大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

小規模少人数高校演劇部用戯曲脚本台本 『ステルスドラゴンとグリムの森』

2011-12-30 12:39:41 | 戯曲


ステルスドラゴンとグリムの森

大橋むつお

仙台市の高校、牛久市の高校(2回)、春日部市の高校、名古屋市の高校(2校)、静岡県の高校などで上演していただきました。上演される場合は下記までご連絡ください。

【作者情報】《作者名》大橋むつお《住所》〒581-0866 大阪府八尾市東山本新町6-5-2
《電話》0729-99-7635《電算通信》oh-kyoko@mercury.sannet.ne.jp






時   ある日ある時
所   グリムの森とお城
人物  赤ずきん
    白雪姫
    王子(アニマ・モラトリアム・フォン・ゲッチンゲン)
    家来(ヨンチョ・パンサ)


幕開くと、夜の森のバス停。表示板と街灯が、腰の高さほどの藪を背景に立っている。街灯の周囲だけがなつかし色にうかびあがり、その奥の森の木々は闇の中に静もっている。時おり虫の声。ややあって、赤ずきんが携帯でしゃべりながら花道(客席通路)を小走りでやってくる。

赤ずきん ……うん、わかってる。でも朝が早いから、うんやっぱり帰る……ありがとう。婆ちゃんも、近ごろ森もぶっそうだから、オオカミさんにも言ってあるけど、戸締まりとかしっかりね……変なドラゴンが出るから、戸を開けちゃだめよ……え、ああ夜泣き女。それは 大丈夫、人間相手だったら赤ずきん怖くない……もう、そうやって人を怖がらせるんだから……じゃあ、またね、バイバイ(切る)……もうお婆ちゃんたら長話なんだから……最終バス……(時時刻表を見る)わ、出ちゃったかな……わたしの時計も正確じゃないから……排気ガスの臭いも残っていないし、バスはよく遅れるもんだし……大丈夫よね……なんとかドラゴンに、夜泣き女……オオカミさんも婆ちゃん守らなきゃとかなんとか言って、レディを送ることもしないで……本当は自分がビビってるんじゃん……でも、わたしは強い子良い子の赤ずきん、怖くなんか……

間、静寂、虫の声も止む。

赤ずきん ……怖くなんか……

静寂な中から、女のすすり泣く声が聞こえる

赤ずきん ……なに、今の……

森の闇と藪の間に、幽霊のように、顔を手で被って泣いている、立姿の女の影が浮かび上がる

赤ずきん 出たあ!……(舞台の端まで逃げて、ふと思いつく)……って、ひょっとして、そのコスチューム……ひょっとして、もしかして……
あなた白雪姫……?
白雪 (泣いたままコックリする)
赤ずきん あ、あなたって呼び方むつかしいのよね。思わず白雪姫って、呼びすてにしちゃったけど、どうお呼びすればいいのかしら? ユアハイネス? 殿下? 白雪姫様? プリンセス・スノーホワイト、それともシュネー・ビットヒェン?
白雪 ……雪でいいわ。
赤ずきん 雪だなんて、まるでそっ気ない冬の天気予報みたい……
白雪 なら、雪ちゃん。日本で最初の翻訳では雪ちゃんだった。
赤ずきん 雪ちゃん……?
白雪 白雪でもいいわ、同じグリム童話の仲間としては。でも、わたしとしては、より親しみの感じられる雪ちゃんの方が嬉しいんだけど……
赤ずきん ん……でも、それだと対等にわたしのことを呼んでもらった場合、赤ちゃんになっちっちゃうでしょ。年上でもあるし……白雪さんてことで……
白雪 ありがとう、敬意をはらってくれたのね、赤ずきんちゃん。
赤ずきん どういたしまして……でも、その白雪さんが、どうしてこんなところで泣いているの? ひょっとして近ごろ評判の夜泣き女って……
白雪 多分、わたし。このごろ夜になると、こうして泣きながら森をさまよっているから……
赤ずきん 白雪さんて、ゲームで言えばミッションコンプリートの一歩手前、九十九パーセントクリアの状態でしょ?
白雪 はい……
赤ずきん 無事に毒リンゴ食って仮死状態になり、小人さんたちにガラスの棺に入れられて。花屋一件借り切ったぐらいの花に囲まれて、あとはいよいよ待つだけでしょ……その、王子さまがあらわれて……その、いいことすんのが……
白雪 そんな、いいことだなんて……
赤ずきん わたしなんか、せいぜい、おばあちゃんがホッペにキスしてくれるぐらいのもんだからね、子供ってつまんない。
白雪 ……
赤ずきん どうしたの、クリア寸前に邪魔が入ったの?
白雪 いいえ。ちゃんとガラスの棺に納まって、小人さんたちが心の底から嘆き悲しんでくれました。そして小人さんたちがその場を離れたその後に定石通り、白馬に乗った王子さまがあらわれたのです。アニマ・フォン・モラトリアム・ゲッチンゲン王子が……
赤ずきん やったじゃん!
白雪 そして、棺の蓋を開け、熱い眼差しでカップメン一杯できるほどの時間、わたしの顔をご覧になり……そして……口づけをなさろうと……なさろうと……一センチのところまで唇を寄せてこられて……
赤ずきん 寄せてこられて……ゴクン(生つばをのむ)
白雪 そして、溜息をつき、せつなそうに首を左右に振られては帰ってしまわれるの、毎日毎日……だからわたしは生き返ることができず、日が落ちてから、夜ごと幽霊のように森の中をさまよっているの……日が昇れば、またコウモリのように洞窟ならぬ、ガラスの褥(しとね)にもどらねばならない。こんなことが夏まで続けば、わたしミイラになってしまうわ。
赤ずきん どうして……
白雪 どうしてだかわからない。毎朝きまった時間に、あの方の馬の蹄の音が聞こえる……今日こそはと胸ときめかせ、棺の蓋が開けられ、あの方の体温を一センチの近さで感じて、悶え、あがいて……でも、わたしは指一本、髪の毛一筋動かすこともできない。この生殺しのような苦しみを一筋の涙を流して知らせることもできない。七人の小人さんたちも、木陰や藪に隠れて、その様子を見てくやしがり、せつながってくれている。でも体が自由になる夜、小屋にもどるわけにはいかない。小人さんたちにわたしの苦しみを悟られるわけにはいかない。でも、じっとしていては気が狂いそう。いえ、もう狂っているかも知れない。夜な夜な森の中をほっつき歩くようじゃね……いっそ、月明かりをたよりにわたしの方から王子さまのもとへ……もう、はしたない……
赤ずきん はしたない?
白雪 なんて言ってる場合じゃない。はしたないだけなら、とうにこの森を抜け出し、王子さまのお城にむかっているわ。こう見えても、水泳やロッククライミングは一流の腕よ。王子さまの部屋なんかヒョイヒョイっと……でも、何の因縁か、夜、体は自由になっても、この森のいましめから外へ出ることができない、きっとリンゴの毒気が、悪魔と呼応し、この森に、わたしだけをいましめる結界を張ったのよ。
赤ずきん 神さまかも知れないよ。
白雪 神さま、神さまがどうしてこんな意地悪を?
赤ずきん 悲しみとせつなさと……それに育ち始めた憎しみで、ひどい顔になってるよ。神さまでなくとも、そんな白雪さんを人目にはさらしたくなくなるよ……今はお后の魔法の鏡も、気楽に真実が言えると思うよ。
白雪 (コンパクトで自分の顔を見て)ほんと、ひどい顔……
赤ずきん 悲しみとせつなさはともかく、その胸にともりはじめた憎しみを育ててはいけない……憎しみは人を化物にするわ。
白雪 うん……自信はないけど。
赤ずきん 同じグリムの仲間だ、一肌脱いであげる。夜は最終のバスが来るまで話し相手になってあげる。そしてできたら王子さまに会って話もしてくるよ。
白雪 ほんと?
赤ずきん うん、王子さまにも何か事情があるのかもしれないからね……あ、バスが来る(遠くから狸バスの気配)じゃ、それから、変なドラゴンが森に住みつきはじめたから気をつけてね。
 
バスの停車音。ライトを絞り、バス停のかなり手前で停車する。

赤ずきん 何よ、バス停はここよ! ライトまで絞っちゃって!
狸バス (声、狸語でなにやら語る)
白雪 なんて言ってるの?
赤ずきん ドラゴンを避けるためだって……早く乗れって。じゃ、白雪さんも気をつけて!(下手に去る。バスの発車音)
白雪 お願い! がんばってね!
赤ずきん (遠ざかる声で)まかしといて……

いつまでも手を振る白雪。暗転。鳥の声がして朝になる。アニマ王子の洗面所。起きぬけらしく、ガウンの下はトランクスとシャツ姿で洗面台にあらわれる。ジャブジャブと顔を洗った後、家来?が差し出したタオルで顔を拭く。

王子 ありがとう……ん、おまえ!?
赤ずきん シー、お騒ぎになるとためになりません。
王子 なんだおまえ?
赤ずきん 赤ずきんと申します。近ごろ森の中での殿下のおふるまい、ぜーんぶ知ってます。
王子 え……?
赤ずきん 毎朝毎朝、未練たらしく白雪姫のもとに通い、唇一センチのところまで顔を寄せながら、首を横に振るだけで、なーんにもしないで帰ってくること。
王子 おまえ……
赤ずきん はい、今一度申し上げます。グリムの赤ずきんでございます。アニマ・モラトリアム・フォン・ゲッチンゲン王子さま……!

そこへ家来のヨンチョが、タオルを持ってあらわれる

ヨンチョ 申しわけありません、不寝番のルドルフが居眠っておりましたので、たたき起こそうとしたのですが、いっかな、こいつ起きません。こりゃあきっとゆうべ一晩宿直の者同志でオイチョカブでもしておったのではないかと、叱りつけておりまして……あ、御洗顔は。
王子 ああ、もう済んだ。タオルはこの者から……
ヨンチョ おお、赤ずくめの怪しき奴! 賊か!? 郵便ポストの化け物か!? サンタクロースの孫か!? それとも 王子様のお命をねらう赤き暗殺者か!? いずれにしても生かしてはおけぬ。それへ直れ、十重二十重にいましめて、そっこく……(刀の柄に手をかける)
王子 まてまて、この者は今日よりわたしの近習をつとめる、赤ずきんだ。
ヨンチョ あ、さようで……
赤ずきん よろしく赤ずきんよ。あなたは?
ヨンチョ 近習頭のヨンチョ・パンサである。
王子 着替えがしたい。
ヨンチョ はい、ただちにお召しものを!
王子 ゆっくりでよい。しばらくここで小鳥のさえずりなど聞いていたいのでな、ゆるりと、よいな。
ヨンチョ ゆるりと、アイアイサー!(退場)
王子 ……これでいいか?
赤ずきん さーすが。
王子 赤ずきん、どうしておまえは……
赤ずきん それはね……
王子 わたしは、これでも一国の王子、死んだ兄にはかなわねまでも、武芸一般人より優れておるつもりだ。白雪姫に会う時には特に気を配り、家来共も遠ざけておる。あたりには七人の小人達の忍んだ気配、それ以外に人の気配を感じたことはないぞ。ましておまえのような赤ずくめで隙だらけ、郵便ポストのように気配だらけの者など……
赤ずきん フフフ……顔を洗う時気づかなかったよ。
王子 あれは、いつもそこのヨンチョが……
赤ずきん わたしとヨンチョさん、ずいぶん気配が違うよ。
王子 ……まだ起きぬけなんだヨ!
赤ずきん 言葉が過ぎたら許してね。わたし……生きて泣いている白雪さんに会ったの。
王子 なに……白雪姫が生き返ったと言うのか!?(あまりの驚きに、赤ずきんを部屋の隅まで追いつめる)いつ!? どこで!? どんなふうに!? どうしていらっしゃる、あの姫は!?
赤ずきん 夜の間だけ。知らなかったでしょ……日が昇る頃には、あのガラスの棺にもどって、また夕暮れまで死んでいるの。そして、話を聞いたんです。毎朝のあなたの思わせぶりな訪れを……一センチにまで唇を寄せて……そして溜息をつき、せつなそうに首を振り、帰ってしまわれる。この仕打ちのため、白雪さんの心は悲しみとせつなさに加え、ゆうべは憎しみの芽さえ宿していたわ。
王子 仕打ちとは心外!
赤ずきん 心外はこっちよ、あのまま放っておいたら、いずれ人喰いの化物にでもなってしまうわ。
王子 わたしにも人に言えぬ葛藤があるのだ。しかし、今夜にでも森に出向き、生きているあの人に話をしよう、このまま放っておくわけにもいくまい。
赤ずきん それはやめてください!
王子 どうしてだ!? 夜とは申せ、愛している者が生きているというのに。それに、わたしに会えぬ苦しみゆえに悶え、憎しみの芽さえ育てはじめているというではないか!
赤ずきん だめなんです! 夜の白雪さんは昼間の白雪さんではありません。彼女の暗い内面が彼女の姿をも支配し、神もそれを憐れんでか、森に結界を張り、白雪さんが森から出られぬようにしておられます。おそらく王子さまが入ろうとしても、その結界が遮るはずです。
王子 しかし、おまえは……
赤ずきん わたしは赤ずきん、もとから、あの森とは縁のあるグリムのオリジナルキャラクターです。
王子 ……そうか、オリジナルでないわたしには、その結界が越せぬか……
赤ずきん 元気を出してください。日があるうちは、森の出入は自由です。どうか日のあるうちに……そして白雪さんに口づけを……
王子 それができないのだ!
赤ずきん どうして!? あなたの口づけ一つで、白雪姫の物語は、ミッションコンプリート。最後のピースの一コマが埋められ大団円を迎えられるのに!
王子 わたしにその資格はないのだ。物語をゲームとこころえる者には、それでミッションコンプリートの大団円なのだろうが……それから先、わたしはあの人を妃とし、この王国を、この手で治めていかねばならないのだ。
赤ずきん あなたは、白雪さんが嫌いなの?
王子 愛している、心から。熱い口づけを交わし、あの人をしっかりとこの胸に抱きしめたい。あの人を生き返らせたい。その思いで、この胸は一杯だ。もし切り開いて見せられるものなら、この胸たち割って、この真心を、あの人にもお前にも見せてやりたいぐらいだ!
赤ずきん それならどうして!
王子 わたしには無理なのだ、あの人を生き返らせることはできても……幸福にしてあげることができない……!
赤ずきん どうしてよ!
王子 わたしには兄がいた……アニムス・ウィリアム・フォン・ゲッチンゲン。本当はこの兄が姫と結ばれるはずだった、いわばグリムのオリジナル……兄は幼いころから王たるべく育てられ、また、その素質も十分であった。その兄が昨年、病であっけなく死んだ、グリム兄弟も予想もしていなかっただろう。そして、このわたしに、一生気楽な部屋住の次男坊と決めこんでいたわたしに王位継承権がまわってきた……幸い母は元気だ、当分わたしに王位がまわってくることはあるまい。遠いその日まで、少しずつがんばれば……わたしにも王の真似事ぐらいはできるだろう。だが今はそれに加えて、あんな素敵な人を妃にしたら、わたしには荷が重い……あの人を不幸にする!
赤ずきん 要は自信がない、それだけのこと。
王子 そう簡単に言うな! わたしはチョー理性的に言っているのだ。毎日王子としての公務、加えて帝王学に始まる十を超える学習。あの兄が二十数年かけて身につけたものを、わたしはこの数年で身につけなければならない。本番直前に成りあがった、無名の代役のようなものだ。あの人を生き返らせ妃とすることはたやすい。しかし、あの人にかまっている時間がわたしにはない。毎日あの人の眠る森にたちよるために、わたしは毎日三十分、睡眠時間を犠牲にしている。それでも女王である母は良い顔をせぬ。妻にすれば公務のために何日も、何週間何ヶ月も、言葉一つかけてやれない生活が簡単に想像できる。単に自分の醜い独占欲を満足させるだけだ。そんな人形のような扱いをあの人に強いることは、わたしにはできない。
赤ずきん やっぱり、要は自信のなさ、それだけのことよ。
王子 何度も言うな! あの人を籠の鳥にして、それでいいと言うのか!?
赤ずきん ハー(溜息)見かけはいい男なのにねえ……
王子 兄とは製造元がいっしょだからな。兄は車で言えばレーシング仕様の特別製、それにひきかえ、この僕は、ボディこそ似ているものの全てがノーマル仕様の大衆車、それも型落ちのアウトレット。とても勝負にはならない。
赤ずきん そんなことないわよ。たとえ大衆車でレースに向かなくとも、家族を乗せるファミリーカー、シートが倒せたり、クッションやインテリアがよかったり、そういう人を和ませるスペックは、レーシングカー以上よ。
王子 でも、今はその大衆車がカーレースに出ろといわれてるいるんだ! 華奢なエンジンを無理矢理強化し、軽量化のために内装は剥がされ、ロールバーのパイプが張りめぐらされて、とても人を、それも愛する人を乗せる余裕なんてない。
赤ずきん 何よ、弱虫! やってみもしないで結果なんてわかりはしないわ!

