大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑦一掛け二掛け三掛けて……①

2016-09-30 06:25:45 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑦
一掛け二掛け三掛けて……①



 一かけ 二かけて 三かけて
 四かけ 五かけて 六かけて
 橋の欄干(らんかん) 腰かけて
 遥か向うを 眺むれば
 十七八の 小娘(こむすめ)が
 片手に花持ち 線香(せんこ) 持ち
お前はどこかと 問うたれば
わたしゃ九州 鹿児島の
 西郷の娘に ございます
 明治十年 戦争に
 討死なされた 西郷さん
お墓参りも せにゃならぬ



 このわらべ歌ご存じでしょうか。ご存じで「セッセーノヨイヨイヨイ」の掛け声で手遊びができる人は、まあ、還暦を超えた……そう、関東、山陰、南九州あたりでしょうか。

 あたしは、これが出来ます。102歳になるひい祖母ちゃんに教えてもらった……というより、お相手をさせられているうちに覚えてしまったようなわけです。

 むろん子どもの頃です。

 手遊びなんて、今の子どもはしないでしょう。子どもの手遊び……スマホかゲームを連想するのが並の神経なんでしょうね。

 でも、あたしは好きなんです。

 演劇部なんてオタク部活に入った最大の理由は、演劇部のみんなができたからです。実に変なクラブです。
 どこから話そう……あたし西郷さんが好きなんです。西郷さんて写真が一枚もないんです。みんな上野の山の銅像を西郷さんと思っているようですが、除幕式の時、奥さんが言いました。

「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」

 でも、上野の西郷さんは、あそこに百年以上も立っているんです。あたしの西郷さんは、あの西郷さんです。
 右足がわずかに短いので、五ミリほどの銅版をかましてあります。それから連れている犬の名前は「ツン」と言います。薩摩犬はもっと小さいのですが、少し大きめに作ってあります。表情、体格、ちょっと右足を踏み出したところなど、絶妙なフォルムです。

 役者で、このフォルムがとれる人はいません。姿勢がとても自然で、演劇のことばでは「ぶら上がった姿」と言います。平たく言えば、その人が一番その人らしく力を抜いて立ち上がった姿とでもいいましょうか。
 ぶら上がっているのに山のように静かで大きな人格を感じさせます。

 みなさん西郷さんの名前は「隆盛」だと思っていますよね。本当は「隆永」っていうんです。
 明治になって国民全員の戸籍を作ることになったとき、西郷さんは無頓着な人で「おはん、ついでにおいのもやってたもんせ」ということで代理に友人をたてました。
「西郷様の忌み名は、なんと申される」
 江戸出身の役人が聞きます。西郷さんは日常は「吉之助」で、周囲からは「せごどん」や「吉之助さー」と呼ばれていました。
 で、友だちは忌み名が思い出せず、とっさに出たのが「隆盛」でした。

「そりゃあ、おはんジ様(祖父)ん忌み名じゃが。ガハハハハ」

 で、特に訂正もせずに通してしまいました。
 弟さんを西郷従道といいますが、これも間違いです。ほんとうは「隆道」と言います。ところが薩摩弁は江戸の人間には分かりにくく、何度も聞きなおされ、音読みで「リュウドウじゃ!」と言いました。江戸の役人は「ああ、ジュウドウでござるな。ならば従道でしょう」と一人合点に決めてしまいました。いいかげんくたびれた友人は訂正もせずに西郷兄弟のところにもどってきました。

 あたしは、こういう薩摩人が好きです。また、こういう西郷さんのような人物を演じられる役者がいないことが残念です。

 ほんとは、この手遊び歌について語りたかったんですが、長くなるので次にします。


                  演技組  筧 十世(かけい とよ) 

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・48『藁の盾/アイアンマン3』

2016-09-30 06:09:20 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・48
『藁の盾/アイアンマン3』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは悪友の映画評論家・滝川浩一が身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです


☆藁の盾

 とりあえず褒めておきます。 

 三池崇史にしては抑制の効いた画面です。程ほどにサスペンスも利いています……まぁ こんな所。

 細かい指摘ですが、三池崇史は殴る蹴る刃物を振り回す……までの監督やね、作品にチャカ持ち込むなら、銃器専門の監督(出来りゃアメリカ人の)を雇った方が宜しいようで……。
 まず、ピストル訓練で 大沢たかおが照準を定めるのに片目を瞑っている……有り得ない、最近 漸くライフル照準で スコープに目をくっつけるのが無くなってきたのに…信じられん。松嶋菜々子は両目開いているが上体が後ろに傾き過ぎ、それと発射後の反動が嘘っぱち、通常スピードならまだしも わざわざスローモーションにするから…あ~~あ チョンバレ。
 前からフルスロットルで突っ込んで来るタンクローリーに9ミリ弾で何をしたい訳? ケツが滑り落ちそうでしたわいな。タンクの中身がニトログリセリンって……ほんであの程度の爆発ですか…ホ~〓〓  犯人護送中に邪魔される話は色々ありまっさかい まぁ パクリやとは申しませんが、原作は読んで無いんで置いとくとして、映画を見る限り“S,W,A,T,”と“ガントレット”をミックスして 日本的ネットリ感でまとめた作品です。
 それでもええんですが、5人の護衛警官の描き方が表面的過ぎる、犯人/藤原もコントラストが効いていないし、賞金をかける山崎も薄っぺらい。この部分が本作の肝! ここの手抜きは致命的、嗚呼。
 三池崇史の「これまで日本に無かった映画を~」って意気込みは理解するが、アメリカ映画の形だけを真似てもアキマヘン。
 まず、作品から銃器を除きましょう、殴る蹴る斬るが三池崇史の限界だと、まず本人が自覚していただきたい……ナンマンダブ~〓

☆アイアンマン3

 アイアンマンシリーズの中ではダントツの面白さと規模、相変わらずストーリーが破綻してるのは……なんせ原作が古いアメコミですから見過ごしてあげましょう。そこんとこ御納得いただければ、あとはジェットコースタームービーに成っとります。まぁ、ストーリーを追っかけても仕方ないので……ああっと、本編が終わっても席を立たずに最後まで座ってて下さい、ボーナス有りです(ちょっと微妙ですがね)
 それにしても、日本配給元がまたまた騙しをやっとりまんなぁ、なぁにが「さらば アイアンマン」なんですかねぇ、来年か再来年にアベンジャーズ2が決まっとりますし、本作が大コケせんかぎりアイアンマン4どころか5だって有り得ます。マーベル(て事は ディズニーですが)は次のアベンジャーズに向け 本作に続いてマイティ・ソー/キャプテンアメリカの続編、新しいヒーロー(といっても昔のマーベルヒーローですがね)物をガンガン作るようで……いつか来た道でんなぁ。
 それより 今回気になったのは、クリストファー・ノーラン(インセプション/バットマンのリ・ブート/古くはメメントの監督)の“MAN OF STEAL”あのスーパーマンのリ・ブートです。予告編を見ているだけで雰囲気有ります。
 もう一つ、ジョニー・デップの“ローン・レンジャー”が少しずつ顔を見せ始めてます。ジョニーはレンジャーじゃなく、インディアンのトント役…なぁんていって 判って貰えるのは60代以上のジェネレーションだぜ キモサベ〓 こいつも面白そう ハオ インディアン嘘つかない

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高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑥なんかね~梅雨が近いせいかなあ

2016-09-29 06:57:20 | 青春高校
 希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場⑥
なんかね~梅雨が近いせいかなあ 



 うちは公立なんで、決まりがうるさくって、ようやく昨日から冷房が入ったの。

 で、この生暖かいアンニュイは、どこかへ行くと思ってたのね。それが今日になっても生ぬるいまんまなのよ。
 教科書ひらいて、板書もちゃんととって、先生の説明ってか授業もちゃんと聞いてるんだけど、なんか古いフランスのからくり人形のオートマタにでもなった気分。
 オートマタ分かんない……等身大の人形でね、ネジ巻いとくと、人間みたいに本当にノートに字ぃ書くの。インクがかすれてきたら、ちゃんと自分でインク壺に羽根ペンつけて、インクの補充までやんの。教室見渡してると、このオートマタ以下ってのが何人かいる。教科や時間帯によっても違うんだけどね。シャーペン持ったまま寝てる子とか、大胆なやつは、机にしがみつくようにして寝てんだもんね。うちの学校は厳しいから寝てたら起こされるんだけど、5時間目とか体育のあとなんか最悪。先生は授業やってんだか起こしに回ってんだか分かんなくなる。オートマタならネジ巻きゃいいんだけど、人間のネジってどこにあるか分かんないもんね。

 シャレっぽく言ってるけど、オートマタ以下の人間てどーよ。

 でオートマタ以下の人間起こしまくってる先生って虚しいと思う

 正直、こんな学校だとは思わなかった。

 なんか希望ヶ丘青春高校って看板が空々しく思えてくる。

 これが、希望……? これが青春……?

