ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




二軒長屋。港区三田2-16。1990(平成2)年2月11日

三田の慶応大学の南を通る桜田通りの三田四丁目交差点で、後ろのビルは慶応大学の南館。窓が3つ並ぶ看板建築は二軒長屋で、店の看板がないのでしもた屋かもしれない。1982年の地図に1軒を「㈲理科電機工業」としてある。その右のビルの緑色の看板は「中華料理 英龍」。写真左の看板建築風の家は住居だと思う。取り付けられた看板は「三菱銀行」。田町駅のそばの支店を指しているのだろうか?
今、ストリートビューを見ると、写真右のビルはそのまま存在していて「ラーメン二郎三田本店」になっていた。二軒長屋は取り壊されて駐車場になっている。写真左の家は建て替えられていて、海鮮丼の店があったらしいが、2017年9月に「びっくり屋」という八百屋が開店した。

下の写真は1枚目写真の裏手にある酒屋で、現在では建物はそのままで居酒屋として商売をしている。『東京・歩く・見る・食べる会 会員便り>第三十七回 三田・芝の浦編 平成23年11月12日』によると、建物は明治26年(1893)に酒屋として建てられた。平成13年に若干の手直しをして居酒屋にした。隣の津国屋ビルは元は蔵があったらしい。その右の木造の家は津国屋の倉庫。



津国屋酒店。三田2-16。1990(平成2)年2月11日

加賀乙彦の「永遠の都」(新潮文庫で全7冊)という小説に津国屋酒店が登場する。著者の自伝ともいっていいが、小説だから事実通りというわけでもないだろう。著者である少年の、母方の祖父が元海軍軍医の時田利平で、もう一方の主役である。大正2年、三田綱町に時田病院を開業して、発展していく様子が描かれる。北杜夫の「楡家の人々」と通じるところがある。
祖父の実名は野上八十八、病院は「野上病院」。その病院があったところが、桜田通りの三田四丁目交差点の日産自動車のビルから慶応女子高の門にかけてのところだった。津国屋酒店とはごく近所だからそこから酒を買うのは自然である。桜田通りの向かいの「三田北寺町大松寺」は時田家の葬儀が行われたり、病院が空襲で焼け落ちるときの避難場所になった。

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