新潟カウンセリング研修センター

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呑み込む癖  

2017-10-23 07:26:54 | 私の声
 飲み込む癖が、いつの間にかついていたのだ。言葉をである。意識的にであったり、無意識的に。人間関係には、自分の想いや感情の言葉を、言わないのがうまくいく、と思っている人の実に多いことだ。これまで長年学びを重ね続けてきているこの身は、それを錯覚だったと今ははっきり言える。どれだけ、呑み込むことで、この身を不自由にしゆがめられてきたことかと。気が付かないままに、自分を殺しその相手の方をも殺してきていたのだから。過ぎてしまったものは遡れないが、そこに学べて有難い。声にして、育まれ合いの学習が、今させていただけているからである。関係に学ばせていただき続けている。一人では十分に機能できる人にはなってゆけない。もう一人の人が絶対に必要だということだ。一人で成長できると思い込んでいる人のなんと多いことか。かつては、自分も無意識的にそうなっていた。カウンセリングに出会って目覚めた。言葉に歩ませていただける人生である。

自分を大事にする・大事になる

2017-10-17 08:47:26 | 私の声
 「自分を大事にする」ってところは、自分勝手なところであろう。日常生活では、自分勝手をしていながら、平気な関係だ。平気かどうか。何とかしたいと思っても、その手だてが分からずに、マンネリ化に甘んじているようだ。言っても聞いてもらえない、等と相手に対する不満をため込み続ける。時には爆発したり、黙り込んだりと。つまり殺し合いだ。家庭内も学校教育も職場も。ところが、自分勝手になっている自分に焦点が当たると行動が変われるのだ。もう、放ってはおけなくなる。学ばずにはおれなくなるのである。聞いてくださる人間(ひと)が必要だった。聞いてやるから言いなさい、と言うような人間の前で語る気は起きない。そのような人間には、聞いていただけないのが分かっている。聞いていただこうと言う行動になり、聞いていただけた、にならせていただけた人間に出会えた有難さ。カウンセリング研修会に足を運んだ所だった。その人間こそカウンセラーと私には呼べる。教えようとしていたのではなさそう。新しい世界が広がった瞬間だった。有限な自分を見させていただけた。自分が有限だったとは、初めて思い知らされた思いがけない出来事に遭遇できた。カウンセリングの学びの厳かさ!。自分の想いを語る、つまり自分を大事にするところは、聞いていただけて、「自分が大事にならせていただけた」と言えるところ。この世に生まれてきたのは、このいのちに願われているものに値遇うためだった。アメリカの哲学者・ロジャーズは、「成長への資質」と言うことばで遺してくださっている。「より真なるものを、求め求めてやまない過程の象徴でしょうか」と、日本に初めてカウンセリングを伝えられた、友田不二男氏のことばである。

言葉は、用(はたら)いている!!!

2017-10-12 06:57:10 | 私の声
 ❝言葉は用(はたら)いている”って感じられたときが、お有りだろうか。なんのことか、どお言う意味なのか、と。おそらく分かりづらいでしようね。日常生活を送っているだけの身においてはね。日常生活においては、言葉は単なる目的を果たすための手段になっているからである。目的を果たすためには役立っているのだ。それだけの体験しかできずに生きているから、言葉が用(はたら)きである体験をせず仕舞いになっている。この言葉の用(はたら)きこそが、人間が人間にならせていただけるかに、ひとえにかけられているところと言える。この言葉の用きは、肉眼にはみえない。ところが、見えない・見えにくいものが見えてくる学びを、カウンセリングと名付けられる。見えて観させていただけた体験に優る歓びはない。この体験は日常会話では、およそできない。雑になっている関係であるから。言葉は声にならないところでは、その用きには値遇(であ)えない。そして、声になった言葉を聞いていただき、聞かせていただけたとき、値遇わせていただける体験になれる。人間としての奥深さが養われてゆける。ともどもに、育まれ合う学びしませんか。あなたに具わっている成長への資質は、目覚めたがっているに違いない。目覚めたとき、目覚めたがっていたんだなぁって、気づくでしょう。

私が黙っていれば・・・

2017-10-06 07:17:14 | 私の声
 「私が黙っていれば波立てないでおさまるから」と、ときどき聞く言葉だ。そうだろうかと、私は想う。その人は、そう思っているのだ。「なっているところ」は、違っている。頭でそう思って、身のところはなっていないのである。頭は、言い訳・理屈・理由など思い考えるが、身はごまかせない。身は事実を熟知している。実に身は信頼に値する。言いたいものが言えない関係が、当たり前のようになってきている昨今。不幸を・鬱積を招いている。黙って・黙って生活し続けるうちに、やがて深い患いに陥るのだ。そのようになっている。声にするのが自然なんだよと、教えられる。黙っていれば波立たないどころか、自身は激しい波に悩まされ続けているではないか。都度都度、言いたい思いを声にして、聞かせていただき、共々に育まれ合うを、カウンセリングと言う。独り独りが尊重され合う学び合いである。真の学問と言える。ことばが薬になる。人から処方された薬や、一人では絶対に楽にはならない。学び合い・育まれ合いに、いらっしゃいませんか。学校で教育に関わっている方は是非!