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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 






茂木本家住宅。千葉県野田市清水1087
2006(平成18)年4月29日

流山街道に面して建つキッコーマン本社のビルの横を東へ入った先に茂木家本家の邸宅がある。キッコーマンの前身である「野田醤油株式会社」が1917年(大正6年)に、茂木一族と髙梨一族の8家が合同して設立された。茂木本家(茂木七左衛門)はその中心メンバーだったと思われる。
茂木本家住宅は関東大震災後の1926(大正15)年に建てられた。11代七左衞門が設計を佐藤良吉に依頼した。佐藤は「宮大工の流れを汲む建築家」。関東大震災で被害を受けたので、ついでに全部建替えよう、ということだったのかもしれない。そのときの建物がほぼそのまま現在まで残されてきたわけだ。
建物とその付属物は2010(平成22)年1月に国の有形文化財に登録されて、『文化庁>国指定文化財等データベース』によって大体のことが分る。登録されたのは「板塀、稲荷神社、稲荷神社水屋、北蔵、旧米倉、旧仕込倉、旧漬物倉、旧門番棟、主屋、正門、庭門及び竹木賊張塀、南蔵、煉瓦塀」の13件。
1枚目の写真は北側の道路から見られる、左から「旧漬物倉、正門、旧米倉」。漬物蔵、米倉とも木造、外壁はモルタル塗り、米倉は2階建。正門は「薬医門」という形式のもの。
煉瓦塀は昭和前期のものという。なぜ部分的に煉瓦塀にしたのか不思議だ。



南蔵、北蔵。野田市清水1087。2006(平成18)年3月18日

東側の道路沿いには板塀が長く伸びる。その北に南蔵と北蔵(写真奥)が路上から見える。共に土蔵造り2階建。柱形を造っているのが特徴。

『ウィキペディア>野田の醤油醸造』によると、「寛永年間(17世紀半ば)に野田に来た女性の連れ子が初代七左衛門を名乗り茂木家の始祖となったと伝わる。」「1662年に初代茂木七左衛門が味噌醸造を始める。1764年〈6代目のとき〉に醤油醸造を始める。茂木佐平治が1688年に分家。茂木七郎右衛門が1768年に分家。 茂木勇右衛門が1822年に分家。」。現在の茂木本家当主は14代目。

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