タキさんの押しつけ映画評・72
『ゲキ×シネシレンとラギ』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している評ですが、もったいないので転載したものです。
さすがに、本公演30回以上経てからの録画、ギャグのキレは良くなっています。
去年私が見た公演は5回目位、ギャグはまだまだ未完成で、意図は判るがそこら中で滑ってました。
ゲキ×シネも10周年だそうで、確かに手慣れて見やすく、聞きやすく工夫されています。今回、音入れはハリウッドに外注したとか。原音の録音があまり良くないので、わざわざ外注にするのは勿体なく感じましたが、しかし、さすがにハリウッド、音像はクリアで芝居の頭から間違いなく正確にセリフが聞こえて来ます。効果音とのバランスも良くなっていて、これならDVD再生時いちいちボリューム調整しないでもよさそうです。まぁ、テープのときよりディスクの方が音バランスは良くなってはいるのですが、所々不具合が有ります。何でなんですかねぇ? ハリウッドのサウンドスタジオちた所で、機材は殆ど日本製なんですけどねぇ。この差はどこでついちゃうんでしょう。
まぁ、そらええとして、今回に限った事じゃないんですが(いや、今回はヤッパリ多かったかな)アップが多くて、全景があまり映らなかった。
スクリーン化された作品は、役者の表情がハッキリ見えるのと引き換えに、劇場公演を見て受け取る、劇全体から受ける感動を伝えきれないきらいがあります。無い物ねだりだとも思うのですが、何らかのバランスが有るんじゃないかと、毎回考えてしまいます。
通常、劇場中継なんかは5-6台のカメラで作るのですがゲキ×シネは18台のカメラで撮っています、それなりにベストショットが多過ぎて、アップの連続になるんですかねぇ。去年、劇場公演を見たのはセンター右寄り、前から5列目だったので、役者の表情もハッキリ見えていました。だから、アップの映像に接しても、そう落差はなかったのですが……劇場で受けた印象とは少々違っていました。 ゲキ×シネ形式から来る印象なのか、収録日の雰囲気なのかは計りかねます、なんつっても芝居は生モノですからねぇ。
本作は、ギリシャ悲劇「オイディプス王」の翻案です。そうとは知らず、実の父を殺し、母を抱いてしまうというドロドロ悲劇、第一幕幕切れに原作とは逆の順番でラギ(藤原竜也)の悲劇が明かされる。この時のラギの表情が凄すぎて、もうここで芝居が終わってしまった印象がありました。 劇場公演の時も、このシーンは異様な迫力だったのですが、芝居をぶった斬るまでではなかった。
だから本公演時、後半ラスト、シレン(永作博美)とラギの“血の因縁”と意外な(??)力を知り、自ら滅びるより生きる決意をする。示唆するシレンに、ラギは「今の言葉は、女としてか、母としてか」と問う。
シレンから返される言葉は「人として」……この芝居の決定的なオイディプスとの違いが現れる最重要のセリフなのだが……舞台を見た時には、はっきり、そう受け取ったのだが、今日のスクリーンからは“浮いた印象”を受けた。やはり第一幕幕切れで終わっている。 ゲキ×シネだけを見たならここまでの破綻はなかったかもしれないが、舞台から受けた印象とのギャップは大きかった。
新感線は、97年版髑髏城の七人、続く阿修羅城の瞳を最後にした初期のうえ歌舞伎から一歩踏み出した作品を目指している。
中嶋(劇作家)にせよ、演出いのうえにせよ、試したい事は沢山あるんでしょうねぇ。はっきり言わしてもらって結構失敗もある。
新路線以降、「朧の森に棲む鬼」「蛮幽鬼」からは目指す方向が見えたように思えたが、宮藤官九郎の起用と「蜻蛉峠」は失敗としか思えない。新感線生え抜き役者の奮闘で、なんとか見られる出来にはなっている。しかし、正直しんどかった、早く突き抜けていただきたい。私の周りの新感線ファンは大体同意見であります。
そんなこんなを別にしまして、高橋克美の悪役振り、存在感は舞台/ゲキ×シネを比較して、いずれも遜色ありません。小劇場の頃から、のほほんとしたキャラクターで出て来た人ですが、実は暴れん坊なのかも知れません。
橋本じゅんさん、毎度の持ち味で、ファンを安心させてくれるのですが……今回は少々やり過ぎの感有り。古田がもっとしっかり受け止めていたら違って見えただろうが、途中で明らかに突き放している。アドリブ部分なので、演出意図なのか古田の感覚なのかは解らない。古田演じるキョウゴクの造形が今一ハッキリしない事が影響しているのかもしれない。
シレンとラギ、ゴダイ大師(高橋克美)三者の因縁が大黒柱とすれば、キョウゴクの歪みは梁なのだが、ちょっと弱い。旧いのうえ歌舞伎には、こういう取りこぼしは有り得ない。
中嶋・いのうえが未だ苦闘半ばなのだろうと愚考する由縁であります。
意外な所が河野まさとの扱い(密偵/ヒトイヌオ)です。この所、あまり役に恵まれず、この人の持ち味も間違いなく新感線臭の一つですから、勿体なく思っていました。今回久々ハマりキャラで暴れております。この迷路を抜けて、新いのうえ歌舞伎がどのような顔を見せるのかわかりませんが、ドキドキってか、イライラってかファンはみんなまっています。
頑張ってや!ほんまに!
