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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




民家。台東区三ノ輪1-26。1989(平成1)年2月19日

東泉小学校の東側が東盛公園で、その公園の北側の向かいである。右奥は明治通りの三ノ輪二交差点。写真右端はガソリンスタンドらしい。住宅地図では「金商石油サービス」。ここには、今はマンションが建っている。3軒の長屋風の古い民家は今も残っている。写真中央の物干し台のある家は外回りはきれいに改修されていて、まだ永く使っていきそうである。写真左の看板建築は取り壊されてコインパーキングになっていた。




三軒長屋、とん三
三ノ輪1-25
上:1989(平成1)年2月19日
左:2011(平成23)年9月11日

東盛公園の東の向かい側。この並びで商売の内容がはっきり分るのは写真右手の3軒の看板建築の中央、とん三というとんかつ屋。左の写真が現状で、三軒長屋はしゃれた住宅に建て替わっている。

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三軒長屋。台東区三ノ輪1-28。1989(平成1)年2月19日

東泉小学校の北側を通る通りで、下町の戦災を免れた地区に見られる木造長屋と看板建築が並ぶ景観である。現在は長屋が取り壊されたが、写真左の看板建築の家などは残っている。3階建てのコールドンブルーは 昭和通りにある店の支店だろうか? 営業しているようには見えない。あるいはケーキを作っているところだろうか? 電柱に看板がある「旅館つばめ荘」は長屋の裏にある。下の写真右のモジャハウスがそれ。



大井工業。2005(平成17)年7月31日

1枚目の長屋の全景。四軒長屋にもみえるが三軒長屋に大井工業の家が隣接しているのだろう。1枚目の写真から15年経っているので、物干し台はなくなっていたり、金属製の柵のものに替わったりしている。ストリートビューで現状を見ると、一帯の建物を含めて解体されて広い空地になっていた。

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十方堂印房、コールドンブルー。台東区三ノ輪1-28。2005(平成17)年7月31日

昭和通りの大関横丁交差点のすぐ南に、古い家が2軒並んで今も残っている。現在はこの2軒の両側ともマンションが建っている。バス停は「三ノ輪駅前」。日比谷線の三ノ輪駅が昭和通りの下にある。
大関横丁交差点を頂点に、昭和通りと明治通り、それと区立東泉小学校の北を通る通りで囲まれる三角形の地域は空襲の被害を免れている。そこで見られる古い建物は戦前からあったものとみていいと思う。
現在、十方堂印房は廃業したらしく看板を降ろしてしまったが、ケーキと喫茶店のコールドンブルーは健在。中の様子などを『淳喫茶コレクション>東京・三ノ輪・コールドンブルー』が紹介している。



東洋精機。三ノ輪1-28。1989(平成1)年2月19日

1枚目の写真の右側に続く家並み。住宅地図では、左の空地が「住友建設管理地」、日本家屋の店が「和田」、カシオ計算機の看板が「東洋精機」。
平成21年2月に「グローベル ザ・ステーション三ノ輪」という15階建て、70戸のマンションが建った。

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警視庁新橋通告センター
港区新橋6-18
1986(昭和61)年5月18日

現在は「警視庁新橋庁舎」という立派なビルに替わったが、その旧庁舎である。「警視庁新橋通告センター」の看板が架かっている。1969(昭和44)年の地図には「警視庁交通部交通処理課」、1975(昭和50)年の区分地図には「警視庁交通行政処分」、1985(昭和60)年では「交通行政センター」という記載だ。つまり「通告」とは交通違反を知らせる事務のことらしい。
『総覧』には「愛宕通告センター、建築年=昭和初期、構造=RC3」という記載だ。昔の航空写真を見るとコの字形の平面をしたわりと大きい建物である。
1958(昭和33)年の区分地図には「芝田村町6-9」の住所で「警察学校」。ウィキペディアによると、警視庁警察学校は1879(明治12)年に「巡査教習所」として発足、1906(明治39)年に芝区愛宕町3-6の当地に移転して「警視庁警察消防練習所」と改称した。1913(大正2)年には「警視庁警察練習所」と改称する。通告センターの庁舎は建築時ではこの名称である。1947(昭和22)年に九段に移転、「警視庁警察学校」と改称した。その後の建物がどう使われたかは不明だが、1958年の地図に警察学校とあるので分校になっていたかもしれない。
『総覧』には同住所に「愛宕警察署」が載っている。ぼくが通告センターの写真を撮ったときには、すでに現在の庁舎に建て替わっていた。写真の建物も『国土画像情報>カラー空中写真-平成元年』では解体後の更地になっている。




「警察練習所」の絵葉書

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上:大山タバコ店
左:遠州屋。港区新橋6-14
1990(平成2)年1月15日

2枚の写真とも、端に写っているビルが現存していて場所を特定できた。上の写真の前の通りは赤レンガ通りで、写真右に写っているのが亀山ビル(角の看板は泉建設)。
左写真は赤レンガ通りから入ってきた路地で、写真右奥の正面を向いたビルが赤レンガ通りに向いている木澤ビルである。「遠州屋」の看板が出ているのは、木澤ビルの向かいのビルだと思う。現在、木澤ビルに遠州屋の看板があるから、向かいに移ったのだろう。
2枚の写真とも同じ街区だが、現在はこの街区にあった建物は取り除かれてコインパークになっている。


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三栄ビル。港区新橋5-23。1986(昭和61)年2月2日

『総覧』に「三栄ビル、港区新橋5-23-7、昭和7年(1932)、RC4、設計=国枝博、施工=清水組」の記載があるビル。
前の大通りは日比谷通りで、三栄ビルの右の街区は芝郵便局前交差点まで、浜ゴムビル(横浜ゴム本社、1961年竣工)である。写真では社名を書いた看板がなにもないのでテナントはみな出てしまっているようだ。三栄ビルの後ろには「浜ゴムビル別館」があり、昭和40年代の地図には「三栄ビル 横浜ゴム製造KK」とあるので、このビルも横浜ゴムが使っていたようだ。
右写真では後ろの半分はすでに解体されてしまっている。現在、その場所に「ニュー三栄ビル」が建ち、前の半分が改築された三栄ビルである。
設計者の国枝博(1879-1943)は、1905(明治38)年、東京帝国大学工科大学建築科を卒業。大阪を拠点に活躍した。朝鮮総督府に在任中、主任技師として朝鮮総督府庁舎の設計に携わる。残されている作品には滋賀県庁本館(1939年)、八木通商ビル(大阪市、1929年改修)など(ウィキペディア参照)。当ブログでは 平和生命館(中央区銀座、1932年)を収録している。

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