ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




和田時計店。神奈川県藤沢市片瀬海岸1-4。1992(平成3)年5月3日

江ノ電江ノ島駅のすぐ北を国道467号が通っている。海岸沿いの国道134との合流点から町田市の南端に至る道路で、通称は町田街道、あるいは藤沢街道という。江ノ島駅から藤沢駅の間は江ノ電の東をほぼ並行している。以前は県道41号藤沢町田線だったのが、1992年4月に一般国道に昇格した。写真はその国道が急角度で曲がって江ノ電の線路を渡る辺り。国道になったばかりの時だ。
アーケードのある商店街で、「片瀬竜の口商店街」という。店は左から、イワタ洋品店、和田時計店、富士屋蒲団店、(下の写真に移って)蕎麦処かたせ、テーラー山本。江ノ島駅から間近だが観光客相手の店は少なく、住民相手の普通の商店街のようだ。そのせいか、写真の辺りは二十数年経った今も建物も店舗もほとんど変わりなく、すばな通りの店舗が大幅に変化したのに対して対照的だ。ただし、2014年頃と思われるが、アーケードを取り外した。


2013(平成25)年3月14日

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





平屋の土産店。神奈川県藤沢市片瀬海岸1-8。1992(平成4)年5月3日

すばな通りの江ノ電江ノ島駅に近い辺り。5月の連休の日で、江ノ電を下りた観光客が江の島を目指して歩いている。写真の土産店は現在、しゃれた賃貸アパートに建て替わっている。
写真右端の「ふな和」の看板がかかる家が2013年にはまだあって、下の写真がそれ。ストリートビューで見ると「Gabbiano Enoshima」というイタリアン料理店(1階はブティック)があるが、ふな和の跡地に建てられた店だ。


ふな和。片瀬海岸1-8。2013(平成25)年3月14日

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





湘南堂。神奈川県藤沢市片瀬海岸1-8。1992(平成4)年5月3日

江ノ電江ノ島駅から国道134号線の江の島入口交差点までの商店街の通りをすばな(洲鼻)通りという。湘南堂はその駅に近い辺りにある。『食べログ』には「創業昭和12年」とあった。そのサイトに「シューマイパン140円」の写真があった。ずいぶんと久しぶりに聞く名前だ。
手作りパンが売り物なのは変わらないが、上の写真では店先がパンも売っている菓子店のような具合だ。ベランダの壁を兼ねた店名の看板が店のこだわりらしく、きれいにメンテナンスされている。パンのショーケースは上の写真のものが今も使われているようだ。建物両端のタイル張りの柱を木で隠してしまったのが惜しい。



湘南堂、萬珍櫻。片瀬海岸1-8。2013(平成25)年3月14日

湘南堂の左は片瀬写真館。そのホームページには「先々代が開業し百年になりました。藤沢で一番古い写真館」とある。建物は関東大震災以前のものという。またHPでは、大正時代から平成14・15年に現在の構えに改装するまでの店先の変遷が写真でたどれる
片瀬写真館の隣は中華料理の萬珍櫻。ストリートビュー(2015年10月)を見たら取り壊されたところだった。『食べログ』によると、90年近く続く老舗だったが2015年8月末で閉店したそうだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





昭和通りの五軒長屋。台東区入谷1-18。1991(平成3)年9月23日

上の写真は昭和通りの金美観通りとの交差点のすぐ南。石積み風の表面にした銅板だかトタンだかを貼った看板建築の長屋だ。昔の航空写真ではもう数軒分あったような感じだ。現在は右端の1軒は取り壊されて四軒長屋に変わったが現存している。入っている店舗は左から、もつ焼と銘酒の加藤(営業中は赤ちょうちんが出る)、住居?、山本産業株式会社、住居?、新栄商事不動産。写真右の横町を入った四軒長屋の後ろには今も古い看板建築が並んでいる。
写真右端に看板建築が写っている。看板は「青木印刷紙器」で、四軒長屋くらいの幅の建物だったようだが、現在は「コスモス入谷ロイヤルフォルム」(2003年3月築、15階建て41戸)というマンションになっている。


