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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・72『ゲキ×シネシレンとラギ』

2016-10-24 06:38:31 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・72
『ゲキ×シネシレンとラギ』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している評ですが、もったいないので転載したものです。

さすがに、本公演30回以上経てからの録画、ギャグのキレは良くなっています。
 去年私が見た公演は5回目位、ギャグはまだまだ未完成で、意図は判るがそこら中で滑ってました。
 ゲキ×シネも10周年だそうで、確かに手慣れて見やすく、聞きやすく工夫されています。今回、音入れはハリウッドに外注したとか。原音の録音があまり良くないので、わざわざ外注にするのは勿体なく感じましたが、しかし、さすがにハリウッド、音像はクリアで芝居の頭から間違いなく正確にセリフが聞こえて来ます。効果音とのバランスも良くなっていて、これならDVD再生時いちいちボリューム調整しないでもよさそうです。まぁ、テープのときよりディスクの方が音バランスは良くなってはいるのですが、所々不具合が有ります。何でなんですかねぇ? ハリウッドのサウンドスタジオちた所で、機材は殆ど日本製なんですけどねぇ。この差はどこでついちゃうんでしょう。  

 まぁ、そらええとして、今回に限った事じゃないんですが(いや、今回はヤッパリ多かったかな)アップが多くて、全景があまり映らなかった。
 スクリーン化された作品は、役者の表情がハッキリ見えるのと引き換えに、劇場公演を見て受け取る、劇全体から受ける感動を伝えきれないきらいがあります。無い物ねだりだとも思うのですが、何らかのバランスが有るんじゃないかと、毎回考えてしまいます。
 通常、劇場中継なんかは5-6台のカメラで作るのですがゲキ×シネは18台のカメラで撮っています、それなりにベストショットが多過ぎて、アップの連続になるんですかねぇ。去年、劇場公演を見たのはセンター右寄り、前から5列目だったので、役者の表情もハッキリ見えていました。だから、アップの映像に接しても、そう落差はなかったのですが……劇場で受けた印象とは少々違っていました。  ゲキ×シネ形式から来る印象なのか、収録日の雰囲気なのかは計りかねます、なんつっても芝居は生モノですからねぇ。

 本作は、ギリシャ悲劇「オイディプス王」の翻案です。そうとは知らず、実の父を殺し、母を抱いてしまうというドロドロ悲劇、第一幕幕切れに原作とは逆の順番でラギ(藤原竜也)の悲劇が明かされる。この時のラギの表情が凄すぎて、もうここで芝居が終わってしまった印象がありました。 劇場公演の時も、このシーンは異様な迫力だったのですが、芝居をぶった斬るまでではなかった。
 だから本公演時、後半ラスト、シレン(永作博美)とラギの“血の因縁”と意外な(??)力を知り、自ら滅びるより生きる決意をする。示唆するシレンに、ラギは「今の言葉は、女としてか、母としてか」と問う。
 シレンから返される言葉は「人として」……この芝居の決定的なオイディプスとの違いが現れる最重要のセリフなのだが……舞台を見た時には、はっきり、そう受け取ったのだが、今日のスクリーンからは“浮いた印象”を受けた。やはり第一幕幕切れで終わっている。 ゲキ×シネだけを見たならここまでの破綻はなかったかもしれないが、舞台から受けた印象とのギャップは大きかった。

 新感線は、97年版髑髏城の七人、続く阿修羅城の瞳を最後にした初期のうえ歌舞伎から一歩踏み出した作品を目指している。
 中嶋(劇作家)にせよ、演出いのうえにせよ、試したい事は沢山あるんでしょうねぇ。はっきり言わしてもらって結構失敗もある。
 新路線以降、「朧の森に棲む鬼」「蛮幽鬼」からは目指す方向が見えたように思えたが、宮藤官九郎の起用と「蜻蛉峠」は失敗としか思えない。新感線生え抜き役者の奮闘で、なんとか見られる出来にはなっている。しかし、正直しんどかった、早く突き抜けていただきたい。私の周りの新感線ファンは大体同意見であります。
 そんなこんなを別にしまして、高橋克美の悪役振り、存在感は舞台/ゲキ×シネを比較して、いずれも遜色ありません。小劇場の頃から、のほほんとしたキャラクターで出て来た人ですが、実は暴れん坊なのかも知れません。
 橋本じゅんさん、毎度の持ち味で、ファンを安心させてくれるのですが……今回は少々やり過ぎの感有り。古田がもっとしっかり受け止めていたら違って見えただろうが、途中で明らかに突き放している。アドリブ部分なので、演出意図なのか古田の感覚なのかは解らない。古田演じるキョウゴクの造形が今一ハッキリしない事が影響しているのかもしれない。
 シレンとラギ、ゴダイ大師(高橋克美)三者の因縁が大黒柱とすれば、キョウゴクの歪みは梁なのだが、ちょっと弱い。旧いのうえ歌舞伎には、こういう取りこぼしは有り得ない。
 中嶋・いのうえが未だ苦闘半ばなのだろうと愚考する由縁であります。
 意外な所が河野まさとの扱い(密偵/ヒトイヌオ)です。この所、あまり役に恵まれず、この人の持ち味も間違いなく新感線臭の一つですから、勿体なく思っていました。今回久々ハマりキャラで暴れております。この迷路を抜けて、新いのうえ歌舞伎がどのような顔を見せるのかわかりませんが、ドキドキってか、イライラってかファンはみんなまっています。

 頑張ってや!ほんまに!

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高校ライトノベル・不思議の国のアリス・番外編『アリスのアルバイト』

2016-10-23 06:45:25 | 不思議の国のアリス
不思議の国のアリス・番外編
『アリスのアルバイト』
        


――週末にアルバイトせえへん?――

 フランスに留学中の妹、アグネスから妙なメールが、慣れた大阪弁で届いた。
 確かに、この週末は空いている。
――フランスから、バイトの勧誘するかあ?――
 そう返事を送った。
――細かいことは言われへんけど、めったに無いバイト。ハッピー間違いなし!――
 折り返し、返事が返ってきて、イエスかノーか答を迫ってきた。

 ガキンチョのころから、イタズラしあってきた姉妹なので、とりあえず乗ってみることにした。

――ほんなら、金曜の晩11時にお迎えが来るよって、待ってるわな(^o^)!――

 そして、金曜の夜。どうせ駄洒落のようなメールがきてお終いだと思ったので、パソコンの前で、待っていた。
 いつになく、眠気がさしたアリスは、モニターの時間が10:59を指したところで眠ってしまった。

「アリス……アリス……迎えにきたよ」

 密やかだけど、はっきりした声に、アリスはすぐに目覚めた。
 お使いは、可愛いブルネットの女の子で、いわゆる女子用サンタのナリをしていた。顔つきはハリポタのハーマイオニーの初期に似ていて、胸なんかアリスの1/3……は言いすぎだけど、アリスのコンプレックスを刺激しない程度の大きさしかなかった。そして、なにより気に入ったのは、その子が大阪弁でしゃべるところだった。どこからどう見ても日本人なんかじゃないんだけど、アリスに負けないくらいの大阪弁である。
「あ、いま着替えるさかい……」
「なに言うてんのん、あんた、もう用意でけてるよ」
 気づくと、アリスは、いつのまにか、その子と同じ女子用サンタのナリになっていた。
「うわあ、いつの間ぁに?」
「アリスが、その気になってくれたときからや」

 パパもママも眠っているのか、気配がしない。
 通りに出ると、トナカイに繋がれたソリが待っていた。

「ほんなら、行くよ!」
 サンタ娘が声を掛けると、トナカイはゆっくりと夜空にソリをひき始めた。
「アリス、どこ行くねんな?」
 お隣のタナカさんのバアチャンが、声を掛けた。
「ちょっと、アルバイト~!」
「不思議やね、並の人間には、うちらのこと見えへんはずやのに……」
「あの、オバアチャンは……半分魔女みたいなもんやさかい」
「ハハ、東洋の魔女やね」

 次に意識が戻ったのは、妹のアグネスが居るフランスの街の上空だった。街はクリスマスの飾り付けやイルミネーションでいっぱいだった。おかげで、だれにも気づかれずに街一番の教会の裏から地下に入れた。

「いや、ほんま助かるわ。そこのAの3065のベッドで寝てくれるか?」
 サンタクロースから、いきなり言われた。
「あ……寝てて、なにしますのん?」
「寝てるだけ」
「え……?」
 サンタは、質問にも答えず、忙しそうに行ってしまった。
「まあ、とにかく寝てたら分かるよって」
 サンタ娘まで、どこかに行ってしまった。

