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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





水産庁中央水産研究所
中央区勝どき5-5
1990(平成2)年1月21日

都営月島アパートの2号棟から向かいの水産庁中央水産研究所の敷地を撮影した写真である。現在は「クレストシティレジデンス」(2007年8月築、18階建495戸)という大きなマンションが建つ。
撮影場所の都営月島アパート2号棟の写真を撮っていなかったのが残念だ。2号棟の建物は実際には2棟のビルからなり、階段室をその間に置いた構造だった。従って階段は外階段のようなもので、踊り場からの眺めもよかったのである。
建物は『水産工学研究所(1)』『同(2)』『同(3)』で、紹介済み。今回、建物名称を「水産庁中央水産研究所」としたのは、撮影時の名称を使ったから。『日本近代建築総覧』では「水産庁東海区水産研究所、建築年=昭和7年、構造=RC、設計=不詳、施工=関東地建」の記載。
『東京建築懐古録Ⅲ』(読売新聞社編、1991年、2000円)の見取り図によると、1・2枚目写真手前の道路に沿って建っているのが「機械工場」、写真中央のRC造平屋に見えるのが「アイソトープ実験室」、その後ろ、茶色の壁が「新館」。3枚目写真の道路沿い右の建物が「作業室」、写真中央が「化学館」、左奥が「本館」。右奥の低層のアパートは1986年の住宅地図で「勝どき農林住宅」。左手遠景に建て直しのためか取り壊された「東京消防庁臨港消防署臨海消防団本部」(1986年住宅地図より)の望楼が見える。

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都営月島アパート1号棟。中央区勝どき5-4。2008(平成20)年10月3日(3枚とも)

現在、都営月島アパートがあったところは「勝どき ザ・タワー」という53階建ての超高層マンションを建設中である。1420戸という大規模なもので、清澄通り向かいの「ザ・トーキョータワーズ ミッドタワー」の1461戸に次ぐ国内2番目のスケールだという。2017年3月の入居を目指している。
写真は清澄通りの豊海幼小入口交差点を西へ入ったところ。月島アパートは7棟があったがその1号棟。月島アパートの建設がいつだったのか、ネットからは見つけられなかった。昭和38年の航空写真にはすでに1~4号棟が写っている。建てられた順番で番号が付けられたのだろう。
戦前の火保図では「東京市財務局経理課製管工場」。埋め立て工事に関連する資材の工場だったのだろうか。昭和22年の航空写真には長屋のような建物が写っているが、引揚者用の住宅らしい。



都営月島アパート5号棟。平屋の建物は集会場。右奥に6号棟。


都営月島アパート5号棟

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晴海通り勝どき2丁目交差点の東。中央区勝どき2-14。1989(平成1)年11月26日

晴海通りと清澄通りの交差点は現在は「勝どき駅前」という名称だが、撮影時は都営大江戸線の駅はまだなくて(2000年12月開業)「勝どき二丁目」といった。写真ではその交差点が右手にある。
看板建築や長屋が並んでいるところは現在では「リーラ勝鬨ニューハウン」(2000年築、12階建45戸)というマンションが建ったのだが、通り沿いには二階建ての中華レストランがあって、看板建築の家が建て替わったのかもしれない。
写真中央の二軒長屋に見える建物は、元は四軒長屋だったようだ。ビヒタスの看板の家は森永牛乳月島販売店で、長屋を三階に改築したものらしい。
ラークの看板の家の角を入ると、まだ古い二軒長屋が何棟か見られる。

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長屋。中央区勝どき4-8。1989(平成1)年11月26日

清澄通りの新島(にいじま)橋の北を東に入ったところにあった長屋。六軒長屋に見えるが火保図では二軒長屋が3棟に描き分けている。写真で見る限り正面からは分かれ目は見えない。屋根の切れ目は1軒ごとにあるようだ。現在では1軒だけ残っている。