この時、ヨンチョが衣裳を持ってあらわれる

ヨンチョ 御衣裳をお持ちいたしました。
王子 ごくろう。

以下着替えをしながら、ヨンチョが慣れた手つきで介添えする。

赤ずきん 愛しているならやってごらんなさいよ!
王子 シー、話はそこまでだ。
ヨンチョ わたしのことならお気づかいなく。小鳥のさえずりは聞こえても、殿下の大事なお話は耳に入らなくなっております。それが近習と申すもの。でも、いざという時はお役に立ちますぞ。申すではありませんか。遠くの親類よりも、近習の他人とか、ウフフ……
二人 ズコ(ずっこける)
王子 ギャグは言う前に申告するように。おまえのダジャレは心の準備がいる。
ヨンチョ ……
赤ずきん そんなに落ち込まなくても……
ヨンチョ 深刻になっております……わかります? 申告と、深刻……アハハ(二人、よろめく)
王子 いいかげんにしろ(着けかけた剣で、ポコンとする)
ヨンチョ 僭越ながら、森へのお通いは、殿下にとって大事大切な御日課と存じます。殿下が森におられる間、森の入口で邪魔の入らぬよう、しっかと目を配っております。心おきなく御考案の上、そろそろ御決断を……
赤ずきん 王子さま……
王子 うん?
赤ずきん 王子さまは、自分でやらなきゃならないことばかり気にかけているわ。
王子 どういうことだ?
赤ずきん 愛しあっているならフィフティーフィフティー、白雪さんにも、変化と努力を求めなければ。そう、王子さまが懸命の努力をなさっているなら、きっと喜んで、我慢もし、努力もするはずよ。夫婦というものはいつもそう、病める時も貧しき時も互いに助けあい……結婚式で神父さまもそうおっしゃるじゃない。彼女は、その苦労をきっと進んで受け入れると思うわ。
王子 ……そうだろうか?
赤ずきん そうよ。王子さまが期せずして、ファミリーカーからレースカーへの変貌をとげざるを得ないのなら、チャンピオンにおなりなさい! キング・オブ・ザ・レーサーに! そして白雪さんは……
ヨンチョ レースクイーンに! よろしゅうございますぞ。ハイレグのコマネチルックに網タイツ、大きなパラソルを疲れたレーサーにそっと差しかけて、ひとときのくつろぎを与える……
王子 レースクイーンか……
赤ずきん もう! 変な方向に期待を膨らませないでください! ヨンチョさんも! 白雪さんは、見かけ華やかなレースクイーンよりも、ピットクルーのチーフをこそ望むでしょう。レース途中で疲れはててピットインした王子さまを、他のクルー達を指揮し、みずからも油まみれになり、限られた時間の中で、タイヤやオイルを交換し、ガソリンを注入し、チューニングをして、再びレースに復帰させる。白雪さんは、その立場をこそ望み、見事にこなしていくと信じます。美しい人形のような妃としてではなく、油まみれの仲間として彼女を愛してやってください……王子さま。
王子 仲間としてか……ありがとう赤ずきん、迷った山道で道しるべを見つけたように気持ちが軽くなった。よし! このこと、この喜びを決心とともに母上に申し上げ、その足で森へ急ぐぞ。二人とも、それまでに馬の用意を……!
ヨンチョ 馬は何頭用意すればよろしゅうございますか?
王子 おまえの名前ほどに……(いったん去る)
ヨンチョ 俺の名前ほどに……どういう意味だ?
赤ずきん ばかだね。ヨンチョだから四丁、つまり四頭という意味でしょ。王子さまとヨンチョさんとわたしの分……そして白雪さんの分!
ヨンチョ なるほど、おめえ頭いいな。
赤ずきん グリムの童話で主役を張ろうってお嬢ちゃんよ、頭の回転がちがうわよ。

王子が再びもどってくる。

王子 すまん、馬の数は、おまえの兄の名前の数ほどに修正だ!
ヨンチョ と、申しますと
王子 わたしは姫と同じ馬に乗る。鞍もそのように工夫しておけ、では……(緊張して額の汗をぬぐう)まず母上から口説かねば……(去る)
ヨンチョ 女王さまは難物だからな……しかし同じ馬に肌ふれあい互いのぬくもりを感じあいながら……これはやっぱりレースクイーンだべ。

王子再々度もどってくる。

王子 バカ、変な想像をするな(ゴツン)
ヨンチョ あいた!
王子 今度こそ行くぞ、母上のもとへ……!

王子上手袖へ、ヨンチョがそれに続くとファンファーレの吹奏、ドアの開く音。

ヨンチョ 皇太子殿下が朝の御あいさつにまいられました!
女王 (声のみ、ドスがきいている)おはいり……モラトリアム……
王子 (うわずった声で)お、お早うございます母上……

ヨンチョをともない上手袖へ、ドアの閉じる音。

赤ずきん 王子さま、がんばって……!(手にした王子のガウンを抱きしめている)

暗転、フクロウの声などして、夜の森のバス停が浮かび上がる。花道を、携帯でしゃべりながら赤ずきんがやってくる。

赤ずきん ごめん、今日はそういうわけで遅くなる、行けないかもしれない。どうしてもつきとめておきたいの、だから婆ちゃんごめんね(切る) 何よ、てっきり白雪さんを連れてもどってくると思ったのに、もどってきたのは、いつもどおり王子一匹! 白雪さんはどうしたの? あの眉間によせたシワはなんなのよ!? 聞いてもちっとも教えてくんないし、ヨンチョのおっさんもあてになんないし……白雪さーん……白雪さーん……と、ここにも姿が見えない。棺は空だったし、きっと森の中にいるはず、小人さんたちのところにいるはずもないし心配だなあ……白雪さーん!

花道に、腕をつり、杖をつきながら、傷だらけの白雪があらわれる

白雪 赤ずきんちゃーん……
赤ずきん あ、白雪さん……どうしたのその怪我は!?(白雪をたすけ、舞台へもどる)何があったの、誰に何をされたの!?
白雪 (泣くばかり)
赤ずきん 泣いてちゃわからないよ。とにかく大丈夫だからね、わたしがついているから。携帯もあるし、いざとなったらお婆ちゃんもオオカミさんもいるからね。ね、どうしたの?
白雪 あの、あのね、ドラゴンがあらわれてね……まだ夕陽が沈みきっていないのにあらわれて、ようやく動けるようになり始めたわたしを襲ったの。今日は側にあった棒きれで追い払ったけれど……明日は殺されてしまうわ……(泣く)
赤ずきん 大丈夫、わたしがついているから、ドラゴンだろうが何だろうが、指一本触れさせやしないんだから……
白雪 ありがとう……今はあなただけが頼り……小人さんたちにもあんな姿は見せられない。心配して、怒ってドラゴンに立ち向かうでしょうけど、とても小人さんたちの手に負えるしろものじゃない。逆に返り討ちにあって全滅させられてしまうわ。
赤ずきん 大丈夫、今夜はおばあちゃんの家に匿ってもらうわ……今朝、お城に忍び込んで、王子さまと話をしたのよ。
白雪 え、お城まで行ってくれたの?
赤ずきん 言ったじゃないか、まかしといてって。水泳とロッククライミングは、白雪さんだけの専売特許じゃないのよ。
白雪 赤ずきんちゃんもやるんだ……
赤ずきん あたりまえよ、友だちじゃないか! 王子さまは真面目な人だったよ。ただ真面目すぎて……
白雪 真面目すぎて……?
赤ずきん 口づけをして救けてあげることはやさしいけども、その後、白雪さんを幸福にできないって。
白雪 どういうこと、他に好きな人でも……
赤ずきん そんなのいないよ。あの人も白雪さんのことが大好きだって!
白雪 だったら
赤ずきん 王子さまは、去年お兄さんを亡くしたの。それで王位第一承継者の皇太子になってしまって、今そのための勉強と訓練が大変なんだって……
白雪 それはわかるわ、わたしも違う王家とはいえ王族の一人。皇太子とそれ以下の並の王子とは、その自由さが天と地ほどに違う……だけど、それを考えても、この仕打ちと言ってもいいおふるまいは理解できない。たとえ王子さまがどんなにお忙しく、お辛くても、それを分かち合ってこその夫婦……いえ、まだ口づけも誓言も交わしあっていないから夫婦とは言えないけども。将来を許しあった恋人としては当然の覚悟、そうでしょ。
赤ずきん そうだよ、それを、朝の一番鶏が時を告げる前からお城に忍び込み,宿直の二人を薬で眠らせて、王子さまが目覚めると同時に説得したわ。病めるときも貧しきときにも互いに助けあい、王子さまが帝王学を学ばれ、懸命の努力をなさっている間、きっと喜んで我慢も努力もされるはず。たとえ何日も顔を会わせなくても、たとえ夜遅く帰ってベットにバタンキューでも、きっと白雪さんは耐えて王子さまを支えてくれるはず。そう懸命にお伝えしたら、そこは賢明な王子さま、女王さまに朝の御あいさつに行かれるころには、ジュピターのように雄々しく……とまではいかないけども……ちゃんと白雪さん救出を神聖な使命とお考えになるようになったわ。わたしを近習の一人として森の入口まで、他の御家来習といっしょの供をするようにお命じになったくらいよ。
白雪 信じられないわ……今朝の王子さまは、いつにも増して、険しい御表情でひざまづいて、わたしの顔をいとおしそうにご覧になって、何やらつぶやかれるばかり。棺の蓋を開けようともなさらずに立ち去ってしまわれた。ごめんなさい……一瞬ではあるけれども、あなたの約束を疑りもした。でも、やはり一日や二日の説得ではあの方の心を動かすことはできないのだと、あきらめ……いえ、気長に待つことにしたの……でも、あのドラゴンののさばりよう……気長に待つうちに、日干しのミイラになる前に骨にされてしまいそう……
赤ずきん しっ! 伏せて、何か邪悪なものが……

二人身をひそめる。バサバサと音をたてて、ドラゴンが梢の高さほどのところを通り過ぎる気配がする(音と光で表現)

白雪 ……今の見えた?
赤ずきん ううん、気配だけ。多分ドラゴン。
白雪 そう、ドラゴンよ。夕方わたしを襲った時も、半分体が透けていたけど、とうとう……
赤ずきん ステルスになっちまいやがった。よほど気をつけないと、不意打ちをくらってしまう。この分では狸バスも……
白雪 どうしよう……
赤ずきん 仕方ない、今夜はわたしも婆ちゃんちに……

携帯を出そうとすると、下手よりかすかなパッシングと間の抜けたクラクション。

赤ずきん 狸バス、あんなところに隠れていたんだ……(狸語が返ってくる)え、今日は特別に婆ちゃんちまで送ってくれる? じゃ、白雪さんを送ってもらって、それから、ちょこっとだけ婆ちゃんと話して、それからお城まで……オッケー?(狸語)え、そのかわりしばらく休業? 仕方ないわねえ、あんなぶっそうなドラゴンがいたんじゃねえ……(白雪に)婆ちゃんに薬をもらおう、よく効くの持ってるから。じゃタヌちゃん、お願いね!(狸エンジンの始動音)

二人、下手の狸バスに行くところで暗転、小鳥たちの朝を告げる声で明るくなる。花道を、王子を先頭に、ヨンチョが続き、赤ずきん遅れて駆けてくる。

王子 だから何度も言ったろう、その場で気持ちが変わったのではない。姫の女性としての尊厳を守るために、わたしはあえて我慢をして……
赤ずきん なにが尊厳を守るよ、白雪さんの気持ちはズタズタよ。
王子 それを乗り越えて自分で行動を起こさねば、一生わたし、つまり男性に従属せねばならなくなる。男の口づけを待って生命をとりもどすなど、女性を男の玩具とし、その尊厳を汚すものだ。わたしに出来ることは、男とか女とかを越えた人間としての地平から「がんばれ、めざめられよ!」と叫び続けることだ。
ヨンチョ 王子は叫ばれた!
王子 「がんばれ、めざめられよ!」
ヨンチョ 「がんばれ、めざめられよ!」
赤ずきん ……それが何やらつぶやかれるってやつね。それ、自分の考えじゃないよね。
王子 わたしのの考えだ!
ヨンチョ 王子さまのお考えである!
赤ずきん 影響されたわね……女王さまに? 朝の御あいさつに行ってから変だもん。
王子 ……参考にはした。しかし自分の考えではある。
ヨンチョ 御自分の考えではある! とおおせられた。
赤ずきん うるせえ!
ヨンチョ おっかねえ……
赤ずきん 家来にバックコーラスしてもらわないと自分の考えも言えないの!? 女王にちょこっと言われただけでコロッと考え変わっちゃうの!?
王子 ……
赤ずきん わたし、昨日は自分の説得力に自信持ったけど、とんだピエロだったようね。さようなら、時間かかるけど別の王子さま探すわ。そして白雪さんの怪我はわたしが治して見せる!
王子 待て! 姫は怪我をしているのか……!?
赤ずきん ええ、森のドラゴンが成長し、夜と昼のわずかな境にも居座るようになり、ガラスの棺からよみがえろうとして、まだ低血圧のところを襲われた。心配はいらない、全治一ヶ月程度の怪我よ。それにこれからは、わたしたちグリムの仲間で白雪さんを守るから……じゃ、さよなら!
王子 待て、待て、行くな……行くなと申しておるのだぞ!(ヨンチョに)赤ずきんをつかまえろ!
ヨンチョ アイアイ(サー……と動きかける)
赤ずきん (花道の途中で立ち止まり)バカヤロー! そんなことも家来に言わなきゃできないのかよ!
王子 ……すまん、わたしの悪い癖だ……頼む、もう一度もどってきてはくれないか?

階段(花道のかかり)まで進み、手をさしのべる

赤ずきん その手は、白雪さんのためにとっておいてあげて(舞台へもどる)
王子 わたしは何をすれば……
赤ずきん 自分で決めて!
王子 何をすればいいか、今言おうとしたんだ!
赤ずきん そう……ごめん……
王子 わたしはドラゴンを倒す! で……どうしたらいい?
赤ずきん そうでしょ、けっきょく人に聞かなきゃ何もできない……
王子 すまん……
赤ずきん やっかいな相手です、成長してステルス化したため、ほとんど姿が見えません。それに、ほとんど夜にしか現れませんから、戦いは困難が予想されます。とどめには、銀の鉄砲に銀の弾……それも正面から急所を狙うか、戦いで弱ったところをしとめるしかありません。
王子 やろう! 銀の鉄砲なら母上のものがある。弾は鉛しかないから、急いで造らせよう。
赤ずきん 待って。並の銀の弾では効果は半分以下。製造から三十年以上たったもので、できたら神の祝福の籠った弾が望ましいんです。昔わたしを救けてくれた狩人のおじさんがそう言ってました。
王子 それはちょっとむつかしいぞ……
ヨンチョ なら、これを……兄のサンチョがお守りがわりにくれた銀の弾です。サンチョの御主人様が神の祝福をうけられたもので、四百年はたっていますで……
赤ずきん ありがとうヨンチョのおじさん。
王子 すまん、この礼はいずれ……
ヨンチョ いずれと言わずに今すぐに。
王子 なに? 抜け目のない奴だ、いくら欲しい?
ヨンチョ なあに、わたしもいっしょに戦わせて下さい。これが条件でさ。
王子 こいつ、わたしに仕えて初めて気の利いた台詞を吐いたな!
赤ずきん もともとはわたしのアイデアなんだからね!
王子 赤ずきん!
ヨンチョ 決まった! 
王子 三人寄れば文殊の知恵も団体割引!
赤ずきん 成功疑いなし!
ヨンチョ 合点!
王子 それじゃあ、実行は今夜、月のアルテミスが、太陽のアポロンと睨みあうころに。
二人 おお!
王子 では、作戦の成功を祈って!(剣を抜く)……一眠りしておこうか、(二人ズッコケる)おまえたちも、夜の戦いにそなえて眠っておけ(去る)
ヨンチョ アイアイサー
赤ずきん ヨンチョさん、もう少し打ち合わせをしておこう、仮眠はそれから。
ヨンチョ 合点だ、今眠らなくても、今夜が永遠の眠りの始まりになるかもしれないからな……

二人、王子とは反対側に退場。暗転。虫たちの集く声して、なつかし色に明るくなる。例の森のバス停前をめざして、主従あらわれる。バス停には「運休」と書いた紙が貼ってある。

王子 あのバス停だな、赤ずきんとの待ち合わせは?
ヨンチョ ちょいと早く来すぎたようで……
王子 気の早いアルテミスが山の上で頬杖ついて、この勝負を見物しているぞ。
ヨンチョ アポロンが西の山から片目だけ出して見物してござる。さても物見高い兄妹どもじゃ。
王子 お、あの赤いフードは?
赤ずきん ごめん、遅くなっちゃった。
ヨンチョ 大丈夫、まだ数分は昼の世界。しかしひやひやさせた分、何か土産があるんだろうな?
赤ずきん するどいねヨンチョのおじさん。
王子 なんだそれは?
赤ずきん 狼のマックスからもらってきたんだ。飲むと感覚が狼と同じくらいに鋭くなるんだよ。
ヨンチョ なんだかハナクソのような……
赤ずきん そんなもんじゃないよ、ちょっとくせがあるけどね(苦しそうに飲む)
王子 なあにハナクソでさえなければ……(飲む。とりつくろってはいるが気持ち悪そう)なあに大したことは……ない。
ヨンチョ おつな味だねえ……で、本当は何なんだい
赤ずきん 聞かない方がいい……
ヨンチョ そう言われると余計知りたくなる。
赤ずきん 青い狼のミミクソ!
二人 ゲッ?!
赤ずきん もどしちゃだめ! あーもどしちゃった。(王子はかろうじてこらえる)
ヨンチョ おまえが言うから……
赤ずきん ヨンチョのおじさんが聞くから……
王子 シッ! 来るぞ……
赤ずきん ほんとだ……
ヨンチョ え、どこに……?
王子 来た!
ヨンチョ え?……ワッ!