 気づくと、隣のベッドで妹のアグネスが幸せそうな顔で眠っていた。

「しゃあないなあ……」
 横になると、アリスも直ぐに眠ってしまった。で、分かった……。

 プレゼントは、無限にあった。カタチのあるものだけじゃなく、希望の学校に行けるや、別居しているお母さんと会えるという、カタチにならないものまであった。
 そのプレゼントを仕分けて、発送できるようにするために、優しく人を思う心がエネルギーとして必要なんだ。
 そして、なぜサンタの配送センターがこの街にあるのかも分かった。

 この街は、クレルモン・ヘラン……くれるもん減らん……だから。

 分からない人は、無理に分かろうとしないほうがいいようだ。

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高校ライトノベル・あすかのマンダラ池奮戦記・5『フチスミの依代・1』

2016-10-23 06:29:01 | 小説5
あすかのマンダラ池奮戦記・5
『フチスミの依代・1』
        


 人影は黒髪の女子高生の姿をしていた……。

 女子高生の姿をしたそれは、神の間で通じる独特のあいさつをする。イケスミ、同じあいさつをかえす。あすかたじろぐ。

「トヨアシハラフチスミノミコト?」
「……昔どおりのフチスミでいいわよ」
「フチス……?」
「フチスミさん……わたしの親友。わあ、三百年ぶりだ!」
「あ、さっき鬼岩に名前のあった?」
「その姿は……依代?」
「ええ、わけあって……おいおい話すわ」
「あの……」
「言っとくけど、今の土砂崩れは、わたしのせいじゃないわよ」
「今のは地震でしょ?」
「もともとはね……でも、今のは違う」

 あすか、うろんげにフチスミを見る。 

「そんなに怖い顔で睨まないでくれる。このへんに(自分の額を指す)穴が開きそうよ」
「ごめんなさい……」
「あなた、イケスミさんの依代ね?」
「は、はい」
「名前は?」
「あすか、元宮あすか……です」
「いい名前ね。でも、そんなに固くならなくていいのよ。もっとリラックスして」
「は、はい。あ、あたしはめられちゃったんです。こっちの神さまに……」
 
 イケスミ口にチャックをするしぐさ。

「モゴ、モゴモゴ……」
「イケスミさんに何かされたの?」

 口チャックの魔法を解く。

「(堰を切ったように)元々は自分が悪いんだけど。成績票を池におっことして、そしたら、紙と金の成績票のどっちかって言うから、言うから……あたし正直に紙のほうですって、そしたら六甲おろしに神が宿るとか正直者だとか言って、金の成績票もくれたわけ。それが開いてみればオール零点のサイテー『池に落ちる』と『成績が落ちる』って、オヤジギャグみたいな、へたなキャッチセールスみたく……」
「で、ひっかかっちゃったわけだ。でも、あすかにも下心があったからなんだよ。あわよくば……」
「だって、だって……」
「さっきは、水上バイクでかっ飛ばすとか言って喜んでたじゃん」
「だってだって……」
「性格悪くなったわね、イケスミさん」
「だって、本人の同意がなきゃ、依代にはできないもの。苦労したのよ、狙いをつけて、シナリオ練って、猫まで仕込んで……」
「ま、前から目をつけていたんだ……ストーカーだよ、未成年者略取誘拐罪だよ……イカスミさん」
「イケスミだっつーの!」

 再び軽い地震、先ほどとは違う方角で何かが崩れる音がする。三人、音の方角に顔をむける。

「まただ……」
「いったいここはどこなの、鬼岩こそはそこにあるけれど、ミズホノサトへは、どこをどういけばいいの!?」
「ここがそうよ。ここがわたしたちの土地、オオガミさまの知ろしめすトヨアシハラミズホノサト」
「ここが?」
「この水の底」
「水の底?」
「ええ、伴部、美原、樋差の三ヶ村も、ミズホノウミも、みんなこの途方もない量の水の底に沈んでしまった」
 
 イケスミ、金魚のように口をパクパクさせる。 

「あ……地震で沈んでしまった村ってここなんだ!?」
「なにそれ?」
「ニュースとかで、やってたじゃん、ちょこっと東京も揺れちゃったじゃん何ヶ月か前に」
「イケスミさん、知らなかったの?」
「わたしの池には、ほとんど人が来ない。来れば、その人間の心の中からニュースも読み取ることができるんだけれど」
「そんなに人が来ないの?」
「この程度のオネーチャンとか野良犬、時に酔っぱらい程度はね……」
「このテードってのはないでしょ。だってちゃんと思い出したじゃん」
「……地名もわからないほどおぼろげにね」
「だって、自分とこに被害のない地震なんて忘れちゃうって、ふつー。だって関係ないでしょ、よその地震なんて……言い過ぎた? ごめん、だって、このテードなんてイカスミさん言うんだもん」
「イケスミだっつーの」
「山が両側からドーッと崩れてきてね。あっという間にダムのように川をせきとめて……ここまで水位が上がるのに十日もかからなかった」
「弥生の昔からここにいるけど、こんなことは初めて、この三百年の間に……」
「この六十年ほどよ」
「……戦後?」

 イケスミの心に怖気が走った。マンダラ池と同じではないか……。


※このお話は、もともと戯曲です。実演の動画は下記のURLをコピーして貼り付けて検索してください。

 http://youtu.be/b7_aVzYIZ7I

※戯曲は、下記のアドレスで、どうぞ。

 前半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/.../2bd8f1bd52aa0113d74dd35562492d7d‎

 後半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/5229ae2fb5774ee8842297c52079c1dd‎
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・71『そして父になる』

2016-10-23 06:14:23 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・71
『そして父になる』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


結婚すらしていない俳優が二組の家族を演じ、それを父に成れなかった60男が見ている。

二人の子供がいて、6年前、同じ病院で生まれた。看護婦の悪意で取り違えられ、別人の子供とは知らず育てて来た。
 育てて来た年月をとるのか、血の繋がりをとるのか、究極の選択を迫られる大人達……。
 当然、「自分ならどうするのか?」と、問うてみるけど、結論など出ない。自分がやりそうなのは、無理苦理にでもなし崩しに二家族を一つにしてしまう方法を考える? 全く違う家族が大人同士は互いの異質さに感じる嫌悪を隠しながら、子供に真実を告げる日を先延ばしにする……臆病な自分ならそうするだろうなぁ、今は子供を傷つけたくない、と 言い訳しながら。映画は結論を出していない。
 ある意味、今後、今自分が考えたような関係になって行くのかもしれない。子供の取り違えによって、新たに親戚が増えるようなものである。二組の家族で二人の子供を育てる。血縁に対する我欲(支配欲)を押さえ切れるならば……残念ながら親に成れなかった身には確答が見えない。

 自分にも取れる立場はあるが、それは後にして、まずは映画の話。

 監督の是枝裕和は日常の切り取りが巧い人だ、決して結論を急がない、押し付けない。“誰も知らない(柳楽優弥/カンヌ史上最年少最優秀男優賞)”“歩いても、歩いても”“空気人形(ビニールのダッチワイフに命が宿る)”これらが私の知る監督の全て、いずれの作品もまったく押し付けがましい結論は無い。
 福山雅治は半人前の父親として顕在していた。スター福山雅治はどこにもいない。そして“父”になろうとする、一人の男として実在していた。リリー・フランキーの演じる斎木は、野々宮(福山)より少し年上、強い嫁さん(真木よう子)に支えられて気のいい親父を演じる。父と言うよりは一番デカい子供の雰囲気。野々宮はエリートサラリーマンで、何でも与えてくれそうだが、子供の目からは斎木の方が気楽だろう。
 その意味で斎木も未だ父親になりきってはいない。
 二人の妻は、その点立派に母親である。母性愛はやはり最強の愛情の在りようだと思う。斎木ゆかりは三人の子供を揺るぎなく抱き留めている。野々宮みどり(尾野真千子)は慶太を産んだ後の予後が悪く、その後、子供を持てなくなったが、その分慶太への想いは大きい。夫を深く愛しながらも、慶太に「このまま二人で遠くに行こうか」と語りかける。おそらく、その時慶太が「パパは?」と聞かなければ実行しただろう。
 女性は出産を通して本能的に母親となる(中には、その本能の弱い方もいらっしゃるようですが)。 映画は、その本能的強さの上に「そして“母”になる」行程をも描いている。それは、野々宮の母(事情有り)の姿を通しても語られる。