 で、考えてみた。というか三好部長の言う通り観察してみた。いろんな答えが頭に浮かんできたんだけど、全部書いてらんないから、一番と思われるの書きます。
 先生が、授業下手すぎ。生徒を観客に例えれば、先生は役者だよね。
 芝居って、厳密には劇場だけでやるもんじゃない。島田 正吾さんていう新国劇の名優さんは、晩年はマンションのリビングやお座敷で、「シラノ・ド・ベルジュラック」を翻案した「白根弁十郎」を演っていた。だから、先生は38人の観客相手に50分の芝居演ってるのと同じなんだと思う。

 スタニスラフスキーってモスクワ芸術座の偉い人が言ってた。

「つまらない役なんてないんだ。つまらない役者がいるだけ」だって。

 日本の大学の教員養成課程は昔よりはシビアになってきたらしいけど、決定的に欠けているのは人にどう伝えるかというスキルを教えないこと。欧米じゃディベートや演劇を教職課程の中に組み込んでる大学があるくらい。
 先生だけじゃないけど、人に伝えるスキルを日本人も学ばなきゃと思った。

 放課後の部活で、由利鎌之先輩に聞いた。由利先輩は二つ前のブログを書いてるから分かると思うんだけど、性別不明。うちはスカート穿いてるからと言って女子とは限らない学校なんだけど、由利さんは本当に分からない。

 あたしは中学でも演劇部だったから、男がどんなに女に化けても見破る自信あるんだけど。例えば足の組み方、女性は股関節が男と違うんで足を組んで、さらに足首でももっかい組める。由利さんは、これが出来る。でも受けるオーラは、時に男以上に男らしい。 

 その由利先輩に聞いたら、明るく笑われちゃった。

「授業がつまらないのは当たり前。先生が下手に思えるのも当たり前。なんでつまらないか分析しなくちゃ演劇部じゃない。つまらない授業の観察しっかりやって、再現できるとこまでやってごらん。甚八が先生の声色使って女の先生口説いたぐらいにね」

 我ながら、すごい演劇部に入ったもんだと思います。

 三好部長からは、真面目すぎてつまらないブログだと言われました。勉強します。

                   演技組  望月六女(もちづきろくな)

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・47『リンカーン』

2016-09-29 06:35:09 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評
『リンカーン』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


この映画評は、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載しました



 いやはや、まず言うべきはD・D・リュイスの凄まじいまでのリンカーン像ですね。

 S・フィールドの妻役も迫力がありました。 自分も かつて下手ながら芝居をしていたので感覚的に判るのですが、役者は演じているキャラクターに引っ張られる傾向があります。D・D・リュイスはこれが極端に出る人で、一旦仕事に入ると24時間役柄のまんまに成る事で有名。奥さん……大変ですねぇ 耐えてますねぇ だって嫌でしょう 家にリンカーンが帰って来るんですよ! うっとおしいじゃありませんか ねぇ!
 
 さて、映画ですが 今年見た作品の中で一番難しい映画でした。ただの一瞬のシーンを見落としても、一言の台詞を聞き逃してもいけない、だからといって決して辛くはない 2時間半心地よい緊張が続く。  
 ただ、全編 「修正憲法13条」を巡る政治的駆け引きの1ヶ月のクローズアップ、ゲティスバーグ決戦もアトランタ炎上も有名な演説も一切出て来ない。政治の裏側に興味が無ければ全く面白くない……かも……。

 ただ、ここに一つの現実がある、本作は硬派テーマの作品ながら昨年11月全米公開以来、今年の2月まで13週間に渡ってボックス・オフィス10位以内に留まり(途中2週圏外)1億7千万$の興行収入を叩き出している。何より本作に対して「難解だ」という評価を聞いた事がない。あの「クラウド・アトラス」程度の映画を難解だとして敬遠するほどアメリカの観客の質は劣化してしまっている。そんな観客に本作の意味が浸透するのだろうか。詳しく書くとメモリーオーバーになるので ふ~ん位に読んでいただきたいが、まずリンカーンが攻撃したのは“南部の奴隷制”であって 当時北部にも黒人奴隷は存在していて、有名な奴隷解放宣言に彼らは含まれていない。つまり北部に奴隷は存在するが“奴隷制”すなわち奴隷は家畜と同じく所有者の財産である。つまり同じ人間ではないとする考え方は無かったものの、当時 女性に選挙権が無かったのと同じ偏見は有った。人間とは認めても対等の存在とは認めていなかったという事をまず知らなければならない。

 修正憲法13条が上院を通過し、下院の2/3の賛成を得れば成立するのだが、この段階では全米ではなく あくまで北部だけの決定である事。成立しても この後、南部を降伏させ この憲法を認めさせなければならない。アメリカが真っ二つに割れていた訳だが、北部も一枚岩だったのではない。民主党は13条成立によって黒人奴隷の人権が無制限に広がるとみて断固反対の立場(何故か 日本人はリンカーンが民主党大統領だと思っている人が多いが 彼は共和党、北部で黒人の人権を制限したがったのはリベラル民主党である) 共和党が優位ではあるが民主党を切り崩さないと必要票数に届かない。再度確認するが、黒人の人権を白人と同等に認める考えはない(リンカーン本人も)、この事に関しては政党間に亀裂が有り、同政党内にも温度差がある。

 もう一つに、当時 長引く南北戦争に嫌気しており、停戦交渉は別個に始まっていた。13条決議前に停戦してしまうと 南部の意向も考慮しなければならず、そうなると反対票が一気に増えて成立は絶望的になる……そういうギリギリのタイムラインに乗っていたと言うことも大きい。
 こういう捻れに捻れた状況下、強力なスタッフ 議員はいるものの心理的にリンカーンは殆ど孤軍奮闘しており、次男の従軍、妻との葛藤……バックアップするべき家族も彼の上に重くのしかかっている。  
 相対化するつもりは全く無いが、リンカーンにだって“光と闇”は当然有る。と しても、アメリカ最高のカリスマ英雄である、神聖とさえ言える。その絶対的英雄を崇拝すること無く、一定の距離を置いて その人生を深く掴もうとしたスピルバーグの姿勢はもっと絶賛されてよい。
 この繊細微妙かつ迫力有る作品がヒットした背景には、主人公がアメリカ最大の英雄である事と 大人の観客が戻ってきたという事実がある。

 とは言っても、この1ヶ月の政治駆け引き物語は極めて複雑である、相当に難しいと言える。これがアメリカ人に当然のごとく受け入れられるのは かれらが大部分を既に知っている以外に有り得ない。この事実を知っているだけで アメリカ人は日本人の百倍 政治的人間である。かつて フロリダに行った事があるが、その時痛感したのは「よくもこんな途轍もない国と戦争したなぁ~ 勝てる訳ゃぁ有り得へん!」という事。本作を見て思ったのが「こんな政治的人間と政策駆け引きなんかしても勝ち目は限り無く“0”じゃんかいさ」って事です。

