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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




米澤商店。台東区台東4-16。2008(平成20)年3月1日

看板建築の家は、当ブログ前回の「東文堂」で米澤商店とした家。東文堂が取り壊されて米澤商店の側面が見えている。その後ろに建っているのは、住宅地図の戸数を数えてみると九軒長屋である。写真右端の松田塾の後ろにも同じ九軒長屋がある。米澤商店と松田塾の間の路地を入ると九軒長屋が向かい合っていて、とても現在の東京とは思えない空間が出現する。上の写真には長屋の屋根の上に突き出ているものがある。明り取りかな、と思うのだが、天井裏の部屋があるのかもしれない。



九軒長屋。2008(平成20)年3月1日

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東文堂。台東区台東4-16。1989(平成1)年2月12日

平成小学校(旧竹町小学校)からその西側の通りの向かいを見たもの。出桁造りの四軒長屋と看板建築にした二軒長屋が並んでいる。左から「住居、岡村商事、東文堂、米澤商店(路地)松田塾、偕楽ビル」。東文堂は家内工業的な構えだ。なにかを製作しているのだろうか。米澤商店はたばこ屋と食品店のようだ。昭和40年代の地図では「米澤ガラス」の記載がある。
現在は四軒長屋の東文堂がビルに建て替わった。つまり四軒長屋の半分がなくなった。その他の家は残っている。



東文堂。1989(平成1)年2月12日


近影
2008(平成20)年3月1日

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東京小間紙制作所。台東区台東4-23。1988(昭和63)年頃

前の通りは清洲橋通りで、春日通りとの元浅草1丁目交差点のすぐ南。写真左から、川口工商ビル、東京小間紙制作所、ヴィラハイツ御徒町。現在は東京小間紙が3階建ての住居兼事務所のビルに建て替わっている。
建築当初には、3階のアーチ形窓など、もう少し装飾的な要素もあったと思われるが、写真からは製造所か倉庫に見えるだけだ。浅草橋5丁目にあった 「東京小間紙製造所」と、なにか関係があるのだろうか?


尾張屋。台東4-1
1985(昭和60)年10月27日

佐竹商店街を竹町公園の南側を通る通りが横切っているが、その四つ角。角の店は住宅地図では「尾張屋」で、衣料品店だろうか。

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さたけ、あけぼの商会。台東区台東3-1。2008(平成20)年3月1日

清洲橋通りの佐竹通り南口交差点のそばで、写真の二軒長屋の裏は佐竹商店街。現在も建物は残っていて、看板もそのまま。ただし営業しているかどうか。
下の写真はビルを1棟おいた並びで、銅板貼りの二軒長屋と右のマッサージの看板の家は今もそのまま。屋根の形が異なるが、あけぼの商会の長屋を各戸1間づつ縮めただけ、といったようなよく似た外観である。長屋は撮影時のときもすでに空き家のような状態だ。今は写真左の松下第三ビルとその裏側の佐竹商店街の商店が取り壊されてTimesの駐車場になっている。取り壊された商店街の店は、どんな店だかは知らないが「ようらん、小松屋、富士長」と思われる。


二軒長屋。台東3-1。2008(平成20)年3月1日



白秋。台東3-2。1987(昭和62)年3月8日

佐竹商店街の南口の近く。写真右の中華料理の「白秋」は、1986年の住宅地図では「カミヤ」なので、開店して間もないのだろう。その並びは「ハッピー堂」「割烹玄海」。写真左は「山下陶器店」「トラヤ文具店」など。
写真ではまずまずの賑わいだが、商店街のこの辺りは、現在はかなりひどい有様で商店街の体をほとんどなしていない。ビルに建て替わっているのはいいが、建物が取り壊されていたり、シャッターを下ろしてだいぶ経つような店が目立つ。

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左:あとう(仏壇)。台東区台東3-27。2008(平成20)年3月1日
右:スクラッチタイル張りの蔵。台東3-30。1989(平成1)年1月29日

「あとう」は佐竹商店街にある、仏壇の制作をしている店。写真は横の路地から撮ったもの。佐竹商店街とその周辺は空襲での焼失を免れているので、ぼくは古そうに見える建物は、戦前に建ったものと考えている。あとうの建物はかなり改装されているが、タイル張りの壁や窓の庇、丸窓などから戦前に建てられたものではないだろうか。
右写真の蔵は、やはり商店街から横丁に出たところにある。写真右のナショナルの看板は、表側が佐竹商店街に向いた「ヨシダラーデン」という電気店で、戦前から続く店だ。その店の商店街側の隣は「吉田モスリン店」という看板の「吉田呉服店」。この2店は住宅地図ではまとめて「吉田商店」となっている。同族の経営によるものではないかと思う。その裏手の蔵が、吉田商店が使っていたものなのだろう。裾が石張り、壁がスクラッチタイルを張った、他には見たことがない造りである。「ヨシダラーデン」という妙な店名は、万世橋の「ラジオガァデン」を思い起こすが、出現したのはヨシダラーデンのほうがよほど古い。『 佐竹商店街』の「佐竹界隈・昔の写真展」の「戦前の売出し案内」に「ラヂオと電気器具―ヨシダ・ラーデン」の広告が載っている。



左:石原装美。台東3-32。1989(平成1)年1月29日
右:カメラのサン。台東3-32。2008(平成20)年3月1日

石原装美は竹町公園の向かい側にあった。今は9階建てのマンションに変わっている。
「カメラのサン」は石原装美と同じ通りの並び。一昔前のグラフィックな装飾がだいぶ痛んできている。「フジカラー」や「DPE」の文字からすると、デジカメやそのプリントは扱っていないようだ。