 えらそうな言い方を許して貰えるならば、人間は毎日を自ら選択しながら生きている……などと思うから傲慢になっていく。しかし、これを“与えられている”ととらえるならば感覚が変わるのじゃないだろうか。  野々宮は選択の繰り返しの中で、常に勝ち上がって来た強者であるが、この究極の選択の前で「選択出来ない自分」を発見したのではないだろうか。
 押し付け、説教のない作品ながら「人は子によって親にしてもらうんだよ」というメッセージだけは、一本の大黒柱として屹立している。親になりそこねた私が言うのはおこがましい限りではありますが……そんな私が、この作品を自分なりに受け止める視点は「子供の視点」です。
 いかに、取り違えられた存在であろうとも、子供にとって両親と暮らした6年は自分にとっての全てです。まったく幼い自我とはいえ、それは両親から与えられ育まれて培ってきたものです。この映画の事情は6歳の子供には100%の理解は不可能です。しかし「今日からお前は、あちらの家の子供だよ」と言われる意味は理解できる。幼い魂にどれだけ深い傷が残るか……こんな残酷な仕打ちもないだろう。
 私にも、ほんの短い間だが、両親と離れて母方の祖母と暮らした時期がある。両親が離婚の際にあり、暫く離れて暮らした。弟と一緒に預けられ、毎日が宙に浮いたような頼りなさの中で過ぎて行った。幸い、両親との日常は取り戻されたが、暫くは親の顔色をうかがい、しかし、決してうかがっていることを知られてはならないという事も解っていた。 だから、外に飛び出すより、静かに本を読んでいる方が落ち着いた。
 年を経るに従い、両親のあり方への理解もついて、今やこの事は傷でも何でもないが、ユングやフロイトに言わせれば「立派にあんたのトラウマだっせ」といわれるんだろうなぁ。
 歳と共に行動範囲は広がり、自分なりの世界を築くようになる。自分を築くのは両親ばかりでななくなり、人は社会的生き物になっていく。しかし、ここに至っても不動なものは“家族”という存在であり、人は「そして“親”になる」のであり、かつまた「そして“子”になる」のである。
 私の家は、映画ほどではないにせよ「野々宮家」に近かったかもしれない。だから二人の子供の内、野々宮慶太の傷により感情移入できる。描かれざる本作の結末に、幸多かれと願うばかりです。私事ばかり書くようですが、映画を見終わっての一番の感慨は、今や亡き両親への感謝でした。

 ありがとう、あなたたちの子供で幸せでした。俺はあなたたちの子供として、少しは幸せを伝える事ができたのでしょうか。

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高校ライトノベル・あすかのマンダラ池奮戦記・4『トヨアシハラミズホノサト』

2016-10-22 06:52:47 | 小説5
あすかのマンダラ池奮戦記・4
『トヨアシハラミズホノサト』
   


 イケスミは、あすかの体を借りて、やっと三百年ぶりの故郷に着いた。

「着いた、着いた……着いたんだ!」
「疲れた 疲れた……疲れたんだってば……」

 バタンと前のめりにへたりこむあすか。

「あ、思わず抜け出しちゃった」
 コントローラーをもてあそびながら、帰還の喜びを隠せないイケスミ。
「もうやだよ、とりついちゃ。もう、クタクタのヘトヘトなんだから……」
「アハハ、もう大丈夫。着いたんだからね、わが故郷へ……!」
「着いた?」
「あの鬼岩をまがって、坂の上にあがると見えるんだ。伴部、美原、樋差(ひさし)の三ヶ村。そして、そして、オオガミ神さまの在(い)ます、ミズホノウミが……」
「海……?」
「湖のことだわよ。小さいんだけど、尊敬と親しみの気持ちをこめて、人々はウミってよぶんだ」
「そうなんだ」

 鬼岩まで風を切り足どり軽く駆け上がり、あすかを招くイケスミ。

「ほら、鬼岩のここ、千年前に親神さまといっしょに土地の鬼どもを封じ込めたときに、記念に残したサインだよ」
「……ウーン、どうも、ただのひびわれにしか見えない」
「アハハ、神さまのサインだからね。真ん中が、トヨアシハラミズホノオオガミさま。左がフチスミノミコト、わたしの親友。そして右がイケスミノミコト……」  
「へえ、これがイカスミさんなんだ。よく見ると、ちょっとイケてんじゃん!」
「……この下の方に……埋もれてしまったんだろうね、他の神さまの名前が彫りこんであるはず……みんな、なつかしいわたしの仲間、わたしの同胞(はらから)……(耳を岩につけて)鬼の気が弱々しくなってる……千年の歳月が鬼を和ませたか、さすがミズホノサト!」 
「ここの神様って、みんな名前の下にスミがつくの?」
「たいていね、神様である証拠」
「でも変だね」
「何が?」
「だって、フチスミとかイカスミとか、今にもタコみたく墨はき出しそうな感じでしょ?」
「失礼ね。友達じゃないんだよ、神様なんだよ、いちおう。それに、いいこと、わたしは、イカスミじゃなくて、イケスミ!」
「え?」
「イ・ケ・ス・ミ! 行くぞ!」

 そう言うと、軽々と坂の上に駆け上がる。ノロノロと後に従うあすか。

「うわー……!」

 目の前の景色に言葉もないイケスミ。それに反し小躍りするあすか。
「すごい、やっぱ海じゃん! けんそんして小さいって言ってたけど、海だよこれは! 霧のせいでむこう岸が見えないせいかもしれないけど……水上バイクで走ったら気持ちいいだろうねえ、この夏、湘南に行きそこねちゃったから、カンドーだよ。この秋はエルニーニョとかなんとかの現象とかで、まだ暖かいからさ、水上バイクとか貸してくれるとこないかな!? 手こぎとか足こぎのボートだっていいんだよ」
「……ちがう。ミズホノウミは、こんなに大きくはない……」
 鬼岩のところへとって返すイケスミ。
「ちょ、ちょっとイカスミ……」
「……たしかにこれは鬼岩、むこうに、笠松山と伴部山……」

 あすかのことなど目に入らぬほどうろたえて、水辺にもどるイケスミ。

「イカスミさん……」
「なんだ、なによ、どうしたってのよ、この一面の水は?」
「だって、三百年もたってんだからさ……」
「変わるのか、こんなにも激しく……ここに立てば、伴部、美原、樋差の三ケ村がミズホノウミを軸に咲く大きな花のように望めた。それが、この一面の水……」
「あの……」
「ちがう。ちがいすぎる。わたしとしたことが、どこか別のとんでもないところに出てきてしまったにちがいない。わたしとしたことが……」
 踵を返して、鳥のように立ち去ろうとする。
「待って、おいてかないで!」

 この瞬間、地面がグラリと揺れる。彼方で何かが崩れる音がする。音は不気味にこだまし、怯えるあすか……。

「これは……」
「あたし、帰る!」
「待ちな、今のはただの地震だ!」

 あすか、聞く耳を持たず、もどろうとする。あすかの目の前に人影が立つ。

「キャー!」

 人影は黒髪の女子高生の姿をしていた……。


※このお話は、もともと戯曲です。実演の動画は下記のURLをコピーして貼り付けて検索してください。

 http://youtu.be/b7_aVzYIZ7I

※戯曲は、下記のアドレスで、どうぞ。

 前半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/.../2bd8f1bd52aa0113d74dd35562492d7d‎

 後半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/5229ae2fb5774ee8842297c52079c1dd‎
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・70『エリジウム』

2016-10-22 06:39:17 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・70
『エリジウム』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している評ですが、もったいないので転載したものです。


