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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




杉原畳店。静岡県静岡市清水区巴町8。2014年11月27日

当ブログ前回の「斉藤ふとん店」1枚目写真の左奥の家並みで、商店が並んでいる。右から、「杉原畳店、元(スナック?)、平屋の民家、仕舞た屋?、清水堂文具店、岡田屋(わさび漬)」。
杉原畳店は建物には看板がなくなっていて営業しているのか心配だが、2016年11月のストリートビューでは店先が覗けて、機械があり職人さんの姿が写っている。2018年に建物は取り壊されてしまって、現在も空き地のまま。街灯の「杉浦畳店」の看板は今もついたままだ。
「岡田屋」は看板に「静岡名産わさび漬/製造直売 老舗 岡田屋」とある。JR清水駅前に「岡田屋本店」、浜田町に「浜田町店」があるらしい。2023年3月のSVでは看板が外されていて閉店してしまったらしい。観光客はもちろん、人通りもあまりないような通りで、致し方なかったのかも知れない。


岡田屋わさび漬店。巴町8。2014年11月27日

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斉藤ふとん店。静岡県静岡市清水区巴町8。2014年11月27日

写真手前の通りは、清水区役所の南から西へ走っている県道407号静岡草薙清水線。右へ行くとすぐ巴川に架かる千歳橋で、写真右に静鉄バスの「巴町千歳橋」バス停がある。県道沿いに廃業した商店があり、信号のある交差点を南に入った2軒目の家が「斉藤ふとん店」。
ふとん店の建物は切妻造の平側を看板建築にしていて、戦後まもなくの建築と思うが、修理改造をしないまま来たような感じだ。壁や2階手すりの看板の文字(精綿 蒲團)が旧字。店舗の裏に別棟であるのが作業場と思われる。ネットには同じ住所で「斉藤精綿工場」という事業所が出てきた。
ストリートビュー(2023年3月)を見たら、店の中はなにもなくなって「貸駐車場」の看板が出ていた。



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Zoo、益子。横浜市中区野毛町1-43。2010(平成22)年4月10日

野毛町1丁目と2丁目の境を南北に通っているのが「野毛小路」で、そこの野毛中央通りとの交差点から少し入ったところから南の方向を見ている。写真右端が柳通りとの交差点。並んでいる建物は今も変わらない。
戦前の看板建築のような外観をした「Zoo」は、食べログの投稿記事によると2008年開業のダイニングバー。ストリートビューを見ると2021年頃に「地酒立ち呑み 酒母(しゅぼ)や」に替わっている。「やき鳥 益子」は、創業35年くらいになるらしい。
益子の右の建物は看板建築の四軒長屋のように見えるが、かなり大きい建物で、アパートに分類できるかと思う。野毛小路側に2階への入り口が2箇所あり、片流れ屋根である。Googleマップでは「第二・第三港興産ビル」となっていて、東に建っている写真のアパートよりいくらか小さい規模のアパートと一緒の名称のように思える。写真のアパートには「港興産」という不動産業の会社が入っているから、その会社の持ち物かもしれない。1階の床屋は「ヘアーサロンメトロ」。2014年以前に2階に移り、1階には「野毛ホルモンセンター」が入った。2015年にはメトロは廃業したらしい。

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左:山荘。横浜市中区野毛町1-28。右:亀鶴。野毛町1-36。2010(平成22)年4月10日

「世界のカクテル 山荘」は野毛中央通りの中程にあった。写真右の路地は「野花商店会」の表示板が街灯についていたが、2017年に外されている。ストリートビューを見ると、建物は2014年に取り壊されてコインパークになってしまった。店は野毛柳通りに移っている。「食べログ」の口コミによると、1955年創業の老舗バー。ジュークボックが人気で、昭和歌謡やオールディーズがいつも流れているらしい。

「亀鶴」は山荘横の路地を山荘の向かい側に入ったところにあった。廃業してだいぶ経つような感じだが、2014年以前には建物はなくなっている。

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きりたんぽ、神谷運送。横浜市中区野毛町1-15。2010(平成22)年4月10日

写真の家並みは「野毛 幻の鉄道路線」の跡の道路で、「野花商店会」といった通りだったようだが、その表示板のついた街灯は2017年にはなくなっている。写真左奥が「野毛中央通り」との交差点。その角の家は住居になっていて、そこから手前に、「スナック 炎、田舎料理 きりたんぽ、神谷運送株式会社、バー R」。
ストリートビューを見ると、現在は、炎が空き地に、きりたんぽは2014年以前に「酒場 ふくちゃん」に替わり、2018年に4階建の小さなビル建て替わった。神谷運送は2017年に住居のような家に建て替わったが会社は続いているようだ。「R」はすでに創業70年の老舗で、この界隈では珍しい本格的なバーなのだそうだ。

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旧バラ荘。横浜市中区野毛町1-12。2010(平成22)年4月10日

野毛 幻の鉄道路線」の跡に建っているアパートで、正面は「野毛柳通り」に面している。建物の東と西側は「野花商店会」の表示板が街灯についていたが、2017年にはなくなっている。
建物の外観は幾つもの家がくっついているように見えるが、航空写真で見るとわりと大きな一つの建物で、Google Mapでは「野毛建物」となっている。現在、入っている店は、「大衆肉酒場 武田屋、オーシャンバー旧バラ荘、スナックつばさ、スナックKEIみすぎ、沖縄料理 守礼の邦」で、撮影時とほぼ同じ。
野毛飲みcom>旧バラ荘」によると、「旧バラ荘」は1949(昭和24)年の開店で、現在の4代目店主は「バラ荘」という店名を残したとういことらしい。店内の調度などは開店時のものという。野毛建物が建ったときに開店したのだろうか。