ドラゴンの降下音。一瞬目玉を思わせる光が走る、王子と赤ずきんは左右の藪に、素早く身を隠すが、ヨンチョのみ、ボンヤリ立っていてふっとばされる。脱げ落ちたヘルメットを拾いつつ……

ヨンチョ すまん、あのミミクソまだあるか?
赤ずきん 今度はもどしちゃだめだよ……
ヨンチョ ありがとう(あわてて飲む)
王子 今のはほんの小手調べ、上空を旋回しながら様子を見ている……
ヨンチョ 今度は儂にもわかる……
赤ずきん 王子さま。
王子 心配しなくても、貴重な弾を無駄に使ったりはしない。降りてきたところを二三度ぶちのめしてから、とどめに……
赤ずきん 違うの。王子さまには、もう一つ薬を飲んでもらいたいんです。
王子 今度は何のクソだ?
赤ずきん 違いますよ。お婆ちゃんからもらってきた幸福の薬、敵の打撃を弱める力があります。はい、このポーション!
王子 ヨーグルトみたいな味だなあ……
赤ずきん 天使たちが世界中の母親の愛情を一万人分集めて作ったエッセンスだそうです。
王子 そうか、一万人分の母性愛に守られるわけだなあ。
赤ずきん 王子さまは、この国でただ一人の王位継承者、大事にしていただかねば。
ヨンチョ 来るぞ!

戦闘のBGMカットイン、飛翔音、降下音、光が走る。三人それぞれに剣をふるい、ドラゴンに当たるたびに金属音がする。二三合渡りあうと、ドラゴンは再び上空へ、藪へころがりこむ三人(戦闘を歌とダンスで表現してもいい)赤ずきんは頬を、ヨンチョは腕に打撃を受ける。

王子 大丈夫か?!
赤ずきん ホッペを少し(頬横一線に出血)
ヨンチョ 右腕を少し、大丈夫でさあ……かえって燃えてきましたぜ!
王子 気をつけろ、今度は奴も気がたっている……来たぞ!

再び前に増す飛翔音、降下音、光が走る。激闘。ヨンチョ、赤ずきんは何度かころび、ヘルメットはとび、王子の服にも血しぶきが飛ぶ、前回にも増して激しい打撃の金属音。赤ずきんなど、藪までふき飛び、袖もちぎれ、胸から腕にかけて血しぶきをあび「大丈夫か!?」と王子の声、瞬間の気絶のあと、渾身の力をこめて、ドラゴンに斬りかかる(前の台詞を間奏にして、歌とダンスの処理でもよい)

赤ずきん オリャー!

ザクッと金属に切り込む音がして、王子が鉄砲を放つ。意外に重々しい「ドキューン」という腹に響く音。「キュー」っという悲鳴を残し、また上空へ逃げ去るドラゴン

赤ずきん やった?!
ヨンチョ ……いいや、傷は負わせたが急所は外したようだ……
王子 そのようだなあ……二人とも大丈夫か?
ヨンチョ まだまだ。
赤ずきん 大丈夫よ。

と言いながら二人とも、あちこち服は破れ、血しぶきをあび、あまり大丈夫そうではない(これらの傷、血しぶきは藪に忍ばせた黒子による。歌とダンスの処理なら省略)

ヨンチョ 弾はあと二発です。
王子 わかっている。今度こそしとめてやる!(銃を、目標にあわせつつかまえる)
赤ずきん 来る……!
ヨンチョ 来るぞ……!
王子 わたしにまかせろ!!

戦闘のBGM、カットアウト。腰を据え、今や水平からの攻撃の体制に入ったドラゴンにピタリと照準をあわせる王子。剣を構えながらも、動物的勘で身をよじり、王子にその瞬間を譲る二人。ドラゴンは王子一人を目指し渾身の力でいどみかかってくる。二発連続で発砲する王子。断末魔のドラゴンの叫び。この一連の運動はスローモーションでおこなわれる。わずかに間を置いて通常のモーションにもどると、ドラゴンの突撃してきた、ほとんど水平に近い方向から、大量のマンガ、マンガ雑誌、CD、ゲームソフトなどが、空中分解したミサイルの部品のようにとびこんでくる(CD等は実物を使うと危険なので、銀紙を貼ったボール紙などの代用品が良いと思われる。または、音と演技だけで表現してもいい)

ヨンチョ これは……
赤ずきん これがドラゴンの正体……
王子 マンガ……CDにゲームソフト……
赤ずきん みんな童話の世界の敵……
王子 敵にしてしまったんだ……
二人 ……?
王子 これらは、みな童話の世界から、別れ、自立し、育っていった者たちだ……それが異常繁殖し、ドラゴンとなって、この世界を食いつぶしかけていたんだ。
ヨンチョ とんでもねえ野郎共だ(踏みつける)
王子 よせヨンチョ……ドラゴンに変化したとは言え、もとはわが同胞、兄弟も同然、後ほど、塚をつくり丁重に葬ってやろう。
赤ずきん 王子さま……
王子 おお、こんなに怪我をして……二人ともよくふんばってくれた。
赤ずきん 王子さまこそお怪我は?
王子 大丈夫、みな軽いかすり傷だ……
ヨンチョ おう、あれに……!

花道に白雪があらわれる、怪我は意外にも治りかけていて、額や頬にバンソーコウを残す程度に回復しかけている。

白雪 王子さまーっ! 赤ずきんちゃーん! それに……
ヨンチョ 王子さま第一の家来にして近習頭のヨンチョ・パンサと申します。
白雪 こんにちはヨンチョさん、そしてありがとう。みなさんの御奮闘ぶりは、その丘の木陰から見せていただきました。三度目のドラゴンの突撃の時など思わず目をふせてしまいましたが、御立派にお果たしになられたのですね。
赤ずきん 駄目じゃないか、ちゃんとお婆ちゃんの家に籠っていなくちゃ。
白雪 ごめんなさい、赤ずきんちゃんの話を聞いて、時刻がせまってくると矢も盾もたまらず。それに夜になって体が自由になると、思いの他傷も……ゆうべお婆ちゃんにいただいた薬が効いたみたい、幸福のポーション。
赤ずきん でも、それ古い薬だから、効き目は半分だね、まだ、体のあちこちが痛いでしょ?
王子 そう、お体はしっかりといたわらねば。
白雪 それはこちらが申す言葉ですわ。三人とも、こんなに傷だらけになられて。
赤ずきん 白雪さん……
白雪 御心配ありがとう、でも、もう大丈夫。こんな痛み、薬の力で半分に、そしてこの喜びと感謝の気持ちでさらに半分に減ったわ……今までは仮死状態の心の目でしか王子さまを見ることができなかったけど、やっとこうして、フルカラー、スリーDのお姿として拝見して……バーチャルじゃない、本当の王子さまなのね。
赤ずきん きまってるじゃないか。百パーセント混じりっ気なしの王子さまだよ。
ヨンチョ 戦闘で、ちょいと薄汚れっちまってらっしゃいますがね、なあに一風呂あびて磨き直せば、この百五十パーセントくらいにはルックスもおもどりになります。
白雪 いいえ、このままでも、わたしには十分凛々しく雄々しくていらっしゃいます。これ以上磨かれては、そのまぶしさに目が開けていられなくなります。
王子 姫……
白雪 王子さま……
赤ずきん 行け! 白雪さん!

白雪、その場で半歩進み、目を閉じ、王子の口づけを待つ姿勢をとる。

王子 白雪姫……(白雪を両手で抱きしめ、口づけの一歩手前までいく)しかし、今のわたしは汗くさい……
三人 ガクッ……
白雪 何を汗くささなど、お気にしすぎです。それこそ殿方の雄々しさのしるし、その軽い塩味こそが男の値打ちと申すもの
赤ずきん がんばれ、塩味王子!
王子 エヘン、オホン……
ヨンチョ 勝負どころでございますぞ、殿下!
王子 ケホン、では……
白雪 どうぞ!

再度いどむ王子! しかし一センチの壁を越えられない……

王子 だめだ……わたしという男は!
白雪 王子さまあァ……
ヨンチョ 殿下ァ……(わが事のように身悶える)
赤ずきん こんなオクテ見たことないよ……
王子 (顔を被って)すまん……泣きたいくらい自分が情けないよ。
白雪 泣きたいのは、わたくしの方でございます。
ヨンチョ ここで口づけなさいませんと、姫は朝にはまた仮死状態におなりになるのですぞ……!
赤ずきん わかった、最後の手段!
王子 何か他の方法が……
白雪 あるの!?
赤ずきん 二人とも、例の一万人のお母さんの心のエッセンスの薬、幸福のポーションを飲んだでしょう?効き目は半分ほどしかないみたいだけど……握手をしてごらんなさい。ほら、二人とも愛しあっているから……握手と言っただけで、外分泌腺を刺激して汗ばんできたでしょ。口づけのかわりになるかもしれない……
王子 握手ぐらいなら……
白雪 少しもの足りないけど……
王子 では、姫、失礼します!
白雪 どうぞ……

握手する二人、赤ずきんはポンプの仕掛けにかかる。

赤ずきん 誓いの言葉を……黙っていちゃあ何の握手だかわかんないでしょ!
王子 なんと言えば……
ヨンチョ じれってえ……
赤ずきん 「愛しています」でいいわよ
王子 ……(息を吸う)
白雪 愛しています、神の御名にかけて、そしてわが命にかけて……愛しています。
王子 うん……あ、愛しています、神の御名と、この名誉と……
白雪 この方々の友情にかけて、愛しています。

この誓いの言葉の途中から、白雪のおなかが膨らみはじめる(白雪のスカートの中に風船が仕込んであり、白雪の背後で赤ずきんが懸命にポンプを押している。工夫は様々)

白雪 あ……ああ、なんということ!?
ヨンチョ おお、なんという神の御技!
白雪 ああ、おなかが、おなかの中に赤ちゃんが……
赤ずきん この薬、オクテのおじいちゃんを口説かせる時に使ったって言ってたけど、ほんとうに、効き目があったんだ!(白々しい。赤ずきんはかなりの役者である)
王子 これは、早く医者を産婆を……誰がサンバを踊れと言った(ヨンチョをはり倒す)そうか、人まかせではいかんのだな、赤ずきん?
赤ずきん そうよ、自分で、自分の愛する者のために行動をおこして!
王子 わかった、わたし自身、城下まで走り医者と産婆を連れてこよう、ヨンチョ、赤ずきん、それまで姫を頼んだぞ!
ヨンチョ アイアイサー!
赤ずきん まかしといてー!
白雪 がんばってね、あなた……



赤ずきん けなげねえ……少しかわいそうな気もするけど……
ヨンチョ ああやって大人になっていかれるんだモラトリアム王子は……
白雪 もういいかしら……
赤ずきん いいわよ、もう峠のむこうまで行っちゃったから。

白雪、手にしていたピンで、おなかを一刺しする、ボンと音がして、おなかの風船が割れる。

白雪 なにか騙したようで気がひける。
赤ずきん 念のためと思ったことが役にたったんだからいいじゃない。
ヨンチョ 儂も事前に話を聞いていなかったら、ぶったまげて怒ったかも知れねえだども、これでいいよ。さっきの戦闘指揮もなかなか立派なもんでがした。お子様の方は、男と女いっしょに暮らしていれば、どうにかなるもんだで。
赤ずきん おじいちゃんの時はうまくいったんだけどね。
ヨンチョ 何十年もたってるんだで仕方のないことさ。なんせ敵の攻撃をやわらげ、傷もやわらげ、オクテの男もやわらげようって欲ばった薬だもんなあ、その分効き目が早く抜けても仕方ねえ。
白雪 王子さまには想像妊娠だったって言えばいいのね?
赤ずきん でも、これでもう朝がきても仮死状態にもどらないはずだよ……気がとがめる?
白雪 ……
赤ずきん 王子さまの手を握ったとき、心が通じたような気がしたでしょ?
白雪 うん……シャイで恥ずかしがり屋で、普段は思ってることの半分も言えず、やりたいことの十分の一もできない……その分良くも悪くも思い込みが強く……これと思うことにはまっすぐで……
赤ずきん まっすぐ白雪さんを愛している。
白雪 手を握って王子さまと目があったとき、一瞬本当に赤ちゃんが……ウッ(口をおさえて、えずくはじめる)こ、これって……ウッ
赤ずきん 効いたんだ! そうか、つわりだよ白雪さん! 白雪さんも傷を治すためにゆうべ 飲んだから、飲んだもの同志手を握って汗を通して効き目が〇.五かける二で一に、元の効き目が出てきたんだ!
ヨンチョ ほ、ほんとけ!?
赤ずきん きっとそうだよ。
白雪 嬉しい……けど苦しい……ウッ……
赤ずきん がんばりな白雪さん。
白雪 うん……がんばる……
ヨンチョ 儂は何を?
赤ずきん 婆ちゃんとオオカミさんに知らせてきて。
ヨンチョ アイアイ……
赤ずきん ごめん、それよりも、王子さまを手伝って二人で、お医者様と産婆さんを背負って……
ヨンチョ アイアイ……
赤ずきん でも、やっぱりお婆ちゃんに……いえやっぱり王子さま……やっぱ婆ちゃん……がんばって白雪さんん……やっぱ王子……やっぱ……

白雪がえずきはじめた頃からハッピーエンドを思わせるテーマFI ここで一気にFUして、キャストと出られるだけの黒子、スタッフが出てきてフィナーレの歌とダンスになり……幕


【作者の言葉】
ちょっとだけ大人びた童話です。楽しく演じて下さい。そのためには、稽古は多めに装置はシンプルに。ドラゴンの空中分解、役者と息があわないと芝居をつぶします。マンガやゲームソフトは大量に、最低でも五メートルは飛ばして下さい。むつかしい場合は音響と演技だけでもやれます(音響は第二の役者という言葉もあります)白雪のおなかが膨らむ仕掛け、簡単ですが、あなどらず、何度も稽古してください、ふうせん以外の方法もあると思います。とにかくシンプルで確実なものを。花道は「できたら」ぐらいでいいです。
また、全員女子で、宝塚ののりでやっても楽しいと思います、女子校にもおすすめの一品です。


【作者情報】《作者名》大橋むつお《住所》〒581-0866 大阪府八尾市東山本新町6-5-2
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小規模少人数高校演劇部用戯曲脚本台本 『二十四の瞳』

2011-12-26 20:24:11 | 戯曲

 二十四の瞳
大橋むつお

喜多方市の高校、新潟の高校などで上演していただきました。上演される場合は下記までご連絡ください。
【作者情報】《作者名》大橋むつお《住所》〒581-0866 大阪府八尾市東山本新町6-5-2
《電話》0729-99-7635《電算通信》oh-kyoko@mercury.sannet.ne.jp



時  現代
所  東京の西郊

登場人物
瞳  松山高校常勤講師
由香  山手高校教諭
美保  松山高校一年生


東京、西部郊外の公園。秋の枯葉がチラホラ舞い落ちるベンチの傍らに、由香が、プレゼントの包みを抱えて、所在なげに佇んでいる。ややあって、下手から瞳が、折りたたみ自転車のブレーキの音をきしませながら飛び込んできて、上手の端で、ようやく停まる。

