大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・ライトノベルセレクト『旗ひるがえして!』

2016-10-12 06:47:24 | ライトノベルセレクト
ライトノベルセレクト№80
『旗ひるがえして!』
        


 わたしは、驚くよりも、こみあげる笑いを堪えるのに苦労した……。

 セントゲイトハイスクール創立百周年の式典に、わたしは来賓として呼ばれ、感無量だった。

 セントゲイトは、わたしの母校であり、また融資相手でもあった。五年前、少子化のあおりを受けて、わが母校セントゲイトは、経営の危機に瀕し、五億ギルの赤字をかかえた。
 教育省の勧告で、姉妹校のウォーターゲイトハイスクールとの合併を言い渡されたが、教職員や、OBの声で存続の嘆願書が出された。でも、出るのは嘆願書と涙とため息ばかりで、誰も改革プランや救済資金を出そうとはしなかった。

 もうフレアバンクのトップの一人になっていたわたしは、卒業生でありながら、学校への融資には反対だった。改革プランが抽象的で、経営の見通しがつかない。こんな学校は無くなっても良いとまで、思っていた。
 しかし、うちの頭取は融資を決定してしまった。理事長に弱みを握られていたという説やら、孫娘が、学校の若い教師といい仲であったとまで、いろんな説が流れた(あくまで社員食堂のゴシップです)

 ま、そんなことはどうでもいい。わたしの笑いの理由である。

 インクライン先生。かつては、わたしの人生の全てだった、ミュージカル部の顧問である。この人は徹底した市民派で、長い間、この国の国旗や国歌に反対してきた。反対の理由は、貴方の国とほとんどいっしょ。

 で、先生はわたしが生徒だったころに、『旗ひるがえして』というミュージカルを作った。近未来もので、決まった場所、決まった時間に国旗が掲揚され、それに敬礼しなければ罰せられるという状況。そんな中で、意識有る若者が、犠牲者を出しながら、国旗を拒絶し、自分たちの旗をひるがえすという単純なストーリーだった。わたしは、犠牲になる若者の恋人という美味しい役で、それなりに熱狂的に演じ、県のコンクールで準優秀賞をとった。

「この『旗ひるがえして』は、旗がひるがえるという意味だけじゃなくて、反旗を翻してという意味もあるんだ!」
 練習の時に先生が熱く語った演説を熱狂して聴き。滑稽なことに、わたしの夫となるべき人は、このインクライン先生をおいて居ない! とさえ思った。
 あのミュージカルで国旗を破るところは圧巻で、観客席が水を打ったようになった。師弟共に最優秀を思い浮かべたが、あの観客席の反応は別の意味だったことは、少し大人になって分かった。

 先生は、それからも、市民派というか、反体制的というか、そう言う芝居をたくさん創ってこられた。そういう反国旗、反国歌、という運動にも進んで参加され、成年に達した卒業生には、良きオルガナイザーでもあった。ギスギスした仕事の合間に、こういう牧歌的なオルグは、先生には失礼だが、良い慰めになった。
 
 ある年の同窓会で、二次会のあと、アルコールが、まるでダメな先生は、酔いつぶれた卒業生四人をそれぞれの家まで送ってくださった。
 わたしは、実は、そんなに酔ってはいなかったが酔ったふりをした。
 半開きのダッシュボードに、指輪のケースが見えた。
 先生はタイミングを計っていたようだが、わたしは巧みにかわし、最後に真顔で、こう言った。
「先生、もう、ここまででけっこうです」

 先生には、その後、正式に申し込まれた。世慣れたわたしは、こう答えた。

「わたしにとって、先生は、永遠に先生なんです」

 その先生が、目の前で声たからかに国歌を歌っている。そして、先生にはこの秋からジュニアハイスクールに通う女の子がいる。

 この、牧歌的で、微笑ましい旗の翻しかたに、わたしは笑みがこぼれるのに苦労した。

 で、学校への融資は、社会貢献の一つと理解しております。まず隗より始めよで、ありましょう。

 ロ-ゼ ブルシューン  日本支社社内報より抜粋

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高校ライトノベル・ライトノベルセレクト『HI・NO・MA・RU・TO・DIE・2』

