ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東京大学附属病院南研究棟。文京区本郷7-3。2007(平成19)年12月15日

龍岡門から東大構内に入って附属病院の方へ行って、右手に最初に現れる建物。附属病院の建物はやはり多くが内田ゴシックと言われる様式で建てられたのだが、この建物はより現代的なスタイルをとっている。「南研究棟」という名称は後に付けられたものらしく、診療室と病室を入れた病院の建物だった。
『日本近代建築総覧』では「東京大学付属病院耳鼻咽喉科・整形外科及神経科病室、建築年=1921(大正10)~1925(大正14)年、構造=RC3階建、設計者=内田祥三/岸田日出刀」。また、1974(昭和49)年の住宅地図では建物右翼(北側)に「老年病教室 産婦人科」左翼に「耳鼻咽喉科病室 整形外科病室」という記載である。
2019年4月に南研究棟は改修され、リニューアルオープンした。「アントレプレナーラボ共用バイオ実験室(シェアラボ)」という施設に替わり、また「健康と医学の博物館」が入った。中庭では飲食もできるようである。



東京大学附属病院南研究棟。1988(昭和63)年11月6日(下も)


建物の外見から設計者は主に岸田日出刀と考えられている。岸田は1922(大正11)年3月に帝大工学部建築科を卒業して、講堂(安田講堂)建築実行部技師嘱託として帝大に入り、やがて内田祥三(よしかず)がひきいる営繕課で震災復興に取り組む。南研究棟は岸田が大学を出たばかりの若い頃の作品である。彼の表現主義への傾倒が出ているのかもしれないが、歴史的な様式建築を避けて合理的な新しい形を実施したものと言えそうだ。
『近代建築ガイドブック[関東編]』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円)には「曲線を排し垂直線で構成し、3階上部のタイルを縦に貼ってその下にボーダーを流すなど、デ・クラークの集合住宅に似た扱い方である」「岸田日出刀は学生時代からの一連の作風である、合理主義的、垂直、水平の縦の構成を安田講堂にも使ったが、この建物の方が先につくられたのか、若々しく全力投球の感がする建物である。この他に理学部も赤茶色で、岸田は好んでこの色を使った。この色の建物は岸田のモニュメントである」と解説されている。
デ・クラークはオランダで興った「アムステルダム派」という表現主義運動の設計者。「エイヘンハールト集合住宅」(1920年)や「デ・ダヘラート集合住宅」(1922年)には、部分的に、曲線を用いたおもしろい造形が見られる。
南研究棟には曲線は一切ないのだが、龍岡門の「東京大学広報センター」なら階段室の円筒がある。

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