長屋。勝どき4-8。1989(平成1)年11月26日

写真左の赤い屋根は東陽院という寺。門は清澄通りにあり、「東海道中膝栗毛」の十返舎一九の墓があるので有名。瓦屋根の本堂の後ろに方形屋根の庫裡が建っている。門の脇にある十返舎一九の碑は、昭和33年に東宝映画が『弥次喜多道中記』制作にあたって建立したものだという。まだ映画の全盛期だった時代の記念碑といってもいい。
東陽院は昭和5年に浅草永住町から当地へ移転してきたもので、本堂はその当時の建築なのだろう。方形屋根の庫裡は戦前の火保図にコンクリート造としている建物。



民家。勝どき4-13。2005(平成17)年3月25日

東陽院の向かいにあった大きな民家。屋根の形から日本家屋だと思うのだが外壁がスクラッチタイルだ。石造りの門とレンガ塀で洋館のようにも見える。昭和22年の航空写真に写っているので戦前の建築かもしれない。「京橋区月島通十一丁目七番地」の表札があった。

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釣岩。中央区勝どき3-16。2005(平成17)年3月25日

新月島川に架かる清澄通りの新島(にいじま)橋の際にあった三軒長屋。手前は「新島橋北西児童遊園」というが、小さな緑地のようなものだ。今、ストリートビューを見たら長屋は取り壊されて水道管の布設替え工事の車両が入っている。航空写真にはまだ写っているからごく最近のことらしい。
三軒長屋の左のお宅が1986年の住宅地図では「釣岩」で、その名前から舟宿だと思われる。戦前から続いている家だ。当ブログの『新月島川、亜伊堂留亭』に、長屋の新月島川に面した側の写真がある。その1989年の写真では釣岩専用と思われる桟橋があって東京湾の奥にまで行くような釣船を含めて3艘が係留されているが、2001年の写真では桟橋が撤去されている。ネット検索にもかからないので廃業したのかもしれない。



斉藤鮮魚店、戸津雑貨店。勝どき3-16。2005(平成17)年3月25日

三軒長屋の横を入ったところで、左端にちょっと写っているのが1枚目の三軒長屋。屋根に段があるがこちらも三軒長屋で、やはり最近取り壊されて工事用のプレハブハウスが置いてある。写真の様子では撮影時に営業していたかどうか怪しい感じだ。

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二軒長屋。中央区勝どき3-8。2008(平成20)年10月3日(4枚とも)

清澄通りの新島橋の近くに建つ住友不動産勝どきビル(2002年2月築、8階建)の横、および裏手に古い二軒長屋が10数棟残っている。上の写真は清澄通りから裏の通りへ抜ける路地沿いに並んでいる二軒長屋。写真左の青いビルが住友不動産勝どきビル。写真では縦に並んだ3棟の長屋が写っているが画面左にもう1棟あり、これら4棟の長屋の両端の押さえの位置、表通りと裏通りに面して横向きに二軒長屋がある。
清澄通りの側は魚勝という魚屋と浜焼き居酒屋。2010年11月の開店で、それ以前は「てるてる小僧」という居酒屋だったらしい。もっと以前は平和青果という店があったが、瓦屋根ではなくなったり大きい看板をつけたりしているので同じ建物とは思えない。




左:民家、勝どき3-8。右上:二軒長屋、勝どき3-10。右下:路地の長屋、勝どき3-10

左写真の民家は1枚目写真に横の壁が写っている家。二軒長屋の左側が残っているようだ。右写真の2枚は民家の斜め向かい、裏通り沿いとそこから入る路地に残っている長屋。

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3棟の二軒長屋。中央区勝どき3-4。1989(平成1)年11月26日

現在の勝どきビュータワーの南の横丁で、月島第二児童公園の向かい側。同じ造りの看板建築風の二軒長屋が3棟並んでいる。昭和22年の航空写真に写っているので戦前からあるものだろうが、戦前の火保図(昭和9年頃)では勝どき3-4の街区は工場ばかりだから、写真の長屋は昭和10年代の建築らしい。
現在も残っているのは3棟の長屋のうち、両端の2棟の各1軒。



