新潟カウンセリング研修センター

研修・講座のお知らせを掲載

苦しい・辛い・不安・悲しい は、あなたを救うために訪れてきてくれている

2018-08-25 11:44:31 | 私の声
 人も草木もぐったりしていた暑い夏に、庭の百日紅とむくげとノウゼンカズラは、陽に輝いていた。あちらこちらで開花した高砂鉄砲百合の白さにホットする。草木は寒い時も暑い時もその場で呼吸している。まさに、順応だ。そのさまざまな状況に、己に順(したが)い応じられている姿を見させてもらっている。人はどうだろう。意識なく疑いもなく相手を変えさせようとしている日常だ。親子・夫婦など家庭においても職場でも学校でも地域でも。言葉や暴力で。また、悪いのは自分だからと自分を変えようと思い、そして自分を卑下したり苦しみ、自ら命を絶つたり、黙りこくったり。
 人間は人を変えさせることもできなければ、自分を変えることもできない。どうあがいても、そのように創られているのだ。変えられると思っているふしがある。変えられないものだと自分の自覚になっている人に、なかなかお目にかかれない。私はカウンセリングに出会えて、とことん知らしめられた身である。そして変容させていただき続けられている。カウンセリングは、自分一人でどうにもならない人間の成長を、自身に実感させてもらえる学びである。成長への資質はどなたにも生まれながらにして具えられている。だが、体験させてもらえるような場・関係に出会えるかどうかにかけられている。人は成長できるんだという実感を、いただけないまま肉体が尽きていっている。このままの自分ではいられない、と思い立った方には、常に扉は開いている。

弥彦での研修会から

2018-08-14 10:16:43 | 私の声
 7月に当研修センター主催のカウンセリング研修会を弥彦で、3泊4日の日程で全国から大勢の方々をお迎えして開催した。初めて参加した方のお一人に「足を引っ張り合うような日常の人との関係なのに、あそこではそれぞれの方が真剣に語り、丁寧に聞いていた。どきどきワクワクだったが、参加してよかった」と。その場に身をおいて、肌身で感じられた感想として聞かせていただいた。世の中に「カウンセリング」と名付けられた団体は数多いが、質が違う。その最初「カウンセリング」と名が同じければ同じものと、なんの疑問もなかったが、長年歩ませてもらってくると、「カウンセリング」は質なんだと。真似事だったり知識でできると錯覚している者のなんと満ち満ちていることか。その自覚もないから恐ろしい。本物でなければ、一人の生身は救われて行かない。ともどもの育まれ合いになる関係にご縁をいただき、しみじみ幸せに感じている。私が学び続けられてきている道程は、まさしく「カウンセリングとは、より真なるものを求め求めて止まない過程の象徴でしょうか。」(友田不二男)のことばがふさわしい。