2016-10-12 06:40:21 | ライトノベルセレクト
ライトノベルセレクト
『HI・NO・MA・RU・TO・DIE・2』
       


 なんだ、日本語喋れるんじゃない! マーヤ先生は不服そうに思った。

 で、自己紹介の終わったゴードン・ピッカリング氏は、講演タイトルを見て大笑いした。
「ワハハハ、こりゃ、面白い。『HI・NO・MA・RU・TO・DIE』いや失礼マーヤ先生。そして、生徒諸君ならびに日本国民のみなさん。これでは『死にかけの日の丸』ですなあ。訂正しましょう」
 ゴードン・ピッカリング氏は『HINOMARU・TODAY』と書き直した。『今日の日の丸』という意味に変わった。
「マーヤ先生、さぞかしご不満でしょう?」
 楽しげに氏は聞いた。
「いいえ、わたくしの不手際でした。申し訳ございません」
「そんなに、あっさりご自分の非を認めるもんじゃ、ありませんよ先生。お顔には、ちゃんとご不満の様子が見えます」
「それは……」
 マーヤ先生が、口をつぐんだ。
「君たちが敬愛するマーヤ先生をからかっているようで申し訳ない。実は、これが外交なのです」

 みんなの頭の上に、たくさんの「?」が立った。

「マーヤ先生が、お電話くださったとき、いきなり米語でお話になった『もしもし、わたくし乃木坂学院高校の酒木麻耶と申します。ピッカリング先生でいらっしゃいますか?』 君たちには分かりづらいかもしれないが、英語と米語はいささかちがいます。今のを英語でいうと『もしもし、わたくし乃木坂学院高校の酒木麻耶と申します。ピッカリング先生でいらっしゃいますか?』になります」

 明らかに違った。米語は滑らかだけど、例えて言うなら溶けかけのチーズ。英語はまだ溶ける前のチーズ。

「で、わたしは、マザータングであるロンドン弁で話しました。ロンドン弁は……例えば「H」を発音しません。ヘンリーはエンリーと言います。あるいは「I」を「エイ」と発音します。ですから「TODAY」は「TODIE」に聞こえてしまいます。こんな話があります。夏目漱石がロンドンで下宿していたとき、下宿屋のバアサンが風邪をひきました。漱石は親切な人で、このことを気に掛けて、ある日玄関ホールに居るバアサンに『いつ医者に診てもらうんだい?』と聞きました。するとバアサンはこう答えました『あたしゃ、今日いくとこだよ』 これをロンドン弁で発音すると『エイム ゴーイング トゥ ダイ』書くとこうなります。『IM GOING TO DIE』ね、あたしゃ死にかけ。になりますね。で、漱石は階段を駆け下りると、バアサンを抱きかかえ、バアサンの部屋のベッドに寝かしつけました。とうぜんバアサンは意味が分からないので大騒ぎ『この変態、なにするんだよ!』で、下宿屋は大騒ぎになりました。漱石の名誉のために申し上げますが、当時の漱石は、かなり神経をやられていました。その結果起こった喜劇であります」

 ここで、ゴードン・ピッカリング氏は水を飲んだ。

「これ、アメリカ南部では『ウォラー』と発音します。むろん英語では『ウォーター』であります。わたしが外交官としてやってきたことは、こういう違いを巧みに使い分けることが含まれていました。どうもマーヤ先生、ご無礼のほどゴメンナサイ」
 氏は、オチャメに手を合わせて拝むようにして、マーヤ先生に謝った。さすがのマーヤ先生も吹き出して、講演会場の空気は一気に和んだ。
 それから、このゴードンジイチャンはいろんな話をしてくれた。

 白地に水色のマルと緑地の日の丸を見せられて、驚いた。
「こちらがパラオの、でこっちがバングラディシュの国旗です。見たとおりそのまま、モデルは日本の日の丸です。日の丸に違和感を持っているのは、世界で四ヶ国だけです。日本に隣接する三つの国と……日本だけです」
 それから、ゴードンジイチャンは、日の丸の由来についても話してくれた。なんでも奈良時代「天平勝宝元年、ムズ!」には記録が残っていて、以来、日本人は那須与一とかいう源氏のニイチャンが射落としたのが日の丸の扇、戦国時代は、もうあちこちで使い倒し、外国へ行くときはフンドシみたいに長い日の丸を使っていて、ユニオンジャックより歴史が古いこと。
 ナチスやファシスト・イタリアはファシズムが創った旗で、日の丸とは由来が違うこと。戦後二十年ほどは日本国中で日の丸を揚げていて、「旗日(はたび)」という言葉があったことなど教えてくれた。

