ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




安達太良、奴、わか葉。葛飾区立石4-26。2008(平成20)年12月11日(5枚とも)

京成立石駅の北、住所で立石4-26には居酒屋・スナックが集中している。勿論その周辺にもあるが、26番地の特徴は戦前からある建物がかなり残っていることだ。戦後、それらが赤線のカフェーとして営業し、売春防止法施行以降は飲み屋に転向して今に至ったのである。
上の写真は26番地の西の通りで、右奥が駅。写真の家並みの向かい側はマンションなどがあって店は少ないが、居酒屋安達太良の角を左に入ると「立石すずらん通り」で、両側に飲食店などが並ぶ。



居酒屋さつき、スナック竹馬、小料理さくら。スナックつかさ、居酒屋安芸

26番地には東西にY字型に路地が入っていて、そこが飲み屋街の中心である。写真の看板の店で今も続いているのは半分ほどだろうか?

立石の赤線跡についてはネットでも取り上げられていて、それらをまとめると以下のようになりそうだ。
昭和10年代、「立石新地」という家数40軒ほどの住宅地ができる(♪ラブ・ユー立石>写真で辿る立石北口)。そこに1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で焼けだされた亀戸駅付近にあった花街(銘酒屋?)の業者が移ってきた。「6月に民家を改装して営業が開始されたという」(『赤線跡を歩く』木村聡著、2002年、ちくま文庫)。戦後は進駐軍向けの慰安施設(RAA)に指定された。進駐軍が要求したわけではなく、日本政府が犯罪防止の防波堤が必要だと考えたのである。進駐軍の方では、半年後の1946年3月にはそんなところに行くと病気になるからと、立入禁止にしてしまった。替わって警視庁が営業を許可して「赤線」になる。
「スナックつかさ」と「居酒屋スナック安芸」の建物がカフェー建築の特徴をよく残している。モルタルで塗りつぶしてしまっているが豆タイル貼りの円柱、建物角のアールの庇が見られる。



スナッククリスタル、スナックポポ、パブブリっ子、創作酒菜厨、立石居酒屋関処

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