は大切にしなければいけない」の類では、一向に止みようがないことは世界中での・身近での出来事が教えてくれている。知っているレベルにすぎないからだ。真に細胞の隅々にまで染み入る学びが必要なのだ。心身が納得できるための学びが、学校教育には全く欠落している。単なる知識の伝達と比較のみに陥っているのである。知っていれば人間は、殺さないようにいじめないようになると思っているようだ。ことばが大事になっていない点に起因している。ことばが単に手段になっていることに、教育に携わっている者が気づいていない。ことばが大事になるとは、と疑問になれれば・虚しくなれれば救われもしようが・・・力みがある身には、虚しさは届くまい。吾が身に虚しさが感じられたら、もう学ばずにはいられないはずだ。私はそうだったように。ことばの奥深さ・人間の奥深さ果てしなさが、育みあえる学校教育でありたい。思い立ったらお伝えください。☎025-230-5320新潟カウンセリング研修センターへ。*学習案内:11・27(土)、28(日)両日とも9時~12時 当研修センターで。

だんだんきれいな人間(ひと)になっていける道

2015-11-06 09:06:45 | 私の声
「をんなが付属品をだんだん棄てると どうしてこんなにきれいになるのか。」は、高村光太郎著・智恵子抄「あなたはだんだんきれいになる」の一節である。想えば私がこれまで歩ませていただいてきた道程だったのではなかっただろうか。カウンセリングに出会い、数えきれない人に出会い、ことばに値遇(であ)わせていただいてきた今・言える。ことばを手段として使い、そしてことばが手段になっていることに気が付けず、疑うことを知らなかった。虚しいにもなれずに。カウンセリングに出会い、ことばはいのち・ことばは用(はたら)きだったんだ、に値遇い値遇わせていただく毎に、ことばは付属品を棄てられて「ことばの相(すがた)」が鮮やかに、きれいに見えてきたのである。ことばを意味で・解釈で・思惑等などで聞いているときの自分自身に気付かせていただけるようになると、ことばが信じられ、ことばにお任せできるから在り難い。なによりも、あなたと私が仕分けられ、かけがえのないあなた・わたしにならせていただいてきた点である。多くの人にお世話になりながら、語らせていただき、聞いていただいてき、じわりじわり皮膚から吸収させていただいてきたカウンセリングの歩みが、この一節に想わせていただいている。