ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
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銅像掘と西村勝三の像/向島5丁目
深川・向島・葛飾
/
2014-09-11 21:19:58
左:『改訂東京風土図』より、右:昭和22年航空写真
墨堤通りの鳩の町商店街入り口の向かい側は首都高の入り口がある。その南はアサヒビールの倉庫で、その裏に銅像掘公園がある。どうやって公園に行くのかよく分からず、隅田川の土手を走っている人がトイレを使うぐらいの用にしかならないと思われる。墨田区の公園で昭和47年5月の開園である。問題はその名称で、銅像があったからだろうと考える人が多いようだ。それなら「銅像公園」のはずだ。由来は隅田川の入り掘りであった銅像掘である。
銅像掘の由来の銅像は西村勝三ということになってしまう。西村勝三はネット上でもいろいろ解説されているが、日本で最初に靴の製造を始めた人だ。その銅像があったのは『
靴の歴史散歩57
』によれば墨堤通り沿いの銅像掘の袂だ。
上左のイラストは『改訂東京風土図』(サンケイ新聞社編、教養文庫、昭和41年、560円、初出はサンケイ新聞に昭和34-36年連載)にあるイラストマップで、左下に大きく銅像が描かれている。本文には「言問団子の横を少し進むと、左手に一基の石像が見える。これは明治初年、クツ工業草分けの西村勝三翁の像である(四十年こわされた)。……やがて明治四年に、水利の関係を考えて、ここに工場を移転したもので、像はその工場跡に立てられたものである。」とある。昭和41年に出版しているので「昭和40年に像が壊された」と補記している。「石像」としているのが気になる。
上右の航空写真は『goo地図>古地図』の昭和22年航空写真に建造物などを書き入れたもの。『
西村勝三―日本靴産業の父―
』の銅像の写真を見ると台座の下は石畳で、それなら航空写真に写っていても不思議ではない。
『
靴の歴史散歩61
』には「戦後復興の願いを込めて、昭和24年(1949年)に再建された西村勝三の石像前では、靴の記念日(3月15日)に合わせ、毎年東靴協会主催による、祈年祭が行われるようになった。」とある。戦後の像は再建された石像だったらしい。元の銅像はおそらく戦時に供出されたのだろう。昭和22年にあったのは台座と石畳だけだったと思われる。西村家は昭和27年に立像のある須崎町の50坪を東靴協会に寄付した。東靴協会は昭和39年に神田の合同ビルに「西村記念室」を新設して、向島の地は撤収したという。
『別冊太陽No54・モダン東京百景』(平凡社、昭和61年、2000円)から、藤牧義夫という画家が描いた『隅田川絵巻』にある銅像を紹介する。当書の洲之内徹の解説では、藤牧は1932(昭和6)年に上京し、昭和10年9月に絵巻を姉に預けて失踪する。絵巻は昭和9・10年頃に描かれたらしい。
上の図は墨堤通りから隅田川の方を見ている。左の屋敷は大倉喜八郎の別邸だ。昭和22年の航空写真に写っているままの風景といってもよそそうだ。
下の図は大倉別邸の石垣が続くが、それが切れた先が銅像掘だ。視点は変わって、対岸の倉庫は銅像掘から見たものになる。そして目を左に移して、通りに向いている像を少し横から眺めている。
再び「銅像掘」の名称を問題にする。西村勝三の銅像の除幕式は明治39年12月9日で、西村が死去する1月ほど前だ。高村光雲の作である。銅像が目立ったので、その横の入り掘りを銅像掘というようになった、ということはありそうに思える。だとすると銅像が立つ前はなんと言っていたのだろ?
ということで、今回の記事ではぼくの撮った写真はなし。
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