 てな訳で、言いたい事は山程あるんですが 私がゴチャゴチャ書くほどに観客の足を引っ張るような気がしてきました。すべての人に とは言い切れませんが一人でも多くに見ていただきたい映画です。
 アメリカの黒人が 当たり前の人権を得るには リンカーンからさらに百年、公民権運動の成功を待たねば成りません。そして それが社会に根付くのにさらに数十年…ベトナムで死傷した兵士は圧倒的に黒人が多かった、歴史は這うようにしか進まない。しかし、進むべき方向を定めるべく社会構造を変革するイベントは急激に起こる。その起点がリンカーンである事に違いはなく、そのインサイドストーリーに触れるのは貴重な体験であります。
 ドキュメンタリー色が強い作品ですが、間違いなくドラマ。有名なシーンは一切ありませんが、リンカーンが通信士に語る ユークリッド幾何学に例えた人間存在の意味、議会で飛ばすヤジに籠められたユーモアとウィットにとんだ切り返し……一瞬の台詞も揺るがせに出来ないのは 解らなくなると言う以上に“勿体無い”からです。リンカーン家に勤める黒人女性の「私には自由の意味(アメリカに住む黒人が自由である事)など解りません。私達は自由になるため戦って来ました。そしてこれからも戦いは続きます」……この台詞が一番重く響いた。

 ご存知の通り、リンカーンは暗殺されて二期目早々に亡くなる。諸説あるが、誰がどのような意図で暗殺したのか未だに不明です。彼の運動は敵を新たに産む運動であり、殆ど自殺を目指したのと同じだというのは本人にも自覚が有った筈、命懸けで無ければ何事も成し得ない……見事な映画でした。
 本作が アカデミー作品賞を穫れなかったのは、アカデミー協会内で優勢とはいえ ジワジワ保守勢力の台頭を許しているリベラルの最後の抵抗だったと実感しました。作品賞は“アルゴ”への配慮から仕方が無いにせよ、本作を見た後では 監督賞はアン・リー(ライフ オブ パイ)ではなくスピルバーグでしょう。この決定に至る論評を知りたいものですが 英語力“0”の私には1年たたないと解らんのやと思います。 自分の不勉強を責めるしかございません……阿呆!

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高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場➄与話情浮名横棒

2016-09-28 06:26:45 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場➄
与話情浮名横棒(よはなさけうきなのよこぼう)
 



 タイトルにルビを振るのは情けないが、読めなきゃ元も子もない。

 去年某地区予選で、いささか奇態な審査が行われたことは旧聞と言うには、釈然としない。
 しかし、このことは別の部員が触れているので、もう書かない。

 鬼は来年の事を言うと笑うらしいが、済んだ過去のことを言うとどんな顔をするんだろう?

 もう七十年も前の戦争のことを言いつのる国がある。天に唾するはなんとかと言うが、いずれおのが身に返ってくるのは世の習い……と、そこまで大きな話をするつもりはない。

 一昨年の巳地区の審査も奇態ではあった。

 世上に広まる噂では、審査に不審を持った出場校が「なぜ自分たちは、優秀賞と言う名の選外であったのか」を聞きただすために、審査員を呼んだということになっているが、実態は真逆のよう……と言ったら少しは鬼程度のリアクションはしてもらえるだろうか。

 実際は、呼びもしないのに、審査員が進んで弁明に向かったらしい。

 よほど自信のない審査をやったか、審査後の反応に困惑したかのいずれか、または、その両方であろう。
 おれは、いささか高校演劇の昔や裏の話には詳しいつもりだが、今さら言っても詮無いことが多いので、撫でる程度にしておこう。

 この学校の部員たちは、事の異常さに気づいた。でも相手は名こそ惜しけれの天下のプロ演劇人。粗略にも扱えず「お説ごもっとも」の微笑を絶やさなかったが、この某審査員が帰ったあとは「なんだと、コノヤローどの口が言ってやがんだ!」と容赦がない。
 俗に言う「憤懣やるかたなし」の心情である。

 忍ぶれど色に出にけりナントヤラ。回りまわっておれごとき者の耳にも入ってくる。

 生徒は、当然顧問には報告するし、愚痴にもなる。これはいかんと、大人が二人質問状を審査員に送った。
「子どもを間諜にして異を唱えるはなにごとか!」と曲解、この二人に原稿用紙にして四五十枚の〇〇書を送ってきた。仄聞ではあるけれど、あまりに大人げない所業にただ嘆息。

 弱い犬ほどよく吠えると、締めくくっておく。

 近頃演劇部のブログがちょっとしたブームだ。中には息切れし消えてなくなったものも多いが、コトリ高校は健闘中である。部長の三好は仲良しお人よし、あまり触れるところが無かったが。おれは言う。

 大本営発表みたいなことしか書かないなら止めておけ!

 太宰治の名言に、こんなのがある。
「明るさは滅びのしるしであろうか、人も家も暗いうちは滅びはせぬ」
 そんな明るさを彼らのブログから読み取ってしまうのは眇めであろうか。

 今年の連盟の講習会は東京や大阪の高校演劇同様七百人を超える盛況であったそうな。おれは、こう答えておこう。

 春はライオンのようにやってきて羊のように去っていく。竜頭蛇尾。鶏頭狗肉。

 いかん、またつまらないことを書いてしまった。書いたことは書きなおしてはいけないのが仁義。そのままとする。

 今日の昼休みは、ちょっといいことをやった。
 うちの学校にとても人柄のいい、そう若くもない先生がいる。この先生が、ある女の先生が好きなんだが、コクるなんてことはもちろん、本人の前では息もできないというくらいに惚れてしまい、先日は呼吸困難に陥り救急車を呼ぶ仕儀とあいなった。
 岡惚れで死なれちゃ後生が悪いので、今日は教官室で二人羽織。

 おれが、机の下で先生の声色。先生は大汗かいて口パク。とんだシラノ・ド・ベルジュラック。

 で、なんとかお付き合いまではこぎつけた。次回もよろしくと言われてるけど、あとは自分の甲斐性。

 グッドラックではあった。

                      根津甚八 

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・46『舟を編む』

2016-09-28 05:59:00 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・46
『舟を編む』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


この映画評は、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですがもったいないので、本人の承諾を得て転載したものです。


 とっても優しく 素敵な映画でした。 と共に安易に言葉を選んで喋ったり書いたりするのが ちょっと怖く成りました。

 原作は長めの中篇位の作品で、「まほろ~」なんかでもそうですが 三浦しをんの小説は「もうちょっと書き込めばいいのになぁ」と思わせながら 読後に一種独特な満足感を与えてくれます。  

 映画は、この小説の「もうちょっと」を埋めています。原作と映画が互いに補完しあうのは誠に幸せな現象です、めったにお目にはかかれません。
 ですから、どちらが先でもいいので 是非とも映画と小説 どっちにも接する事をお薦めします。私の感覚からすると、本作は原作を忠実に画像化していますが テイストが違っています。小説では“辞書編集室には外界とは異質な時間が流れており、人をして ゆっくりと「たゆたう存在」に変化させる病原菌に満たされている”主人公/馬締(松田龍平)は、元々保菌者だった感はあるが 配属即感染……以後 強烈な宿主となり 触れる者総てに影響を及ぼして行く。と言うように読める。

 映画は もっと1対1の人間同士が互いに影響しあう作り方に成っており、原作とは少し違ったテイストを持っている。 結果、編集室独特の時間はあまり感じられなくなったが 映画のエンタメ性はぐんと上がった。監督の石井裕也は まだ30歳、これまでの作品は ハッキリ言って嫌いだったが……これも出会いの結果なのだろうか 同じ人の作った映画とは思えない。

 映画では 馬締が主人公である事は変わらないが、登場人物があるがままに 適材適所 居るべき場所に嵌っていて キチンと自分の役割を果たしている。これはキャスティングの妙でもあって、各キャラクターが「この人以外考えられない」と思える。キャラクターが「老人と若者」に二分されるので、各人の色をハッキリさせる手法を採ったのだろう、その意味で脚本が素晴らしい。
 小説では「年代」が提示されていないが 本作はスタートを1995年とし15年後をラストとしている。すなわち、原作の普遍性をある程度犠牲にして現代に接続してある。これも映画のエンタメ性に貢献している。

