ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




角の八百屋。中央区日本橋蛎殻町1-15。1987(昭和62)年6月

写真左へ行くとすぐ新大橋通りに出る。高層マンション「リガーレ日本橋人形町」の向かい側だ。写真右手の看板建築風の家は、以前八百屋(店名不明)だった。今は全面ガラス張りのビルに建て替わっている。5階建てのようだがこの幅でビルが建つのか! と感心する。民善酒店はコンビニ風の看板は取り払ってしまったが、商売は変わらず続いている。隣は間野歯科医院。その隣は平和商会が取り壊されて空地になっている。現在はこの2軒分のところが「小林洋行ビル2号館」に替わった。
写真の通りは蛎殻町1丁目と人形町1丁目の境になっている。昭和22年の空撮写真を見ると、通りの蛎殻町側は家1軒分が白く抜けている。強制疎開で取り壊されたのかもしれない。角の八百屋も間野歯科も、戦後になって建てられた家屋だろう。



飯田歯科医院。日本橋蛎殻町1-15
左:1984(昭和59)年9月、右:1987(昭和62)年6月7日

新大橋通りの裏の路地。写真の家はビルに替わっている。そのビルに飯田歯科の看板があるので、ビルに替わってからある期間開業していたわけだ。現在は看板の「歯科」の字を消している。「飯田」はそのままだから「飯田ビル」の看板に直したということらしい。
左写真右の建物は飯田歯科のものらしい。さらに奥の建物は国鉄日本橋寮で、戦前は旅館だった建物。

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