新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

小中の児童生徒の保護者の方々へ

2023-08-31 11:48:42 | 私の声
夏休みが終わり、二学期を迎えるこのとき、お子さんに何か心配になる様子が感じられたら、カウンセリングが必要です。
乱暴に接してその場しのぎをせず、成長のチャンスと捉える必要があるのです。
このとき・このときを大事にしましょう。
「こんなはずじゃなかった」と、後に悔いにならないために。
困ったり行き詰まったりは、成長するために大事な体験なのです。
そのことが生かせるようにしてやれるように、カウンセリングを促しましよう。
我慢させたり励ましたりは、逆効果になります。
悪化してから内服薬に頼ったりしている方々が、非常に多く見受けられます。
不登校・自殺・非行・精神疾患等など増加の一途を辿っています。
決して、人ごとになさらずに!1!

「若者たちの"戦争と平和”」

2023-08-19 08:33:15 | 私の声
上記タイトルは、今日19日深夜から早朝にかけての「朝生」でのテーマだった。
さまざまな方々が思いを語る場として、関心はあり私なりに参加している。
今回もだ、まるで戦争そのものが展開されていた。
「違う」『黙れ」「出て行け」「なんで」「どうする」など激しく飛び交い、平和とは程遠いものであった。
”聞かせていただく”の姿勢のなきところに、平和について言い合っているだけ。”平和”は訪れない。
若達たちのと断っているのも不自然である。独りのところに向き合わせていただくところが、疎かにしていては始まらない。
カウンセリングの心は、独りの「和」を尋ね続けているのだと言えよう。

[今ここ」に値遇(であ)う

2023-08-14 12:18:33 | 私の声
「今ここ」に値遇う、ということばを知らなかった。
したがって、願ってもおらず、そのできごとが自分に起こるなど思いやしなかった。
「横超」と名ずく。恩師の法名に同じ。
3泊4日のカウンセリング研修の場に、訳が分からずにただ、身をおいていただけだった初めての体験。
この態度が、ためになったとしかいいようがないのだ。
根こそぎこの心身・この生身が生まれ変わってしまったのであるから。
見えよう・聞こえようが一変してしまったのだから。
「今ここ」に値遇いたがっていたといわざるをいない。
私が願っていたのではなかった.[
いのちが願っていたのであろうか。
「今ここ」に値遇わせていただける に勝るよろこびは無し
ともどもに救われ合う 関わりなのだ。
全ての方々と、救われ合いたがっている私だ。
当カウンセリング研修センターに通っていらっしゃる方々とも、
そして、最も会いたいプーチンさんと金正恩さんと、救われ合いたい。

「考える」を疑うこと知らないあなた

2023-08-11 11:10:05 | 私の声
一回ごとに呼吸を考えながら、やってはいまい。
同様に、「考える」もだ。
言葉を聞いて、瞬時にやっている。
考えている・思っているは、四六時中だ。自覚の有無はある。
言い換えれば、言葉がやってきている、ということだ。
そのやってきた言葉を声にして、歩ませていただいている。

身に届いた言葉は、実に信頼に値するもの。
身に届いた言葉に、救われた!そのとき、打ち消された。「これでいいんだろうか」と。
考えが、苦悩に向かわせる
「考える」は、実にやっかいなのである。
救われないようになっている。
救われ往く手立ては、あるのである。

「花びらは散っても花は散らぬ」

2023-08-01 08:51:38 | 私の声
30日日曜日の高速バスの深夜便にて、東京へ向かった。
前日に予約するとどの会社の便も満席の状況、やっと確保できた一席だった。人の動きは、すっかりコロナ感染症の発生前に戻っていてビックリした。
バスに弱い私は前の席をとるために、切羽詰まって予約することはこれまではなかったのだが、この度はそうも言っていられぬ事態に。
40年余りに渡り私が私としての歩みをさせていただけるよう、ご一緒してくださっていた恩師・小河先生の告別式に参列させていただくためであった。
千葉の光林寺の会場で、小河先生のお顔に対面させていただけた共に、灼熱の日差しのもと、県外のあちらこちらから学び合ってきた懐かしい友の顔が集った。。
恩師とのお別れのとき・場は、これまでの縁あった一同にお会いさせてくださるとき・場にならせてくださっていた。
ご縁の不可思議を、改めて感じさせていただけた。
「光林寺」さんでは、小河先生の歎異抄の学習会が行われていたと聞いていた。
式場の僧侶の方の声で、歎異抄の金子大栄さんのことばとして「花びらは散っても花は散らぬ」と、聞かせていただいた。
小河先生とのご縁を、当に表されていることばに私はならせていただいている。