瞳  キャー!(きしむブレーキ音)
由香 うわっ!
瞳 ごめん、待った?
由香 びっくりするじゃないよ! 待つのも待ったけど……。
瞳 ブレーキの効きが悪くって、やっぱ中古のパチもんはだめだわ。ともかく待たせてごめん。今日も明日も忙しいのなんのって……で、それ、あたしのバースデイプレゼント?
由香 うん、一日早いけど。残念ねえ、今日か明日でも空いてりゃ、わたしのおごりでパーティーしてあげるんだけど、お互いスケジュールがあわないから、バースデイパーティーは、恒例の忘年会と兼ねるということで。
瞳 え、ということは、今年の忘年会は、あたしおごってもらえるんだ!
由香 何言ってんのよ。忘年会の会費は平等にって、学生時分から決めてあるでしょ。
瞳 うそ、それって……。
由香 気持ちよ気持ち。
瞳 なるほど、気持ちで済ませようって腹か。
由香 何言ってんのよ、十分も遅刻した上に自転車で轢き殺しかけといて!
瞳 だから、それはごめんて……。
由香 ま、ケーキの一つぐらいは用意させてもらうつもりだから。
瞳 え、イチゴとかデコレーションいっぱいのバースデイケーキ?
由香 そんなの食べたら、忘年会のお料理食べられなくなっちゃうでしょ。プチケーキよプチケーキ。
瞳 プチケーキ……。
由香 なに不満そうな顔してんのよ。だいたい二十五にもなろうって女がさ、女友達から、バースデイパーティーやら、プレゼント期待する方が、みっとも……。
瞳 ん……?
由香 ……(アセアセ)
瞳 いま、「みっともない」って言いかけたよね……それが親友の言葉(泣き崩れる真似)どうせ、あたしなんか、あたしなんか……ヨヨヨ……。
由香 あたしなんか女に明日なんてこないぞ。
瞳 何言ってんのよ。あたしだって、ボーイフレンドの一人や二人目の前にして、バースデイパーティーくらい……。
由香 え、そんな予定あったの……さすが!
瞳 あったらいいなって……。
由香 やっと、学生時代のノリになってきたね。
瞳 じゃあ、そのノリで忘年会の費用ジャンケンで決めよう!
由香 おーし!
瞳 最初はグー、ジャンケンホイ!(瞳チョキ、由香パーで勝負)やりー!
由香 アチャー……しくじった。
瞳 焼きが回ったわね。チョキの法則忘れるなんて。
由香 ああ、チョキの法則!?
瞳 そう、最初はグーで出したら、次はチョキかパーしか無い。チョキを出しておけば、勝つか、あいこ。だから勝つ確率が一番高い。心理学で習ったじゃんよ。
由香 そういうことは覚えがいいのよね。
瞳 なにさ、どうせ採用試験には関係ないわよさ。
由香 ひがまないでよね。でもさ、明日スケジュールが詰まっているって言うのは?
瞳 文化祭の居残り当番。本番二日前、生徒たちもそろそろ熱が入って、完全下校は八時は軽くまわりそうね。
由香 なるほどね。
瞳 彼氏がいたら、たとえ十時でも十二時でも、バースデイパーティーやってもらうわよ。
由香 勝負パンツ穿いて?
瞳 アハハハ……て、ほんとだね。ま、ありがたく頂戴いたします(相撲の力士のように手刀を切る)
由香 それでは、大石瞳の一日早い二十五歳の誕生日を祝って……(クラッカーを取り出す)
瞳 ちょっと待って、写真撮るから(カメラと三脚を取り出す)
由香 え、カメラ用意してんの?
瞳 これ用意するのに時間かかっちゃって。
由香 これ、プロ用のデジカメじゃん。
瞳 理科の先生にマニアがいてね……いくよ。五、四、三、二、チーズ(クラッカーの音とシャッターの音が同時にする。クラッカーの中身といっしょに枯葉がチラホラと舞う。間)
瞳 ……なんだか一抹の淋しさを感じるね。
由香 なにぜいたくなことを言ってるのよ。世の中には誰にも祝ってもらえないで誕生日迎える女が山ほどいるよ。
瞳 わかっておりますわよ、友だちのありがたみは。
由香 それなら、もっとありがたがりなさいよ!
瞳 ヘヘ!……(袋を開ける)うわあ……手編みのセーターじゃん!
由香 たっぷり一ヶ月はかけさせてもらいました。
瞳 いやあ、ありがとう、手間隙かかっちゃったでしょ。いやあ袖とか襟まわりとか難しいんでしょ、よく編めてる(セーターを着る)
由香 でしょ!
瞳 ちょっと複雑な気持ちだなあ……。
由香 え?
瞳 これ、ほんとうは自分のために編んだんじゃない?
由香 え……。
瞳 丈が、微妙に長い……。
由香 今年は、そういう微妙にザクッとしたのが流行なのよ。指先がチョコッとだけ出るようなのが萌えーっちゅう感じで男心をくすぐるんよ!
瞳 いまさら萌えーっちゅう齢でもないでしょ、あたしたち。
由香 なによ嫌だったら返してよ。
瞳 ありがたいと思ってるわよ。ほんとはペアルックで、色違いのを編んで彼にあげようと思って。思うだけであげられなかったせつない女心……その宙に浮いたペアルックの自分の分をあたしに……。
由香 瞳!
瞳 かまわないわよ、たとえ流用にしろ、由香の情熱のこもったセーター。ありがたく着させてもらうわ、この編み目一つ一つに由香の想いを感じながら……。
由香 あのねえ、手芸はわたしの趣味と、仕事のストレスの解消なの!
瞳 それは、それは……じゃ、ついでにあたしの写真撮ってくれる?
由香 え、一人だけで?
瞳 うん、写りがよかったら見合い写真とかにしようかなって、こういう萌え系もいいんじゃない?
由香 なによ、さっきはそういう齢じゃないって言っといて。
瞳 はいはい、チーズ。
由香 もう(シャッターを切る。三脚の脚が一本縮んでカックンとなる)何よこれ!
瞳 ごめん、カメラはいいんだけど脚にまでは、手がまわってないって……ちょっとコツがね、よし、これでいいと思うよ。
由香 じゃ、いくよ。こっちも仕事でストレスたまってんだからね(シャッターを切る)
瞳 仕事のストレスってあるの、山手みたいないい学校で?
由香 あるわよ。そりゃ、担任やってるといろいろと。
瞳 たとえば?
由香 教師同士の人間関係とか、生徒の無気力さとか、縮まらない距離とか……。
瞳 ふうん……。
由香 こんなこと言っちゃあなんだけど、瞳は常勤講師で、担任もないから気楽なもんなんでしょうねえ(シャッターを切る)
瞳 それがねえ……。
由香 なんかあるの?
瞳 あたしが副担やってるクラスの担任、うつ病で倒れちゃって、現実的にはあたしが担任の代行やってんのよ。隣の担任も休みがちで、ほとんど二クラスの担任代行。
由香 ええ! それって、瞳は常勤講師でしょ?
瞳 うん、そうなんだけどね……。
由香 学年主任とかいるんでしょ?
瞳 それが、頼りないオッサンたちで。たてまえは学年主任と主席が代行っていうことになってんだけど、現実は日々の指導から、先月は懇談まで。今も、家庭訪問にいくついでに……。
由香 え、この自動車大好き女が自転車で通勤してんの?
瞳 ううん、ちゃんと自動車で通ってるわよ。これ、セコの折りたたみ。車に積んでんの。
由香 え、自動車通勤ってヤバいんじゃないの?
瞳 三年もやってりゃ開き直り。車は近くの駐車場に預けてあるから。
由香 それじゃ……。
瞳 家庭訪問は自転車。小回りが効くし、駐車する場所気にしなくていいでしょ。それに汗水たらして自転車で行くと、いかにも先生が苦労してますって感じで、演出効果もばっちり。
由香 だけど、そんな担任みたいな仕事、常勤講師なんだから、学校もいつまでもほうっておかないでしょ、常勤講師は常勤講師なんだから。
瞳 そー常勤講師、常勤講師って言わないでよ。
由香 それは……。
瞳 現役一発で通った由香と違って、三回も試験に落ちてる身だよ。好きこのんで常勤でいるわけじゃないもん。
由香 そんなつもりで言ったんじゃないわよ。わたしだって、初めての担任で、クラスは苦しいし、もう二人も退学させてんのよ。そのたんびに親には泣きつかれるし、子供にはすねられるし……。
瞳 あたしなんか二十四の瞳よ。
由香 え?
瞳 もー、洒落が通じないんだから。あたし、大石瞳が二十四歳……今日までだけどね。その瞳と、生徒の瞳が二十四個だって洒落。
由香 え……ということは、二クラスで十二人しかいないの!?
瞳 ううん、四十八人。
由香 ……それじゃ四十八の瞳じゃないの?
瞳 生徒たちの目は、半分学校の外に向いてる。だから二十四個のお目々……わかる?
由香 なるほど。で、最初は何人いたの?
瞳 留年生をいれて七十一人。
由香 二十三人も消えたの!?
瞳 うん、そいつらはお目々が二つとも学校の外に向いていた。それでも無事に退学にもっていくのはなかなかよ。信じられる、二十三人中、二十人まではあたしが始末したんだよ。
由香 瞳の学校ってたいがいなんだね……。
瞳 学年で、卒業までに百人は消える。それが、今年の一年生は一年で百人に迫る勢い……。
由香 ということは……。
瞳 そう、学校の外向いてる瞳が、まだ三つ四つは消えるんだろうね。そのためのアリバイってゆーか、伏線張りにいくための家庭訪問……いわば営業だわね。営業目標は無事な退学……。
由香 だけど、瞳は講師なんだから、そこまで責任持たなくても。それに、来年の試験に受かったら、別の学校に……。
瞳 由香はたまたまいい学校にあたったのよ、山手高校っていう……。
由香 それでも……。
瞳 そう、それでも二人退学、生徒との距離はひらく一方……でしょ。ちょっと写真忘れてるよ。
由香 え、ああいくよ。
瞳 東京の……(ニッコリ、シャッター音)いや、多分日本中の学校が多かれ少なかれ……(ニッコリ、シャッター音)中味のないカラだけの卵になりつつあるんじゃないかと思う(ニッコリ)……。
由香 いくよ(シャッター音)だから色々やろうとしてるんじゃない。特色ある学校づくりとか、総合学習とか……ハイ(ニッコリ、シャッター音)
瞳 それって教育委員会の看板そのものじゃん。そんな新任研修で言われるようなこと本気で信じてるの?
由香 だって(ニッコリ、シャッター音)何か信じることからしか始まらないじゃない。自分の言葉でうまく言えないから、つい都教委の看板持ち出しちゃったけど、ハイ(シャッター音)
瞳 教育ってさ、そのカメラの三脚と同じだと思うんだ。
由香 (ファインダーから目を離して)三脚?
瞳 学校と家庭と社会、その三つがしっかりしていないと教育なんて成り立たないと思うんだ。一本でも欠けたら、カメラも教育もこけちまう……それわかってて学校ばかりいじくって注文つけてくるんだ。学校って立場弱いからさ、文句つけやすいじゃん……学校って卵。人間を人間らしく生むためのね、でももう中味はとっくに無くなったカラだけ、それわかっててポーズとってるだけ……(シャッター音)あ、今のだめ!
由香 ちょっとした憂い顔、よかったよ。
瞳 そう……あたしのアリバイの家庭訪問と五十歩百歩。
由香 だから、だからこそ、カラの中味を埋めていく努力をしなくちゃならないんじゃない。
瞳 由香だって、ついさっきまではグチってたじゃんよう。
由香 グチはグチだよ。現実は前に向かって、カラの卵に白身も黄身も入れるようにしなくちゃならないし、そう信じていこうよ。
瞳 信じられないよそんなこと……そうやって信じて中味をつめこんだ卵って、きっとヒヨコにはかえらない無精卵だと思う。
由香 瞳……たそがれちゃってるぞ。
瞳 ハハ、由香の前だから油断しちゃったな。オーシ、営業用の空元気!
由香 よーし、じゃ、その空元気がでたところでもう一枚!
瞳 ヘーイ!(とびきりのニッコリ、シャッター音)ありがとう、もうそれぐらいでいいや。そろそろ三脚あぶなそうだから。
由香 (カメラのモニターを見ながら)おー、けっこういけてんじゃん。
瞳 ほんとだ、いっそこの写真でどっかのオーディションでも受けに行こうか。歳ごまかして!
由香 案外いけるかもね。
瞳 ビジュアル系のモデルさんみたいね。
由香 お笑い系のモグラさん!
瞳 なに!?
由香 アハハ……。
瞳 この!……あ!?

この時、瞳は公園の外を歩く人物に気づき、下手に駆け去る。

由香 瞳……。

瞳、すぐにクラスの生徒、美保を引き連れてもどってくる。

瞳 今日は、どうしたのよ!? 今から美保の家へ行こうと思ってたとこだよ!
美保 ……。  
瞳 この人は先生の友達。山手高校の鈴木先生。美保の家へ行く前にこの公園で立ち話してたとこ。先生の同業者だから気にしなくていい。ごめんね由香(カメラをたたみはじめる)
由香 ううん。    
美保 山手……偉い学校の先生なのね。大石先生より賢いの?
瞳 そうね、あたしと違って本雇いの先生だからね。
美保 ああ、先生って、一年契約の先生だもんね。こっちの先生は一発で通ったの?
瞳 そうよ、あたしが三回もすべった採用試験を一発で……(カメラをたたむ手が一瞬止まる)美保、今あたしを見下した目をしたろう?
美保 いや、そんな……   
瞳 正直に言え! 正直さだけが美保の取り柄なんだからな、口で違うことを言っても表情には正直に出てるよ……正直に言った方が身のためだぞ……。  
美保 いや、あの……うん。
瞳 よし、正直でよろしい。
美保 じゃあ……大石先生って、ほんとうはバカなの?
瞳 そうだよ……って、なんでそうなるんだよ!?
美保 だって正直に言えって……。
瞳 試験だけが教師の値打ちを計る物差しじゃない。こっちの先生とあたしは総合的には甲乙つけがたいくらいにエライんだよ。
美保 そう……でも先生は……。
瞳 何だよ……。
美保 そんな……絡まないで……。
瞳 なんだと……。
美保 くださいよ……。
瞳 バカ……絡むって言うのはな(指の骨を鳴らす)
美保 先生……。
瞳 オリャー!(コブラツイストをかける)
美保 イテー!
由香 瞳! 生徒にプロレスの技かけてどうすんのよ。
瞳 あのう、つっこみはもうちょっと早めにしてもらえる?(美保を解放する)それにもうちょっと気の利いたつっこみしてもらわないと、ボケようがないでしょ。
由香 すみません……て、なんでわたしが謝らなきゃなんないのよ!
美保 ごめんなさい。大石先生とはいつもこうなんです。由香……っていうんですね。あたしの妹と同じ名前。妹もがんばったら山手高校ぐらいいけるかなあ……。
由香 美保ちゃん、あなた、学校で人の優劣を考えちゃだめよ。
美保 だけど、松本高校はバカな学校でしょ?
由香 そ、そんなことないわよ、ねえ瞳。
瞳 いや、ある(二人ズッコケる)由香の言うとおり、うちはバカの集団の学校だよ。
由香 瞳……。
美保 そうだよねえ……。
瞳 だけど、バカなのは勉強のことで、人間のことじゃない。うち卒業したり中退したような子たちでも、立派な大人になってる奴はいっぱいいるからね。
美保 そうなの?
瞳 そうだよ。卒業してもいい。中退してもいい。だけど中途はんぱにブラブラしてる奴は一番ダメだ。それは、うちの学校でも山手高校でも同じことだよ……今日はなんで休んだ?
美保 ……なんとなく。
瞳 なんとなくか……それも正直でよろしい。だけど先生懇談でも言ったろ。なんとなくで休んじゃだめだって……今日で音楽切れちゃったよ。音楽は……。
美保 十三時間でパー。今日で十四時間だもんね。
瞳 日数も厳しいよ……あと十六日でアウト……二度目のダブリはきついぞ。
美保 う、うん。
瞳 十三単位でアウト、わかってるよね? 音楽二単位でアウト決定だから、残り……。
美保 十一単位でおしまい。  
瞳 そうだよ。そのへんは懇談でちゃんと説明したよね?
美保 これから……がんばる。
瞳 信じてやりたいけどなあ……。
美保 今までが、今までだから?
瞳 うん。だけど悪くとっちゃだめだぞ。
美保 うん……。
瞳 四月の最初に先生言っただろ。教育は掛け算だって……先生が十のこと教えて、あんたたちの心が十なら答えは百、一だったら十。そんで、ゼロだったら答えはゼロ。覚えてる?
美保 あたしゼロ?
瞳 限りなくゼロに近いなあ……。
美保 はあ……。
瞳 だけど、美保はマイナスじゃない。マイナスの数字は、どんな正数を掛けても答えはマイナス。そういう奴は、今の美保みたいに素直な話もできない。だから、そういう正直なとこがあんたのプラスのとこだ。さっきも言っただろ。
美保 うん……。
瞳 先生はね、美保が勉強の面でプラスの気持ちを持ってようが、マイナスの気持ち持ってようが。そのことで、美保って子の善し悪しを計ろうなんて思ってない。
美保 ……どういうこと?
瞳 場所を変えたら、美保の気持ちはプラスに変わる。そう思ってるの。
美保 え……。
瞳 違う学校に行ってみるとか、働いてみるとかしたら……きっと美保にもゼロではない、プラスになれる場所があると思うんだ。
美保 それって……。
瞳 こら、人をそんな詐欺師見るような目で見るんじゃないよ。
美保 だけど、あたし学校にはいたい……先生、あたしのこと辞めさせたいんじゃない?
瞳 バカ、それなら、ちゃんとプラスになって学校に来なよ。学校に来てちゃんと授業うけなよ。な、そうだろ、先生間違ったこと言ってるか(由香に)ね?
由香 え……うん……。
瞳 だろう?
美保 う、うん……。
瞳 これ、今日家まで行って美保に渡そうと思っていたんだ。
美保 これ?
瞳 うち、選択授業が多くって、教室の移動が多いじゃんか。美保、あんまり学校来てないから、自分が受ける授業……教室もよくわかってないだろ、迷子の子猫ちゃん。辞めさせたかったら、こんなサービスしないよ。
美保 ありがとう先生……。
瞳 これでもう「教室わからないんだも~ん」って、言い訳はさせねえからな。数字の上では、明日からちゃんと学校に来てきちんと授業受けたら、かつかつで道はひらけないこともない。そのためには、自分を変えなくっちゃ!
美保 プラスにならなくっちゃだめなんだよね。
瞳 そう。難しいぞ、自分を変えるというのは。
美保 うん。
瞳 できるか?
美保 う、うん。
瞳 ちゃんと先生の顔見て!
美保 ……うん。
瞳 ……万一、だめだった時の覚悟も心の隅の方に置いとくんだぞ。その場しのぎのイイコチャンぶっても、問題先延ばしするだけだからな。
美保 うん。
瞳 ……。
美保 じゃ、もういい……バイトの時間もせまってるから。
瞳 うん。それから……ねえ美保。
美保 うん?
瞳 夜中、バイク乗り回すのは、しばらくやめときな。
美保 ……どうして?
瞳 懇談の時、一人一人に聞いた。美保にも聞いたでしょ?
美保 あたし、免許もバイクも持ってないって!
瞳 反応でね、美保とお母さんの反応で……今みたく、むきになったり、目線が逃げたり……で、こいつは乗ってるなあ……と、あたしの勘。それで警察に問い合わせたの。多摩と府中の警察で、一回ずつ世話になってるわね。
美保 ……。
瞳 ほれほれ、また詐欺師見るような目ぇしちゃって。今さら問題にして、どうこうしようなんて思ってないよ。バイクそのものも悪いとは言わない、あたしも車大好きだから。だけど、今はそのバイクと、そのダチとの付き合いが美保の足をひっぱてるんだ。
美保 それとこれとは関係ないわよ!
瞳 ある! 夜遅くまでバイク乗って、朝学校に来られるわけないだろう……それに、乗ってるだけでは済まないようなことも……。
美保 わかってるよ。
瞳 ……そこまでは詮索しないけどな。今は、そこんとこ手を切らなかったら進級なんかできないよ。
美保 先生、あたしは……。
瞳 まだ、このうえゴチャゴチャと言わせたいの!
美保 ……。
瞳 わかった? とりあえず、せめて進級のメドがつくまでは……いいな……そうでないと、またコブラツイストかけるぞ!
美保 う、うん。がんばるよ……じゃ……先生。
瞳 うん?
美保 何でもない(駆け去る)
瞳 いいか、バイクはやめとくんだぞ!
由香 ……瞳、あんたすごいね……。
瞳 もうちょっと待っててね……(携帯をかける)……ああ美保のお母さんですか? はい、松山の大石です。いま、お家まで行こうと思ったら東多摩公園のとこで美保に出会いまして……ええ、説教しときました。今日で音楽が切れてしまって、残りの日数も十六日です……はい、本人もがんばるって言ってますけど、最悪アウトになる覚悟は……恐縮です。今度落ちたら二度目。二回落ちて卒業した子はいませんから、ええ……それとバイクのこと……ハハハ、申しわけありません、勘で……ええ、ピンときて、警察のほうにも照会させてもらいました……いや、特に問題にして処分しようとは考えてません。ただ、美保の足をひっぱってるのは確実にバイクと、その仲間です……ええ、本人にもメドのたつまでは縁切れって……ええ、本人も飲み込んだ様子ですので……お家の方でも、そのへんよろしく……性根までは腐った子じゃありませんから、まだ信じてやりたいと思います……じゃ、どうぞよろしく(切る)おまたせ、家庭訪問なくなっちゃった。どっか行こうか?
由香 え?
瞳 由香の希望どおり、あたしのバースデイ・イブってことで。もち由香のおごりでね。フランス料理にしようかな……イタメシもいいし……あ、自転車のうしろ乗って。立ち乗りでいいよ。近くの駐車場までだから……いくよ!
由香 あ、ちょ、ちょっと……。

