ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東京大学広報センター。文京区本郷7-3。1988(昭和63)年11月6日

東京大学附属病院の通用門のように使われている龍岡門の門衛所のような感じで建っている小さな建物が、今の「広報センター」。『日本近代建築総覧』に「東京大学夜間外来診療所、建築年=大正15年、設計者=岸田日出刀」で載っている建物。
東京大学>広報センター』には「1926(大正15)年1月に建てられた、東京帝国大学医学部附属医院の急病者受付所」「建築様式的にはマッシヴな構成をとる。当初、竜岡門横に急病者受付所(うけつけどころ)として建設された」とある。現在の「東京大学広報センター」の表札の裏には「東京帝國大學附属醫院/急病者受附所」の表札が残されている。
急患受付所としていつまで機能していたのか分からない。内部を改装して広報センターがオープンしたのは1995(平成7)年9月。それ以前は「東大医師会」が使っていたようだ。



東京大学広報センター。1988(昭和63)年11月6日

東京帝国大学の建物を内田ゴシックと言われる様式で統一するという方針が固まる以前の建物なのかもしれない。当時最先端の建築様式を試してみた、という感じだ。表現主義的な風にも見える。下の写真の、水平線を強調したようなデザインは東大付属病院の「南研究棟」(大正10~14年、設計=内田祥三、岸田日出刀)とよく似ている。
写真右の門扉は1994(平成6)年に、門柱の間を広げる工事をしたが、その際撤去された。この時の工事では西側の門柱を移動したが、門衛所も移動したらしい(東京都京大学学内広報No.1405(2010.11.24))。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )