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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東急レストハウス。神奈川県藤沢市鵠沼海岸。1956(昭和31)年9月

「1955年(昭和30年)、神奈川県は湘南海岸砂防事務所に公園整備事業を加え「湘南海岸整備事務所」に発展させて、1957年(昭和32年)11月には特許事業方式(民間施設活用)の県立湘南海岸公園計画を告示した。告示以前から鉄道会社による東急レストハウス、小田急ビーチハウス(いずれも1956年)が建設されていたが、告示後には小田急シーサイドパレス(1958年)などが特許事業として続々と建てられ、斬新なデザインを競い合うこととなった。」(ウィキペディア>鵠沼海岸)
東急レストハウスの開業は1956年7月1日で、写真はそれから間もない頃になる。建物は円形のレストランの後に長方形の部分が伸びている形。駐車場などはまだ整備途中のようだ。写っている人物はぼくの叔母と弟。
当時僕の家はレストハウスの目の前にあった。自分の住んでいるところが観光地とは思わないので、レストハウスや小田急ビーチハウスのような建物が建つのが不思議だった。砂山がならされて景観が変わっていくのを眺めていた。1959年に東京へ越してしまったのでその後の鵠沼海岸の様子は知らない。

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き楽、しげ子。静岡県静岡市清水区巴町7。2014(平成26)年11月27日

国道149号の西を国道と平行に南流しているのが巴川。写真はその東岸の川沿いの通りで、千歳橋(県道407号)の北に昭和40年代に建てられたと思われる飲み屋が並んでいる。大通りの裏の飲み屋街といったところだ。ここも衰退傾向にあって、2022年10月のストリートビューでは、写真の左端から千歳橋の麓まで、開業していそうなのは3軒。「き楽」はすでに営業しているようには見えないが、2020年には看板を外して空き店舗になっている。「しげ子」の左は2012年5月のSVに「京」の看板。



ギョーザ倶楽部、しんちゃん。巴町7。2014(平成26)年11月27日

巴川に架かる千歳橋の際で、写真左側が巴川沿いの道、右が県道407号。飲み屋の「しんちゃん」は、2020年12月では改装されて「Riviere」の看板が小さく出ている。「プライベートサロン」と言われてもよく分らないが美容院らしい。
角の「ギョーザ倶楽部」はラーメン屋かと思う。2016年11月のSVでは「ちょい呑み処 さとす」に替わった。

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居酒屋小噺。静岡県静岡市清水区巴町6。2014(平成26)年11月27日

みずほ銀行新清水出張所の裏手にあった飲食店が入った建物。国道149号の裏通りで、写真手前が国道149号の清水相生町交差点、左奥が巴川。
写真からは1階に居酒屋「小噺」と喫茶店「GEORGIA」、2階にスナック「真紀」と「清美」。建物は昭和30、40年代に建てられたと思われる、簡易集合店舗といったものだろうか。『Tripadvisor>小噺』の2017年の投稿記事に「新清水駅に近い居酒屋です。初めてだと、ちょっと入りにくい雰囲気です。外には懐かしい(古い)映画のポスターが張っており、映画ファンが集います。」とあった。ほんとかな? と思うが、写真に写っている映画ポスターは「女の一生」(松竹、1967年公開、主演=岩下志麻)と「標的の村」(2013年公開)。
ストリートビューを見ると、2019-20年に取り壊され、2022年10月の画像では建物を建設中で土台ができている。



樋口米店。巴町7。2014(平成26)年11月27日

小噺と同じ四つ角にある「樋口米店」。その隣は販売機だけのタバコ屋。次いで「軍物の店 AMERICAYA」で、2015-16年に左の平屋の家と共に取り壊されて駐車場になっている。

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みずほ銀行静岡支店新清水出張所。静岡県静岡市清水区相生町4。2014(平成26)年11月27日

手前の通りは国道149号で、新清水駅から南へ100mほどの清水相生町(あいおいちょう)交差点。その西南角にあるのが「みずほ銀行静岡支店新清水出張所」。旧第一銀行でその清水支店だったと思われる。従って1971(昭和46)に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行、2000年にみずほ銀行になったという経過かと憶測できる。
戦前の銀行建築を彷彿とさせる外観で、戦後まもなくの建築だろうか。この周辺では最も古い建物ではないだろうか。1960、70年代は清水では最も賑わった通りだったというから、その名残とも言える。