由香が瞳の自転車を追いつつ去る。黒子による明転。BGMがかかって飲み屋。ビール、チューハイ、ウーロン茶とサカナが並んでいる。瞳は先ほどの写真を見ている。

由香 ごめんね、わたしばかり飲んじゃって。
瞳 いいよ、こういう雰囲気じゃないと話せないこともあるし……こうして見ると、どれも今いちだな。
由香 わたしのせいじゃないわよ。
瞳 なにかがハンパなのよ。
由香 え?
瞳 ……やっぱポーズや表情じゃごまかせないか。
由香 え、そんなにブスに写ってるの?
瞳 失礼ね、みんなかわいく写ってるわよ……ただ……。
由香 ただ……?
瞳 どれもこれも空元気……空回りの上に個性が……(ない)
由香 けっこういけてるように思うよカメラマンの腕がよかったから。
瞳 こんなステレオタイプじゃなくって、生きざまが写るようになんなきゃなあ……ほんのかけらでもさ。
由香 わたしのせい?
瞳 違う、あたし自身のことよ、この大石瞳の……もう二十五にもなろうってのに……ね、あとでぶっとばそうよ!
由香 え、あの年代物のミニクーパーで?
瞳 そうだよ。さり気ないけど、見えないとこでギンギンにチューンナップしてあるんだからね、タイヤもエンジンもサスもミッションも……。
由香 あいかわらず走り屋やってんの?
瞳 昔ほどじゃないけどね。合法よ、合法。合法スレスレんところで。高速だって三十キロ以上はオーバーしないようにしてるし、市内なんか、タクシー並の安全運転だったでしょ?
由香 うん、だからとっくに卒業してんのかと思った。
瞳 車は素直だからね。こっちの腕さえしっかりしてたら、手を加えたぶん、きちんと応えてくれる。ところが学校とか生徒とかはね……。
由香 夕方の美保って子の指導なんか立派なもんだったじゃない。あの子も素直に聞いていたし、十年以上やってるベテランの本職に見えたわよ。
瞳 アリバイよアリバイ。生徒の指導も親への連絡も、無事に退学をかちとるためのね。うちで三年もいたら自然に身につくテクニック。 
由香 そう? そばで見ていたら、ちゃんと生徒に愛情持った、いい指導に見えたけどなあ……急にわたしにふったこと以外は。
瞳 百人も辞めていく生徒にいちいち愛情なんかかけてらんないわよ。フリはしてるけどね、愛情持ってるフリは……今日説教した美保も、まあ、十日も効き目があったらいい方だろうね……明日は、まあ来るね。土日挟んで、まあ十日。そのたんびに「よくやった、よく来たな! 明日もがんばれよ!」そして、十日たったら元の木阿弥……期末テストで欠点のオンパレード。できたらそこで引導渡してやりたいけど、美保は性格の弱い子だから、きっと学年末までねばるだろうね。それで学年末で「お世話になりました」の一言も言わせて、シャンシャンシャン。校長も主任も「大石先生ごくろうさん!」それで美保もあたしもお払い箱……だろうね。
由香 常勤講師、一年契約だもんね。
瞳 違う! 長い短いの問題じゃあない……! 自分の一生を掛けた仕事として確かかどうか……たとえば、由香の実らないまま消えていった恋。
由香 なによ急に!?
瞳 山のように編んだセーター。
由香 なによ、夕方の蒸し返し? どうせわたしは夢見る夢子ちゃんよ。
瞳 そんなことないよ! 由香の愛と情熱はいつかはむくわれる。この編み目の一つ一つに、その確かさを感じる。自信持っていいよ!
由香 そうかな……。
瞳 そうだよ、由香の想いはいつかはかなう。いつか必ず由香の良さをわかってくれる男が現れる。その確信が由香の目を輝かせているんだもの!……キラキラキラ……あ、まぶしい!
由香 よしてよ瞳。
瞳 バカ、真剣だよ真剣。
由香 真剣?
瞳 そう、自信持って。ほらほらほら、グッといって、グッと!
由香 そうだよ、そうだよね。わたしだって、いつかはきっと……わたしの魅力に気づかない男共のバカヤロー!
瞳 バカヤロー! そして、いつかは実る由香の恋に乾杯!
由香 そうだよね、わたしにだって、わたしにだって……! ありがとう瞳、もつべきものは親友、自信がわいてきた! 
瞳 なんだったら、セーター返そうか?
由香 いいよ、明日っからもっとスンゴイセーター編んじゃうんだから!
瞳 その意気や良し! その由香の自信にもう一度……。
二人 乾杯!
由香 よし、今度は瞳の採用試験合格を祈って……!
瞳 それはいい。
由香 え?
瞳 あたし、もう辞めようと思ってんの。
由香 ……どういう意味?
瞳 もう、教師になることをやめようと思って……。
由香 なに言ってんのよ、瞳らしくもない。たった三回試験に落ちたぐらいで。たった今わたしを励ましてくれたところじゃないの! 自信を持とうよ、自信を!
瞳 違うの。教師って仕事そのものに、やっぱ魅力を感じてないの。写真見てつくづくそう思った。まあ、もともと車に乗るための金と時間欲しさのデモシカだけどね。見ると聞くとで大違い、三年やって、場違いだってのがよくわかった。夕方美保にも言ったけど、教育は掛け算。ゼロやらマイナスの子たちばかり相手にして、空っぽの卵のカラだけいじくりまわしてると……なにか、自分の持っている数字まで小さくなっていくような気がしてね。
由香 考えすぎだよ、そんなのやってるうちになんとかなるって。
瞳 由香は感覚が違うのよ。学校も、山手みたいな温泉学校にいるから。
由香 瞳だって、試験に受かって正式採用になれば変わるわよ。
瞳 夕方、グチこぼしてたのはだあれ?
由香 グチぐらい誰でもこぼすでしょ。みんなグチこぼして、なけなしの元気を絞り出してやってるんじゃない。
瞳 あたしのはグチじゃあないの。
由香 じゃ、なんなのよ?
瞳 魂の慟哭……。
由香 ドーコク?
瞳 聞こえない? あたしの心臓が血の涙流しながら泣いてんのを!? 
由香 あんた、お酒も飲まないで、よくそんな台詞が出てくるね。
瞳 だから言ったでしょ。由香とあたしは感覚が違うって……ちょっと、このチューハイ半分まで飲んでくれる?
由香 え……うん(半分飲む)これでいい?
瞳 この半分のチューハイを、由香はどう表現する?
由香 え……そうだな、まだ半分残ってる。
瞳 そうだろうね、由香は、のび太君みたいな性格だもんね。
由香 それって? 
瞳 依頼心は強いけど、憎めない楽観主義で、いつも人が助けてくれんの。
由香 それって……。
瞳 誉め言葉のつもりだけど。だって、人柄が良くなきゃ、だれも助けてくれないよ。
由香 じゃ、瞳は?
瞳 もう半分しか残ってない……あたしの心もちょうどこのくらい。その残った半分の心が、もう決めちゃったのよ。
由香 何を?
瞳 あたし、二学期いっぱいで辞めよって決めた。
由香 ええ、辞めて……どうすんの?
瞳 この秋から、姉ちゃんがダンナといっしょに長野でペンション始めたの。あたしもちょこっとだけ出資してんだけど、そこで働こうかと思って。姉ちゃんも、アルバイト使うよりは、身内のほうがよっぽど気楽だろうし。ちょっぴり大きめのペンションだから、人手もけっこう大変なんだ。
由香 だけど……。
瞳 だからさあ、夜の山道ぶっとばそうよ!
由香 ええ、ローリング族とか出るんじゃないの?
瞳 大丈夫よ、週末じゃないし。そんな奴らが走らない道だし、制限速度は三十キロしかオーバーしないから。そのために、あたしウーロン茶しか飲んでないんだよ。ね、山頂からの夜景は絶品だよ!
由香 そう……。
瞳 じゃ、あたし車とってくるから。由香は、お勘定の方よろしくね(伝票を渡して去る)
由香 あ、ちょっと、瞳!

暗転。明かりが入ると、瞳のミニクーパー。キャスター付きの椅子を角材と床板になる板で結びつけたようなものでいい。方向転換や移動は黒子による。BGMが、タイヤのソプラノにかわる。

瞳 ヒヤッホー! 聞いた、今のドリフト! タイヤのソプラノ!……ほら、もういっちょうS字カーブ(右に左にドリフトし、タイヤがキュンキュン、歓喜の声をあげる)たーまらん!
由香 た、頼むから、もうちょっと穏やかに走ってもらえない。わたし、車弱いとこへもってきて、アルコール入ってるから……ウップ。
瞳 仕方ないわねえ。ほらヘド袋、車の中汚さないでよ。
由香 ……大丈夫、飲み込んだから。 
瞳 うわあ、息がヘド臭~い。ほら、ウーロン茶と口臭消し。            由香 ありがと……。                              瞳 大丈夫?
由香 うん、普通の運転になったから大丈夫。
瞳 つまらねえな……。
由香 つまらないのは、こっちだわよ!
瞳 へいへい、安全運転、安全運転……。
由香 ねえ、さっき言ってたペンションの話って、本気?
瞳 あたりき、しゃりきにブリキのバケツよ。
由香 真面目に。
瞳 あたしは、いつも真面目だよ。
由香 それじゃ言うけど、ペンションって御客つくまでが大変だって言うよ。こんなこと言って失礼だけど、軌道に乗るまでは海のものとも山のものとも……。
瞳 山のものってきまってるじゃん。
由香 え?
瞳 だって長野県だもん、山しかないよ。
由香 真面目に。
瞳 だから真面目だって。姉キのペンションは、前のオーナーが歳くって引退するからそのあとを譲り受けての経営。だから、固定客が最初からついてんの。あたしも姉キも元を正せば、その固定客の一組だったんだけどね。
由香 なるほどね、瞳なりの固い計算があった上での話なんだ……。
瞳 あたりまえじゃん、一回ポッキリの人生だもん、いろいろ考えた末の結論よ、ヘラヘラしてるようでも考えるとこは考えてんのよ……ほい着いた(急ブレーキ)
由香 ゲフ……痛いでしょ、急ブレーキかけたら。シートベルトが食い込んじゃったよ。
瞳 見てごらん、この山頂からの東京の夜景……。
由香 うわあ……。
瞳 もうちょっと晴れてたら、都心の方まで見えんだけどね。



瞳 あたし、この夜景見て決心したんだ。
由香 この夜景で?
瞳 うん、この夜景の下にあたしはいない……。
由香 え?
瞳 だって、見てるあたしは、この山の上。
由香 ハハ、そういう意味? でも、そんなの簡単じゃん。山から下りて、家の明かりの一つもつけたら、この素敵な夜景のワン・ノブ・ゼムになれるじゃん。
瞳 千三百万分の一のね……デジカメの画素以下。あたしなんか、いてもいなくてもいっしょ。
由香 タソガレ通り越して、暗闇じゃんよ。
瞳 違う、楽になれたのよ。
由香 え?
瞳 あたし一人が抜けても、この夜景には何の影響もない……だったら、あっさり抜けちゃってもいいんじゃないかって。そしてそれなら、学年末まで義理たてなくても、きりのいい二学期末でおさらばしてもいいんじゃないかって……あたしがいなくても辞めてく奴は辞めてく。多少もめることにはなるかもしれないけど、この千三百万の明かりの、ほんの一つのささやかなエピソード(歌う)ケ・セラ・セラ、なるようになる……と、アララ……。
由香 どうしたの?
瞳 前の景色にばっかり気をとられてたけど左右の景色、よく見てみ~。
由香 え、……ああ車が……五、六、七……もっといる。ここってデートスポットだったんだ。ねえ……車の間隔がほとんど等間隔。
瞳 カップル同士の自然の間隔。お台場のカップルなんかも自然に等間隔になるって言うよ(双眼鏡を出す)夜間の生徒の行動監視用……。
由香 こんなことまでやってんの?
瞳 という名目で、生指部長が持ってたのを預かってんの。
由香 ……とりあげたんだ。
瞳 見てみ~。
由香 ……みんな、よろしくやってる……ちょっと邪魔!(運転席の瞳を押しのける)
瞳 イテ!
由香 ……あの車、揺れてる(生つばを飲み込む)
瞳 その手もとの赤いボタン押すと解像度があがって、よりはっきりくっきりと……。
由香 ……もういい!
瞳 ちょっと刺激的すぎた?
由香 もう、他の場所に行こう!
瞳 いいじゃん、こっちが気にしなかったら何でもないんだから。
由香 だって……。
瞳 いっぺん気にしたら、どうしようもないってか?
由香 もう、瞳!
瞳 何につけ、人間の心ってそういうもんだよね……。
由香 早く車を出して!
瞳 へいへい、じゃ別のスポットに……(バックで車をもどし、本線にもどる)
由香 瞳、平気なの、ああいうの?
瞳 補導で時々見かけるからね、あのカップル達は距離といい、たしなみといい、行儀のいい方だよ……距離って言やあ、昔はもっと離れていたよな……。
由香 何の?
瞳 学校対生徒と親……それぞれのポジションと距離があった、さっきのカップル同士みたいにね。それが、今は違う。ピッタリ距離をつめて、息の仕方から、身のふるまい方まで教えなくちゃならない……三脚の足一本でカメラを支えているようなもの。できるもんかそんなこと! だからやってるフリをする。しつこいほどの家庭訪問、コンビニみたいに品数揃えた総合学習、選択授業。うちの生徒なんか、その移動教室覚える前に辞めてっちまう。そして辞めていくまでカウンセリングに進路指導……できるもんか……。
由香 瞳……。
瞳 今、由香がカップル同士の車の中で耐えられなかったように、今はともかく……将来は必ず耐えられなくなる。うちの正担任の小沢先生みたいに、体か心のどこかがイカレてしまう。知ってる? 教師の寿命って、他の業種よりも短いって……。
由香 ほんと?
瞳 こんなのもあるんだよ、ILOの報告(雑誌を渡す)
由香 ええと、世界……違う、国際労働機関。
瞳 そこの報告によると、教師の現場でのストレスは、戦場における兵士のそれに匹敵するって。
由香 ほんと?
瞳 ほんと……って言っても、辞めるって決心したあたしが言うんだから、アハハ、負け犬の遠吠え、ひかれ者の小唄だけどな……ほい、穴場中の穴場。ちょっと揺れるよ(ガックン、ガックン)どーよ、この景色。気に障るアベックもいないし、いいとこだろ?(車から降りる)
由香 うん、さっきの倍以上いいじゃんか!
瞳 昼間に来るとね、あのへんに湧き水があって、お地蔵さんがあるんだ。なんでも、ナントカ上人が八百何十年か昔に、ここらへんが水飢饉だった時に、杖でポンと突いたら湧き出した水なんだって。昼間はコーヒーやらお茶の水用に汲みに来る人が、ちょくちょくいるよ。
由香 最初から、ここに来ればよかったのに。
瞳 あたしは、さっきのとこで由香の情操教育をしてあげようって思ってさ。
由香 なによ、わたしの情操教育って?
瞳 教師は独身の率が高いからね。
由香 アー、知ってて連れてったってわけ? 余計なお世話!
瞳 アハハ、怒るな怒るな……ほんとうは、ここ、あたしあんまり好きじゃないんだ。
由香 どうして?
瞳 目の下、すぐに学校が見えるでしょ?
由香 え、ああ……校舎の一階、まだ電気がついてるよ。
瞳 ああ、生指の部屋。また何かあったんだろうね。
由香 ほんと、大変なんだねえ。
瞳 由香は、この仕事定年までやってるつもり?
由香 うん……あんまり考えてない。瞳の学校みたいなとこ行ったらもたないかもしれない。でも、その時はその時。さっさと異動希望出して、どこへなと渡り歩いていく。そして、ちょっと小ましなとこに行けたらドンと腰を落ちつけて……。
瞳 オバンになっていくか……。
由香 ハハハ、酒はまだ半分残ってる。チビチビといくわ、わたしは。
瞳 いい性格してるわよ、あんた。
 
この時、一台のオートバイが近くに停車する音がする。

由香 やだわ、こんなとこに族?
瞳 一人みたいね……他にいるかも……。
由香 ポリタンに水汲んでる……普通の人かなあ?
瞳 いや、あの排気音に、あのバイク。族か、そのジュニア……。
由香 あんまりジロジロ見るんじゃないわよ、インネンつけられるよ。
瞳 あの体つき、女の子ね。首まわして、肩揉みほぐしてる。
由香 メット脱いだ……。
瞳 あ、あいつ!(下手に駆け込む)
由香 あ、瞳!

