最近よく耳にすることばに、「コロナ禍」がある。
そのように名付けられたのも、うなずけられる。
無症状感染者がいることから終息が見通せない、感染させたり感染させられたりを防ぐために、これまで当たり前にしていた、飲食時のおしゃべりができない、マスクの着用が必須、他者との距離をとる、異常な症状の発生時に受診が面倒、コロナ感染による報道と他者からの偏見、長距離移動の自粛等など生活するうえで相当やっかいで緊張が伴う。
「怖い」という人、「怖くない」という人がいる。
私は、そのどちらでもない。
「怖い」とい人は、動きが制限され引きこもり傾向になり、怖くない人は感染の可能性が高く、場合により死に至ることも。
「『正しく』怖がる」に、ウイズコロナをさせていただいている。
振り回されて縮こまりもせず、これまでにも増して、足を運んでいらっしゃっている方々と、育まれ合いの時間を連日設けさせていただいてきた。
禍(災い)転じて福とならせていただいている、ところでしょうか。
さあ、一人で抱え込んでいては、精神状態から身体の症状へ現れてくる。
一歩足を踏み出してみよう。声にしましょう。聞いていただく必要がある
そのように名付けられたのも、うなずけられる。
無症状感染者がいることから終息が見通せない、感染させたり感染させられたりを防ぐために、これまで当たり前にしていた、飲食時のおしゃべりができない、マスクの着用が必須、他者との距離をとる、異常な症状の発生時に受診が面倒、コロナ感染による報道と他者からの偏見、長距離移動の自粛等など生活するうえで相当やっかいで緊張が伴う。
「怖い」という人、「怖くない」という人がいる。
私は、そのどちらでもない。
「怖い」とい人は、動きが制限され引きこもり傾向になり、怖くない人は感染の可能性が高く、場合により死に至ることも。
「『正しく』怖がる」に、ウイズコロナをさせていただいている。
振り回されて縮こまりもせず、これまでにも増して、足を運んでいらっしゃっている方々と、育まれ合いの時間を連日設けさせていただいてきた。
禍(災い)転じて福とならせていただいている、ところでしょうか。
さあ、一人で抱え込んでいては、精神状態から身体の症状へ現れてくる。
一歩足を踏み出してみよう。声にしましょう。聞いていただく必要がある