
大栄ビル。中央区日本橋室町1-1。1985(昭和60)年12月31日
帝国製麻株式会社(現・帝国繊維株式会社)の本社ビルとして辰野金吾の設計で日本橋のたもとに建てられた。竣工は1912(大正1)年、1913年、1914年のどれかである。妻木頼黄のデザインによる日本橋の竣工は1911(明治44)年であり、明治を代表する二人の設計家の作品が同じ場所に、そう時を隔てることなく出現したわけだ。古い日本橋の写真にはほとんどが帝国製麻ビルが一緒に写っている。
橋の上に首都高速ができたのは1964(昭和39)年で、それ以来橋とビルとの一体の景観は切り離されてしまった。当時はだれも景観などは考えなかった。今になって首都高を取り外そうなどと言い出しているが、現在の景観もすでに45年の歴史的景観になっているし、反省材料ということも含めて今のままでいいのではないか。
左:1984(昭和59)年6月24日、右:1985(昭和60)年9月8日
東京市道路元標が橋の中央から大栄ビルの前に移されたのは、日本橋を渡る都電が廃止された昭和48年3月である。道路元標は電車の架線の電柱でもあった。
大栄ビルの塔屋の部分は階段室で、鋼鉄製の螺旋階段が収められている。窓も螺旋状に並んでいる。
大栄ビルの道路側
1987(昭和62)年4月5日
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