瞳が美保を引き連れてもどってくる。

瞳 どういうつもりだ、夕方話したばっかりじゃないか!
美保 ……。
瞳 先生、十日はもつかと思ったよ、それが半日ももたないか! 夕方の美保はまだゼロだった。いや、まだ素直に話聞いてたから、〇・五くらいはあった。それがどうよ、半日もたたないうちに多摩丘陵をバイクで走りまわるか!? 開いた口が塞がらないよ!
美保 先生、あたし……あたしね……。
瞳 腐った言い訳なんかすんじゃねえよ、この……!(思わず手をあげる)
由香 だめ! 生徒に手をあげちゃ!(瞳を羽がいじめにする)
瞳 放せ、由香! 一発くらわしておかないとこいつの性根は……。
由香 瞳、教師が感情に走っちゃだめなんだって!
瞳 ここで感情に走らなきゃ、どこで走るのよ!
由香 それは……首都高とか……山手線とか……グルグルっと……。
瞳 くっ……。
由香 ……もう、大丈夫?
瞳 大丈夫、由香の下手な洒落で落ち……(由香の羽がいがとける)
由香 落ち着いた?
瞳 落ち込んだ……これがあたしのだめなとこ……十分わかってたはずなのに……明日退学届送ってやるから、サインしてハンコついて持っといで……さ、由香行こうか(車に乗り込む)由香、さっさと……。
美保 ……(物言いたげに瞳を見ている)
由香 瞳、話だけでも……。
瞳 必要なし! あたしにだって限界ってものがある。せっかくのバースデイイブが台なしだ、さっさと乗って! 行くよ!(アクセルを踏む)
美保 あたし、先生のために水汲みに来たんだ!
瞳 !(ブレーキをいっぱいに踏む)
由香 イテッ!
瞳 (車から降りて)今、なんて言った?
美保 ……。
瞳 なんて言ったって聞いてんのよ?
美保 もういい、どうせ学校辞めるんだから!(駆け去ろうとする)
瞳 美保!
由香 先生のために水汲みに来たんだって……言ったんだよね?
瞳 どういうことよ……。
美保 あたし、バイトしながら考えたの……バイトは休んだことない。バイトだったらがんばれる……ゼロじゃない、十にも二十にもなれる……なれるんです。だけど学校ではゼロ。なぜだろうって……給料もらえるから? 友達がいるから? 仕事が楽しいから?……全部答えのような気がして、だけど全部答えじゃないような気もして……けっきょく一言で言えるような答えは出てこなかった。だけど学校ではゼロ。あたし気が弱いから学校続けるって言ったけど……ゼロの場所にいても仕方がない。「がんばります」って言うたびに空しい、自分がカラッポになってくばかりで……自分にも先生にも嘘ついてるばっかりで……そんなことばっか思ってたら、久々にバイトで失敗して……トレーごと片づけてた食器ひっくりかえしちゃって(傷ついた手を隠す)店長に「どうしたんだ?」って言われて、心がそこにない自分に気がついて……(涙が頬を伝う)
由香 それがどうして、水汲むことにつながっちゃったの?
美保 学校辞めようって、その時思った……そのことを、この気持ち大石先生に伝えたいって思って。そうしたら、店長が手当をしてくれながら「それじゃ、この紅茶持ってって、先生と飲みながら話してこいよ。誤魔化さず、素直にな」って。そうしたら、水は、ここの水が一番合うから汲んでこいって……教えてもらった……もらったんです。
瞳 ……誤魔化さず、素直に。
美保 お母さんに電話で話したら、それがいいって言ってくれて……先生、家にも電話したんだね?
瞳 ……うん。
美保 ちょっと前か、他の先生だったら、ただチクられたって頭にくるだけだっただろうけど。夕方先生と話したら……ああ、上手に言えない。
由香 ストレートでいいわよ。
美保 うん……何もかも、ストンと心の中に落ちた。で、先生に会いたかった!
瞳 美保……。
美保 あたし、こう見えても、紅茶の出し方店で一番うまいの……いっしょに飲んでください。
瞳 うん。じゃ、あたしも素直に言うね……あたしもね、あたしも二学期いっぱいで学校辞めようと思って……。
美保 先生……。
由香 ……。
瞳 姉ちゃんがダンナといっしょに長野でペンション始めるから、そこで働こうと思って……。
美保 そんな……先生は先生でいて欲しい……大石先生はやっぱ先生だよ。先生は……先生だけでも、先生でいてほしいよ。辞めるあたしが言うのも変だけど……。
瞳 話は最後まで聞いてくれる。
二人 え?
瞳 今の美保の話聞いて、三学期いっぱいいっぱい居ようと思ってきた。
美保 先生!
瞳 でも三学期までね、契約だから。
美保 本雇いになる夢は?
瞳 もう三回も試験に落ちたし、あたしまだ二十四歳だし……。
由香 今夜限りだけどね。
美保 先生、明日誕生日だったの?
瞳 そうよ、その記念すべき日の退学生があんた。二十四の瞳も今夜限りよ……。
美保 二十四の瞳……。
瞳 ハハ、……いろんな意味でね。
美保 あたしと七つしかかわらないんだ。
瞳 それが、どうかした?
美保 あたし決めたの……いえ、決めたんです。二十五ぐらいまでは、自分探すためにいろいろやってもいいって。お母さんも、今の仕事で身をたてるって決心したのは二十五の時。だから、お母さんも二十五ぐらいまでにって……だから先生も二十四だったら、まだ色々自分の道をさぐっていてもあたりまえじゃない。お互いしっかりがんばろうよ!
瞳 はあ……って、なんであたしがなぐさめられんだよ!
三人 アハハハ……
瞳 そうだ! ねえ美保、三学期まで今のバイト続けて、その後いっしょにペンションで働かない?
二人 え!?
瞳 ささやかなペンションだけど、一応株式会社、あたしもちょびっと出資してるから取締役の一人なんだ。だから従業員一人決める権限くらいはある。そうしよう、お父さんお母さんには、あたしから話したげるから! そこで、お互い次の道をさぐればいい。そうしよう!
美保 だけど……。
瞳 だけど?
美保 わたしの人生なんだから、わたしが自分で見つけなきゃ。
由香 あなた……。
美保 そうさせてください……。
瞳 美保……。
美保 先生……!
瞳 よく決心した。
美保 うん。
由香 よかった!(拍手。感動的なBGMが入ってもいい)
瞳 って……ドラマだったら、美しく終わるんだろうけど、そうはさせないわよ。
二人 え……?
瞳 あたしのこと、一発シバキな。
二人 え……?
瞳 いいから、そうしないと幕が下りない……いいから、こうやって(美保の手を取る)
美保 いいよ……先生。わたしの中じゃ、帳尻あってっから。
瞳 あたしの中で帳尻があわないんだわよ……あたしは、あたしは……美保のことを……。
美保 辞めさせるための、アリバイ指導……だったから?
瞳 ……分かってたの?
由香 あなた……。
美保 優斗も拓也も香弥奈も、辞めてった。みんな知ってるよ。わたしたち、そのへんはバカじゃないから……ううんバカだから、ちゃんと、わたしたちのこと見てくれてるかは分かるんだ。
瞳 美保……。
美保 そんな顔してたんじゃ、生徒は寄ってきてもオトコは寄ってないって……みんな本気で心配してたんだよ。
由香 プフ……。
瞳 笑うな、由香!
美保 だから、だから……あたしは一人でやっていくから。
瞳 あたしのオトコの心配なんて百年早いわよさ。
由香 でもこの子の指摘は確かだよ。
瞳 でも、今の美保の決心なんて、朝になっちゃえば忘れっちまう。そんな無責任な幕は下ろさせないからね。美保は、わたしといっしょにペンションに行く。いいな!
美保 でも……。
瞳 でも……?
美保 そこまで先生に頼りたくない。
瞳 頼りたくなくても、頼りないぞ。ヘタレだぞ、美保は。
美保 ヘタレにもヘタレの意地があるから……。
瞳 美保……。
由香 じゃ、ジャンケンで決めたら!
二人 ジャンケン……?
由香 恨みっこ無しのジャンケン。
二人 よし!
由香 三本勝負……いくよ。
二人 おお!
由香 最初はグー……。
二人 ジャンケンホイ! 
瞳 勝った!
美保 もう一本!
瞳 おーし!
由香 最初はグー!
二人 ジャンケンホイ! ホイ! ホイ!
瞳 勝った!
美保 先生、強いなあ……!
由香 さすがチョキの……。
瞳 オホン。教え子を思う教師の真情よ、真情……最後のね。
美保 先生……でも……。
瞳 この期に及んで、まだ「でも」かよ。
美保 でも、その……ペンションが気にいってしまったら……。
瞳 ハハ、そうしたらずっとそこにいたらいいじゃん……そして……そして何か開けたら、その時はその時。素直にさ……美保の紅茶、ペンションの名物になるかもしれないよ!
美保 先生……。
瞳 なんか文句ある?
美保 あ、ありません!
由香 わあ……見てごらん、むこうの雲が晴れて都心の方まで見わたせる。千三百万人分の明かりだ……。
二人 うわあ、きれい……。
由香 千三百万分の二のエピソードの……新しい始まりだね……。
美保 胸の内さらけだしちゃった。
由香 だね。
瞳 まだまだ、ここは一発叫ぼうよ、胸の内をひっくり返してさ。
美保 はい。
瞳 いくぞ……。
由香 わたしも入れて!
瞳 もちの、論!
美保 じゃあ……一、二、三!
三人 うわー!!
瞳 そうだ、記念写真撮ろう、三人揃って!(デジカメをとり出し、三脚にすえる)
美保 写真撮るんだったら、もうちょっとましなナリしてくるんだったな。
瞳 それで十分。あるがままの自分でいいよ。
由香 今度は三脚大丈夫でしょうね?
瞳 バッチリ……だと思う。いくよ!

タイマーがかかりカシャリとシャッターが切れる。この少し前からエンディングテーマFI、三人無邪気に写真を撮りあう。ここで急速にFUしつつ幕。


作者の言葉
厳しい現実を、サラっとひとすくいのエピソ-ドとして書いてみました。最後のところで人間同士の信頼感を残しました。ドヨ-ンと落ち込んだ芝居ではなく、カラっと演じてもらったほうが伝わると思います。

【作者情報】《作者名》大橋むつお
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高校ライトノベル・エピソード 二十四の瞳(脚本バージョン)

2011-12-12 09:09:26 | 戯曲

エピソード 二十四の瞳(モンド版)
大橋むつお



時  現代
所  東京の西郊

登場人物
瞳  松山高校常勤講師
由香  山手高校教諭
美保  松山高校一年生




東京、西部郊外の公園。秋の枯葉がチラホラ舞い落ちるベンチの傍らに、由香が、プレゼントの包みを抱えて、所在なげに佇んでいる。ややあって、下手から瞳が、折りたたみ自転車のブレーキの音をきしませながら飛び込んできて、上手の端で、ようやく停まる。

