新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

散歩 に想う

2021-03-24 11:39:38 | 私の声
桜の並木道、その枝先に目を奪われて川縁を散歩していたら、晴れ渡っている青空のような光が視界に入ってきた。足下に目を凝らすと、犬のふぐりが地面を転々と彩っていた。まるでイルミネーシヨンのように。すると、姫、仏の座が、たねつけ花が春の陽を浴びているではないか。
音のした方向を振り返ると、数羽の鴨が私の足音に驚いたか、川縁から水面に身を投じていた。
彩りも・姿も違って在る。
「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ のことば)が、
「老少善悪のひとをえらばれず」(歎異抄より)が、届けられてきた。

私達は、自分を含めて、どうなっているだろうか。

あぁ~生かされているなぁ。桜の木に・鴨に・川に・姫オドリコソウに・犬のふぐりに・仏の座に・たねつけ花に・風に・陽に縁をいただき、今ここに。
言葉にして、言葉に歩ませていただいている「私」

「傷ついた」

2021-03-20 08:47:15 | 私の声
「言葉で傷付いた」「傷つけられた」「傷つけるんじゃないか」等をよく聞く。
傷つけられた と言っている人は、心身に遺る。
その体験が、傷つけるんじゃないか と、自分の行動を狭めるようになっている。
「傷つけられた」「傷つけるんじゃないか」の思いと行動を、抱えたまま生活をし続けてしまっている。
その手立てを求めないで、まるで何事も無かったかのように。

開放される手立てはあるんだよ。
不自由な人生で言い訳はない。
マンネリ化に、鈍感になっている。
自分を大事になれずに、もったいない。一度きりの人生だ。

カウンセリングにであった私だから言える。
傷つかずにすむ人生を歩みたいあなた、新潟カウンセリング研修センターへ。
年中無休、9時~17時 ☎かインターネットで受け付けしています。

いのちは「カウンセリング」を求めている

2021-03-11 13:30:08 | 私の声
 いのちは、すでに「カウンセリング」を求めている。
どの人も、どの人も生まれたそのときから。
なぜならば、人間は限りなく広く深く変化させていただけるように、資質が具わって生まれてきた。
その具わっている資質は、家庭内の親子の関係や学校の教師との関係や職場の関係では、適わない。
「カウンセリング」という特殊な援助関係のなかで、人格の変容といえる出来事が、起こるのだ。
いまだかつて、見たことのない世界が開かれ、豊かになっていく体験が起こる。
そのカウンセリングに出会うきっかけは、眠れない辛い苦しいが極まったときのようだ。
心身に支障が表れ、生活が立ちゆかなくなって、精神科に受診し服薬治療をしたり、服薬治療に疑問を抱き訪れる。
カウンセリングにであい、ご自分の歩みをされ元気になっていかれる。

なかには、暇だからとか稼ぎたいとかボランテアで人のためになりたいから、などなどで訪れる方々が。
ほとんどは、継続できずアッという間に去って行く。
暇つぶしにできそうに想ったに違いない。
他人のためになりたい、聞かせていただく人間になりたいと、よく聞く。
自分のためになる体験学習なくして、他人のためになれない。

ライフワークと学習を並行して学びたい方は、新潟カウンセリング研修センターが最適!
「新潟カウンセリング研修センター」を検索し、ホームページ「つなぐ」か電話で申し込める。

歎異抄に学ぶ

2021-03-01 08:55:44 | 私の声
歎異抄に学ぶ会を、2月28日より始めた。
「歎異抄」を一般の多くの方々は知らないであろう。
知っている方は、恐らく学べる機会・場を求めているのではないか。
奥深く充実しているものだけに、一人で活字を目で追っていては適わない。
声にして関わりが必要。

歎異抄は日本の聖典とも言われている。
自分の、あらゆる方のこれまでの、これからの問題の応えが、歎異抄に通じているのだ。
通じさせていただくには、学びが必要なのだ。
自分なりに納得させていただける学びが。

実に味わい深く、私の身に欠かせないものになってきた。
読むときにより、おのずから味わいが異なるから、意味深い。
私だけのものに留めてはおけない。
声をあげてみたら、学びたいとの方々が予想を超えた。

頑張る必要はない。理詰めで理解するのではない。
自分のなっているところを声にする。手がかりになって、おのずから深められて往ける。
月1回設ける。お問い合わせは、随時受け付けている。☎025-230-5320かホームページ「つなぐ」で。