ブロムカンプ(第9地区)がまたもややってくれました。

 2154年ラグランジュポイントに直径60㎞/幅3㎞のスペースコロニー“エリジウム”が浮かんでいる。エリジウムとはギリシャ神話のエリシュオン(死後の世界、神々に愛された者だけが住む世界)のラテン読み。ここでは超富裕層のみが生活し、その数、わずかに8000人!
 前作「第9地区」は、南アフリカ映画として、いきなりアカデミーノミネート、「厚かましいくらいに社会的SF」と評された。前作は南アフリカのアパルトヘイトを、人間対宇宙人の構図に移し替えて描かれたが、エビ型宇宙人は労働力とはなりえておらず。本作の地球に住む人間とエリジウム住民の図式において前作で積み残した問題が浮かび上がってくる。
 地球においても社会の隅々までロボットが入り込んでいるので、エリジウムにおけるユニバーサルサービスも究極まで機械化されていると推察出来るが、金持ちばかりが生活しているこのコロニーに生産活動の臭いがしない。恐らく、生活物資は地球からのサポートに拠っているのだろう。
 この点“銃夢”のザレムとクズ鉄町との関係に似ている。“銃夢”はJ・キャメロンが映画化企画中だが、きっと今頃焦っているのではないだろうか。それほど本作の世界の構築と見せ方は見事の一言に尽きる。 本作の出来映えがキャメロンの企画にきっと良い影響を与えるものと思いたい。
 ブロムカンプの手腕の一つは、極力「ブルーバック」に役者を立たせず、セットの中で演じさせる事。CG合成されるロボットはモーションキャプチャーを用いて作られ、それだけリアルが担保されている。 メカとガジェットの表現力が天才的なのは前作で嫌というほど見せつけられたが、本作は更に何段階も上に到達している。こればかりは見て納得していただくしかない。無論、各所に矛盾は有るのだが、細部に神経の行き届いた作り込みが、その矛盾すら押し込んで忘れさせてくれる。
 
 SF小説は、現在の社会問題を未来(あるいは過去に)に移し替えて語る文学だが、それをヴィジュアル化する時には様々な問題があり、一定の方法論が確定していないので、過去多くの失敗作を生んできた。
 ブロムカンプの巨大な構築物を見せながら、細部のリアルに徹底的にこだわる映画作法は間違いなく、一つの模範解答である。
 エリジウムの天井が素通しに開いている設定も見事で、この設定だと、自由にコロニーに出入りできる。巨大コロニーならではの人工重力で大気は漏れない設定になっている。ラリー・ニーブンの“リングワールド”[地球の軌道上に、ぐるりと太陽から等距離のリングコロニーが築かれ、これも天井は素通しになっている。]を思い出した。
 ブロムカンプの見事さの更なる一点は暴力は只々 暴力に過ぎず、そこに説教臭い注釈が無い事。手段としてのヴァオレンスを際立たせる事でキャラクター達の目的と行動をクローズアップしていく。その際の武器のセレクトと威力設定にも妥協が無く、すなわち、嘘が無い。
 エリジウムへの侵入を目指すシャトルへの攻撃兵器が提示されない事と、有ったとしても、使用出来ない事情があるらしく、それに対する説明が漏れていて、この点不満が残るのだが、大して気にはならない(でもないが、これを受け入れないと後の話に入っていけなくなる)
 冒頭に現れる矛盾なので、ここを乗り切るか否かで本作の評価が変わるかもしれない。私は取り敢えずスルーして、後の世界構築の見事さと引き換えに無視しました。
 本作の幕切れにも賛否があると思います。主人公の選択が果たして地上の“デストピア”を解消する事に成るのか、という疑問で、これまでの数ある駄作に見られる失敗は「神の御心」に逃げ込むことです。本作でも主人公の少年時代に、シスターからメッセージを受け取るシーンが有って、神に導かれた自己犠牲とも読み取れますが、そんな個人の思い入れより、大きな問題が提示されるので、宗教色は隠れています。
 ブロムカンプは間違いなくクリスチャンでしょうから、「神の導き」が心の底にあるのは確実です。しかし、その事を必要以上強調せず、最低限に抑える作法で本作を よりグローバルな作品に押し上げているのです。
 いやいや、少々語り過ぎですねぇ。もうやめにします。予告を見る限りにおいては、「第9地区」と同じような映像に見えたのですが、百聞は一見にしかず、どうか この見事なSF世界を堪能して下さい。勿論、ブロムカンプの社会性も遺憾なく発揮されており、その点も堪能出来ます。殊に、地球上の管理ロボットの人間臭さ(???)は爆笑(?)物であります。持つと持たざるが人間性をどれだけ歪めるか……あます所無く描かれています。
 本作もやっぱり「厚かましいくらい社会的SF」なのであります。
 ご免なさい、もう一つ。人間が外宇宙にでたり、そこまで行かずとも火星や月に移住するのは、地球がこれ以上の人口を抱えきれないという問題から発していて、スペースコロニーもこの発想の一部です。しかし、宇宙空間に巨大構築物を浮かべたり、他の惑星を改造(テラフォーミング)する力が有るならば、砂漠の緑化や海中都市建造の方がより現実的です。この点、昔からSF世界でも両派入り乱れて大喧嘩中、見終わってそんな事を考えてみるのも面白いもんですよ。〓

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高校ライトノベル・あすかのマンダラ池奮戦記・3『さらばマンダラ池!』

2016-10-21 06:09:31 | 小説5
あすかのマンダラ池奮戦記・3
『さらばマンダラ池!』



 機転を利かして手に入れたつもりで金の成績表を開くあすか。

「ヌフ、ヌフフフ……フハハハ……やった! やったぜ金の成績! さぞや百点満点のオンパレード、オール五の花ざかり……な、なんじゃこりゃ!? オール零点、オール赤字の落第点……ちょ、ちょっと神さま! 池の神さま!」

 池の神、再びあらわれる。

「はあいただいま……何かご不審な点でも?」
「ご不審、ご不審、大フシン! どういうことよ!?」
「そういうことよ。言っとくけどクーリングオフはなしよ! それから、神様見送る時は、あなかしこ、あなかしこって言うのが礼儀だからね、おぼえときな! あなかしこ……」
「かしこくなんかなってないって! どうして金の成績票が、オール赤字の零点なのよ!?」
「バカだね。だって落ちた成績でしょ。その金賞だから、一番落ちたオール零点の成績なわけさ」
「そんな……」
「あすか、あんた変なこと考えていたでしょう?」
「で、でもさ、神さまがさ、仮にも神さまがさ。池に落ちると、成績が落ちるをひっかけちゃって、そんなおやじギャグみたいなサギやっていいわけ?」
「ちょっとまわりの景色を見てくれる……」
「まわり……?」

 見渡すかぎり都会の片隅にお気去られたようなドブ臭い池と荒れ果てた草むらが広がっている。

「……きったねえ池!」
「でしょ。みんな人が汚しちゃったのよ、この万代池」
「マンダイ池……マンダラ池じゃないの?」
「人が汚してからマンダラになっちゃったのよ……もともとここは、江戸時代に、このあたりのお百姓たちが切り開いたため池。田畑を潤してくれるようにと……」
「それで万台池か……」
「その時、あたしは、池の守り神として西の国から、ここに招かれた。以来三百年、陰になり日向になって、この池とまわりの人々を護ってあげて……明日、この池は埋め立てられる」
「そうなんだ……」
「で、あたしは帰ることにした」
「ひっこし?」
「やってらんないでしょ、ウンつきの靴洗われて……」

 横目で睨みつけるイケスミ。

「ごめんなさい……」
「汚されまくって、穢されまくって、ゴミほりまくられて……あげくに明日埋め立てられんの」
「…………」
「ね、だから帰んの、故郷へ。西の国、オオガミさまのもとへ……」
「オオガミさま?」
「トヨアシハラミズホノオオガミさま……そこで、相談。あたしを、親神さまのところへ連れて行ってもらいたい」
「自分で帰ればア」

 迷惑そうに、横目を返すあすか。

「神には依代がいる」
「ヨリシロ?」
「ふつうには御神体という、社の奥に祭られている玉とか鏡とか……わたしにはもうそれがない……オオガミさまのもとまで、わたしの依代になってはくれないかしら?」
「あたしが?」
「そのかわり、本当に成績はよくなるようにしてあげる。あすかにのりうつり、その体と脳みそをビシバシ鍛えてあげよう」
「余計なお世話だ」
「いやか?」
「やだ!」
「じゃ、オール赤字の成績に甘んじることね……偏差値もう二十も上げれば、真田コーチと同じ吾妻大うけて、かわいい後輩になれんのにねえ……」         
「そんな……まるでサギのキャッチセールス」
「池の神さまだけに、ハメちゃったってか?」
「しゃれてる場合か!?」
「さ~て、どうする?」
「……あたし、行き方なんて知らないし……」
「大丈夫。あすかは、その体貸してくれるだけでオーケー。いわばハードだね。ソフトがあたし」
「あたしはゲーム機か?」
「ほら、わかりやすくメモリーカードにしておいた。こいつを口にくわえて、このコントローラーで……」
「ちょっと待った!」
「まだなにかア……?」
「ほかにもいっぱいいるでしょ、この池のそばを通る人って、それに、今からじゃ無断外泊に……」
「やってんじゃない、月に一二度。知ってんのよね、親がブチギレル限界を……今月、まだやってないのよね、たしか?」
「どうしてそこまで知ってんの!?」
「見そこなっちゃあ困るな。神さまだよ一応……それになにより、あたしのソフトは、あすかのハードでなきゃ合わないの。エックスボックスのソフトは、プレステじゃかからないでしょ。ほら口にくわえる!」
「ついたら、すぐに帰してくれるんでしょうねえ?」
「もちろんよ。あすかの脳細胞もピカピカにしてね。さ、口にくわえるんだよ!」
「モゴモゴ……」
「さあ、いくよ。ミッションスタート!」