瞳  キャー!(きしむブレーキ音)
由香 うわっ!
瞳 ごめん、待った?
由香 びっくりするじゃないよ! 待つのも待ったけど……。
瞳 ブレーキの効きが悪くって、やっぱ中古のパチもんはだめだわ。ともかく待たせてごめん。今日も明日も忙しいのなんのって……で、それ、あたしのバースデイプレゼント?
由香 うん、一日早いけど。残念ねえ、今日か明日でも空いてりゃ、わたしのおごりでパーティーしてあげるんだけど、お互いスケジュールがあわないから、バースデイパーティーは、恒例の忘年会と兼ねるということで。
瞳 え、ということは、今年の忘年会は、あたしおごってもらえるんだ!
由香 何言ってんのよ。忘年会の会費は平等にって、学生時分から決めてあるでしょ。
瞳 うそ、それって……。
由香 気持ちよ気持ち。
瞳 なるほど、気持ちで済ませようって腹か。
由香 何言ってんのよ、十分も遅刻した上に自転車で轢き殺しかけといて!
瞳 だから、それはごめんて……。
由香 ま、ケーキの一つぐらいは用意させてもらうつもりだから。
瞳 え、イチゴとかデコレーションいっぱいのバースデイケーキ?
由香 そんなの食べたら、忘年会のお料理食べられなくなっちゃうでしょ。プチケーキよプチケーキ。
瞳 プチケーキ……。
由香 なに不満そうな顔してんのよ。だいたい二十五にもなろうって女がさ、女友達から、バースデイパーティーやら、プレゼント期待する方が、みっとも……。
瞳 ん……?
由香 ……(アセアセ)
瞳 いま、「みっともない」って言いかけたよね……それが親友の言葉(泣き崩れる真似)どうせ、あたしなんか、あたしなんか……ヨヨヨ……。
由香 あたしなんか女に明日なんてこないぞ。
瞳 何言ってんのよ。あたしだって、ボーイフレンドの一人や二人目の前にして、バースデイパーティーくらい……。
由香 え、そんな予定あったの……さすが!
瞳 あったらいいなって……。
由香 やっと、学生時代のノリになってきたね。
瞳 じゃあ、そのノリで忘年会の費用ジャンケンで決めよう!
由香 おーし!
瞳 最初はグー、ジャンケンホイ!(瞳チョキ、由香パーで勝負)やりー!
由香 アチャー……しくじった。
瞳 焼きが回ったわね。チョキの法則忘れるなんて。
由香 ああ、チョキの法則!?
瞳 そう、最初はグーで出したら、次はチョキかパーしか無い。チョキを出しておけば、勝つか、あいこ。だから勝つ確率が一番高い。心理学で習ったじゃんよ。
由香 そういうことは覚えがいいのよね。
瞳 なにさ、どうせ採用試験には関係ないわよさ。
由香 ひがまないでよね。でもさ、明日スケジュールが詰まっているって言うのは?
瞳 文化祭の居残り当番。本番二日前、生徒たちもそろそろ熱が入って、完全下校は八時は軽くまわりそうね。
由香 なるほどね。
瞳 彼氏がいたら、たとえ十時でも十二時でも、バースデイパーティーやってもらうわよ。
由香 勝負パンツ穿いて?
瞳 アハハハ……て、ほんとだね。ま、ありがたく頂戴いたします(相撲の力士のように手刀を切る)
由香 それでは、大石瞳の一日早い二十五歳の誕生日を祝って……(クラッカーを取り出す)
瞳 ちょっと待って、写真撮るから(カメラと三脚を取り出す)
由香 え、カメラ用意してんの?
瞳 これ用意するのに時間かかっちゃって。
由香 これ、プロ用のデジカメじゃん。
瞳 理科の先生にマニアがいてね……いくよ。五、四、三、二、チーズ(クラッカーの音とシャッターの音が同時にする。クラッカーの中身といっしょに枯葉がチラホラと舞う。間)
瞳 ……なんだか一抹の淋しさを感じるね。
由香 なにぜいたくなことを言ってるのよ。世の中には誰にも祝ってもらえないで誕生日迎える女が山ほどいるよ。
瞳 わかっておりますわよ、友だちのありがたみは。
由香 それなら、もっとありがたがりなさいよ!
瞳 ヘヘ!……(袋を開ける)うわあ……手編みのセーターじゃん!
由香 たっぷり一ヶ月はかけさせてもらいました。
瞳 いやあ、ありがとう、手間隙かかっちゃったでしょ。いやあ袖とか襟まわりとか難しいんでしょ、よく編めてる(セーターを着る)
由香 でしょ!
瞳 ちょっと複雑な気持ちだなあ……。
由香 え?
瞳 これ、ほんとうは自分のために編んだんじゃない?
由香 え……。
瞳 丈が、微妙に長い……。
由香 今年は、そういう微妙にザクッとしたのが流行なのよ。指先がチョコッとだけ出るようなのが萌えーっちゅう感じで男心をくすぐるんよ!
瞳 いまさら萌えーっちゅう齢でもないでしょ、あたしたち。
由香 なによ嫌だったら返してよ。
瞳 ありがたいと思ってるわよ。ほんとはペアルックで、色違いのを編んで彼にあげようと思って。思うだけであげられなかったせつない女心……その宙に浮いたペアルックの自分の分をあたしに……。
由香 瞳!
瞳 かまわないわよ、たとえ流用にしろ、由香の情熱のこもったセーター。ありがたく着させてもらうわ、この編み目一つ一つに由香の想いを感じながら……。
由香 あのねえ、手芸はわたしの趣味と、仕事のストレスの解消なの!
瞳 それは、それは……じゃ、ついでにあたしの写真撮ってくれる?
由香 え、一人だけで?
瞳 うん、写りがよかったら見合い写真とかにしようかなって、こういう萌え系もいいんじゃない?
由香 なによ、さっきはそういう齢じゃないって言っといて。
瞳 はいはい、チーズ。
由香 もう(シャッターを切る。三脚の脚が一本縮んでカックンとなる)何よこれ!
瞳 ごめん、カメラはいいんだけど脚にまでは、手がまわってないって……ちょっとコツがね、よし、これでいいと思うよ。
由香 じゃ、いくよ。こっちも仕事でストレスたまってんだからね(シャッターを切る)
瞳 仕事のストレスってあるの、山手みたいないい学校で?
由香 あるわよ。そりゃ、担任やってるといろいろと。
瞳 たとえば?
由香 教師同士の人間関係とか、生徒の無気力さとか、縮まらない距離とか……。
瞳 ふうん……。
由香 こんなこと言っちゃあなんだけど、瞳は常勤講師で、担任もないから気楽なもんなんでしょうねえ(シャッターを切る)
瞳 それがねえ……。
由香 なんかあるの?
瞳 あたしが副担やってるクラスの担任、うつ病で倒れちゃって、現実的にはあたしが担任の代行やってんのよ。隣の担任も休みがちで、ほとんど二クラスの担任代行。
由香 ええ! それって、瞳は常勤講師でしょ?
瞳 うん、そうなんだけどね……。
由香 学年主任とかいるんでしょ?
瞳 それが、頼りないオッサンたちで。たてまえは学年主任と主席が代行っていうことになってんだけど、現実は日々の指導から、先月は懇談まで。今も、家庭訪問にいくついでに……。
由香 え、この自動車大好き女が自転車で通勤してんの?
瞳 ううん、ちゃんと自動車で通ってるわよ。これ、セコの折りたたみ。車に積んでんの。
由香 え、自動車通勤ってヤバいんじゃないの?
瞳 三年もやってりゃ開き直り。車は近くの駐車場に預けてあるから。
由香 それじゃ……。
瞳 家庭訪問は自転車。小回りが効くし、駐車する場所気にしなくていいでしょ。それに汗水たらして自転車で行くと、いかにも先生が苦労してますって感じで、演出効果もばっちり。
由香 だけど、そんな担任みたいな仕事、常勤講師なんだから、学校もいつまでもほうっておかないでしょ、常勤講師は常勤講師なんだから。
瞳 そー常勤講師、常勤講師って言わないでよ。
由香 それは……。
瞳 現役一発で通った由香と違って、三回も試験に落ちてる身だよ。好きこのんで常勤でいるわけじゃないもん。
由香 そんなつもりで言ったんじゃないわよ。わたしだって、初めての担任で、クラスは苦しいし、もう二人も退学させてんのよ。そのたんびに親には泣きつかれるし、子供にはすねられるし……。
瞳 あたしなんか二十四の瞳よ。
由香 え?
瞳 もー、洒落が通じないんだから。あたし、大石瞳が二十四歳……今日までだけどね。その瞳と、生徒の瞳が二十四個だって洒落。
由香 え……ということは、二クラスで十二人しかいないの!?
瞳 ううん、四十八人。
由香 ……それじゃ四十八の瞳じゃないの?
瞳 生徒たちの目は、半分学校の外に向いてる。だから二十四個のお目々……わかる?
由香 なるほど。で、最初は何人いたの?
瞳 留年生をいれて七十一人。
由香 二十三人も消えたの!?
瞳 うん、そいつらはお目々が二つとも学校の外に向いていた。それでも無事に退学にもっていくのはなかなかよ。信じられる、二十三人中、二十人まではあたしが始末したんだよ。
由香 瞳の学校ってたいがいなんだね……。
瞳 学年で、卒業までに百人は消える。それが、今年の一年生は一年で百人に迫る勢い……。
由香 ということは……。
瞳 そう、学校の外向いてる瞳が、まだ三つ四つは消えるんだろうね。そのためのアリバイってゆーか、伏線張りにいくための家庭訪問……いわば営業だわね。営業目標は無事な退学……。
由香 だけど、瞳は講師なんだから、そこまで責任持たなくても。それに、来年の試験に受かったら、別の学校に……。
瞳 由香はたまたまいい学校にあたったのよ、山手高校っていう……。
由香 それでも……。
瞳 そう、それでも二人退学、生徒との距離はひらく一方……でしょ。ちょっと写真忘れてるよ。
由香 え、ああいくよ。
瞳 東京の……(ニッコリ、シャッター音)いや、多分日本中の学校が多かれ少なかれ……(ニッコリ、シャッター音)中味のないカラだけの卵になりつつあるんじゃないかと思う(ニッコリ)……。
由香 いくよ(シャッター音)だから色々やろうとしてるんじゃない。特色ある学校づくりとか、総合学習とか……ハイ(ニッコリ、シャッター音)
瞳 それって教育委員会の看板そのものじゃん。そんな新任研修で言われるようなこと本気で信じてるの?
由香 だって(ニッコリ、シャッター音)何か信じることからしか始まらないじゃない。自分の言葉でうまく言えないから、つい都教委の看板持ち出しちゃったけど、ハイ(シャッター音)
瞳 教育ってさ、そのカメラの三脚と同じだと思うんだ。
由香 (ファインダーから目を離して)三脚?
瞳 学校と家庭と社会、その三つがしっかりしていないと教育なんて成り立たないと思うんだ。一本でも欠けたら、カメラも教育もこけちまう……それわかってて学校ばかりいじくって注文つけてくるんだ。学校って立場弱いからさ、文句つけやすいじゃん……学校って卵。人間を人間らしく生むためのね、でももう中味はとっくに無くなったカラだけ、それわかっててポーズとってるだけ……(シャッター音)あ、今のだめ!
由香 ちょっとした憂い顔、よかったよ。
瞳 そう……あたしのアリバイの家庭訪問と五十歩百歩。
由香 だから、だからこそ、カラの中味を埋めていく努力をしなくちゃならないんじゃない。
瞳 由香だって、ついさっきまではグチってたじゃんよう。
由香 グチはグチだよ。現実は前に向かって、カラの卵に白身も黄身も入れるようにしなくちゃならないし、そう信じていこうよ。
瞳 信じられないよそんなこと……そうやって信じて中味をつめこんだ卵って、きっとヒヨコにはかえらない無精卵だと思う。
由香 瞳……たそがれちゃってるぞ。
瞳 ハハ、由香の前だから油断しちゃったな。オーシ、営業用の空元気!
由香 よーし、じゃ、その空元気がでたところでもう一枚!
瞳 ヘーイ!(とびきりのニッコリ、シャッター音)ありがとう、もうそれぐらいでいいや。そろそろ三脚あぶなそうだから。
由香 (カメラのモニターを見ながら)おー、けっこういけてんじゃん。
瞳 ほんとだ、いっそこの写真でどっかのオーディションでも受けに行こうか。歳ごまかして!
由香 案外いけるかもね。
瞳 ビジュアル系のモデルさんみたいね。
由香 お笑い系のモグラさん!
瞳 なに!?
由香 アハハ……。
瞳 この!……あ!?

この時、瞳は公園の外を歩く人物に気づき、下手に駆け去る。

由香 瞳……。

瞳、すぐにクラスの生徒、美保を引き連れてもどってくる。

瞳 今日は、どうしたのよ!? 今から美保の家へ行こうと思ってたとこだよ!
美保 ……。  
瞳 この人は先生の友達。山手高校の鈴木先生。美保の家へ行く前にこの公園で立ち話してたとこ。先生の同業者だから気にしなくていい。ごめんね由香(カメラをたたみはじめる)
由香 ううん。    
美保 山手……偉い学校の先生なのね。大石先生より賢いの?
瞳 そうね、あたしと違って本雇いの先生だからね。
美保 ああ、先生って、一年契約の先生だもんね。こっちの先生は一発で通ったの?
瞳 そうよ、あたしが三回もすべった採用試験を一発で……(カメラをたたむ手が一瞬止まる)美保、今あたしを見下した目をしたろう?
美保 いや、そんな……   
瞳 正直に言え! 正直さだけが美保の取り柄なんだからな、口で違うことを言っても表情には正直に出てるよ……正直に言った方が身のためだぞ……。  
美保 いや、あの……うん。
瞳 よし、正直でよろしい。
美保 じゃあ……大石先生って、ほんとうはバカなの?
瞳 そうだよ……って、なんでそうなるんだよ!?
美保 だって正直に言えって……。
瞳 試験だけが教師の値打ちを計る物差しじゃない。こっちの先生とあたしは総合的には甲乙つけがたいくらいにエライんだよ。
美保 そう……でも先生は……。
瞳 何だよ……。
美保 そんな……絡まないで……。
瞳 なんだと……。
美保 くださいよ……。
瞳 バカ……絡むって言うのはな(指の骨を鳴らす)
美保 先生……。
瞳 オリャー!(コブラツイストをかける)
美保 イテー!
由香 瞳! 生徒にプロレスの技かけてどうすんのよ。
瞳 あのう、つっこみはもうちょっと早めにしてもらえる?(美保を解放する)それにもうちょっと気の利いたつっこみしてもらわないと、ボケようがないでしょ。
由香 すみません……て、なんでわたしが謝らなきゃなんないのよ!
美保 ごめんなさい。大石先生とはいつもこうなんです。由香……っていうんですね。あたしの妹と同じ名前。妹もがんばったら山手高校ぐらいいけるかなあ……。
由香 美保ちゃん、あなた、学校で人の優劣を考えちゃだめよ。
美保 だけど、松本高校はバカな学校でしょ?
由香 そ、そんなことないわよ、ねえ瞳。
瞳 いや、ある(二人ズッコケる)由香の言うとおり、うちはバカの集団の学校だよ。
由香 瞳……。
美保 そうだよねえ……。
瞳 だけど、バカなのは勉強のことで、人間のことじゃない。うち卒業したり中退したような子たちでも、立派な大人になってる奴はいっぱいいるからね。
美保 そうなの?
瞳 そうだよ。卒業してもいい。中退してもいい。だけど中途はんぱにブラブラしてる奴は一番ダメだ。それは、うちの学校でも山手高校でも同じことだよ……今日はなんで休んだ?
美保 ……なんとなく。
瞳 なんとなくか……それも正直でよろしい。だけど先生懇談でも言ったろ。なんとなくで休んじゃだめだって……今日で音楽切れちゃったよ。音楽は……。
美保 十三時間でパー。今日で十四時間だもんね。
瞳 日数も厳しいよ……あと十六日でアウト……二度目のダブリはきついぞ。
美保 う、うん。
瞳 十三単位でアウト、わかってるよね? 音楽二単位でアウト決定だから、残り……。
美保 十一単位でおしまい。  
瞳 そうだよ。そのへんは懇談でちゃんと説明したよね?
美保 これから……がんばる。
瞳 信じてやりたいけどなあ……。
美保 今までが、今までだから?
瞳 うん。だけど悪くとっちゃだめだぞ。
美保 うん……。
瞳 四月の最初に先生言っただろ。教育は掛け算だって……先生が十のこと教えて、あんたたちの心が十なら答えは百、一だったら十。そんで、ゼロだったら答えはゼロ。覚えてる?
美保 あたしゼロ?
瞳 限りなくゼロに近いなあ……。
美保 はあ……。
瞳 だけど、美保はマイナスじゃない。マイナスの数字は、どんな正数を掛けても答えはマイナス。そういう奴は、今の美保みたいに素直な話もできない。だから、そういう正直なとこがあんたのプラスのとこだ。さっきも言っただろ。
美保 うん……。
瞳 先生はね、美保が勉強の面でプラスの気持ちを持ってようが、マイナスの気持ち持ってようが。そのことで、美保って子の善し悪しを計ろうなんて思ってない。
美保 ……どういうこと?
瞳 場所を変えたら、美保の気持ちはプラスに変わる。そう思ってるの。
美保 え……。
瞳 違う学校に行ってみるとか、働いてみるとかしたら……きっと美保にもゼロではない、プラスになれる場所があると思うんだ。
美保 それって……。
瞳 こら、人をそんな詐欺師見るような目で見るんじゃないよ。
美保 だけど、あたし学校にはいたい……先生、あたしのこと辞めさせたいんじゃない?
瞳 バカ、それなら、ちゃんとプラスになって学校に来なよ。学校に来てちゃんと授業うけなよ。な、そうだろ、先生間違ったこと言ってるか(由香に)ね?
由香 え……うん……。
瞳 だろう?
美保 う、うん……。
瞳 これ、今日家まで行って美保に渡そうと思っていたんだ。
美保 これ?
瞳 うち、選択授業が多くって、教室の移動が多いじゃんか。美保、あんまり学校来てないから、自分が受ける授業……教室もよくわかってないだろ、迷子の子猫ちゃん。辞めさせたかったら、こんなサービスしないよ。
美保 ありがとう先生……。
瞳 これでもう「教室わからないんだも~ん」って、言い訳はさせねえからな。数字の上では、明日からちゃんと学校に来てきちんと授業受けたら、かつかつで道はひらけないこともない。そのためには、自分を変えなくっちゃ!
美保 プラスにならなくっちゃだめなんだよね。
瞳 そう。難しいぞ、自分を変えるというのは。
美保 うん。
瞳 できるか?
美保 う、うん。
瞳 ちゃんと先生の顔見て!
美保 ……うん。
瞳 ……万一、だめだった時の覚悟も心の隅の方に置いとくんだぞ。その場しのぎのイイコチャンぶっても、問題先延ばしするだけだからな。
美保 うん。
瞳 ……。
美保 じゃ、もういい……バイトの時間もせまってるから。
瞳 うん。それから……ねえ美保。
美保 うん?
瞳 夜中、バイク乗り回すのは、しばらくやめときな。
美保 ……どうして?
瞳 懇談の時、一人一人に聞いた。美保にも聞いたでしょ?
美保 あたし、免許もバイクも持ってないって!
瞳 反応でね、美保とお母さんの反応で……今みたく、むきになったり、目線が逃げたり……で、こいつは乗ってるなあ……と、あたしの勘。それで警察に問い合わせたの。多摩と府中の警察で、一回ずつ世話になってるわね。
美保 ……。
瞳 ほれほれ、また詐欺師見るような目ぇしちゃって。今さら問題にして、どうこうしようなんて思ってないよ。バイクそのものも悪いとは言わない、あたしも車大好きだから。だけど、今はそのバイクと、そのダチとの付き合いが美保の足をひっぱてるんだ。
美保 それとこれとは関係ないわよ!
瞳 ある! 夜遅くまでバイク乗って、朝学校に来られるわけないだろう……それに、乗ってるだけでは済まないようなことも……。
美保 わかってるよ。
瞳 ……そこまでは詮索しないけどな。今は、そこんとこ手を切らなかったら進級なんかできないよ。
美保 先生、あたしは……。
瞳 まだ、このうえゴチャゴチャと言わせたいの!
美保 ……。
瞳 わかった? とりあえず、せめて進級のメドがつくまでは……いいな……そうでないと、またコブラツイストかけるぞ!
美保 う、うん。がんばるよ……じゃ……先生。
瞳 うん?
美保 何でもない(駆け去る)
瞳 いいか、バイクはやめとくんだぞ!
由香 ……瞳、あんたすごいね……。
瞳 もうちょっと待っててね……(携帯をかける)……ああ美保のお母さんですか? はい、松山の大石です。いま、お家まで行こうと思ったら東多摩公園のとこで美保に出会いまして……ええ、説教しときました。今日で音楽が切れてしまって、残りの日数も十六日です……はい、本人もがんばるって言ってますけど、最悪アウトになる覚悟は……恐縮です。今度落ちたら二度目。二回落ちて卒業した子はいませんから、ええ……それとバイクのこと……ハハハ、申しわけありません、勘で……ええ、ピンときて、警察のほうにも照会させてもらいました……いや、特に問題にして処分しようとは考えてません。ただ、美保の足をひっぱってるのは確実にバイクと、その仲間です……ええ、本人にもメドのたつまでは縁切れって……ええ、本人も飲み込んだ様子ですので……お家の方でも、そのへんよろしく……性根までは腐った子じゃありませんから、まだ信じてやりたいと思います……じゃ、どうぞよろしく(切る)おまたせ、家庭訪問なくなっちゃった。どっか行こうか?
由香 え?
瞳 由香の希望どおり、あたしのバースデイ・イブってことで。もち由香のおごりでね。フランス料理にしようかな……イタメシもいいし……あ、自転車のうしろ乗って。立ち乗りでいいよ。近くの駐車場までだから……いくよ!
由香 あ、ちょ、ちょっと……。

