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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




堤第二ビル。港区新橋2-7。1988(昭和63)年

新橋駅前のSL広場から北の方向を見た、少し昔の景観。意識しないと気がつかないような、古いビルがあった。堤第二ビルという。すぐそばに堤ビル(後ろの松下電器の広告のあるビル)と 堤第一ビルがあるが関連性は知らない。『 廃景録>堤第二ビル』で言っているように、ほとんど広告塔になっている。広告収入だけで税金くらいは払えそうである。
上と下の写真は撮影日時が不明なのだが、広告の「愛と宿命の泉」という映画は1988年4月に公開されているから、写真もたぶん昭和63年4月の撮影と推定がついた。
日文献所蔵地図>東京都区分図港区詳細図(1947)』に、芝新橋2丁目12番地の堤第二ビルの場所に「社会党本部」と記載されている。びっくりして、ネット検索してみると、『 戦後社会運動史資料論(鈴木徹三)』に「社会党本部所在地(は)結党後二,三ケ月 蔵前工業会館,四六年末に港区新橋二ノ二第二堤ビルへ移転(1948・49年『時事年鑑』)」という記載があった。日本社会党が結成されてすぐ、このビルに本部を置いたことがあるのは確かなようだ。




1986(昭和61)年2月2日

堤第二ビルの正面は外堀通りに面している。写真では3・4階の正面は映画の広告でふさがってしまっている。『 近代建築撮影日記 港区新橋界隈①』に広告が外された写真が載っている。ここのサイトの写真はどれも素晴しいもので、ほとんど建築写真のプロではないかと疑うほどだ。塔屋の形状は謎である。

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SL広場ですね。 (kaoru)
2011-08-11 00:00:39
新橋の記事になりますと、図々しくコメントして申し訳ございません。
キムラヤがヤマダ電気に吸収(合併?)され、現在はガード下のドラッグキムラヤが残っておりますね。

ニュー新橋ビルは開業40年です。
ニューと呼ばれて40年というのが、謳い文句とか。
お写真を拝見しておりまして、リクルートのビルがハッキリ見えたのだなぁ、と感じました。

SL広場は相変わらずインタビューのステージになっております。
その昔(SLが無かった頃)力道山が来たとか、有名芸能人が来たとか、そんなお話がございますね。

3月11日。震災の日。
SL広場は人がごった返しました。
キムラヤ横の場外馬券場(競輪のら・ビスタ)は避難所になりました。

長文ごめんなさい。
次のログを楽しみにしております。
 
 
 
>kaoru様 (流一)
2011-08-12 09:28:56
「サラリーマン⇔新橋」のイメージはテレビのインタビューが作り出したものなのでしょうか? サラリーマンなら「大手町」あるいは「丸ノ内」のほうが、とも思えるのですが、そちらはどうもビジネスマンなのですね。どこが違うかというと、英語ができるかどうかです(私の勝手な解釈です)。
飲み屋街から出てくるおじさんにインタビューしておもしろい言動を引き出すには、SL広場は好適な場所なのでしょう。半分はヤラセかな。
 
 
 
こんばんは (kaoru)
2011-08-14 21:09:07
お暑うございます。

SL広場のインタビューですね。
私は避けて通っておりますが(苦笑)

色んなインタビュアーがいらっしゃって、
回答誘導という部分は否めないように感じております。

汐留や虎ノ門でお飲みになる方は、殆ど新橋にはいらっしゃらないように思います。
新橋は平均的なサラリーマン
(顔がTVに映ってもいいよ、というような)
が多いのではないでしょうか。

NHKが内幸町にございました頃は、大きなステージがございました。
その歴史と、SL広場の地下は港区の貯水場所(区の持ち物)になっておりまして、
公共、という意識があるのかなと思います。
 
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