ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




ボルドー、スエヒロ。中央区銀座8-10。1988(昭和63)年2月21日

銀座三原通りのほぼ南端にあった老舗のバー。いわゆる「銀座のバー」ではなく、正当な、酒を楽しむ店ということだ。いつものようにネット検索してみると、まず、各新聞の閉店の記事が目に付いた。「1927(昭和2)年に開業した銀座で現存する最古のバー「Bordeaux」が、建物が老朽化し、オーナーの新沼良一氏(83歳)は高齢になり健康も害して、2016年12月22日で89年の歴史に幕を下ろす」という内容だ。建物はまだ取り壊されていないようだ。創業者は新沼氏の、新橋の芸者だった伯母で、氏も20代半ばから店に入った。
近代建築レストラン散歩>ボルドー』によると、奥田謙次という建築家の設計で、内装もすべて彼が手掛けたという。
隣の銀座スエヒロも昭和初期に料理屋として建った建物らしい。建物の左に「ランチタイム」のメニューを出している。「牛すき焼き定食―700円、牛しゃぶ定食―700円、幕の内弁当―500円」などと読める。



ボルドー、スエヒロ。左:2008(平成20)年11月5日、右:1992(平成4)年2月16日

スエヒロは昭和30年頃の火保図に、すでに「スエヒロすき焼き」で載っている。上の写真では「銀座スエヒロ/ちゃんこ柏戸」の看板に替わっている。建て替わった「銀座MEビル」は1994年の竣工なので、撮影後じきに取り壊されたらしい。

『銀座わが街―400年の歩み―』(銀芽会編、白馬出版、昭和50年、980円)という本に、終戦直後の状況を述べた中に以下のような記述がある。写真のボルドーとの関連は不明だが、気になるので紹介する。
 この〈占領軍による〉接収の中で、銀座人にとって嫌であり困ったことは、駐留軍慰安施設の提供であった。こともあろうに、日本政府がやってのけたのである。“特殊慰安施設協会”の名のもとに8月28日開店、終戦後二週間とたたない開店である。日本政府のもっとも早い仕事はなんと慰安婦を提供することだったとは――。米軍はこの施設をR.A.A.(リクリューション・アミューズメント・アソシエーション)といった。場所は二丁目の伊東屋、いまはないが三丁目の録々館、八丁目の千疋屋、耕路、ボルドー、日勝亭、七丁目の東宝ビヤホールなど、七カ所が接収され使用されたのであった。
これらの施設が娼館だったわけではなく、女性が接待する飲食店だったようにも思える。設立の半年後、昭和21年3月にGHQの命令で解体する。そのため、銀座一円に街娼がうろつきだしたという。ぼくは子供の時から、意味はよく分からなかったが「パンパン」という言葉は覚えた。


『懐かしの銀座・浅草』(画・小松崎茂、文・平野威馬雄、毎日新聞社、昭和52年、2000円)から、昭和初年に描かれたボルドー。「銀座最古のバー・ボルドー 昭和二年の営業でスコッチ一杯一円八十銭 今の金で五千円位か」のキャプションが付く。

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ソニービル。中央区銀座5-3。2016(平成28)年1月1日

今年3月いっぱいで取り壊しになるソニービル。まもなく見納めである。1966年4月15日竣工、設計は芦原義信、施工は大成建設。
『銀座建築探訪』(藤森照信・増田彰久著、白揚社、2012年、2800円)にソニービルが計画段階の時のエピソードが述べられているので、それを紹介する。当時、ビル建設に関わった黒木靖男氏に取材したものだ。
現在のソニービルの建っている場所には20坪ほどの小さなビルがあって、そこにソニーのショールームがあった。周りを買収して214坪にして、ショールーム専用のビルを建てることにしたが、どのような建物にするか、なかなか決まらない。社長の盛田昭夫(1921-1999)は設計者の芦原義信(1918-2003)と黒木氏ら3人を集めてホテルオークラの一室で徹夜のブレーン・ストーミングをおこなう。盛田がF.L.ライトのグッゲンハイム美術館の名を口にしたのがきっかで具体的に話が進みだす。エレベータで上に上がってから自然に降りていくという平面のコンセプトだ。当初のビルのあった三角地は空き地としてさまざまなイベントに提供することは、芦原の発議ですぐ盛田が賛同した。
テナントの招致には盛田自身が率先して動いた。その結果が、トヨタ、専売公社、フジフイルム、東レ、大成建設。地下は制限がなかったので5階分も掘ってしまった。マキシムも盛田が口説いた。また、ソニー直営のソニープラザを入れた。1966年4月29日にオープンした。当時ぼくはまだ学生だった。ビートルズが来日した年である。

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サッポロ銀座ビル。中央区銀座5-8
1982(昭和57)年6月20日

