人も草木もぐったりしていた暑い夏に、庭の百日紅とむくげとノウゼンカズラは、陽に輝いていた。あちらこちらで開花した高砂鉄砲百合の白さにホットする。草木は寒い時も暑い時もその場で呼吸している。まさに、順応だ。そのさまざまな状況に、己に順(したが)い応じられている姿を見させてもらっている。人はどうだろう。意識なく疑いもなく相手を変えさせようとしている日常だ。親子・夫婦など家庭においても職場でも学校でも地域でも。言葉や暴力で。また、悪いのは自分だからと自分を変えようと思い、そして自分を卑下したり苦しみ、自ら命を絶つたり、黙りこくったり。
人間は人を変えさせることもできなければ、自分を変えることもできない。どうあがいても、そのように創られているのだ。変えられると思っているふしがある。変えられないものだと自分の自覚になっている人に、なかなかお目にかかれない。私はカウンセリングに出会えて、とことん知らしめられた身である。そして変容させていただき続けられている。カウンセリングは、自分一人でどうにもならない人間の成長を、自身に実感させてもらえる学びである。成長への資質はどなたにも生まれながらにして具えられている。だが、体験させてもらえるような場・関係に出会えるかどうかにかけられている。人は成長できるんだという実感を、いただけないまま肉体が尽きていっている。このままの自分ではいられない、と思い立った方には、常に扉は開いている。
人間は人を変えさせることもできなければ、自分を変えることもできない。どうあがいても、そのように創られているのだ。変えられると思っているふしがある。変えられないものだと自分の自覚になっている人に、なかなかお目にかかれない。私はカウンセリングに出会えて、とことん知らしめられた身である。そして変容させていただき続けられている。カウンセリングは、自分一人でどうにもならない人間の成長を、自身に実感させてもらえる学びである。成長への資質はどなたにも生まれながらにして具えられている。だが、体験させてもらえるような場・関係に出会えるかどうかにかけられている。人は成長できるんだという実感を、いただけないまま肉体が尽きていっている。このままの自分ではいられない、と思い立った方には、常に扉は開いている。