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見城菓子店。静岡県静岡市清水区真砂町8。2014(平成26)年11月28日

清水駅前銀座商店街の南側入り口のゲート。その下に「見城(けんじょう)菓子店」がある。写真左は国道149号の側道。見城の後に最近取り壊されたエビス家具店のビルが写っている。右のアーケードの商店街はそのままグルメ通りに続いているが、商店街は写真奥のおおぎや洋品店から左へ向いている。
見城菓子店は昭和20年の創業だという。駅前銀座では最古参の店のひとつかもしれない。ネットには、静岡名物桜えび入「あじろ」(煎餅)、ソースせんべい、鈴焼カステラなどが出てきて、なんとなく土産物屋的な存在らしい。


あかぼり電気店。真砂町1
2018(平成30)年7月4日

1枚目写真の右手前に写っている。店の裏は東海道本線の線路。1926(大正15)年7月まで、そこに江尻駅があった。それが現在の清水駅のところに移り、1934(昭和9)年12月に「清水駅」に改称された。
店は何年も前に廃業している様子だ。看板の英語の商品名から、ただの家電よりオーディオ関係に力を入れていたような感じだ。看板の英語は今では看板からは姿を消した言葉のように思う。普通はテープレコーダーだが「TAPECORDER」。1950年頃、ソニーが最初に売り出したテープレコーダーは「テープコーダー」といった。「STEREO」は60年代にはやった家具調のステレオセットのことだろう。
2018-19年に別の会社が入居して壁の文字は取り外された。

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おおぎや洋品店。静岡県静岡市清水区真砂町6。2017(平成29)年4月14日

清水駅前銀座商店街の南側入り口に近い辺り。線路沿いの「グルメ通り」との分かれ道になる角にあった。2019年頃に隣のエビス家具店第3売場とともに取り壊されて、今は駐車場になっている。南側のゲートからアーケードの駅前銀座に入ると、国道149号(陸橋の側道)との間は駐車場、グルメ通りとのY字路の先は両側とも駐車場で、その間をアーケードが架かっている、という状況になってしまった。
おおぎやは3軒分の長屋式の建物の全部を使って、角の方から「子供用品、婦人用品、紳士用品」と看板にある。古くからある店のように思うが、ネットではなんの情報もない。

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エビス家具店
静岡県静岡市清水区真砂町8
2014(平成26)年11月27日

清水駅前銀座商店街の南側入り口に近い辺り。左手前は韓国食品の店、その右はなんの店か分らないが「elle satomi」、次いで「エビス家具」の袖看板の店。その右は6階建のビルで「恵比寿屋」の看板が出ている。「ヱビス家具売場御案内」の看板には最近の家具店にはあまり見ない「婚礼セット」の文字がある。桐の箪笥や鏡台などは昔はけっこう売れ筋だったのだろうな、と回想される。エビス家具店はだいぶ以前に廃業した様子だ。
2019年頃、この並びは韓国食品店から写真右奥の「金子果実商店」までの間が取り壊されて駐車場になってしまった。また、この向かい側にはエビス家具店の別の売場と「おおぎや」という洋品店があった。同じ時期と思われるが、取り壊されてやはり駐車場になった。

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上:上野屋靴店、左:次郎長屋
静岡県静岡市清水区真砂町4
2018(平成30)年7月4日

清水駅前銀座商店街の中程。左から、くつ・スニーカーの「上野屋」、レンタルスペースの「まちかどギャラリー」、空き店舗(和菓子の秋月堂駅前銀座店)、レディスショップ「ミウラ」。次郎長屋は上野屋から左へ2軒目にある乾物店。味噌、昆布、佃煮、漬物など「にっぽんの味」の店。
いそべ会計>清水歴史散策>3.全盛時代の清水銀座商店街』に「昭和33年に建てたみなとマーケット」の写真がある。みなとマーケットのシャッターの前で撮った家族の記念写真のようで、昭和50年頃の撮影かと思われる。シャッターに店名が書かれていて、「高級靴はきもの上野屋」「にっぽんの味次郎長屋」が読める。したがって上野屋と次郎長屋はみなとマーケットに開店したのだろう。
みなとマーケットは現上野屋から少し南へ行った向かい側にあった。1946(昭和21)年12月に開店した「ミナト市場」が始まりで、1957(昭和32)年にビルに改築された。次郎長屋の創業は昭和21年だから、ミナト市場ができると早速入店したのかもしれない。現在、みなとマーケットは2011年3月築の「ベイタワー清水」という20階建95戸のマンションに建て替わった。ただし商店街に沿ったところは商店が並んでいる。

