わたしには駄作を含めて、約二百本の作品があります。大方は原稿用紙に書いてあり、過去三回の引っ越しで散逸したものも多く。手元にあるものは百本あまり。その中で、他人様にお勧めできるものは、ようやく三十本程度。時代の流れに耐えて、十年以上みなさんに上演していただいている本は五六本というところです。
大方の作品は二十代、三十代に書いたものが多く、我ながら、あの忙しい時期に書いたものだと思います。毎年のように懸賞募集に応募していました。時代劇から現代劇、新劇の本から、小劇場の本、果ては創作歌舞伎の本(これはオレンジルームのプロディユースで嵐徳三郎さんへの当て書きでした) 登場人物は一人芝居から、百人以上でてくるものまで書きました。二十歳から書き始め、気がつくと三十八年も書いています。これは生業にしていた教師生活よりも長く。食えないながらも、これが本業かなと思い始めています。
昔の作品の改訂を少しずつ始めています。昔の作品は荒っぽいものが多いのですが、自分で言うのもなんですが着眼点は今よりいいものがあったと思います。宣伝飛行機の操縦を仕事としていた若者がハイジャックをやって、旧ソ連の我が北方得領土に亡命するという本があります。無事に国後に着いたつもりが、いつも宣伝飛行で丸くしか飛んだことがないので無意識に飛行機を丸く操縦し、もとの飛行場近くに吹雪きの中着陸するという本『自由の翼』があります。ソ連だと思いこんでいる人質たち。そこへソ連から日本に亡命飛行してきたソ連のパイロットなどがからんで、恐ろしくも、おかしなドラマす……が、今は上演できません。ソ連という国がもうありません。また、GPSが発達しているので、不時着したところが分からないという設定ができません。そしてなにより携帯電話です。このやっかいなコミュニケーションツ-ルは、芝居の設定そのものを現代に通用しないものにしています。今書き直している『欲しいものは』という作品も、ポケベルで登場人物が公衆電話を探しに退場するというシーンがあります。もう二日その処理に悩んでいます。
現役の教師時代には、授業中や、定期考査中の生徒の携帯電話への対処に悩ませられましたが、今は自分の作品の中で、携帯の処理に困っております。
本の書き方についてはいずれ、ブログで書くつもりでいますが、本書きの基本は、人の本を読むことです。わたしも本書きの端くれ(端っこのほうで、暮れかかっている)なので、シェ-クスピアやイプセン、チェーホフなどは一通り読みましたが。年代とともに読み方が変わってきます。『ロミオとジュリエット』を二十歳のころに読み直した時に、あることに気づきました。なんとロミオはジュリエットに出会うまでに彼女がいたんです! ロザラインという女の子で、ロミオと、彼の友人たちの会話の中で二カ所だけ話として出てきます。ほとんどの人はこのロザラインという女の子の存在に気が付きません。しかし、当時、こと女の子には振られっぱなしだった、わたしは彼女の存在に気づき、大変同情しました。人類史上に残るロマンスの中に、こんなスキャンダルがあったのです。嗚呼(ああ)哀れなりロザライン! そうやって『ロミオに振られたロザライン』という芝居ができました。
また、『ハムレット』という芝居は主要な登場人物がみんな死んでしまう芝居ですが、実はとんでもない食わせ者が生き残ります。誰かは企業秘密ですが、先人には気が付いた人もいて、「岩頭の辞」で有名な藤村操も書き残していますし、太宰の『新ハムレット』にも、そういう書き方がしてあります。
若い人には分からないでしょうが、戦前の国史や修身に出てきた「桜井の別れ」 楠木正成が僅か八百の兵で、十万の足利軍に攻めようとしたとき、息子の正行(まさつら)が「いっしょに連れていって欲しい」と追いかけてきます。正行は父に諭され、帰るのですが、日本史の資料を読むと正行は当時二十歳を超えており、彼の当時の手紙などから、京都で長い間勉強していたフシがありま す。そういうインテリが無謀な戦に「連れていってくれ」という分けはなく。あれは止めにいったが、家来も含めて楠木軍を説得できなかったと解釈しました。大学出の息子が、現場のたたきあげの父や従業員に受け入れられないことに通じます。ここから『青葉茂れる』という本ができました。
『ローマの休日』を観て、「あのあと、どないなるんやろ?」という興味から、あの王女さまが女王になり、娘が同じようなことをやったら……で、一本書けました。
とにかくいろんなモノを読み、観ておくことです。今そうやって、携帯電話の処理を考えております。ちなみに、わたしは携帯電話は持ちません。なんだか首輪をかけられたような気がするからです。そういうわたしをカミサンは「原始人」といいます。
ほかにもいっぱい書いています、左下にスクロールして「最新記事」もお読みいただければ幸いです。 大橋むつお