 閃光と電子音あって、一瞬闇。明るくなると、あすかにのりうつったイケスミ、手にコントローラー、その先の端子は背中についている。
   
「ヌハハハ……冴えわたる頭脳! みなぎる力! これなら故郷に帰ることができる。誰に省みられることもなく、ゴミだめのように埋め立てられる万代池。それを恩知らずな人間どもとともに振り捨てて!……わが故郷、わがオオガミさまの在(い)ますトヨアシハラミズホノサトへ……あれ、手と足がいっしょに出る!? R1ボタン……あれ、くるくる回っちゃう。L2ボタンは左……△ジャンプ……□でしゃがむ……走るはどれだ?……×で駆け足足踏み、方向キーといっしょで……オー! やったァ全力疾走!」

 あすかの体を借りて三百年ぶりに、マンダラ……万代池を抜け出すイケスミであった。



※このお話は、もともと戯曲です。実演の動画は下記のURLをコピーして貼り付けて検索してください。

 http://youtu.be/b7_aVzYIZ7I

※戯曲は、下記のアドレスで、どうぞ。

 前半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/.../2bd8f1bd52aa0113d74dd35562492d7d‎

 後半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/e/5229ae2fb5774ee8842297c52079c1dd‎
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・69『怪盗グルーのミニオン危機一発』

2016-10-21 05:53:56 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・69
『怪盗グルーのミニオン危機一発』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に、身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


もっとミニオンだらけのスピンオフ的作品かと思いきや、前作と同じく、グルーと三人の子供達が家庭を作れるかがメインテーマ。

 ミニオンのスピンオフは来年公開されるとか! そこでグルーは、子ども達の為に悪党をやめ、まっとうな事業家を目指す。三人の子供を見る目は父親そのもの……いや、べつに文句はないけど、やはりグルーは悪党が似合っている。カイル(グルーの正体不明のペット)が前庭で小便をしかけた時、さっと持ち上げて隣家の庭に降ろす。この時の表情こそがグルーの正体に他ならない。並んで待つのが嫌いで、人の遊びを邪魔する子悪党じみたオッサンが、月を盗むなんてな悪事を企む、それを多くのミニオン(“手下”っちゅう意味です)達がサポートする。こいつら間抜けなのに、何をやらせてもかなりな精度でやりとげる。 だから、メインテーマに添って グルーの悪巧みがないと締まらない。

 ところが、本作は第一作以上のヒット、並み居るピクサー作品を凌駕してしまった。これは日本人には少々分かり難い、ましてや吹き替えを見ていると尚更解らない。その原動力は“クロスカルチャー”にある。製作陣の顔ぶれだけでもアメリカとフランスのカップリングだし、BBCのモンティパイソンのテイスト、ルーシーの車が潜水艦に変化するシーンは007のロータスエスプリそのものだし、日本のカルチャーともコラボ、アメリカ国内で日々増え続けるヒスパニックにも目を配ってある。ミニオンの喋る言葉(こいつばかりは原音のまま)もデタラメながら前作よりもヴァラエティに富んでいる。鶴瓶のグルーにも慣れたし、芦田愛美のアグネスは絶品なのだけど……やっぱり字幕スーパーの原音版でなければ伝わらない物がある。一日一回でいいから原音版を上映してくれい!

 今作、映像的にも格段の進歩があり、ムービーアトラクションの意味合いが上がっている。初めて3Dを見ても良いんじゃないかという気になった……とは言え、そうなるとグルーとルーシーの恋愛部分(結構多い)では効果が出ないし、だからやっぱりグルーはとんでもない悪事を企んでいる方が良いのであります。
 ストーリー構成のリアルさに鑑み、どうしても説明口調に成らざる得ない必要が有る。その部分が多少中弛みを生んでいるのも否めない。そうなると笑いのサイクルが断ち切られて大爆笑につながらなくなる。
 まぁ、神経細やかに丁寧に作り上げられているのは確かなので大人の鑑賞にも充分耐える、大爆笑は来年のスピンオフに期待するとしましょう。
 しかし、今頃、ピクサーの製作陣は戦々恐々としてるんでしょうねぇ。数週間前公開のモンスターズUNVは大成功ながら、もし本作と同時公開していたらピクサー始まって以来、初めて公開第一週二位スタートになっているところ。日本公開は来月ですが“カーズ”の飛行機版“プレーンズ”が思わぬ大苦戦、来年のミニオンスピンオフの後塵を拝する事態に成ったりしたら株価はおちるわ、資金は集まらんわで、それこそ危機一発っつなもんです。

 さて、ピクサーの起死回生はあるのか?

 そうそう、グルーの吹き替え版には日本語文字は登場しませんでした。これは慧眼であります。だから、余計に、字幕スーパーを見せてくれい~~!!!

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高校ライトノベル・あすかのマンダラ池奮戦記・2『金の成績表』

2016-10-20 06:12:29 | 小説5
あすかのマンダラ池奮戦記・2
『金の成績表』




「ところで、あすかちゃん……」

 と、神さまが馴れ馴れしく、静もる池を背に、近所のオバサンのように語りかけてくる。

「あたしのこと知ってるの?」
「神さまだよ、あたし。もうこの池に三百年も住んでる」
「三百年……神さま?」
「トヨアシハライケスミノミコトと申すのよ……オッホン」
「ト、トヨアシ……」
「イケスミ……イケスミさんでいいわよ。ところであすか……落し物したでしょ?」
「え、はい……」
「成績票」
「拾ってくれたんですか!?」
「はい、あすかが落とした成績票……」

 イケスミはマジックのように二つの成績票を空中から出した!

「それ……?」
「金の成績票と、紙の成績票と、どっちがあすかさんのかしらぁ?」
「……これって、昔話にあったよね。正直に言ったら金の方までもらえるって……フフフ、やっぱ猫の恩返しか!?」

 あすかは、一瞬で善良無垢な女子高生の表情を作った。

「さあ、どっち。どっちがあすかちゃんの成績票?」
「はい、もちろん紙の方です! そのコーヒーのしみがついているのが何よりの証拠。紙の方があたしの成績票です!」
「う~ん、素敵に正直な目の輝き。はいどうぞ。まちがいないわね」
「……英数国が欠点、物理と化学がおなさけの四十点。まちがいありません、あたしの成績票です!」
「それはよかった。あなたって、正直者ね」
「いえ、それほどでも……」

 騙しているつもりだが、正直に照れる。あたりはアヤカシ色に黄昏れているのにも気づかぬあすか。

「『正直者の頭(こうべ)に神宿る』って、昔からいうのよ」
「神戸? ひょっとして神さま阪神ファン? 阪神の神って神さまの神だもんね。どうしよう、わたしって巨人ファンだよ……」
「バカ、頭のことだわよ。神さまは正直者が大好きって意味」
「それって、正直者をおたすけになるってことなんですよね!?」
「まあね……」
「ウフフ……やっぱ恩返し!」
「……ん?」
「いえ、なんでも……」
「というわけで、その正直さを愛(め)で、特別にこの金の成績票もさずけましょう」
「やったあ!……いえ、こっちのことです。ありがとうございます!」
「それでは、これからも、神をあがめ、自然をいつくしみ正直に生きますように」
「はは!」

 あすかは、神の威に打たれたようにひれ伏す。

「ヌフフ……」
「え……?」
「いえ、なんでも……めでたしめでたし……」
「めでたしめでたし……」

 池の中に消える神さま。この後の展開を気ほどにも気づかず、神妙にひれふすあすかであった。



※このお話は、もともと戯曲です。実演の動画は下記のURLをコピーして貼り付けて検索してください。

 http://youtu.be/b7_aVzYIZ7I

※戯曲は、下記のアドレスで、どうぞ。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・68『エヴァリン・許されざる者』