明好堂。入谷1-21。1989(平成1)年3月19日

銅板貼り看板建築の明好堂は1枚目写真右の横町を入り150mほど行ったところ。この横町の左右にはわずかだが戦前からの民家や長屋の一部が残っている。写真では明好堂の看板が残っているが廃業していると見える。どんな事業だったのだろう。現在は建て替えられた。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )






上:中島洋服店。台東区下谷2-14。1989(平成1)年3月19日
左:民家。下谷2-15。1991(平成3)年9月23日

上の写真は金美観通りの小野照崎神社のすぐ東で右へ行くと昭和通り。その手前に左写真の家が今も健在だ。上の写真は四軒長屋のようで、下見板の長屋というのはあまり見ない。スレート屋根でもあり、戦後すぐに建った長屋かもしれない。
横丁との角の家を中島洋服店としたが、1階は車庫にしているから洋服店は廃業したようだ。横町を入った裏は看板建築の長屋で、1986年の地図では「テーラーニヘイ」。現在は四軒長屋の左3軒が「澤村ビル」という6階建てのビルになっている。
出桁造りの家は健在だが瓦屋根が失われ、1階の木の枠の引戸はアルミサッシのものに替わっている。二階の戸袋は板を貼ったものらしいが、それは変わっていない。最小限の補修で済ませようとしているように感じられる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ハヤミズ家具センター。台東区下谷2-7。2008(平成20)年5月7日

ハヤミズ家具センターは1998年6月30日に倒産した。写真はその10年後の状態で、このビルが誰の所有だか、また登記上の名称も判らず、「旧」を付けるのもたいして意味がないように思えるので「ハヤミズ家具センター」で通しておく。
現在は外壁を改修して、下のGoogle地図の3D画像のようにきれいにみえる。使われているかどうかは分からない。
店の入り口は地下鉄入谷駅のある昭和通りに向いていた。その写真を撮っていなかったのが残念だが、上の写真を撮ったときは昭和通り側の部分はすでに取り壊されていたらしい。
1986年というと倒産する12年前、まだ普通に商売をしていた頃だろうか。その年の住宅地図を眺めると、「速水家具センター」を中心に、そのビルの北西に「速水家具ソーコ」(現在は「クレアシティ入谷」―2000年12月築、14階建て39戸)、南西に「速水清心寮」と「速水駐車場」(現在は「ハイホーム入谷」―2001年6月築、12階建て66戸)がある。



左:店内案内板。2008(平成20)年5月7日。右:Google地図の3D表示(2016年)から

現在は1枚目写真の大きな袖看板と店内案内板は取り外されている。
Google古地図の昭和38年航空写真には2枚目写真の6階建てのビルと思われるビルが写っている。今残っている9階建て部分は昭和40・50年代に建て増ししたもののようだ。店内案内板にある10~12階は、北に突き出た部分のようで、マンションに建て替わった部分だ。ハヤミズ家具センターのビルは6階建てのビルが最初にできて、それを核にして昭和通りの方へ、また、北の横町のほうへと増築していったのだろう。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





路地の民家。台東区下谷2-5。左:1991(平成3)年9月23日、右:2008(平成20)年5月7日

金杉通りの根岸3丁目交差点のすぐ南に東への路地がある。途中で北へ曲がって金美館通りの小野照崎神社の前に出る。車が入れない狭い路地だが江戸期からある古道で、この路地そのものが歴史的遺産のようなものだ。この路地の両側に今も古い民家や長屋が5・6軒残っている。
左写真は右奥が金杉通りからの路地の入口。写真の民家は現在は建て替わっている。右写真は左写真手前の空地の奥を撮ったもの。左写真の家の後ろにのこっている民家だ。



左:四軒長屋、下谷2-5。右:二軒長屋、下谷2-11。1991(平成3)年9月23日

左写真の民家は二階前面を増築して今も残っている。四軒長屋の端にあたる。
右写真の右の家、庇の瓦が残っている家には「高島商事株式会社」の表札がかかっている。この家は二軒長屋で、その全景は『ふじ、二軒長屋』ですでに載せた。物干し台のある方も二軒長屋。2006年の写真では建て替えられていた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »