ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




浅草世界館。台東区浅草2-9。1985(昭和60)年1月(3枚とも)

この写真を撮った頃はROXY東京クラブトキワ座の三館に日本館もまだ映画館として現存していた。写真からはなんとか六区映画館街の面目を保っているというか、映画全盛期の面影が感じられる。建物自体は映画館が3館(浅草新劇場、浅草世界館、浅草シネマ)入る「浅草新劇会館」というのが現在の名称で、中映という会社が経営している。
建物は『日本近代建築総覧』では「浅草新劇場世界館(旧江川劇場)、S12、RC4、設計=加藤(秋)建築工務店、施工=清水組、備考=スパニッシュ風近代式・映画館・一部鉄骨「日本建築士」S7.12による」という記載である。『近代建築ガイドブック[関東編]』に加藤秋のことが少し書かれている。「明治22年千葉県生まれ。明治43年日本工芸学校を卒業。日本建築株式会社、東京大学営繕課などに勤務。大正7年独立して加藤建築工務所を創立。昭和14年逝去するまで映画館・商店を中心に設計」という略歴。たいした学歴も持たず、自己の努力だけでまじめに設計に取り組んできた人物だろう、としている。



浅草新劇場側の装飾

浅草新劇場は現在は邦画ポルノを上映しているが、撮影時は邦画の名作あるいは任侠映画をかけていたかもしれな。元は「江川劇場」で、実演の劇場だった。「江川の玉乗り」が有名だが、昭和になってもそれをやっていたとはちょっと思えない。戦時中松竹の経営となり「浅草松竹新劇場」と改称、清水金一の実演が売り物だった(ウィキペディア)というが、これは戦時中の短期間かもしれない。
浅草シネマは建物の地下にあるようで、元はストリップ劇場の「浅草座」だったという。ストリップ劇場といえば戦後のことで、一時期、この劇場でも興行されたのだろう。

左:上映中の映画のポスター。右:近影。2008(平成20)年4月2日

正面右の壁面に浅草で見られる映画のポスターが並べられていたようだ。どうせなら全部を撮影しておけばよかった。
現在はテラコッタの飾りやタイルの剥落を防ぐためだろう、右写真のように白いパネルで覆ってしまっている。包帯巻きにされたようで痛々しい。

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