旧旅館いむら。墨田区東向島1-24。2013(平成25)3月17日
鳩の街商店街の中ほどから横丁を入った、区立寺島保育園の向かいの建物。1968(昭和43)年の地図に「バー白バラ、旅館いむら」となっている家。2階にめぐらした白い囲いはカエーだったときの名残りだと思うが、かなり改修されていると思われる。写真ではその囲いが長く続いている感じだが、2軒の家が並んでいて、奥の家は「旅館太洋」だった家。旅館いむらだった建物では横の青いタイルを張り付けた3本の柱に注目が集まる。
戦災に遭わなかった家を改装したものなのだろうかと、古い航空写真を見てみた。昭和22年のそれでは、この家を含めて、カフェー街を形成していた一角が白く抜けている。写真を加工したとしか見えないが、なにを意味しているのだか不思議である。昭和38年の航空写真では割と1軒ずつがよく識別できる。屋根が明るく写っていて、葺いて間もない瓦屋根が光っているのかもしれない。ぼくは今では、24番地のカフェーだった家は戦後になって建てられたのだろうと推定している。そういえば、そこに残っている建物で、はっきり戦前の家だと指摘できそうなものは見当たらない。
上の絵は小針美男(こはりよしお)氏が描いた鳩の街のカフェー街。氏は昭和2年、東向島に生まれた画家。『東京文学画帳』(創林社発行、1978年、1600円)という画集から、資料として無断でお借りした「昭和三十五年八月十二日墨田区鳩の街」。赤線廃止2年後に描かれたもので、なんとなくうら寂しい気分が出ている。このペン画の左手前に旅館いむらが描かれている。その隣の家は『赤線跡を歩く』(木村聡著、ちくま文庫、2002年、950円)に「かなりの部屋数があったと思われる店」で載っている。その写真を見ると、この店の正面は絵の路地からみて横にある。右手前の家は1968年の地図の「旅館松かげ」。奥に看板が出ているのは「(旅)館桜井」と「桜井別館」で、建物は今も残っている。奥の突き当りは「造園石置場」(現在は駐車場)。
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