写真の店は「居酒屋 圭」が閉店して、2013年に武田屋が開店。



守礼の邦(野毛建物の野毛柳通りの側と西側)

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居酒屋 まこ、BARABA。横浜市中区野毛町1-53。2010(平成22)年4月10日

当ブログ前回の紅屋菓子店(現カフェ バジル)の横を入ったところ。2階の壁面に洋風のレリーフを施した看板建築がある。ねじり柱、アーチとその中のエムブレム、縦長の上げ下げ窓。関東大震災復興期のものかと疑うほどだ。空襲で焼き払われる前は、こんな建物が普通にあって、それを再現したのだろうか。ストリートビューを見ると、「まこ」は2014年には看板がなくなっていて、2015年には「Go West 24」というバーが入った。

「BARABA」と「スナックすまいる」は「まこ」から右(南)へ4軒目。2014年に取り壊されて2020年に3階建の「ソフィア野毛」(1階に「ビストロ アン クール」)が建った。
「野花商店会」の表示板がついた街灯は2018年頃になくなっている。

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紅屋菓子店。横浜市中区野毛町1-53。2010(平成22)年4月10日

野毛本通り(都橋の通り)に面した、今も残る戦後復興期に建てられた商店。左から「占い館 沙羅双樹、ランドリーハウス、紅屋菓子店」。紅屋は廃業した様子だ。そこに2011年には「カフェ バジル」が入った。同じ建物のクリーニング店は2016年1月に「からころ村」という立ち飲みができるから揚げ専門店に替わった。沙羅双樹は1990年頃の開館らしい。
紅屋の建物は看板建築で建てたときの外観があまり改装されずにきたような感じだ。紅屋の看板の横は「日の出不動産」の広告。バジルに替わったときだと思うが、正面の紅屋のロッテの看板が外されて、横の看板が「お菓子 紅屋」のロッテのアイスクリームの看板に替わった。不動産屋の広告を剥がしたらそれが出てきたのだろう。イタリアーノを懐かしく見る人もいるだろうし、以前の店の看板が残っていると町の歴史が分かったような気がして面白い。

野毛本通りから入っている写真左右の横町は、その間の間隔が狭い。この2本の道路は、新横浜通りの桜木橋歩道橋の南から始まり、緩いカーブを描いて京急日ノ出町駅近くの長者橋の通りまで追っていける。『野毛 幻の鉄道路線』で知ったのだが、2本の道路は大正期に鉄道路線を計画した跡である。桜木町駅から大船をつなごうとしたが、関東大震災で計画は中止された。経路は異なるが根岸線の先祖になるのだろうか。

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巴荘。横浜市中区宮川町1-8。2010(平成22)年4月10日

写真左が野毛都橋商店街ビルで、その向かい側の木造アパートが「巴荘(ともえそう)」。複雑な外観をしているが、敷地が三角形で切妻屋根の家をL字型に曲げた平面をしている。
写真では手前の店に「明文堂」と「ハンコ」の文字が残っている。今は「トリニチサカバ」というバー。その左は「喫茶みなと」で、今はその店名のままでバーだそうだ。その左は「うおふね」という小料理屋。赤い日よけには「バラエティショップ 北洋」と読めるが、「かりゆし」に替わったのだろうか。巴荘1階の店は今ではみなバーか居酒屋で、でなければ空家らしい。

下の写真は宮川橋の通りの方から見た巴荘の西側。左奥の街灯に「宮川町仲通り会」の表示板が掛かっている。ストリートビューを見ると、この表示板は2017年まではあったが2018年にはなくなっている。
建物角の2階の窓の桟が、建物の要所を意識してか、デザインされている。「かすり」の右の店はガラス戸に「日の出理容院」の金文字が残り、腰壁に白い豆タイルを貼った、廃業した理髪店の外観である。ところがこれが「日の出理容院」というバー。知っている人が入ってくればいいや、という営業形態なのだろう。



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野毛都橋商店街ビル。横浜市中区野毛町1。2010(平成22)年4月10日

大岡川の宮川橋と都橋の間の川沿いの道路上に建てられた共同店舗で、ちゃんとした住所はないようだ。宮川橋は宮川町(みやがわちょう)1丁目、都橋は野毛町(のげちょう)1丁目。建物名に「野毛都橋」がついているから住所も野毛町にしておいた。一般に使われている地区名としての「野毛」には野毛町も宮川町も入っているのだろう。
戦後の野毛は多くの露天で賑わった。大岡川から東の横浜の主要地はほとんどが進駐軍に接収されたから、日本人が商売できる野毛がその中心地になったのだろう。路上で営業していた露店を収容するために建てられたのが「野毛都橋商店街ビル」で、建設は市の依頼により「財団法人横浜市建築助成公社」が行った。設計=株式会社創和建築設計事務所(吉原慎一郎)、施行=株式会社小俣組、構造=鉄骨造地上2階地下1階建・陸屋根鉄板葺。
1964(昭和39)年11月21日が落成式。1階は靴、鞄、衣料品などの売店が、2階は喫茶、軽食などの店舗が入った。東京オリンピック開催に間に合わせた形になった(文化庁>野毛都橋商店街ビル横浜新聞第33号平成29(2017)年)。
2016(平成28)年に横浜市の歴史的建造物に登録された。戦後復興の歴史を伝える建物であること、飲食店街として地域に親しまれていること、河川と一体化したデザインの優秀性、などが評価された結果である。耐震補強工事や改修工事を実施した後、建物は2017(平成29)年12月に「公益社団法人・横浜歴史資産調査会(ヨコハマヘリテイジ)」に寄贈された。


宮川橋から

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