 これは監督の手腕なのか、俳優の力量なのか微妙な所だが 老優と若手の演技バランスが これまた非常に心地よい。松田の演技は彼独特のギリギリ感(判っていただけますよね)で演じられるが これをベテラン勢が包み込むようにして受け止めている。まず渡辺美佐子の 下宿のバァチャンが抜群……誤解のないように、松田をくさしているのではない。龍平は本作でハッキリ 父・優作を凌駕したと見た。存在感ではまだまだオヤジの壁を越えられないにせよ 優作が悩んで悩んで……結果、大勘違いした役柄を ヒョイと簡単につかんでしまった。(簡単ってのは龍平に失礼?)
 助演の若手も それぞれに妙味を発揮している。池脇千鶴はいつも通りの巧さ、出番の少ないのが勿体無い。宮崎あおいは毎度の形、オダギリジョーは恐らく男性サラリーマンの共感を一手にさらう役柄で 演じきったと言うよりは ごく自然に見える所がさすが。ベテラン陣では、小林薫が渋い もはやアングラ出身の匂いなどどこにもない(アングラをくさしているのではない……しつこい?)加藤剛と八千草薫のカップリングは絵に描いたように嵌っているし、加藤と伊佐山ひろ子が同じスクリーンに並んでいるのは 昔なら信じられない。
 これらの要素が絶妙に混ざり合って本作を構成している、見ていて心地悪かろう筈がない。小説もベストセラーだし、映画もなかなかのエンターテイメントである。辞書編纂ってのは 地味なようでエキサイティングな作業なのかもしれない。 当然 愛の物語ではあるが、見る者が 己の仕事を見つめ直すキッカケになる作品でもある。例によって ウダウダ言うとりますが、ムッチヤ面白い映画です!華丸推薦。

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高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場④戯れに恋はすまじき……

2016-09-27 06:28:27 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の
鉄火場④戯れに恋はすまじき…… 



 

 日曜祭日考査中もブログは休んじゃいけないという三好部長の申しつけで、本日は、ぼく由利鎌之が担当します。

 ぼくは性別不明ということでお願いします。


    

 上の左側の写真の四人の一人がぼくです。で右側のアップが楽屋でのぼくです。
「ぼく少女」というわけではありません。あえて性別は伏せております。わが自由が丘青春高校は偏差値もお行儀もいいのですが、制服がありません。だから、その日その時の気分で好きな格好で登校しています。

 だから見かけでは、性別さえ判然としない者が、学校には数人おります。ま、その中の一人と思ってください。

 高校三年間、演劇部をやっていれば恋する役も回って来るかな……というわけでもないんですが、芝居を演るものは恋の一つもできなきゃいけません。

 故森繁久彌先生もおっしゃっておいででした
「役者は人生のピンとキリを知っておかなきゃいけないよ」
 で、試しに……と言っても、最初から企んだわけじゃないんですけど、去年の地区発表会のおりに程よい重さの道具があったので、重くて持てないふりをしたんです。

 てっきり、すぐそばにいるO高校の男子が声を掛けてくれると思ったんです。

 しかし、こいつが度し難い……草食系。有り体にいえば玉無し野郎。すみません、下卑た言葉を使いました。
 この鉄火場ブログは、文法上の間違いが無い限り打ち直しはしないというのが仁義です。
 で、この玉無し野郎の替りにやってきたのがO高校の顧問。ま、即興のエチュードのもっとシビアなものなんで、中断することもできず、ご親切に甘える風にして「ありがとうございます」と言いました。

 言っておきますが、このO高校の先生の対応は間違っています。
 本来ならば、顧問として「女子高生」が困っているのを見過ごしにした玉無し男子生徒を指導すべきです。しかし、こちらも仕掛けた都合、意に反して引っかかった、この顧問を相手にせざるをえません。
 額にうっすらと汗がにじむころ、そっと額の汗を拭くふりをして、うなじとTシャツの袖の中、腋の下が先生に見えるようにしました。
 明らかに男として反応されました。
「ありがとうございました」
 きっちり挨拶するときも、胸の谷間が自然に見えるように工夫もしました。

「おい、鎌の字、初手からやりすぎだぜ」

 三好先輩は、ほとんど姿も見せないのに、部員のわずかな挙動も見逃してはおられません。解散後チクリとご意見されました。
 しかし、三好先輩もなかなかのお方、さりげなく部員名簿を椅子の上に置き、O高校の先生の目に触れるようにし。
「この由利鎌之っての、なんだか男みたいな名前に見えますけど、カマユキじゃなくてカマノって読みましてね。家は古風な置屋で、もちろん今は……あ、穴山さん!」
 ごく自然に、O高校の顧問の先生が写メる間をお作りでした。

 それから……いろんなことがあって、この顧問の先生とは個人的にもお付き合いすることになりました。お付き合いと言っても先生の身分に関わるような一線は越しません。

 ところが、先日劇団〇〇の公演を御一緒させていただいた時には「帰りには迫られるなあ」と予感しました。

 インターミッションの間に化粧室へ行くふりをして、駐車場の先生の車のブレーキオイルを程よく抜いておきました。
 詳しい描写は、個人の特定につながりますので、ほんのさわりを……。
「ん、ブレーキの利きが甘いな……」
 目の前に二トントラックが迫ってきました。

 ぼくは、とっさにシートベルトとドアロックを外し、車の外に転がり出ました。先生の車は、あえなくトラックに衝突。中破といった壊れよう。
「あの時、先生は、わたしの身を案じ、ドアから出してくださったんです。あの機敏な行動がなければ、わたしも無事じゃありませんでした」

 ぼくの怪我? これでもスタントの資格持ってるんで、ほんのかすり傷。まあ、他校の「女生徒」を車に乗せていたことは少し問題になりましたが、勇敢な自己犠牲で救ったことでチャラです。

 戯れに恋はすまじき……それにしても、あのO高校の草食系、今年こそは……。  
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・45『アンナカレーニナ』

2016-09-27 06:06:55 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・45
『アンナカレーニナ』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

 これは悪友の滝川浩一が身内に流している映画評ですが、もったいないので本人の了解を得て転載したものです


 見終わって 陶然てのか 茫然てのか…ボ~ッと歩いてました。

 とは言え 気付くと ちゃんとトンカツ屋の前にいてましたけどね。 トルストイの原作に触れたのは随分昔、以降 読み返してはいませんが、内容は汲み取っていると思とりました……アタシャ この物語の何を読んでたんでしょうねぇ、自分が物語のホンの上っ面だけを素通りしていたんだと、丸太でぶん殴られた気分です。

 その本作ですら、原作の一部をクローズアップしているに過ぎないと断ってあります…げに恐ろしきはトルストイの天才であります。
 この作品が 先日のアカデミー賞で主要外4ノミネート(衣装デザインのみ受賞)だなんぞと…メロドラマは嫌われるってのと、ロシア文学だってのをさっ引いても…納得いかない。
 主演女優賞5作品の内、アムール/インポッシブル/ハッシュパピーの3本を見ていないが、本作のキーラ・ナイトレイが見劣りするとは思えない。ジョー・ライト(プライドと偏見/ハンナ)の監督。トム・ストッパード(恋に落ちたシェイクスピア)の脚本も、メラニー・アン・オリヴァー(レ・ミッズ)の編集も、目を見張るばかりなのに……話の内容は あまりにも有名、なんせ見たことも読んだことも無い人でもご存知……「世界の名作百選」なんてな企画があれば必ず低くとも20位以内に入っている、140年前の作品なのに…
 本作は殆どのシーンが劇場内で演じられる芝居の形に成っている。舞台最奥の搬入口が開くと、その先にリョービンの荘園が現れ そのままロケシーンとなる。劇場の天井が開いて花火が見えたりもする……舞台劇と映画的手法の見事なミクスチャー、敢えて映画の自由な表現法を捨てる事によって、そして舞台劇をアップで見せるテクニックを最大限に駆使して見事な映像をクリエイトしている。人物をアップにする事に拠って、貞淑な妻から人生初の恋に出会って怯える女、滅びを予感しながらも恋に飛び込んだ幸せの絶頂、そして混乱
から死へと至るアンナ。妻の噂を聞いても許そうとし、確信しても包み込もうとし、決定的に裏切られてすら その先に愛を見いだすカレーニンが見事に立ち上がるにとどまらず、リョービンとキティのカップルやオブロンスキーとドリー夫妻……物語の周囲を固める人々が鮮やかに浮かび上がっている。今までに私の知る限り4作の映画化作品があり、そのどれと比較しても本作は“最高”と評価できる。
 
