この〈占領軍による〉接収の中で、銀座人にとって嫌であり困ったことは、駐留軍慰安施設の提供であった。こともあろうに、日本政府がやってのけたのである。“特殊慰安施設協会”の名のもとに8月28日開店、終戦後二週間とたたない開店である。日本政府のもっとも早い仕事はなんと慰安婦を提供することだったとは――。米軍はこの施設をR.A.A.(リクリューション・アミューズメント・アソシエーション)といった。場所は二丁目の伊東屋、いまはないが三丁目の録々館、八丁目の千疋屋、耕路、ボルドー、日勝亭、七丁目の東宝ビヤホールなど、七カ所が接収され使用されたのであった。