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上左:三階建て看板建築。台東区台東3-4
   1989(平成1)年2月12日
上右:二軒長屋。台東3-4。1989(平成1)年1月29日
左:ダイヤ。台東3-3。1988(昭和63)年4月10日

「徒竹町大通」の佐竹商店街に近い辺りから北へ入ったところ。上左写真の銅板貼りの家は堂々の3階建てで、その右の家も、元は銅板貼りだったのだろう、やはり3階建て。現在は左の家の左半分がビルに建て替わっているから、二軒長屋形式だったと思われる。あるいは、2棟に見えるが合わせて四軒長屋?
上右写真は左上写真の右手すぐの並び。木造二軒長屋を含めて今も変わっていない。ぼけた写真を出さずに撮りなおしてくればいいのだが、億劫である。
左写真の家は上右写真の向かい側にあった。住宅地図では「ダイヤ」となっている。正面からの写真を撮っていなかった。現在は4階建てのビルに替わった。


看板建築四軒長屋
台東3-24。1989(平成1)年1月29日

上の3枚の写真の場所から北へいったところで、現在も、写真右の長屋のうち、路地の角の1軒が取り壊されたくらいで、あまり変わっていない。長屋の左隣に長屋と同じような洋風のデザインの看板建築があり、向かい側にも5・6軒の古い家が並んで残っている。

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佐野印章。台東区台東2-32。1988(昭和63)年12月31日

清洲橋通りの佐竹通南口交差点から西へ、昭和通りの台東2交差点へ出る通り。『 昭和16年の台東区>竹町』の地図には「徒竹町大通」とあって、その真ん中あたりの「新東京」という映画館の向かい側。この通りの南側が台東2丁目、北側が台東3丁目である。
戦時中の空襲では台東3丁目はかなりの部分が被害を免れたが、台東2丁目から南は焼き尽くされた。そのなかで焼失を免れたのが台東2丁目32・33番地である。現在はビルに建て替わっているが、1990年頃なら「中村屋のモルタル看板建築」と「鈴友」があった。現在も通り沿いに数軒、裏に1・2軒、戦前からのものと思える家が残っている。
写真の銅板貼りの看板建築は五軒長屋に見える。左から旧御園鮨、佐野印章、カギの専門店、しもた屋?、坂本モーター商会台東営業所。


近影
2008(平成20)年3月1日

上の写真から20年後の撮影。長屋の様子はまったく変わりがない。現在の様子をストリートビューで見ると、長屋の左2軒の壁が改修されている。店は変化ないようだ。上の写真右の三友社のビルが建て替わり、その右の緑屋酒店は廃業したようだ。

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佐竹茶房。台東区台東2-1。1988(昭和63)年頃

蔵前通りと清洲橋通りとの鳥越1交差点の北西の角にある平屋の店舗。現在は下の写真の状態で、周りの建物が取り壊されて、角の家がどいてくれるのを待っているように見える。
建物は昭和30年前後のものか、あるいは空襲の焼け跡から最初に建てたものかもしれない。1986年の住宅地図では「コスモ印刷」だが、写真ではすでに空き家かもしれない。左の家は「植木製罐株式会社」、右のビルは「見上ビル」で、小さなペンシルビルのようだ。角の家はいつごろまで営業していたのか知らないが「佐竹茶房」という喫茶店だったことは分かる。建物もその店が建てたような外観だ。
「佐竹」といのは、交差点から清洲橋通りを北へいった西側に「佐竹商店街」もあるが、佐竹右京太夫の藩邸(出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷、藩主は佐竹氏)があったところが、明治維新後、それが撤去されて「佐竹っ原」と呼ばれたことに由来する。



近影。2007(平成17)年4月14日

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左:ダイキ包装。台東区台東1-38。1987(昭和62)年頃
右:鹿島酒店。1988(昭和63)年12月31日

蔵前通りと清洲橋通りとの鳥越1交差点の角。ダイキ包装の建物の清洲橋通り側は、幅一見ほどを残して取り壊され、ビル(イトーピア清洲橋通ビル。1988年3月竣工)が建設中だ。この建物が元のままだったときの写真は撮っていなかったが、当ブログの 「洋風六軒長屋(2007.01.13)」の1枚目の写真右端に写っている。その写真では取り壊されたのは「あだちや不動産」が入っていた部分だ。
角の吉野家の建物は戦前に建てられた店舗を改装して使っているのだと思う。ダイキ包装、吉野家とも今も変わらない。
吉野家の蔵前通り側の隣が鹿島酒店。銅板張りの看板建築だ。建物は現存しているが商売は廃業したようだ。そのため、看板は取り外され、建物上部の飾りもなくなってしまっている。

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鈴やビル。台東区台東1-30。2003(平成15)年10月24日

昭和通りの、台東1交差点(蔵前橋通りとの交差点)近くにあったビル。現在は、ストリートビューで見ると取り壊されて更地の状態なので、新しくビルが建っているかもしれない。つまり、最近まであったビルである。
『日本近代建築総覧』に「鈴屋ビル、台東区台東1-30-3、建築年=昭和3年、構造=RC4階建、一部5階」として載っている。「鈴や」は住宅地図の表記。ファサードが左右で異なっているが、右側は改修されたのだろうか。それにしてはロンバルディア帯の飾りや上部の軒が張り出していたりして、一見右側のほうが古く見える。やはり最初から左右で別のデザインで建てたのかもしれない。

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