
白いばら。中央区銀座3-5。1987(昭和62)年5月31日
中央通りの1本西の裏通りで、「銀座ガス灯通り」の名称がある。キャバレーだった白いばらは、有名な洋食の煉瓦亭の2軒おいた並び。2018(平成30)年1月で閉店、すぐ取り壊されて駐車場になった。白いばらの右(南)の「山岡ビル」と「当りや」(1979年では「ハゲ天」)は、2019年に「ココマイスター」(鞄、財布)の2階建の建物に替わった。白いばらの左は「十字屋ビル」(9階地下1階、1986年築)で、建直し中のビル(13階地下2階)が完成する頃だ。

2016(平成28)年1月1日
青い壁面は豆タイル張りのようだが、とにかくその色が目立つ。入り口の左にホステスの出身県の地図、右と左端にホステス募集の広告。それには「お仕事は簡単で楽しいです」「お客様のお話をお聞きするだけでいいのです」とあり、そんな内情が客に分かってもいいのだろうかと思わないでもないが、銀座の客は概しておとなしいのだろう。
創業は昭和6(1931)年。『ウィキペディア>白いばら』によると、前歴があって、「広島出身の初代社長が1921年(大正10年)に深川で「広島屋」という名称の食堂を開業したことに遡る。この店舗を売却して1929年(昭和4年)に銀座二丁目で「バー富士」を開店し、1931年(昭和6年)には同店の最終所在地となる銀座三丁目の一角で「つる屋」を開業した。その後に改名や業態変更を繰り返し、「白いばら」という名称のキャバレーとなったのは1951年(昭和26年)のことである。」とある。
『都市徘徊blog>白いばら』によると、建物は1946(昭和21)年に建てられた木造2階建てのバラックに事務所の3階を増築したもの。
看板にある「健全 明朗」は本当だったようで、ネット上ではたいへん評判がよく、閉店が惜しまれている。
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ダンス、飲食歴等、素人スタートから
歌ありダンスありショーありのお祭り感ありの店
可愛さ綺麗さだけでなく色々な女の子が何百人在籍し
銀座クラブとは違う楽しさがあり歌手のドサ周りなど色々お話してくださいました
裏には衣装が山ほどありショービジネスのそのものの世界
派手なドレスは無理と申し上げたところ若い黒服の方がシンプルなドレスを用意ドンピシャでした
ビールが2000円で500円が取り分
初めての飲食業面接でいまでも記憶に残ってます
真っ当な真面目なお店だと思いました