「つまり、日の丸に対する反対運動というのは、戦後かなりの時間がたってから、意図的におこされたものなんです。理屈は日本軍国主義の象徴だからです。軍国主義の象徴というか実質は他で、堂々と残っています。例えば、わたしは、日本語を横書きにするときは、左から書きます。終戦のころまでは、左右両方ありました。でも、それでは南方の植民地の人たちが混乱するので、南洋庁という植民地支配のための役所の提案で、左書きするように閣議決定しました。それを戦後の内閣が追認したものです」

 ほかにも、電力会社や大手私鉄があるのも、戦時中の国策だったとか、いろいろ教えてくれた。

 で、最後にカマした。

「ボクは、実は日本人です。ボクは、今まで、自分がイギリス人だとは一言も言っていません」
 ゴードンジイチャンは、淡々と言った。すると、会場の一番後ろから拍手がした。
 振り返ると、理事長先生が拍手していた。
「去年、ボクは、日本に帰化しました」
 そう言って、自分の名前を書いた。

 光 剛人……と書かれた。

「と、こんな日本人も居ることを再発見してもらったところで、お開きにさせていただきます」

 そう言って、挨拶するようにカツラをもちあげた。みごとなピッカリングだった!

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・60・特別編《ああ、いっぺん言うてみたかった!》

2016-10-12 06:16:46 | 映画評
 タキさんの押しつけ映画評・60特別編
《ああ、いっぺん言うてみたかった!》

この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に書いたウップンでありますが、含蓄深いものがあるので転載しました


この週末は“ベルリンファイル”か“サイレントヒル”…の予定でしたが新人ライターに行ってもらうって事で譲りました。

 まぁ、仕事抜きで行きゃいいので 見たらご報告申し上げます。

 そこで 取りあえず、“押し付け”に返していただけたメールの中で ちょくちょく言われる反応にお答えいたします。 よく言われるのが

① 書く事を前提に映画を見て楽しめるの?
② リアルと良く書いているけど、そればかりだと辛くない?
③ 3Dはそんなにダメ?この3点が割と多いのでお答えいたしますです。

①については“愚問~!”映画が大好きで楽しめなければ…毎週末映画館に通えるもんじゃ有馬線。もし、これが辛い仕事になってしまうなら、たとえ原稿料10倍になっても「ヤンペ!」であります(もっと上がるなら…まぁ考えんでもおまへんけどね) てなわけで、思いっきり楽しんで毎回ワクワクしながら映画館に通ってま~す。
②について、こいつは最低限のこだわりです。「真実は細部に宿る」のです。但し、これが価値観の総てでは有馬線。例を上げると、シュワちゃんの「ゴリラ」……例えが古くて申し訳ない、こいつが典型的!
 シュワちゃんは演技出来ない、まともな英語が喋れない、動作がトロい……の三重苦。有るのはMr.ユニバースに君臨した肉体美のみ! これを生かして「コナン」でブレイクしたのですが、この時は必死で剣の訓練をした。続く作品が「ゴリラ」 こいつは馬を車に、剣を銃に持ち替えた現代アクション。所が、銃社会アメリカ、誰しも銃は扱えると思ったか アクション監督が手を抜いた。幕が開くとシュワちゃん 全く鉄砲の扱いがデタラメでピストルさえまともに握れない。結果、腕は真っ直ぐだけど銃口は右を向いている、ターゲットはさらに左…ところが そのままブッ放すと あ~らら不思議な事にターゲットに命中!そんなアホな、あんたのピストル サイコガンかよ。