 まさに21世紀の“アンナ・カレーニナ”がここにある。

 アンナの情夫であるヴロンスキーが登場した時には思わず笑いそうになった。あまりにも少女漫画から抜け出したような美男子、これまでの映画では単なるスケコマシ風に描かれる彼とその取り巻きも 皆 人間的な匂いを持って描かれている、この点がもっとも印象的であり、だからアンナの苦悩も肉を持ったリアリティを伴って現出する。衣装が素晴らしいのは、これもわざわざ書く必要無し……まだまだ触れたいシーンは山ほどあるが、これ以上はご覧になる方の感動の邪魔ってもんで もうやめます。メロドラマなんか見ないとおっしゃる方もおいででしょう。どうか、騙されたと思って劇場にお出かけ下さい。世のメロドラマの代表のような内容ですが、そこは大トルストイの代表作の一つ、その魂の物語に触れて下さい。
 最大級の賛辞をもって 心よりお勧めいたします。

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高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場③念のために言っとくけどよ!

2016-09-26 06:31:46 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場③
念のために言っとくけどよ!



 いいかい、あたし女子高生だからよ!

 創刊号の序文が、あんまし伝法なもんで、あたしのことを男と思ってる奴がいるらしいけど。一応女子高生なんで、そこんとこよろしく。

     

 左っ側の後姿の一人が、あたしのレギュラーな姿だから。な、普通の女子高生だろーが。

 で、右っ側のでっかいお人形さんみたいに可愛い写真が、あたしの舞台写真だから、とっくりと拝んでおくんねえ。
 言っとくけど、あたしらの青春高校は良識あるクールな学校だから、日ごろの生活や姿は真っ当なもんで、茶髪なんてとんでもねえ。
 ウィッグだよ、ウィッグ。専門用語でヅラ!
 目はカラコン、よっく見ると右がグリーンで、左がブルー。

 なんの役かは、右の髪に垂らしたちょっと変わったヘアーコサージュで想像しておくんねえ。

 今日は、なんであたしが芝居を始めたかって、そもそも論をしてーわけよ。まあ、そこじゃ端近だ、もそっと寄んねえ。
 あたしは小学校ん時は「空気」ってよばれてた。
 存在感ねえって意味。別に気にはしてなかったけどね。小学校のころから学校にレーゾンデートル求めるようなヤワじゃなかったしよ。ま、人様の迷惑にならねえように、大人しく女子児童やってたわけ。
 あ、今の掛詞分かる? 「やってたわけ」は「やってタワケ」に掛けてる……まだ分かんねえ?

 タワケ者のタワケ……分かんねえ?

 ちょっと古い言葉だけど、どーしようもないスカタン、バカ、マヌケ、ソコツモノってな意味。
 
 ちょいとウンチク垂れるから聞いておくんねえ。
 むかし日本は分割相続って言ってよ。子供らにみんな分けて土地を相続させてたわけ。まあ、平安時代の終わりころから鎌倉時代にかけて、これが破たん。
 考えてみても分かるわな。そこらへんに未開墾の空き地がいっぱいあったころはいいけど、開墾し続けると、当然空き地が無くなるわけ。
 でもって、ゆっくりと単独相続に変わって、領地を分割しなくなった。
 でも、時代の空気読めねえやつは、どこにでもいるわけで、相変わらずの分割相続。元の領地の広さは変わらないわけだから、相続を重ねる番たびに分けられる領地が小さくなって、ついには一族としての力も維持できないくらいになっちまうわけさ。
 そういうバカのことを「田分け者」と言ったわけさね。な、もうわかったろ。それを仮名で書きゃ「たわけもの」ってことになる。

 で、あたしはネコ被って大人しくしてたから、「空気」なんて芸のねえ二つ名をいただいたってこと。

 自分で言うのもなんだけど、あたしは可愛かったよ。男のガキの興味の持ち方って倒錯してんだよね。イジメにかかりやがった。
 口で言われてる分にはシカトすりゃすむんだけど、手が出るよういなっちゃ、こっちも大人しくはしてらんねえ。

 ある日、あたしのスカートをめくった身の程知らずがいたと思いねえ。
 あたしは見せパンとかヘッチャラパンツなんてものは穿かねえ。いつでも勝負のアミダラ女王かレイア姫のおパンツよ。
 めくったとたんの回し蹴りで、そいつは伸びちまった。

 で、伯父きから、一発はられて説教だ。

「いいか、ハルミ。大人しくして済ましているだけが能じゃねえ、TPOに合わせて自分を変えられてこそ、三好の娘だ。今日からおめえの父つぁんに代わって、このおいらが仕込んでやらあ」
 武芸一般は、もうせんに逝っちまった父つぁんに仕込まれましたが、あとはからっきしのあたしだ。リーストラスバーグの「メソード演技」をもとにみっちり六年と六月(ろくげつ) 今でも「空気」の二つ名はそのままだけど、意味はでんぐりけえった。
 空気=日ごろは、存在を意識もされねえが、いなくなると、その有難味が分かるってな意味。

 しかし、あたしも、もう三年生。居なくなって困る存在じゃいけませんや。後輩たちが困らねえように、残り一年に満たねえ月日でやっていく所存でござんすよ。

 こんなもんでよござんすかいコトリ高校の演劇部さん。おまいさんたちも頑張っておくんない。

                                  部長 三好清海(みよし はるみ) 

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・44『THE MASTER/相棒/ジャックと天空の巨人』

2016-09-26 06:12:54 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・44
『THE MASTER/相棒/ジャックと天空の巨人』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が身内に流している映画評ですが、もったいないので、本人の了解を得て転載したものです

☆THE MASTER

 これも 色んな顔を持った作品です、見る人によって全く違う感想が出てくる事と思います。
「サイエントロジー」を研究して 下敷きにしてあるとか。「サイエントロジー」っつっても T・クルーズが信者……くらいしかしりませんが、まぁ 大体の想像はつきます。
 本作は 別段 アメリカの新興宗教のプロパでも糾弾でもありません。いうなれば 人間の存在の意味を問う作品です……と 言い切ってもいかんのでしょう。
 舞台は 先次大戦が終わって間無しの'50年、当時は戦争によるPTSDは隠されていた。病気隠蔽を告発する映画は有ったが、総て「お蔵入り」にされた。 朝鮮戦争に従軍した兵士は先次大戦従軍の兵士から「勝てなかった兵隊」と揶揄され、ベトナム従軍組は「勝てなかったばかりか、殆ど病気、しかも卑怯者」と罵られた……戦争の構造は全く同じだが、この間に情報の一般化が恐ろしく進み、今回の「アフガン・イラク」では 隠すのではなくコントロールしようと画策された。結果はご存知の通りです。
 フレディ(J・フェニックス)は太平洋で戦っていた海兵、帰国はしたものの深刻なPTSDで仕事が続かない、パーティーの行われている船に潜り込む。どうやら一悶着あって、翌日引き合わされたのはパーティーの主催者 新興宗教の”マスター”ランカスター(P・S・ホフマン)。彼はフレディを許したあげく、一行に加える。フレディはマスターに気を許した訳ではないが 強く惹かれる。マスターもフレディを相手に様々な精神的実験を繰り返すが 単なるモルモットとして扱わない。明らかに「自分には欠如した何かを持つ者」として遇する。 それを 横にいて冷静に見つめる マスターの妻(何度目かの)マギー/E・アダムスがいる。二人の男は保護・被保護/支配・被支配の立場を微妙に変化させながら同行するが、やがてフレディの方から別れて行く。数年して再度会うが、互いに同道できる存在では無くなっていた。