『ゲキ×シネシレンとラギ』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している評ですが、もったいないので転載したものです。
さすがに、本公演30回以上経てからの録画、ギャグのキレは良くなっています。
去年私が見た公演は5回目位、ギャグはまだまだ未完成で、意図は判るがそこら中で滑ってました。
ゲキ×シネも10周年だそうで、確かに手慣れて見やすく、聞きやすく工夫されています。今回、音入れはハリウッドに外注したとか。原音の録音があまり良くないので、わざわざ外注にするのは勿体なく感じましたが、しかし、さすがにハリウッド、音像はクリアで芝居の頭から間違いなく正確にセリフが聞こえて来ます。効果音とのバランスも良くなっていて、これならDVD再生時いちいちボリューム調整しないでもよさそうです。まぁ、テープのときよりディスクの方が音バランスは良くなってはいるのですが、所々不具合が有ります。何でなんですかねぇ? ハリウッドのサウンドスタジオちた所で、機材は殆ど日本製なんですけどねぇ。この差はどこでついちゃうんでしょう。
まぁ、そらええとして、今回に限った事じゃないんですが(いや、今回はヤッパリ多かったかな)アップが多くて、全景があまり映らなかった。
スクリーン化された作品は、役者の表情がハッキリ見えるのと引き換えに、劇場公演を見て受け取る、劇全体から受ける感動を伝えきれないきらいがあります。無い物ねだりだとも思うのですが、何らかのバランスが有るんじゃないかと、毎回考えてしまいます。
通常、劇場中継なんかは5-6台のカメラで作るのですがゲキ×シネは18台のカメラで撮っています、それなりにベストショットが多過ぎて、アップの連続になるんですかねぇ。去年、劇場公演を見たのはセンター右寄り、前から5列目だったので、役者の表情もハッキリ見えていました。だから、アップの映像に接しても、そう落差はなかったのですが……劇場で受けた印象とは少々違っていました。 ゲキ×シネ形式から来る印象なのか、収録日の雰囲気なのかは計りかねます、なんつっても芝居は生モノですからねぇ。
本作は、ギリシャ悲劇「オイディプス王」の翻案です。そうとは知らず、実の父を殺し、母を抱いてしまうというドロドロ悲劇、第一幕幕切れに原作とは逆の順番でラギ(藤原竜也)の悲劇が明かされる。この時のラギの表情が凄すぎて、もうここで芝居が終わってしまった印象がありました。 劇場公演の時も、このシーンは異様な迫力だったのですが、芝居をぶった斬るまでではなかった。
だから本公演時、後半ラスト、シレン(永作博美)とラギの“血の因縁”と意外な(??)力を知り、自ら滅びるより生きる決意をする。示唆するシレンに、ラギは「今の言葉は、女としてか、母としてか」と問う。
シレンから返される言葉は「人として」……この芝居の決定的なオイディプスとの違いが現れる最重要のセリフなのだが……舞台を見た時には、はっきり、そう受け取ったのだが、今日のスクリーンからは“浮いた印象”を受けた。やはり第一幕幕切れで終わっている。 ゲキ×シネだけを見たならここまでの破綻はなかったかもしれないが、舞台から受けた印象とのギャップは大きかった。
新感線は、97年版髑髏城の七人、続く阿修羅城の瞳を最後にした初期のうえ歌舞伎から一歩踏み出した作品を目指している。
中嶋(劇作家)にせよ、演出いのうえにせよ、試したい事は沢山あるんでしょうねぇ。はっきり言わしてもらって結構失敗もある。
新路線以降、「朧の森に棲む鬼」「蛮幽鬼」からは目指す方向が見えたように思えたが、宮藤官九郎の起用と「蜻蛉峠」は失敗としか思えない。新感線生え抜き役者の奮闘で、なんとか見られる出来にはなっている。しかし、正直しんどかった、早く突き抜けていただきたい。私の周りの新感線ファンは大体同意見であります。
そんなこんなを別にしまして、高橋克美の悪役振り、存在感は舞台/ゲキ×シネを比較して、いずれも遜色ありません。小劇場の頃から、のほほんとしたキャラクターで出て来た人ですが、実は暴れん坊なのかも知れません。
橋本じゅんさん、毎度の持ち味で、ファンを安心させてくれるのですが……今回は少々やり過ぎの感有り。古田がもっとしっかり受け止めていたら違って見えただろうが、途中で明らかに突き放している。アドリブ部分なので、演出意図なのか古田の感覚なのかは解らない。古田演じるキョウゴクの造形が今一ハッキリしない事が影響しているのかもしれない。
シレンとラギ、ゴダイ大師(高橋克美)三者の因縁が大黒柱とすれば、キョウゴクの歪みは梁なのだが、ちょっと弱い。旧いのうえ歌舞伎には、こういう取りこぼしは有り得ない。
中嶋・いのうえが未だ苦闘半ばなのだろうと愚考する由縁であります。
意外な所が河野まさとの扱い(密偵/ヒトイヌオ)です。この所、あまり役に恵まれず、この人の持ち味も間違いなく新感線臭の一つですから、勿体なく思っていました。今回久々ハマりキャラで暴れております。この迷路を抜けて、新いのうえ歌舞伎がどのような顔を見せるのかわかりませんが、ドキドキってか、イライラってかファンはみんなまっています。
頑張ってや!ほんまに!