2016-10-20 05:52:09 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・68
『エヴァリン・許されざる者』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


ウルヴァリン

 まぁ~無邪気に作ってありますわ。これの原作は聞く所によると、ウルヴァリンが日本にやってきたのはエグゼビア達と知り合う前で、日本でであったマリコと結婚し、マリコは死んでしまう……というストーリー。映画はX-MEN ファイナルの後の設定で、ジーンを自ら殺してしまったトラウマに苦しんでいる。
 このシリーズ、基本 戦う相手は同じミュータントなんですが、今回は粗方が普通の人間。だからウルヴァリンの身体に異常を持たせたり、相手が剣の達人に忍者だったりと苦労しとります。新幹線の屋根の上で戦うヤクザが「あんた、まさかなスーパーマン?」的強さだったのは笑いましたけどね。ヤクザってば、葬式でマリコをさらおうとするヤクザ達が、変装していた僧服を脱いでモンモン剥き出しで走り回るのには、笑うの忘れて呆れけえりましたけどね。
 ただ、日本に対するイメージは、まだまだ混乱しているんだろうなぁってのが画面の端々から見えて来ます。日本は映画撮影に対して規制が多く、妥協しながら撮影するからどうしてもこうなっちゃうんでしょう。世界に理解されたいなら、関係省庁は真剣に考えた方がよろしいでっせ。
 本作は、ほんまにゴチャゴチャ言わんと、日本が舞台のアメコミを読んでるつもりで無心に見ましょう。 そうです! この日本は私たちの日本では有馬線!パラレル日本のお話です。信じなさい!信じる者は救われるのでありますぞ。
 所で、日本人ヒロインがなんで二人ともモデルさんなんですかねぇ。いや、頑張ってはるんですけどね(殊にアクション)、アメリカのスレッドでは、えらく褒められているらしいんですが……ドラマのリアルを担保できていない。そんなもん、当たり前なので彼女たちを責める気にはならんのですが、キャスティング担当は何を考えていたんでしょうか?
 もっとビックリしたのが、ウルヴァリンとマリコのラブシーンは追加されたんだとか……始めの企画では何を作るつもりだったんでしょうねぇ??????


許されざる者

C・イーストウッドの名作ウェスタンを同時代(1880年)の北海道に舞台を移してリメイクした。イーストウッドは、この作品でアカデミー 作品/監督/助演男優/編集賞を始め、各賞を総ナメにしている。
 ストーリーは原作映画をなぞって展開するのだが、全く違う映画のように見えた。銃も使うが、基本刀での闘い……その分、人の生き死にの距離感が近い。
 李相日監督は「悪人」と本作しか見ていない(他に「フラガール」)のだが、「痛い」作品を作る人ですねぇ。「悪人」は、殺人犯が主人公で、本来 こいつが一番悪い人なわけですが、「そうなの?もっと悪い奴はいないのかい?」という構造でした。本作も、女郎の顔を切り裂いた奴/それを殺しに来る奴ら/法執行官でありながら、法より自分の感覚を優先する奴……登場するキャラクター総てが“許されざる者”……それは人間存在の内面をさらし出せば、皆 それぞれに“許されざる内面”を持っているとの告発であって、これは原作映画とも共通している。
 イーストウッドは原作を撮影しながら「こんな暗い映画を誰が見るんだ」と自問しながら撮ったと語っている。しかし、原作を見ていて そこまでの暗さは感じなかった。それは当時のアメリカが「自警国家」であり、「法秩序の支配下にある」とは とても言えない状況であった所から、全員「許されざる者」であるとはいえ、その罪には微妙な軽重があり。娼婦の苦しみ、賞金稼ぎの主人公の正義がわずかながらも勝って見える。粗方が死んでしまった後、生き残った人々が「それでも前向きに生きて行くのさ」というメッセージが読み取れる所からも、そんなに暗いイメージはなかった。“暗さ”というよりは賞金稼ぎ(イーストウッド)と保安官(ハックマン)の、内に秘めた「虚無対虚無」という構図の方が恐ろしく見えた。
 この意味で、本作の方が「全員 許されざる者」という構図はクローズアップされている。これは日本が江戸時代以降、ずっと法治国家であったからで(現在の法秩序感覚からして如何に歪であろうとも)、その“法秩序”が届き切っていない北海道が舞台であるという所に、原作より恐怖がある。
 原作をご存知の向きには、原作世界に「地獄の黙示録」のカーツ帝国を重ね、そこに 昭和残侠伝の人切り秀次的“謙さん”が殴り込みをかける……うん、そんな感じで見ていただけると分かり易くなります。
 アメリカが南北戦争終焉、リンカーン暗殺と近代の誕生の苦しみにあった時期、日本も徳川から薩長への交代 時期の混乱状態、いずれも混沌の中にあった。とは言え、原作登場人物の抱えていた虚無よりも、本作に現れる一人一人の虚無感の方が、よりリアルに近く感知できると思う。
 決して安易なリメイク作品ではない、日本人のための“許されざる者”である。  
 渡辺謙/佐藤浩市/江本明/柳楽優弥の絡みは絶品、原作でE・ハリスの演じた役どころを演じる國村隼も迫力がある。
 炎上する娼館(ほんとにセットを燃やしたんだと思う)の前を馬に乗った男が去って行くシーンに有無をいわせぬ圧力がある。カタルシスでも迫力でもない。前述の賞金稼ぎと保安官の虚無の対決は本作では後退しているが、それ以上に主人公/釜田十兵衛の虚無と悲しみがクローズアップされる。それだけに原作ラストにあった僅かな救いが本作にはない。これは辛い幕切れではあるが、映画の描き方の文法からすると、映っていない部分で……本作には、原作に該当しない部分がある。現場に向かう三人があるアイヌの村で 屯田兵の暴力を目撃するシーンがそれ。李監督がアイヌの歴史を調べた結果 挿入したシーンなのだが、在日半島人を重ね合わせたのだと思う。子供を別にすれば唯一“責められざる人々”……しかし、力を持たぬが罪との告発もある。
 どこを切り取っても一筋縄ではいかない作品です。本作をご覧になるに際して、敢えて原作映画を見る必要はないと申し添えておきます。どうか、真っ正面から受け止めて下さい。

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高校ライトノベル・あすかのマンダラ池奮戦記・1『運命の出会い』

2016-10-19 07:01:28 | 小説5
あすかのマンダラ池奮戦記・1
『運命の出会い』



 横断歩道の真ん中で、白ネコが立ちすくんでいた。

「ヤバイ、あいつ……信号変わっちゃうよ!」
 呟いた時に、あすかの体は動いていた。
 ラクロスのスティックを構えグロス(網の部分)で、ネコをすくい上げると、際どいところで横断歩道を渡り終えた。背後では、車のクラクションと発車音。通行人のドヨメキがして、スティックは無惨にも歩道の手すりにぶち当たりグロスがへしゃげてしまった。

――いい運動神経だ、あすか。付いてきな――

「え…………」
――どこ見てる、こっちだよ――
 植え込みの向こうにネコ。
「ネコが喋った……」
 で、あすかは壊れたスティック片手にネコを追いかけることになってしまった。

 通称まんだら池のほとり。ドタバタとネコが走り、あすかが追いかける。背中のリュックが、生き物のように揺れている。一度は捕まえそうになったが、頬に無念のひっかき傷。

「こら! まて! この恩知らずネコ! 逃げ足の早い奴だ。助けてもらっといて、ひっかいてくことはないだろ、イテテ……命の恩人だぞ、あたしは」

 よどんだ池の水面に自分の姿が映っている。

「あーあ顔に二本も赤線……赤は成績だけで十分だっつうの。アニメだったら、ここからドラマが始まるとこだよ『なんとかの恩返し』とかなんとかさ(壊れたスティックを見て)高かったんだぞ……もともと出来心で入ったクラブだけどさ……イケ面の真田コーチも辞めちまうし……ラクロスなんて場合じゃないのよねえ(成績票を見る)……ああ、英・数・国の欠点三姉妹! あわせて物理と化学も四十点のかつかつじゃん!?……もう終わっちゃったよ、あたしの人生……こりゃ、お母さん思うつぼの轟塾かあ……やだよ、あそこ。成績はのびるけど、変態ボーズの宗教団体系ってうわさだよ。冬なんか褌一丁の坊主といっしょに座禅とかで、偏差値の前に変態値が上がってるっつーの!」