 さて、幾つもの解釈が出来る本作が私にはどのように見えたのか。

 マスターは言う“人間はマスター(自分の事と言うより、その人にとっての先導者)無くして一人では生きて行けないのだ”と 自分を破綻者だと気づき始めているフレディはマスターに付き従うかに見えて、幾分かの距離を保っている。マスターはそんなフレディを相手に様々な精神的実験を行うのだが、それを通してフレディのなかにマスターの占める面積が増えていく。フレディはマスターに依存しているかに見えて、決して帰依はしない。フレディは この「ザ・コーズ」と名乗る団体にあって マスターが行う様々なメソッドの最大の理解者=体現者と成っていく。本人にその自覚が有るか否かは明らかにされない、が しかし 袂をわかって再会した時に 互いに出会った時とは異質の相手を見いだしている。この結末から マスター・フレディの関係は“クリエーター(ゴッド)と人間”というより“クリエーターとサタン”ないし“デーモニッシュなる存在と人間”の関係に感じられる。ちょっと解りにくいですよねぇ。
 日本の場合、新興宗教というと、幾つかの例外を除いて 必ず「日本神道」が絡みます、同じくアメリカで起こるそれは殆どキリスト教からの発生か、それに別な宗教の絡んだ物です。
 キリスト教の一派に「グノーシス」があります。長らく悪魔的異端と呼ばれ誤解を受けていますが、元々はギリシャ哲学を基にした理性的思考に導かれる一派です。歴史はキリスト教とほぼ同じ、ところが 後に呪術的地域信仰やまさにデーモニッシュな教えを隠し持った信仰までもが「グノーシス」を隠れ蓑として名乗った為 十把一絡げに「悪魔教」の汚名を着る事となったのです。
 これと同じく 近年のアメリカカルトに仏教的世界観(輪廻転生)を持つものや、プレ仏教としてのインド哲学~果ては メソポタミアの原始宗教を含むもの。 更に、宇宙物理の進行に伴って「老子」に傾倒するものなど百花繚乱。中には 日本の「オーム」並みにむちゃくちゃなカルトもあり、これらが同一視されるためどうしても妖しげなムードを身にまとう事になる。
 
 さらには、これらの教団が そのメソッドの中に「マインドコントロール」の手法を持つので この点がまずクローズアップされる。「洗脳」は旧ソ連がトップで、それを輸入した中共が二番手ですが、アメリカだって手を染めていた分野、戦後 大量発生したカルトのトップは この研究に関わっていた者が多いと指摘されています。
 こういった背景から、従来の信仰からは大きく逸脱した世界観を持つ事となるのです。

 ふう~、この辺で止めます。まぁ こういう事情が新興宗教にはつきまとい 本作の“ザ・コーズ”を率いるマスターも同じ臭いをまとっています。ただ、映画そのものは それを否定も肯定もしていないため、あくまで「人間対人間」の葛藤と捉えざる得ない。
 これが私には「デーモニッシュ」に見えてしまうのです。いずれにしても、ここまで互いに相手の内面に入り込む作業は見ていて極めて恐ろしくあり、本作終了後 なんだか人を避けて歩いていました……まぁ、エレベーターのドアを塞ぐように立っているアベックや 傍若無人に振る舞うジャリを叱りもしない馬鹿親には「どかんかい!!」てなもんで……ま、その程度です。

 ちなみに 今年のアカデミー無冠とは言えキャスト三部門ノミネートは当然の結果、だれも受賞できなかったのも これまた当然の結末と申しておきます。
 
☆相棒 X DAY

 良く出来ている。捜一の伊丹刑事、立派に堂々たる主役で有ります。
“捜一/伊丹憲一”なんてなドラマが出来ても不思議ではない。所がです、実に意外なところから水がかかった。直前に放送された「相棒最終回」の出来があまりにも良すぎた、それと 物語の背骨に成っている「金融危機X DAY」なる物が……アカンアカン これにさわるとネタバレになりますわ。
 ご覧になろうとされる方々に申し上げます。この点のリアリティには拘らない方がよろしおます。そのまんま受け入れましょう。
 ここをクリアすれば組犯の角田課長も大河内監察官、内村刑事部長まで なかなか美味しい。今回シリーズの成宮と元シリーズの二人以外全員登場! しかし 決して某CXの踊る某のように同窓会に成っていないのが脚本の手柄。シリーズがこのまま続けば 強力巨大な杉下グループが出来上がる予感がします。
 まぁ、楽しんで下さいませ。

☆ジャックと天空の巨人
 よ~~お 出来とりますわ。あんまり童話の書き換えは歓迎しないのですが、同じやるなら こんな風にしなはれという見本みたいな作品です。 これが以外やアメリカで大苦戦…てか、興行的には失敗作 制作費2億$に対して3週で5千万に届かない、世界収入で格好は付くだろうが、コスト分は国内で賄うのが鉄則、「オズの~」が快調に飛ばしているのとは対照的。
 子供に知名度が無くなっちゃったんですかねぇ。キャストの知名度がE・マクレガー以外 今一低いのもマイナスだったかも知れません。さて、日本ではどうなんでしょうか。
 今回 例によって「2D字幕」で都合のいい時間の物を探すのに一苦労。ほんまに誠に3Dなんか やめんかい~~〓 評論家の中でも3Dに対する苦言は多いんどすけどねぇ。アニメ旧作品の3D化をしてもあまり客を呼べない現実もあり、勝手に断末魔だと思うとるんですがねぇ……まぁ よろしおます。童話を1シーンとすれば、優に4シーン分のストーリーが詰まっており しかも 無理がありません。
 これが何故アメリカでコケるのか? 全く持って????????です。

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高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場②来ることねーのによ!

2016-09-25 07:02:01 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場② 
来ることねーのによ!
 



 昨年度巳地区審査員ナニガシ御来校

 ナニガシって名前じゃござんせん。ちゃんと親から頂戴された名前をお持ちの立派な先生で御座います。ご当人は名前がむつかしく、世間様が読めないとお思いになって、平仮名で通しておいでです。この手のお方にはロクな御仁がおられません。わたしが例外と認めているつかこうへい様でさえ「恥多き人生でした」と仰って逝かれました。
 え、つかこうへいを御存じない……「初級革命講座飛龍伝」ぐらいお読みになって、おとといお出でくださいまし。

 この御仁は、昨年のコンクール予選で、わっちらの芝居をこともなげに「本が書けていない」の一言で選外の「優秀賞」に蹴落とし、誰が見ても意味不明、かつ台詞が聞こえず、幕が下りても誰一人「え、これでお仕舞!?」と首を捻った某校を最優秀にしたご当人で御座います。
 
 台詞が聞こえないのを「心の叫びが伝わっていた」と評されました。

 役者同士台詞が通じていない、従って、とてもつまらない芝居でござんした。でもナニガシさんは「伝わらないところが、主人公の孤独感・孤立感を良く表していた!」と激賞され、サプライズの審査をなさいました。
 まさに義経公の鵯越の逆落とし、信長公の桶狭間の奇襲もかくやあらんの審査でございました。

 役として通じない設定ならば、そこに通じないことで起こる葛藤やリアクションがなければなりません。某校は、本当に相手役の台詞を聞いていなかったので御座います。

「退屈な役など存在しない。存在するのは退屈な俳優だけだ」

 近代演劇の基礎の基礎、スタニスラフスキーの『俳優修業』も御存じではないご様子でした。
 しかし腐っても鯛、誤審をしても審査員。不肖わたくし穴山小子(あなやましょうこ)が、茶道部の茶室を借りてお相手させていただきました。部長の三好や、猿飛佐子、霧陰才子などが同席すれば血の雨が降ることは必定。有頂天演劇部で……わっちから申すのも照れやすが、裏表千家師範、かつ朋輩の中でいっとう手弱女なわっちが、お相手した次第。他意はござんせん。