中村水産。勝どき3-4。1989(平成1)年11月26日

中村水産としたがほんとうは推定である。中村水産だとすると信号の交差点は月島第二小学校の南東の角になり、写真で右へまがると1枚目写真の長屋の前を通って清澄通りに出る。建物はいかにも工場の事務所棟のような感じだ。現在は「エスポアール勝どき」(2012年6月築、7階建て16戸)というマンションになっている。
左奥の白い壁の建物は1986年の地図では「区立勝どき敬老会館/勝どき児童園」で、「都立水上小学校付属学寮」があった場所だ。

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永田屋履物店、吉田屋酒店。中央区勝どき3-5。1989(平成1)年11月26日

写真右の道路は清澄通りの歩道。今は都営大江戸線勝どき駅(2000年12月開業)の南端辺りになった。写真右奥の横丁の角の家は小田島理髪店
永田屋は下駄や草履を売っていたのだろうが実質的にはたばこ屋だったと思われる。ハイライトと下駄を描いた看板は自家製のようだ。同じ建物の左の店は昭和25年頃の火保図では「清次郎浮具」。角の吉田屋平野商店は戦前から続く酒屋らしい。
出桁造りの2棟の商家は、現在は平野ビル(1994年2月築、6階建て)というオフィスビルに建て替わった。

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月島浴場。中央区勝どき1-4。2000(平成12)年1月5日

晴海通りの勝鬨橋近くから西仲通りを北へ入ってすぐのところにあった銭湯。写真は西仲通り沿いの横側で、正面は写真左のところを曲がったところなのだが、肝心のその写真は撮っていなかった。『東京の銭湯月島浴場』には幾つかの方向から写した外観の写真が載っている。『銭湯温泉サウナ王国>銭湯日記>月島浴場』によれば、2003年に廃業した。現在は「区営勝どき住宅(平成19年8月築、13階建て)」が建つ。

この建物は『土木建築工事画報』の『昭和2年5号』に「月島公衆浴場工事概要」という記事が載っていて、まさに概要を知ることができる。
序文には「鉄筋コンクリート建の公衆浴場が月島に出来て安い入浴料で公開することになった。設計は市建築課の第二掛り、坪当たり三百円以下で斯く文化的に建設された事は民間の浴場業者に非常な刺激を与えた。」とある。「月島二号地市営小住宅敷地内」に東京市が運営する公衆浴場として建てられたのだった。RC造2階建て、工期=大正15年7月13日~昭和2年1月24日、設計及び監督=東京市土木局建築課、請負人=荒川常吉。
しかし、民間業者を驚かせた斬新な外観―インターナショナルの骨格にアールデコだかロシア構成主義のような装飾要素が加わったものだろうか―は、民間にはさっぱり広まらず、普通の大工が建てることができる和式の銭湯が多く建てられていく。月島浴場もその独特の外観を覆い隠すような方向に改装していったように感じる。

月島市営浴場正面全景
『土木建築工事画報 昭和2年第5号』より


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正木輪業。中央区勝どき1-10。1989(平成1)年11月26日

清澄通りから勝どき1丁目と3丁目の間の横丁を北へ入ったところ。現在は、勝どき1丁目8番地から11番地が再開発によって超高層ビル「勝どきビュータワー(2010年10月竣工、55階712戸)」と広場にまとめられた。タワーは都営大江戸線の勝どき駅(2000年12月開業)と地下で直結している。写真の木造長屋が並ぶところは区立月島第二児童公園が移ってきて遊具などが置かれている。正木輪業の角を入る裏通りは消滅した。
正木輪業(自転車店)は一戸建ての家。看板からは自動車の販売や整備もしていたらしい。その右は五軒長屋。いわさ(磐佐)酒店の他はしもた屋のようだ。撮影時にはこの五軒長屋の右に並んでもう1棟の五軒長屋があった。正木輪業はビュータワーの1階で今も営業中。
下の写真は清澄通りのかつての街並み。当ブログ『小田島理髪店』の写真と同じような写真だが、ついでに載せて置く。写真の解説は『小田島理髪店』のほうで。


小田島理髪店、福原肉店。勝どき1-10。2005(平成17)年3月25日

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