 うしろに手をつき、足を投げ出し、空を見上げると、あすかの心のような雲が広がってきた。

「……雨、ザーッと降ればいいのに。壊れたシャワーみたいにさ。そしたら、そのシャワーで溶けて、流れて……ウジウジ悩んだり、あせったりしなくて……そんなふうに思って雨に打たれたら、ドラマのヒロインみたい……冬のソナタ……秋のヌレタ……濡れた女子高生……なんかやらしい……だめだ(降らない)変なことばっかり言ってるから、猫も雨も、みんなあたしを見かぎる……ん……うそ!?」

 いつの間にか成績票が池に落ちて、浮き沈みしている。あすかは池に落ちた成績票を壊れたスティックで、たぐりよせようとするが、あせってかきまわすばかり。とうとう池に沈んでしまった。

「あっちゃー……って、おっさんか、あたしって。コーヒーのしみつけただけでネチネチ三十分。なくしたなんて言ったら、どれだけ嫌み言われて、しぼられることか。『通知票を粗末にする奴は、二学期に絶対欠点!』……とっちゃったもんなあ……『池に落としてなくしちゃいました』『じゃ、あすかも消えて無くなればァ……』うかぶよ、担任のおっさんの顔が……秋深し……って言っても例年にないこの暖かさ。くよくよしても仕方ないか……よし、走って帰るぞ!……って、空元気つけてどうすんだよ……ウ!……ウンコ踏んじゃった」

 運に見放されウンコを踏んだあすか。雑草やティッシュで、ウンコを拭き取り、ぶつぶつ言いながら、池の水で靴を洗う。
 どこからかアヤカシの音がし、目の前の池の中から、イケスミ(池の神)が現れた。

「……ワッ?!」
「こんにちは……」

 イケスミは関取のようにたくましく。大阪のタイガースファンのオバチャンのように無邪気な光りものに輝き、チェシャ猫のように油断のならない笑みを浮かべている。

「オ、オド、オド……」
「そんなにオドオドすることないからね」
「オドロイてんの! 急に池の中からあらわれるんだもん!」
「ヌハハハ……!」
「やっぱ、気持ちわるーい……」
「ここは、あたしの家なんだからね! そして、あんたがしゃがんでんのが、そのあたしの家の玄関先……ほら、そこに鳥居の跡があるでしょうが?」

 見ると、目の前に切り株のようなものがある。

「……これ?」
「昔は、お社(やしろ)とかもあったんだけどね……」
「……ごめんなさい、靴洗っちゃった……ウンコつきの……怒ってる?」
「まあな。でも、いちいち怒ってたらきりがない……」
「ほんとにごめんなさい」

 イケスミの細く鋭い目にタジタジになり、あすかは、居ずまいを正して頭を下げた。

「おっと、手の先十センチ、おっさんがもどしたヘド!」
「ワッ!」
「……気をつけな」
「は、はい」
「ところで、あすか……」
「あたしのこと知ってるの?」
「神さまだよ、あたし。もうこの池に三百年も住んでる」
「三百年……神さま!?」

 あすかとイケスミの『運命の出会い』であった……。



 ※このお話は、もともと戯曲です。実演の動画は下記のURLをコピーして貼り付けて検索してください。

 http://youtu.be/b7_aVzYIZ7I

 ※戯曲は、下記のアドレスで、どうぞ。

 前半: blog.goo.ne.jp/ryonryon_001/.../2bd8f1bd52aa0113d74dd35562492d7d‎

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・67『号外・日本公開ランキング』

2016-10-19 06:28:55 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・67
『号外・日本公開ランキング』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 悪友の映画評論家・滝川浩一が送ってきた、直近のランキングです。


日本公開ランキング 9/7~8

①風立ちぬ

 なんと8週連続一位! 既に100億円目前、今週は前週末比114%。監督の引退宣言効果やね。
 なんぼなんでも来週は落ちると思うが、果たして何位になるのか、来週は「ウルヴァリン」「許されざる者」「アタル」が公開。

②キャプテンハーロック

 ……とは言え、578館で公開(これは相当多い)され、3Dもあったのに、観客9万人 1億3千万……製作費30億弱らしいので……どないすんのよ……既に70ヶ国以上輸出オファーが有るらしいので、何とかなるんかな?

マン オブ スティール

公開2週目3位とはいえ、ハーロックに負けとるってことは、動員9万人以下。前週末21万人だから、ちょっと落ちすぎ。日本じゃスーパーマンは今一人気なんだよなぁ~、もったいなさすぎ!

あの日見た 花の名前を僕たちは知らない

 アニメシリーズの劇場版なのですが、先週3位 16万人、スーパーマンに5万人負けとるんですが……ちょっと待った、敵は510館、こちらは64館(!!!)これが どんだけスゲエ事だかお分かりでしょうか? 以下はもうほとんど事実上ランキングの意味なし。動員3万人以下だが、まぁちょいと、それなりに記録的なものもあるので……。

⑤貞子3D Ⅱ 2週目

⑥謎解きはディナーの後で6週目 累計260万人 30億円超。やるもんや。

⑦モンスターズ UNV 10週目 8週目で既に80億円超ですから、そろそろ90に手が届く?

⑧スタートレック 3週目

⑨少年H 5週目

⑩ホワイトハウス ダウン 4週目

 てなわけで、

“風立ちぬ”の一人勝ち状態、来週はヤバそうとは言え、動員30万人行けば またもや一位の可能性有り。げに恐ろしきは宮崎駿の神通力でござる。さて、ほんまに来週はどないなりまんにゃろか?
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・66『マン・オブ・スティール』

2016-10-18 06:56:03 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・66
『マン・オブ・スティール』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が、個人的に仲間内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


 製作/C・ノーラン、監督/Z(300) スナイダーは、やはり とんでもない“スーパーマン”を作り上げてしまった。
 
 もしかすると、賛否 四分五裂するかもしれない。

“スーパーマン”の初出は1938年、それから75年間に渡り、途切れる事無く新作が発表され続け、様々な“スーパーマン”が描かれて来た。

 ある時は、足下で水爆が破裂しても平気であり、その飛行速度は光速を超え、時間の壁を破る。如何なる理屈か次元の枠さえ凌駕してパラレルワールドにすら到達する(本作に登場のゾッドはこのエピソードで別次元の地球を破壊している)。人類にしてみれば、それは“GOD”のパワーであり、だから次のシリーズでは、彼の能力は大幅に減殺されたりもした。
 いかな漫画読みの私とはいえ全作品に触れてはいないが。各時代のエポックになるような物は読んでいるつもり……なんですがぁ。
 子供の頃にやっていたテレビドラマを皮切りに、再度の映画化、スーパーマンの地球到着からメトロポリスに出てくるまでを描いたドラマ、新旧数多のアニメーション~この辺りは割とコンプリートしていると思います。
 DCコミックのヒーロー達は、あるいは自らのアイデンティティ、またはレーゾンデートル。自分の超越性、他者とのエネルギーギャップに懊悩する者が多く、そのあたりが“マーベル系ヒーロー”の脳天気と一線を画しています(後年、マーベルヒーローも悩み始めますけど)。
 本作のクラーク・ケント/カル・エル(カルもエルも、ある種の“GOD”を指す言葉)は存在に多重の意味が託されており、その数だけ彼のアイデンティティは切り裂かれている。
 スーパーヒーローの草分けですから、その悩みも超絶規模って訳です。敵役ゾッド将軍にしても、何もかも相対化する現代の悪役に相応しく、その存在と行動原理には正当性が有ります。内面が引き裂かれたヒーローと使命感に凝り固まった敵役の決闘の果てに、勝者であるカル・エルが上げる悲鳴には、高揚など一切無く、深い悲しみが込められている。