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マルヤマ文具店。静岡県静岡市清水区真砂町2。2018(平成30)年7月4日

写真は、東海道本線の清水駅の西口ロータリに向いて入り口がある「清水駅前銀座商店街」。東海道本線と国道149号の間を真南へ450m続く全蓋式アーケードの商店街。人出は昭和50年頃がピークで、昭和の間はとにかく賑わったらしい。今ではあの人たちはどこにいるのだろうという状態で、これはどこの商店街も同じようなものなのだろう。
駅前商店街のことをその歴史を含めて詳細に述べているのが『いそべ会計>清水歴史散策Ⅱ>第十三話 清水駅前闇市通り物語』というサイト。駅前商店街は戦後のヤミ市から始まった。昭和30年頃には商店街としての体裁が整ってきたのだろう。
清水駅前銀座商店街のまちづくり』によると、「銀座」の名称は1949年に結成された「清水銀座繁栄会」に出てくる。1959(昭和34)年 「清水駅前銀座誕生」なのだという。最初のアーケードを設置したのは1967(昭和42)年で、今の2代目は1982(昭和57)年に改築したもの。

マルヤマ文具店は駅前銀座を駅側から入って130m行ったところ。建物はヤミ市から商店街に発展した時代のものかと思われる。正面からは分らないが、裏から見るとトタン葺きの壁と屋根の平屋の小屋に見える。『清水まちかど散歩>マルヤマ文具店さん』などを見ると、店としては品揃えにこだわっている様子がうかがえる。
左の春田眼鏡店は3階建のビル。さらに左の「セラビ」と「花曜日」の建物が、裏から見ると昭和30年頃のものかと思われる。


こだからや玩具店。静岡市清水区真砂町5
2018(平成30)年7月4日

駅前銀座と、国道と線路際(グルメ通り)を結ぶ道との交差点の角にあったオモチャ屋。建物は3階建の小さなビルで、2階のファサードが凝ったデザインだ。2020年12月いっぱいで閉店した。そのお知らせの張り紙に「70年に渡り」とあるから、1950(昭和25)年頃に開店した計算になる。

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娯座楼
静岡県浜松市中区肴町317
2019(令和元)10月7日

肴町(さかなまち)通りの中程にあった「娯座楼」という料理店。写真の建物は2020年に取り壊されて、店は2021年4月に建て直されたビルでリニューアルオープンした。
かなり古風な外観である。平らな屋根の屋上があるのでRC造と思える。1階正面は前に出ていて、その上はベランダ、その手すりの中央にモルタルの飾り板が付いている。タイル貼りの壁、2階の窓の縁取り、1階の浅い庇と持送り。
『日本近代建築総覧』に「植村紙店、肴町、RC2」というのが載っている。ヤフー地図に娯座楼の後に「㈱植村屋紙店」がある。そのさらに後が「植村屋ビル」という3階建で飲食店が数軒入っているビルである。『総覧』の植村紙店が写真の建物ということはないだろうか?

娯座楼の左にちょっと写っているのが「メルカートビル」で、看板の「メルカート マブチ」は酒屋。看板には「間淵商店」とも書いてある。この建物が令和3年に「浜松地域遺産」に認定された「間淵商店主屋」と思われる。『中日新聞2021.03.22』の地域遺産の記事に、「江戸中期から続く酒類販売店「間渕商店」が一九二七年に建てた本社ビルは、日本初の鉄筋コンクリート造りの商店を建設した竹中工務店(大阪)が手掛けた。重厚な造りの社屋の社長室には、シャンデリアやステンドグラスが当時のまま飾られている。」とある。外観はきれいなので普通に新しい建物と見てしまい、昭和2年建築とは思わず写真も撮らなかった。浜松市の空襲と艦砲射撃から残ったのなら、隣の娯座楼も同じく、と考えがいってしまう。


間淵商店主屋。浜松市中区肴町317。ストリートビュー(2019年7月)より

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