ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




鈴木則株式会社、キッチンK。中央区日本橋堀留町1-4。1994(平成6)年2月20日

前の通りは「江戸桜通り」の延長になる通り。江戸桜通りは日本銀行南西の常盤橋交差点から東へ、昭和通りまでだが、そのまま延長すると両国橋の南の墨田川沿いの通り(浜町河岸通り)に出る。割と広い通りだが西から東への一方通行で、両側に駐車スペースが並ぶ。この辺りの駐車料金は1時間で千円以上になるから駐車スペースに止められれば300円で済むわけだ。写真の右奥への横丁に入るとすぐ右に椙森神社がある。
角の看板建築には「鈴木則株式会社」の看板が架かっている。それ以前は「日本橋不動産」だった。その店は昭和30年頃の火保図にすでに出ていて、1990年頃まであったのではないかと思う。現在は「ルミエール堀留」(2009年9月築、9階建10戸)というマンションに替わっている。
鈴木則の横丁側の隣は「キッチンK」という定食屋。元は「八百岩」という八百屋だった。昭和10年頃の火保図に「八百ヤ」としてあり、1979(昭和54)年の地図に「八百岩商店」となっている。定食屋に商売替えしたのは1980年代前半のようだ。
キッチンKの右は「敷島繊維株式会社」。現在、建物は取り壊されて駐車場になっている。


富美屋商店。日本橋堀留町1-4
1985(昭和60)年4月28日

1枚目写真の左に写っているビルは「ピーコス日本橋ビル」(1992年2月竣工、9階建)で、1階に「清寿軒」という和菓子屋が入っている。そのビルの左は「ニュー小林ビル」(1988年1月竣工、8階建)で、1階は「おそば高松」という日本そば屋。
左写真の左の石積み風の目地の家がおそば高松。スクラッチタイル貼りの看板建築の家は1969年の地図で「富美屋商店」となっている家。この2軒がニュー小林ビルに、写真右の「磯浪株式会社」がピーコス日本橋ビルに替わった。
おそば高松」は戦前の創業で、現在の店主で三代目。「高松そば」としている地図もあるが「おそば高松」が店名らしい。かつ丼が自慢だという。

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椙森神社。左が社殿、右手前が神輿蔵、奥に社務所。中央区日本橋堀留町1-10
2016(平成28)年4月23日

椙森(すぎのもり)神社に平成8年に設置された中央区教育委員会の説明板には、平安時代に平将門の乱を鎮定するために藤原秀郷が先勝祈願した所という。江戸期には富興行が行われた。関東大震災で全焼し、昭和6年に現在の社殿が耐震構造の鉄筋造りで再建された、とある。
建物については『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)に詳しい説明がある。社殿(拝殿・幣殿・御本殿)はSRC(鉄骨・鉄筋コンクリート)造、社務所・神輿蔵・神楽殿(写真右後ろにある)はRC(鉄筋コンクリート)造。1931(昭和6)年9月15日の竣工。外観はすべて伝統的な様式によるので、見た目ではRC造とは思えない。
造営図面が区の文化財となって保存されている。それに記載があったのだろうか、設計監督=本田保次郎、現場監督=小橋金治、工事請負=高山組・高山憲三、と名前が記録されている。高山憲三については『国立国会図書館デジタルコレクション>事業ト人』(『奮闘秘話 事業と人』福岡時事社編 昭和4年)という資料がある。福岡出身で、1908(明治41)年に蔵前の東京高等工業学校卒業して清水組に入社。1922(大正11)年に独立して高山組を興す。清水組でRCの技術を習得したらしい。川越商工会議所(旧武州銀行川越支店、昭和3年、設計監督前田健二郎)が高山組の施工という(全国近代化遺産活用連絡協議会>川越商工会議所)。


椙森神社、社務所。裏から見るとRC造と分かる。2016(平成28)年4月23日

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喫茶コット。中央区日本橋大伝馬町9。1988(昭和63)年7月31日

小伝馬町交差点の東の裏手。写真左奥への道が江戸通りの裏通りになり、平成3年に「えびす通り」という愛称がついた。日本橋本町3-10にある宝田恵比寿神社にちなむ。
同じ飾りのパラペットの線を持つ家が2棟並んでいる。関東大震災復興期のモルタル壁の看板建築かと思う。「Retty」の投稿記事によると「コット」の開店は1975年頃らしい。その右は「日比野運輸有限会社」、ヤマト運輸の代理店のようだが、昭和30年頃の火保図に「大和便」とあるから古くからある店らしい。
ストリートビューを見ると、写真左の「ライフ株式会社」の小さなビルと日比野運輸が2013年に取り壊され、コットは2017年に取り壊されたようだ。そこに「ブラントン日本橋大伝馬町」(10階建28戸)というマンションが建ったのは2018年4月。コットはつい最近まであった建物だった。


フジスター株式会社。日本橋大伝馬町11
1988(昭和63)年7月31日

江戸通りからは3本南の裏通りになる。写真左奥のビルは大門通りに向いている。「富士スター株式会社」のビルは昭和30年頃に建てられたものではないかと思う。『フジスター㈱』によると、昭和7年に名古屋で服地卸売業の「藤井商店」として創業した。戦後、東京に進出、昭和24年に東日本橋小伝馬町に営業所を開設。昭和55年に「フジスター株式会社」に社名変更した。昭和30年頃の火保図、および昭和44年の住宅地図では写真のビルは「伊藤萬株式会社東京支店」となっているので、藤井商店が建てたものではないかもしれない。
1991(平成3)年に現在の10階建ての「フジスタービルディング日本橋」が竣工している。

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