 本作143分の中に、一体幾つのスーパーマン設定が込められているか……途中まで勘定していましたが、訳が解らなくなってしまいました。後、1~2回見ないと整理できません。製作陣は、その会議上で納得いく設定になったのでしょうが、映画初見の人間には複雑に成りすぎて飲み込みにくい側面があります。
 C・ノーランの旧作のいずれもが、なかなか一筋縄には行かない設定になっていますが、その複雑さは、登場人物の関係性に現れるので、人物相関に留意していると世界観が見えてくるのですが。本作の複雑さの大半は、殆どスーパーマンの内面に起因するので、極論するとカル・エルが、同じシーンながら二人や三人に分裂してしまいます。
 スーパーマンが抱える自己矛盾が作品そのものの矛盾に繋がるようにも見えてしまうのは、そのせいなんでしょう。 だから、スーパーマンとゾッド達の戦いにしても、そのエネルギー衝突によるカタルシス以前に「あ~あ、こんなビル街で傍迷惑な乱闘しとるなぁ」なんてな“ハンコック”みたいな感想が先に立ちます。
 映像が良く出来ていて、スピード感もエネルギー感も十二分以上に伝わって来ますから、ここに乗り遅れるとスペクタクルを満喫する前に余計な感慨にくるまれてしまいます。
 徐々にスーパーマンの潜在能力が発揮され、最終的には地球を改造しょうとするエネルギーにすら打ち勝ちます。その彼と互角以上の戦いを繰り広げるゾッドもそれなりのエネルギーのはずで、そんな二人が組み合ったら、その足元から地球なんか真っ二つに割れるんじゃないんですかねぇ。
 さて、なんだか否定的な感想に見えるんですが、さにあらず。過去に見た“スーパーマン映画”の中では最高傑作だと言えます。 ただ、一見しただけで、映画の総てを即座に飲み込めないのが口惜しいのであります。
 超絶世界のお話は、なぁ~んも考えずに見通す事が肝要なのですが、なにせ、人間クラーク・ケントの苦悩があっちこっちに出てくるので……しかもリアルに表現されるので、SFを見ている視点が各所ではずされます。これって、やっぱり製作意図なんでしょうねぇ。
 旧作群との違いは、まだ他にもあって、スーパーマンの正体の明かされ方が独特であり、それに絡んで、デイリープラネット記者のロイス・レインとカル・エルの関係も今までとは全く違っています。
 大体が、今までの“スーパーマン”シリーズで何がイラつくかってぇと、お間抜けクラークと全然 敏腕記者に見えないロイス(今回、ジミー・オルセンは登場しません)の関係ほどイラつく設定は無かったんですが、本作のエイミー・アダムスのロイス・レインは最高でおました。
 今作、エイミーを筆頭に、R・クロウ/K・コスナー/D・レイン/L・フィッシュバーン……なんてな人々がリアルに存在していました。殊に、特筆すべきは、ゾッドを演じたM・シャノンで、この人無しに本作の成功は語れません。
 ちょっと、考え過ぎて十全に楽しめたとはいえないので、また、見落としが相当有りそうなので、なんとか時間を作ってもう一回見たいと思っています。どうもディスクの発売まで待てそうに有馬線。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・65『スタートレック イントゥダークネス』

2016-10-17 05:36:27 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・65
『スタートレック イントゥダークネス』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


さぁ~って、どないしましょっかねぇ……えっと、これを読む人はみんなトレッキスト(トロツキストではないので、殊にサヨクの皆様 誤解の無いように)だとして書くことにします。

 トレッキストと申しましても、初期のカーク船長、Mr.スポックの時代のファン。ピカード以降のシリーズは取り敢えず関係おへん。そんな ふっるいシリーズなんか知るかい!って人は……大丈夫! そのまんま受け入れて下さい。面白いのは保証、もし映画の中で誰かが命懸けの行動に出たとしたら、その動機は純粋です! 手放しで感動しちゃって下さいませ。

 さて、トレッキストの皆様は……取り敢えず本作に関する配給会社のスポットCMやら映画チラシに書かれているコピーは全部捨てて下さい。邪魔なだけです。ほんでもって、いにしえのシリーズを思い出していただきたい。古いディスクがあれば見ておく事をお薦めいたします。全部を見る必要は無いんですが、どこまで……と、指定するとネタバレするんで申しません。
 感のいい人なら、本作に何気なく出てくる数字を聞いただけで相当部分解ります。
 クリス・パインのカーク船長も板についてきました。Mr.スポックとの友情も前作ではまだまだ心もとなかったのですが、本作でガッチリかみ合います。
 トレッキストとしての肝は、今作の敵役「ハリソン君」が、自ら正体を明かす前にどこで見破れるか。エラリー・クインじゃありませんが、「さて、証拠は全て出揃った」って奴です。監督は明らかにマニアに向かって挑戦状を突きつけていますよ。
 前作のなぞりも多数有り、ニヤニヤしながら見とりました。本作を見ていて判らないのは、対クリンゴン戦争が、どこで始まったのかって事で……この辺をネタにもう一本くらいは作れそうであります。
 兎に角、思わず頬が緩むくらい“スタ・トレ ワールド”です。正確な科学的理屈や設定のアンバランスもそのまんま。おっと、そういや一カ所だけ、過去のシリーズには無くって、本作で初めて出てくる装備設定が有りました。思わず大笑いしてしまう所……いやぁヤバかった。まぁ、今回のシリーズは前作を持って、未来と繋がってはいるものの微妙に異なったパラレルワールドに入っているので、こんなのも有りかなぁ…と、さらにニヤニヤ。トレッキストなら、こんな楽しみ方もご理解いただけると思います。
 さて、そろそろやめんといらん事まで書いてしまいそうですUSSエンタープライズ隊員達の若き時代を存分にお楽しみ下さい。
 ところで、本作、来週行く予定やったんですが、急遽 先行ロードだってんで見ちまいました。これが編集にバレたら、来週別作を見に行かされるんやろなあ。来週っちゃ、何があるかってえと……ゲゲッ「実写版 ガッチャマン」かぁ……びみょ~じゃあ~

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・64『パシフィックリム/ 少年H/ワールドウォーz』

2016-10-16 05:56:40 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・64
『パシフィックリム/ 少年H/ワールドウォーz』


これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。

『パシフィック・リム』

 監督の異常者とも言える『日本の怪獣・巨大ロボ特撮&アニメ』に対するオタク愛がひしひしと伝わって来ます。
 これは『指輪物語』に注がれた情熱と全く同じ愛情と執念です。とは言え、毎度の繰り言から始めなければならないのが残念至極……まず、3Dは絶対ダメです! 2Dを見ましたが、全編 殆ど夜か海底が舞台、要するに暗いシーンが大部分なので、3Dにすると更に暗くなる、コンピューター後処理だと真っ暗になるんやないですかねぇ。

 もう一つ、殆ど吹き替えしかやっていない〓〓 一カ所 字幕上映を見付けたが、3Dとカップリング。役者の演技の出来が計り辛い。ハッキリ 上手いと言えるのは、芦田愛菜の泣きと菊地凛子くらい、その菊地凛子の吹き替えを別人がやっているし、怪優ロンの吹き替えがケンコバ……ケンドー小林が悪いとは言わんが、ロン・パールマンの吹き替えは荷が重かろう。
 吹き替えのキャスティングは 日本側の配給の責任、デル・トロの情熱が理解されていない、世界中のどこよりも日本に向けて発信されているのに…情けなさに泣けてきますわい。
 デル・トロはアニメ等の作品に限らず、柳田理科雄の科学解説にも通じている。それは巨大ロボのコックピットや操縦士が二人なんてな所から見て明らか。
 演技うんぬんに関しては字幕スーパー版を見るまでペンディングにしておきます。我々がかつて「ゴジラ」や「マジンガーZ」を見た時の気持ちを思い出して見て下さい。それだけの価値はあります。

『少年H』

 取り敢えずは、さすが古沢良太の仕事だと褒めておきます。あの、どうしようもないでたらめ史観の原作を、ようもここまで大東亜戦争当時の親子ドラマに収束させたもので、お見事!
 とは言え、今まで腐るほど見せられた戦争ドラマのステレオタイプ、大して新し味はない。登場人物もステレオタイプだし、演技に見るべき所もない。僅かに妹/好子を演じた花田優里音の表情が生きていた位、肝心のH役 吉岡竜輝がまるでダメ。水谷/伊藤の父母もリアリティ無し。
 まぁ、そこん所は原作の底の浅さとデタラメ加減に有ると思われる。古沢の台本はそれなりの出来だと思うが、監督が原作のテイストにこだわったのだろう。ラスト近くになる程、Hが叫び始める。これなら最初から原作通りに作った方が、少なくとも左翼連中から喝采を受けただろうに。兎に角、古沢良太君 ご苦労様でございました。

『ワールドウォー Z』

 ブラッド・ピット主演作品として初めての1億$超(もうちょいで全米2億$に届く) いわゆる「ゾンビ物」と「パンデミッククライシス」のミックスではあるが、見事なストーリーテリングと小気味よいテンポの演出である。設定、撮影共に斬新かつリアル、余計な事はもういいません、兎に角 映画館にGO! 見応え保証します。

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