 どうもナニガシ様のお言葉の端々に、手前どもが始めましたブログのことをお気になさっておられるご様子。

 ここまで、ビビっておられるのを御無事にお返ししては、後生に障ります。
「用意が整いましたので、いざ、道場の方へ」
 由利鎌代が、ことを察し、柔道部の道場を借りてまいりました。

 ツワモノの道は不調法なわっちではござんすが、並の講道館柔道の三段、ナニガシ様のお召し物を崩さぬよう、大外刈り一本で決めさせていただきました。むろん元審査員のご体面のため、あばらの二本ばかりにヒビを入れさせてもらいました。これで男の向う傷と、多少はご体面が叶いましたことでありんしょう。

                         演技組 穴山小子(あなやましょうこ)


 連盟の年間計画

 ブログの埋め草に、連盟の年間計画を掲載している演劇部がありますが、有頂天演劇部は、そんなことはいたしません。連盟で検索すれば直ぐに出てきます。
 年間計画を転載するならば、そこには論評がなければいけません。新聞でも論評抜きで政府見解を載せているようなところはありません。で、有頂天としては論評する気もないので、載せません。

                        道具その他組  海野六子
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・43『クラウド・アトラス/プラチナ・データ』

2016-09-25 06:40:17 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・43
『クラウド・アトラス/プラチナ・データ』


 これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので、本人の了解を得て転載したものです。



☆クラウド・アトラス

 全否定はしない、下らない訳ではない。原作未読なので 語る資格は無いのだけれど……本原作がブッカー賞候補ではあっても受賞作と成らなかったのは理解出来る。昨今の英米SFカテゴリーで種々試みられているのは、新約聖書の読み替えと黙示録の再構築なのだけれど、大概が自ら建てた志に押し潰されている。

 これは映画そのものにも言えるが“スローター・ハウス5”の登場人物を増やしてあるだけで、物語の完成度も テーマの伝わり方も“スローター・ハウス”の方が数倍上である。(ここで切れて、「プラチナ・データ」を見た。原作については前言撤回する。やはり読まずに批評するのはよろしくない。なぜ、こんな事を言うかは後程お分かりいただける) 本作の全米box成績は3週間チャートインで初登場2位ながら、初週960万$とお寒い。
「難解さが嫌気された」と評されるが…こんな程度の物を難解なんぞと言われたんじゃどうしようもない。本作は難解なのではなく「ややこしい」のである。
 主キャラクターが6人(一応 トム・ハンクスがメインキャラ)過去から未来へ500年の時間軸上の6ヶ所に次々に現れる。これを細切れにしてばらばらに映し出すので まず、この構成がうざったらしい。
 映画にせず、一時代を1時間×2回、六時代で12回ドラマにして 時間軸通りにオンエアすれば なんて事ぁないし、テーマもよく伝わっただろう。
 映像は比較的 良くできている方(殊に24世紀のシーンは良い)だと思う。伝えたいテーマも判るにゃあ判るが なんでこんなややこしい構成にしたんでっしゃろねぇ。いや、こんな風に作りたいイメージは理解できるが……それにしては編集が荒すぎる、編集のアレクサンダー・バーナーは過去に大した仕事がなく、この程度の人間に任せるには ちょっと山盛り過ぎたんじゃないんですかねぇ。 最終的に編集の責任と言い切ってもよいと思うが、全体に「意在って 力足らず」……これじゃカルトムービーにも成れないんじゃないですかねぇ。要するに……半端じゃい!


☆プラチナ・データ

 まず、二宮ファンは読まないで下さいよ! もし、読んだとしてもカミソリの刃なんぞ送って来ないでね。×:◇→〆々〃♂*#§☆ なんやねん〓〓このっ!駄作は……嗚呼~、ようもまあ 東野圭吾の小説をここまでズタズタにできるなぁ。

 この無神経さ加減はなんだんねん。原作を読んだ人は絶対近寄ってはいけません。監督の大友さん、信頼しとりましたのに“るろうに剣心”から ちょっとおかしいんとちゃいまっか?それとも、製作の横槍ですかい? 誰かが「原作とは一味違う映画にしようぜ」と囁いた訳ですか?  
 もう、ほんまに初っぱなからなんたる不手際、サッサと神楽(二宮)が犯人扱い、神楽君 走る走る! しゃあけど警官にあそこまで追いつかれて逃げられる筈がない。これが全編この調子だから イライラしてくる。神楽には“リュウ”と名乗る別人格を内包しているのだが……なんとした事か 名優のはずの二宮君、全く演じ分けが出来ていない。 全編 ドタバタガタガタ……東野原作のスマートさはどこにもない。さらに……嗚呼さらに、これで終わったかと思った後に 追い討ちをかけるのかのごとくに アッチョンブリケな新設定が飛び出して来る。まさに“龍頭蛇尾”(蛇頭蛇尾?)な付け足しに、もう脱力。 何回 席を蹴って出たろと思ったかしれんが、最後まで我慢していて…どんだけのダメージを負わされた事か…ウウウ
 そうそう、これも言うとかんと……原作では「水上医師」は男なのだが、何故か映画では女性に成っている。これを鈴木保奈美が演じているのだが、このキャスティング 誰が企画して誰が決定したんか知らんけど、こんな役立たずは追放しとけ! 芝居は諦めて 家で石橋をいたぶっとれよ。と いうのが 誰がやろうが惨い幕切れなのに、鈴木保奈美が下手過ぎて さらに酷い結果に成っている。今年2本目の“こんな映画は見ちゃいけない”作品!1本目は 勿論“ジャンゴ”! こんな脚色を認めた東野圭吾にも責任がおま!原作者が自分の作品守らんで 一体誰が護るんでっか?

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高校ライトノベル・希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の鉄火場①とにかく始めてみたぜ!

2016-09-24 06:41:45 | 青春高校
希望ヶ丘青春高校有頂天演劇部の
鉄火場①とにかく始めてみたぜ!
 


 
※ 創刊のご挨拶

 なんだか演劇部のブログが流行ってる。たいてい毒にも薬にもならないものばかりだけど、見てる奴が多いんで、我が有頂天演劇部もおっぱじめることになった。絶滅寸前の高校演劇の中で余裕こいてブログやろうっていうんだから、ラストネームは鉄火場だ!
 予定、見通しまるで無し。その日その時、気息奄々の演劇部のことを書き散らすだけ。
 面白いと思ったら読んでくれ。つまんなくてアクセス減ったら、即廃刊。
 え、言葉遣いが悪い!?
 生まれて持った気性だから仕方がねえ、辛抱しろい。
 なんだ、その割にはタイトルの謙譲語が、間違ってる? ご挨拶じゃなくて、挨拶? ゴチャゴチャ言うんじゃねえ!
 要は、心だ気立てだぜ。
 と、このくらい書いときゃいいだろ。あとは適当にやってくんねえ。  部長 三好清海(みよし はるみ)


役者組
 
 お芝居は 下手こそよけれ 心臓の 動き出しては たまるものかは  

 心臓外科医の弁。心臓が体の中を動きだしたら外科手術など出来たものじゃない。という医者の誤解。
「人の心を動かすこと」をみなさんモットーになさっているようですが、ナマッチョロイ高校演劇を観にこようなどというのは、半分感動してる自分に自己陶酔、あるいは集団陶酔したい人ばかりなので、高校演劇の県大会以上では、もう涙と笑いの感動の渦。

 舞台の役者もほとんど自己陶酔。こんな中に並の神経した人間が混じったら気持ち悪いだけ。遅かれ早かれ衰退していく運命の高校演劇だけど、たった一度でいい。超新星のように、宇宙の原初のようなビッグバンになれたらいい。

                                   役者組組長  猿飛佐子(さるとび さこ)


道具その他組

 うちの演劇部は兼業部員を入れて十人。演劇部としては平均以上だけど、とても役者と、それ以外の専門に分ける余裕なんかないし、そうすべきとも思わない。でも分けて書いた方がかっこいいので、そうしてます。
 基本は役者の二軍です。出番の少ない役をやりながら、スタッフの仕事をこなしています。
 将来、芝居で食べていこうなんてバカなことは考えてません。地場産業の零細企業に就職したらなんでもこなさなければなりません。
 でも誤解しないでくださいね、将来を悲観してるわけじゃないんです。それどころか夢と誇りを持ってます。町工場でも、人工衛星を作った実績があります。そういう地域ってか、地元に誇りを持ってるんです。
 まあ、人生勉強が演劇部だと思います。
 でも、本音は、いっぺんテッペンをとることです!