サッポロ銀座ビルの写真というより80年代の銀座の歩行者天国の写真だろう。中央通りの歩行者天国は1970(昭和45)年8月2日に始まったという。撮影当時ならほかに撮るべき対象はいろいろあったと思うが、まだ建物に対する興味も知識もなかったのだろう。
サッポロ銀座ビルは「地上10階・地下4階建ての、サッポロビールグループのサッポロ不動産開発が所有する複合商業ビルである。日産銀座ギャラリーやビアホール「銀座ライオン」などが入居していた」(ウィキペディア)。竣工は1970年6月。「日産ギャラリー」の名称の方が一般的だったかもしれない。
2014年4月で営業をいったん終了、解体されて建て直され、2016年9月24日に「GINZA PLACE」が再オープンした。
このビルにあったレストランに一度入ったのを思い出した。『銀座の絵本』(河原淳編、新評社、昭和52年、650円)というガイドブックで店名を確認すると3階の「モンセニュール」という店で「日本人向きにアレンジしたフランス料理……」とあった。
それにしてもここ数年の銀座の建物の新陳代謝はすごいもので、三愛ドリームセンター(1963年1月竣工)も建て替えて不思議ではない時期にあるが、どうするのだろう?

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銀座松坂屋~銀座ヤマトビル。中央区銀座7-9。左:1985(昭和60)年6月2日、右:1986(昭和61)年8月31日

ライオン銀座7丁目店を取り上げるわけだが、まずそのビルを含む中央通りの昭和末の街並みをご覧いただく。銀座松坂屋(1階南の角は協和銀行銀座支店)、パレギンザ、銀座共同ビル(太陽神戸銀行銀座支店)、交詢社通り、銀座ライオン七丁目店、東芝銀座セブンビル、パールビル、銀座ヤマトビル……と並んでいる。
現在は6丁目は再開発で「GINZA SIX」のビルが完成まぢかで、今年(2017年)4月の開業予定である。銀座ライオン七丁目ビルは勿論健在。東芝銀座セブンビルは「Zara」の看板のある新しそうなビルになっているのだが、高さは東芝銀座セブンビルと同じようなので、そのビルを改装したのかもしれない。パールビルはGoogle地図では「ニコラス・G・ハイエックスセンター」となっていて、そのビルに建て替わっている。銀座ヤマトビルはGoogle地図では依然とし銀座ヤマトビルでラオックスになっている。建て替わったのだか改装しただけなのかどうも分からない。




ライオン銀座7丁目店。銀座6-7。
左:2002(平成14)年5月4日、右:1988(昭和63)年2月21日、左下:1986(昭和61)年8月31日

1934(昭和9)年4月8日に大日本麦酒㈱本社ビルとして竣工した。大日本麦酒㈱は現在のサッポロビール㈱。1階の「銀座ビヤホール」は4月26日に開店している。設計は菅原栄蔵、施工は竹中工務店、SRC造6階地下1階である。
現在の外観は1978年(昭和53年)に全面改装されたもので、建築当時の面影は搭屋部分や内装に残る。建築時の外観は『サッポロライオン>歴史・沿革』にも写真があるが、『建築士から見た…>銀座ライオン』というサイトに正面からのカラー写真が載っている。その記事には、「ル・コルビジェにより提唱された「ドミノ理論」の採用と「近代建築の五原則」、その中の一つである。「水平連続窓」を、日本で初めて採用した建物ではないかと思う」とある。菅原栄蔵とF.L.ライトの影響についてはどの参考資料でも言われているが、ル・コルビュジエとの関連は他では言及されていないように思う。アール・デコ風の、あるいはライト風の塔は、現在は下部を残して撤去されてしまった。
ビルの後ろ、あずま通りとの角から撮った写真には中央通りの向かいにあった「東海銀行銀座支店」が写っている。

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二軒長屋。中央区佃3-4。2008(平成20)年10月3日

清澄通りの佃3丁目側の裏通りにある二軒長屋。当ブログ前回の長屋の並びで、写真右奥の建物がその住吉電器。写真の長屋は昭和25年頃の火保図に「丸山豆腐店、西坂荒物」とあり、タイル張りの腰壁に名残をとどめている。



裏通りの長屋。佃3-5。1991(平成3)年1月20日

1枚目写真の並びで看板建築の右が丸山豆腐店だった長屋。左の、横丁との角に「もみりやうじ所」の看板を出している家は五軒長屋の端の家。下の写真がその五軒長屋で、清澄通りの初見橋交差点の北を東へ入ったところ。以前『藤屋ベーカリー、五軒長屋/佃3 』で出しているが別の写真があったのでついでに載せてみた。
現在五軒長屋とその裏(2枚目写真の二軒長屋)が「太陽生命佃島独身寮」(2009年1月築)の8階建てのマンションに替わった。



五軒長屋。佃3-5。1989(平成1)年10月29日

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