 これはチャンバラの主役たる大剣豪の切っ先がゆらゆら揺れている(龍馬伝の福山がこれだった。よせばええのに正眼に構えた所で切っ先をアップにするから…)のとおんなじですわい。SFやファンタジーも同じです。荒唐無稽な物語に観客を引っ張り込みたければ 細部を念入りに作り込まなければ見ていて白ける。ヒットラーを自殺じゃなくリヨンの映画館で死んだ事にしたければ それなりの説得力が必要です。
 細部がリアルであることは映画が守るべき最低限のルールなのです……が、中にはこれを見事にひっくり返してくれる作品がありますのですよ。またまた古くて申し訳ござんせんが、W・ゴールドバーグの“天使にラブソングを……1”と2。ギャングに追われる ベガスのショーガール/デロリスが潰れそうな修道院に隠れるってお話。設定もストーリーも 無茶押しもええとこ、2に至っては廃校寸前の高校にやってきて、短期間に聖歌隊を作り上げ、コンクールに優勝して廃校を覆す。音楽専行の生徒がデロリスの担当、こいつら反抗的な悪ガキばっかりながら変に素直で、聖歌隊結成に向かってストーリーはサクサク進んで行く、果ては優勝、廃校も取りやめ!めでたしめでたしチャンチャン。本来なら「アホか」の一言で切り捨てる所ながら……これがスンバラシイ出来上がり。これこそ映画だ! と叫びたいくらいです。
 
 リアルと並んで映画に大事なのは登場人物が「ほんまもん」である事、スクリーンの中で生きていること。彼らが生きてさえいれば映画の設定がご都合主義でも立派にドラマを紡ぎ出す。この作品、ウーピーが巧いのは当たり前として、他のキャラクターが実に活き活きしていて キャラクターの希望、喜びがそのまま観客の胸に飛び込んでくる。これこそが映画の醍醐味、本とは別のお楽しみ。だから「リアルリアル」と叫んでいるわけじゃなく、ホントはこんな作品を心から待っているのです。リアルの点から問題なく、魂が震えるような映画は存在します。しかし、私が見たいのは 見ていてスクリーンの中に入り込み、キャラクター達と一緒に笑って泣いて…映画館を出る時にホッコリ胸が暖かくなっているような作品です。ドキドキハラハラも、見終わって肩がいかってくるのもすきですが……はぁとうぉうみんぐ! これが最高ですね。
 ③は絶対譲りませんぞ!! 3Dは全く過渡期の未完成技術、こんなもんで別料金盗られるのはまっぴらです。元々が遊園地のアトラクション用、映画館でも座席を揺らしたり水を吹き出す所が出来ている、自らアトラクションだと認めているようなものです。これが楽しいんだという人をとやかくいう気は有馬線が、アタシャ絶対認めない。
 正直な所、J・キャメロンを筆頭に3Dもかなり洗練されてはきているが、まず メガネ不要にならないとダメ。ましてや現行通常作品の映像深度は相当深い、3Dなど不要。ためしに「アバター」を同一条件で見比べていただければ一目瞭然です。100万歩譲って、最初から3Dカメラで撮影した物ならいざ知らず、2Dで撮影しておいて 後からコンピューター処理で3Dにしているのはどうしょうもない。画面は暗い、画像がぶれて 殊に早いアクションシーンだと二重に見える。3Dを見て気分が悪くなったり頭痛がするのは90%このブレが原因。 ディズニーが旧作アニメの3D化を次々に作っているが動員数は目に見えて落ちてきている。3Dファンであっても現在ロード中の「ギャッツビー」が何故3Dなのかサッパリ解らんと仰る。映画に関わるプロの中にも 立場上表立って異議申し立て出来ない人も含めたら、3Dに懐疑的な人は相当います。これで今後も続けるわ別料金も盗るわってなら、せめて3D専用劇場を作って欲しい、スクリーンは全周と行かないまでも せめてI-MAXシアター規模をもうちょい横に広げ全体にかすかにアールをつける。スーパーが不必要に飛び出さないように工夫する。後処理3Dのようなイカサマは駆逐する。
 その上で5000円でも10000円でも取って放映したらええんですわ。そしたら見に行くかって? そんな高い映画 絶対見に行きまっしぇ~ん。〓 以上であります。
 もとより“押し付け”ですから気にする必要は有馬線。あなたが気にいった作品があなたにとってベストです。誰にはばかる事なく最高!と叫んで下さい。デバイン(この名前に反応する人は相当の映画ファン…てかオタクです)の変態映画が好きっつな方もいらっしゃいます。タランティーノファンとはいつも喧嘩してます。どうか今後とも、肩肘はらずにお付き合い下さいませ。〓

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