                               道具その他組組長 霧陰才子(きりがくれ さえこ)

顧問より

 生徒が、なにやら始めました。安月給の教師としては、顧問をしているだけでアゴが出そうなのに……止めろと言ってもやる奴らばかりなので、ほとんど勝手にやらせてます。不穏当なことを書くかもしれませんが、けして教育委員会などに通報なさいませんよう。笑い飛ばして、読み飛ばして、シャレだと思って読んでください。本校をご存じない方は、けして検索などなさいませんように。

                                  有頂天演劇部顧問 真田幸雄(さなだゆきお)
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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・42『日本アカデミー賞』

2016-09-24 06:10:20 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・42
『日本アカデミー賞』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している、『日本アカデミー賞』の評ですが、いろいろ示唆に富み、参考になるため転載したものです


 やっぱりあかん…全員優秀賞でいったんステージに上げてインタビューして、席に戻して最優秀をまた呼び出すやり方はウザイ。ええ加減やり方変えたらどないよ…まぁ、岡田祐介なんかが会長じゃのぞんでも無駄ですかねぇ ハァ~

 意外だったのが「外事警察」が全く無視された事、昔からっちゅか、第一回の授賞式の演出も受賞作の顔ぶれも「なんじゃコレェ!」だったし、長らく邦画には全く興味がなかったので、日本アカデミー賞の内幕は殆ど判らんのですが、今年の受賞作を見ていると 演技・演出・編集以外にナンジャカンジャ余計な判断が働くようでんなぁ。
 ノミネートされた作品のちょうど半分位をみてないんであんまりえらそうにはいえませんが、本能的に胡散臭く感じますなぁ。  

 主演女優の樹木希林と助演男優賞の大滝秀次は絶対的な存在感と功労者であるとの観点からまだわかるのだが、主演男優賞が野村萬斎を抑えて阿部寛だってのが理解不能。
 ベストアニメが「エヴァ」「ワンピ」を蹴飛ばして「おおかみこどもの雨と雪」だってのも理解不能。
 新人賞がノミネート(優秀)だけで一等を決めないのにも違和感がある。
 一番頭にきたのが、功労賞が「踊る~」シリーズゥ?アホな……絶句ですわ、誰がみたって、長期に渡る評価にしたって 「エヴァ」か「ワンピ」のチームでしょうが。
 そうそう、新人賞の出演作品に「愛と誠」が入るかい? 冗談キツ過ぎですわ。これ見に行ってないんで断定できませんが、今年の一等賞は新人賞二人ノミネート、監督賞、作品賞、編集賞受賞の「桐島、部活やめるってよ」になるんでしょう。同作が話題賞の作品賞ってのはなんなんやろね?なんぼなんでもこれは蛇足でっしゃろ。同じく話題賞の俳優賞が「闇金 ウシジマくん」の大島優子ってのもどないよ、審査基準どないなっとん? 去年「もしドラ」の前田敦子やったから……位しか考えられませんわい。「のぼうの城」が美術賞だけってのもナンダカナァ~~ 結局 誰の…しかも訳の判らん思惑と「桐島~」の間で割を食ったのが「のぼうの城」ってのが今年の総てなんでしょう。
 ああっと外国映画賞が、アルゴ・ダークナイト・スカイフォール・ドラゴンタトゥーを抑えて「最強のふたり」ってのも解らん? 素敵な作品だからイチャモン付けたかぁ~ねえんですが、選定基準が全く解らん…あえて フランスで日本映画が評価されるんでバーターじゃないんかい?と邪推いたします。
 邦画の質は間違いなく高くなっていると確信しますが、配給会社のセンスや アカデミー賞の在りようはまだまだ三流の下の下であります。私の見立てが間違っているなら ご教示願いたい。いや、マジであります。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・42『OZ』

2016-09-23 05:57:07 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評『OZ』

この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので本人の了解を得て転載したものです


今回も八尾で…と思うたのですが、八尾では吹き替えしか上映しておらず、梅田に出てきました。

 子供しか来ないと思うとるんでしょうね……気持ちは判らんでもないんですが、近頃の日本のガ……子供は“オズの魔法使い”なんて知ってるんですかねぇ。最近、贈り物にするんで良く絵本を探しにいきますが“OZ”のシリーズはあんまり見かけないんですよね、映画をやっている今行けば色々有るんですかねぇ?

 てな訳で、本作の主たる観客は ええ歳した大人やと思うんですがねぇ(今日もオッチャンオバチャンが多くって アベック少々くらいのバランスでした。) ところで“OZ”を読んでる人って どれくらいいたはるんでっしゃろか、私もジュディー・ガーランドの映画('39年)しか知らず 古本屋でシリーズ文庫を見つけて初めて続きがある事を知りました。
 ライマン・フランク・ボームが“THE WONDERFUL WIZARD OF OZ”を出版したのが1900年、なんと113年前!
 元々単発物のつもりだったようですが、それこそ山のような続編を要求する子供たちからの手紙に埋もれて ボームは死ぬまでの19年間に14冊のシリーズを発表しています。(私が読んだのは3冊だけですが) アメリカではボームの死後も その孫や曾孫、その他いろんな人々によって書き継がれ 現在非公式(???)な物も含めると70冊以上有るらしいです、いかに愛されたシリーズなのか よくわかるエピソードですなぁ。

 さて、その第一巻で 竜巻に呑み込まれたドロシーが何とか故郷に帰ろうと「オズの魔法使い」を訪ねてみたら、なんとペテン師の爺さんでしたってのはご存知の通り。原作シリーズの中で、このインチキ魔法使いの出自は詳しく語られてはいないようですが、断片的に語られる物から本作はスタートしています。

 ここでトリビア、OZのフルネームをご存知だしょうか? 彼の名前は“オスカー・ゾロアスター・ファドリグ・アイザック・ノーマン・ヘンクル・エマニュエル・アンブロイズ・ディグス”と申します。
 最初の二つの頭文字を取って“OZ”と名乗っているんですねぇ、向こうの小説にこういう長い名前の設定の人物ってのがたまに出てくる事がありますが、大概がペテン師です。本作のOZ君も若い奇術師で、女たらしのペテン師です。この半端なアンチャンがいかにしてホンマモンの魔女を相手にして、身に降りかかる難問を切り抜け『彼は如何にして大魔法使いとなりしか』ってえお話し……映像は素晴らしく美しい。これを“死霊のはらわた~EVIL DEAD”なぁんてなドロドロ映画を撮っていたサム・ライミが撮っているのかと思うと 何かしら笑いがこみ上げてくるのは……アタイの根性がねじ曲がっているからなんでしょうかねぇ。  

 作品その物は良く出来ていて、元作品を知らずとも楽しめますが、ここは もしJ・ガーランド版の映画をご存知なければ、ええ機会ですから 是非ご覧になってから本作に行かれる事をお勧めします。その方が10倍楽しめる事 保証いたします。M・ウィリアムス、R・ワイズ、M・クニスの三人の魔女も見ものですし、J・フランコのダメ男ぶりも 実に堂々(??)としとります。ストーリー展開に「むぅ??」と思う所が有ると思いますが、それは この作品ではグッと飲み込んで素直に世界にのめり込んじゃって下さい。いらん事は一切考えない事!老婆心ながらご忠告致します。

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