由香が瞳の自転車を追いつつ去る。黒子による明転。BGMがかかって飲み屋。ビール、チューハイ、ウーロン茶とサカナが並んでいる。瞳は先ほどの写真を見ている。

由香 ごめんね、わたしばかり飲んじゃって。
瞳 いいよ、こういう雰囲気じゃないと話せないこともあるし……こうして見ると、どれも今いちだな。
由香 わたしのせいじゃないわよ。
瞳 なにかがハンパなのよ。
由香 え?
瞳 ……やっぱポーズや表情じゃごまかせないか。
由香 え、そんなにブスに写ってるの?
瞳 失礼ね、みんなかわいく写ってるわよ……ただ……。
由香 ただ……?
瞳 どれもこれも空元気……空回りの上に個性が……(ない)
由香 けっこういけてるように思うよカメラマンの腕がよかったから。
瞳 こんなステレオタイプじゃなくって、生きざまが写るようになんなきゃなあ……ほんのかけらでもさ。
由香 わたしのせい?
瞳 違う、あたし自身のことよ、この大石瞳の……もう二十五にもなろうってのに……ね、あとでぶっとばそうよ!
由香 え、あの年代物のミニクーパーで?
瞳 そうだよ。さり気ないけど、見えないとこでギンギンにチューンナップしてあるんだからね、タイヤもエンジンもサスもミッションも……。
由香 あいかわらず走り屋やってんの?
瞳 昔ほどじゃないけどね。合法よ、合法。合法スレスレんところで。高速だって三十キロ以上はオーバーしないようにしてるし、市内なんか、タクシー並の安全運転だったでしょ?
由香 うん、だからとっくに卒業してんのかと思った。
瞳 車は素直だからね。こっちの腕さえしっかりしてたら、手を加えたぶん、きちんと応えてくれる。ところが学校とか生徒とかはね……。
由香 夕方の美保って子の指導なんか立派なもんだったじゃない。あの子も素直に聞いていたし、十年以上やってるベテランの本職に見えたわよ。
瞳 アリバイよアリバイ。生徒の指導も親への連絡も、無事に退学をかちとるためのね。うちで三年もいたら自然に身につくテクニック。 
由香 そう? そばで見ていたら、ちゃんと生徒に愛情持った、いい指導に見えたけどなあ……急にわたしにふったこと以外は。
瞳 百人も辞めていく生徒にいちいち愛情なんかかけてらんないわよ。フリはしてるけどね、愛情持ってるフリは……今日説教した美保も、まあ、十日も効き目があったらいい方だろうね……明日は、まあ来るね。土日挟んで、まあ十日。そのたんびに「よくやった、よく来たな! 明日もがんばれよ!」そして、十日たったら元の木阿弥……期末テストで欠点のオンパレード。できたらそこで引導渡してやりたいけど、美保は性格の弱い子だから、きっと学年末までねばるだろうね。それで学年末で「お世話になりました」の一言も言わせて、シャンシャンシャン。校長も主任も「大石先生ごくろうさん!」それで美保もあたしもお払い箱……だろうね。
由香 常勤講師、一年契約だもんね。
瞳 違う! 長い短いの問題じゃあない……! 自分の一生を掛けた仕事として確かかどうか……たとえば、由香の実らないまま消えていった恋。
由香 なによ急に!?
瞳 山のように編んだセーター。
由香 なによ、夕方の蒸し返し? どうせわたしは夢見る夢子ちゃんよ。
瞳 そんなことないよ! 由香の愛と情熱はいつかはむくわれる。この編み目の一つ一つに、その確かさを感じる。自信持っていいよ!
由香 そうかな……。
瞳 そうだよ、由香の想いはいつかはかなう。いつか必ず由香の良さをわかってくれる男が現れる。その確信が由香の目を輝かせているんだもの!……キラキラキラ……あ、まぶしい!
由香 よしてよ瞳。
瞳 バカ、真剣だよ真剣。
由香 真剣?
瞳 そう、自信持って。ほらほらほら、グッといって、グッと!
由香 そうだよ、そうだよね。わたしだって、いつかはきっと……わたしの魅力に気づかない男共のバカヤロー!
瞳 バカヤロー! そして、いつかは実る由香の恋に乾杯!
由香 そうだよね、わたしにだって、わたしにだって……! ありがとう瞳、もつべきものは親友、自信がわいてきた! 
瞳 なんだったら、セーター返そうか?
由香 いいよ、明日っからもっとスンゴイセーター編んじゃうんだから!
瞳 その意気や良し! その由香の自信にもう一度……。
二人 乾杯!
由香 よし、今度は瞳の採用試験合格を祈って……!
瞳 それはいい。
由香 え?
瞳 あたし、もう辞めようと思ってんの。
由香 ……どういう意味?
瞳 もう、教師になることをやめようと思って……。
由香 なに言ってんのよ、瞳らしくもない。たった三回試験に落ちたぐらいで。たった今わたしを励ましてくれたところじゃないの! 自信を持とうよ、自信を!
瞳 違うの。教師って仕事そのものに、やっぱ魅力を感じてないの。写真見てつくづくそう思った。まあ、もともと車に乗るための金と時間欲しさのデモシカだけどね。見ると聞くとで大違い、三年やって、場違いだってのがよくわかった。夕方美保にも言ったけど、教育は掛け算。ゼロやらマイナスの子たちばかり相手にして、空っぽの卵のカラだけいじくりまわしてると……なにか、自分の持っている数字まで小さくなっていくような気がしてね。
由香 考えすぎだよ、そんなのやってるうちになんとかなるって。
瞳 由香は感覚が違うのよ。学校も、山手みたいな温泉学校にいるから。
由香 瞳だって、試験に受かって正式採用になれば変わるわよ。
瞳 夕方、グチこぼしてたのはだあれ?
由香 グチぐらい誰でもこぼすでしょ。みんなグチこぼして、なけなしの元気を絞り出してやってるんじゃない。
瞳 あたしのはグチじゃあないの。
由香 じゃ、なんなのよ?
瞳 魂の慟哭……。
由香 ドーコク?
瞳 聞こえない? あたしの心臓が血の涙流しながら泣いてんのを!? 
由香 あんた、お酒も飲まないで、よくそんな台詞が出てくるね。
瞳 だから言ったでしょ。由香とあたしは感覚が違うって……ちょっと、このチューハイ半分まで飲んでくれる?
由香 え……うん(半分飲む)これでいい?
瞳 この半分のチューハイを、由香はどう表現する?
由香 え……そうだな、まだ半分残ってる。
瞳 そうだろうね、由香は、のび太君みたいな性格だもんね。
由香 それって? 
瞳 依頼心は強いけど、憎めない楽観主義で、いつも人が助けてくれんの。
由香 それって……。
瞳 誉め言葉のつもりだけど。だって、人柄が良くなきゃ、だれも助けてくれないよ。
由香 じゃ、瞳は?
瞳 もう半分しか残ってない……あたしの心もちょうどこのくらい。その残った半分の心が、もう決めちゃったのよ。
由香 何を?
瞳 あたし、二学期いっぱいで辞めよって決めた。
由香 ええ、辞めて……どうすんの?
瞳 この秋から、姉ちゃんがダンナといっしょに長野でペンション始めたの。あたしもちょこっとだけ出資してんだけど、そこで働こうかと思って。姉ちゃんも、アルバイト使うよりは、身内のほうがよっぽど気楽だろうし。ちょっぴり大きめのペンションだから、人手もけっこう大変なんだ。
由香 だけど……。
瞳 だからさあ、夜の山道ぶっとばそうよ!
由香 ええ、ローリング族とか出るんじゃないの?
瞳 大丈夫よ、週末じゃないし。そんな奴らが走らない道だし、制限速度は三十キロしかオーバーしないから。そのために、あたしウーロン茶しか飲んでないんだよ。ね、山頂からの夜景は絶品だよ!
由香 そう……。
瞳 じゃ、あたし車とってくるから。由香は、お勘定の方よろしくね(伝票を渡して去る)
由香 あ、ちょっと、瞳!

暗転。明かりが入ると、瞳のミニクーパー。キャスター付きの椅子を角材と床板になる板で結びつけたようなものでいい。方向転換や移動は黒子による。BGMが、タイヤのソプラノにかわる。

瞳 ヒヤッホー! 聞いた、今のドリフト! タイヤのソプラノ!……ほら、もういっちょうS字カーブ(右に左にドリフトし、タイヤがキュンキュン、歓喜の声をあげる)たーまらん!
由香 た、頼むから、もうちょっと穏やかに走ってもらえない。わたし、車弱いとこへもってきて、アルコール入ってるから……ウップ。
瞳 仕方ないわねえ。ほらヘド袋、車の中汚さないでよ。
由香 ……大丈夫、飲み込んだから。 
瞳 うわあ、息がヘド臭~い。ほら、ウーロン茶と口臭消し。            由香 ありがと……。                              瞳 大丈夫?
由香 うん、普通の運転になったから大丈夫。
瞳 つまらねえな……。
由香 つまらないのは、こっちだわよ!
瞳 へいへい、安全運転、安全運転……。
由香 ねえ、さっき言ってたペンションの話って、本気?
瞳 あたりき、しゃりきにブリキのバケツよ。
由香 真面目に。
瞳 あたしは、いつも真面目だよ。
由香 それじゃ言うけど、ペンションって御客つくまでが大変だって言うよ。こんなこと言って失礼だけど、軌道に乗るまでは海のものとも山のものとも……。
瞳 山のものってきまってるじゃん。
由香 え?
瞳 だって長野県だもん、山しかないよ。
由香 真面目に。
瞳 だから真面目だって。姉キのペンションは、前のオーナーが歳くって引退するからそのあとを譲り受けての経営。だから、固定客が最初からついてんの。あたしも姉キも元を正せば、その固定客の一組だったんだけどね。
由香 なるほどね、瞳なりの固い計算があった上での話なんだ……。
瞳 あたりまえじゃん、一回ポッキリの人生だもん、いろいろ考えた末の結論よ、ヘラヘラしてるようでも考えるとこは考えてんのよ……ほい着いた(急ブレーキ)
由香 ゲフ……痛いでしょ、急ブレーキかけたら。シートベルトが食い込んじゃったよ。
瞳 見てごらん、この山頂からの東京の夜景……。
由香 うわあ……。
瞳 もうちょっと晴れてたら、都心の方まで見えんだけどね。



瞳 あたし、この夜景見て決心したんだ。
由香 この夜景で?
瞳 うん、この夜景の下にあたしはいない……。
由香 え?
瞳 だって、見てるあたしは、この山の上。
由香 ハハ、そういう意味? でも、そんなの簡単じゃん。山から下りて、家の明かりの一つもつけたら、この素敵な夜景のワン・ノブ・ゼムになれるじゃん。
瞳 千三百万分の一のね……デジカメの画素以下。あたしなんか、いてもいなくてもいっしょ。
由香 タソガレ通り越して、暗闇じゃんよ。
瞳 違う、楽になれたのよ。
由香 え?
瞳 あたし一人が抜けても、この夜景には何の影響もない……だったら、あっさり抜けちゃってもいいんじゃないかって。そしてそれなら、学年末まで義理たてなくても、きりのいい二学期末でおさらばしてもいいんじゃないかって……あたしがいなくても辞めてく奴は辞めてく。多少もめることにはなるかもしれないけど、この千三百万の明かりの、ほんの一つのささやかなエピソード(歌う)ケ・セラ・セラ、なるようになる……と、アララ……。
由香 どうしたの?
瞳 前の景色にばっかり気をとられてたけど左右の景色、よく見てみ~。
由香 え、……ああ車が……五、六、七……もっといる。ここってデートスポットだったんだ。ねえ……車の間隔がほとんど等間隔。
瞳 カップル同士の自然の間隔。お台場のカップルなんかも自然に等間隔になるって言うよ(双眼鏡を出す)夜間の生徒の行動監視用……。
由香 こんなことまでやってんの?
瞳 という名目で、生指部長が持ってたのを預かってんの。
由香 ……とりあげたんだ。
瞳 見てみ~。
由香 ……みんな、よろしくやってる……ちょっと邪魔!(運転席の瞳を押しのける)
瞳 イテ!
由香 ……あの車、揺れてる(生つばを飲み込む)
瞳 その手もとの赤いボタン押すと解像度があがって、よりはっきりくっきりと……。
由香 ……もういい!
瞳 ちょっと刺激的すぎた?
由香 もう、他の場所に行こう!
瞳 いいじゃん、こっちが気にしなかったら何でもないんだから。
由香 だって……。
瞳 いっぺん気にしたら、どうしようもないってか?
由香 もう、瞳!
瞳 何につけ、人間の心ってそういうもんだよね……。
由香 早く車を出して!
瞳 へいへい、じゃ別のスポットに……(バックで車をもどし、本線にもどる)
由香 瞳、平気なの、ああいうの?
瞳 補導で時々見かけるからね、あのカップル達は距離といい、たしなみといい、行儀のいい方だよ……距離って言やあ、昔はもっと離れていたよな……。
由香 何の?
瞳 学校対生徒と親……それぞれのポジションと距離があった、さっきのカップル同士みたいにね。それが、今は違う。ピッタリ距離をつめて、息の仕方から、身のふるまい方まで教えなくちゃならない……三脚の足一本でカメラを支えているようなもの。できるもんかそんなこと! だからやってるフリをする。しつこいほどの家庭訪問、コンビニみたいに品数揃えた総合学習、選択授業。うちの生徒なんか、その移動教室覚える前に辞めてっちまう。そして辞めていくまでカウンセリングに進路指導……できるもんか……。
由香 瞳……。
瞳 今、由香がカップル同士の車の中で耐えられなかったように、今はともかく……将来は必ず耐えられなくなる。うちの正担任の小沢先生みたいに、体か心のどこかがイカレてしまう。知ってる? 教師の寿命って、他の業種よりも短いって……。
由香 ほんと?
瞳 こんなのもあるんだよ、ILOの報告(雑誌を渡す)
由香 ええと、世界……違う、国際労働機関。
瞳 そこの報告によると、教師の現場でのストレスは、戦場における兵士のそれに匹敵するって。
由香 ほんと?
瞳 ほんと……って言っても、辞めるって決心したあたしが言うんだから、アハハ、負け犬の遠吠え、ひかれ者の小唄だけどな……ほい、穴場中の穴場。ちょっと揺れるよ(ガックン、ガックン)どーよ、この景色。気に障るアベックもいないし、いいとこだろ?(車から降りる)
由香 うん、さっきの倍以上いいじゃんか!
瞳 昼間に来るとね、あのへんに湧き水があって、お地蔵さんがあるんだ。なんでも、ナントカ上人が八百何十年か昔に、ここらへんが水飢饉だった時に、杖でポンと突いたら湧き出した水なんだって。昼間はコーヒーやらお茶の水用に汲みに来る人が、ちょくちょくいるよ。
由香 最初から、ここに来ればよかったのに。
瞳 あたしは、さっきのとこで由香の情操教育をしてあげようって思ってさ。
由香 なによ、わたしの情操教育って?
瞳 教師は独身の率が高いからね。
由香 アー、知ってて連れてったってわけ? 余計なお世話!
瞳 アハハ、怒るな怒るな……ほんとうは、ここ、あたしあんまり好きじゃないんだ。
由香 どうして?
瞳 目の下、すぐに学校が見えるでしょ?
由香 え、ああ……校舎の一階、まだ電気がついてるよ。
瞳 ああ、生指の部屋。また何かあったんだろうね。
由香 ほんと、大変なんだねえ。
瞳 由香は、この仕事定年までやってるつもり?
由香 うん……あんまり考えてない。瞳の学校みたいなとこ行ったらもたないかもしれない。でも、その時はその時。さっさと異動希望出して、どこへなと渡り歩いていく。そして、ちょっと小ましなとこに行けたらドンと腰を落ちつけて……。
瞳 オバンになっていくか……。
由香 ハハハ、酒はまだ半分残ってる。チビチビといくわ、わたしは。
瞳 いい性格してるわよ、あんた。
 
この時、一台のオートバイが近くに停車する音がする。

由香 やだわ、こんなとこに族?
瞳 一人みたいね……他にいるかも……。
由香 ポリタンに水汲んでる……普通の人かなあ?
瞳 いや、あの排気音に、あのバイク。族か、そのジュニア……。
由香 あんまりジロジロ見るんじゃないわよ、インネンつけられるよ。
瞳 あの体つき、女の子ね。首まわして、肩揉みほぐしてる。
由香 メット脱いだ……。
瞳 あ、あいつ!(下手に駆け込む)
由香 あ、瞳!

瞳が美保を引き連れてもどってくる。

瞳 どういうつもりだ、夕方話したばっかりじゃないか!
美保 ……。
瞳 先生、十日はもつかと思ったよ、それが半日ももたないか! 夕方の美保はまだゼロだった。いや、まだ素直に話聞いてたから、〇・五くらいはあった。それがどうよ、半日もたたないうちに多摩丘陵をバイクで走りまわるか!? 開いた口が塞がらないよ!
美保 先生、あたし……あたしね……。
瞳 腐った言い訳なんかすんじゃねえよ、この……!(思わず手をあげる)
由香 だめ! 生徒に手をあげちゃ!(瞳を羽がいじめにする)
瞳 放せ、由香! 一発くらわしておかないとこいつの性根は……。
由香 瞳、教師が感情に走っちゃだめなんだって!
瞳 ここで感情に走らなきゃ、どこで走るのよ!
由香 それは……首都高とか……山手線とか……グルグルっと……。
瞳 くっ……。
由香 ……もう、大丈夫?
瞳 大丈夫、由香の下手な洒落で落ち……(由香の羽がいがとける)
由香 落ち着いた?
瞳 落ち込んだ……これがあたしのだめなとこ……十分わかってたはずなのに……明日退学届送ってやるから、サインしてハンコついて持っといで……さ、由香行こうか(車に乗り込む)由香、さっさと……。
美保 ……(物言いたげに瞳を見ている)
由香 瞳、話だけでも……。
瞳 必要なし! あたしにだって限界ってものがある。せっかくのバースデイイブが台なしだ、さっさと乗って! 行くよ!(アクセルを踏む)
美保 あたし、先生のために水汲みに来たんだ!
瞳 !(ブレーキをいっぱいに踏む)
由香 イテッ!
瞳 (車から降りて)今、なんて言った?
美保 ……。
瞳 なんて言ったって聞いてんのよ?
美保 もういい、どうせ学校辞めるんだから!(駆け去ろうとする)
瞳 美保!
由香 先生のために水汲みに来たんだって……言ったんだよね?
瞳 どういうことよ……。
美保 あたし、バイトしながら考えたの……バイトは休んだことない。バイトだったらがんばれる……ゼロじゃない、十にも二十にもなれる……なれるんです。だけど学校ではゼロ。なぜだろうって……給料もらえるから? 友達がいるから? 仕事が楽しいから?……全部答えのような気がして、だけど全部答えじゃないような気もして……けっきょく一言で言えるような答えは出てこなかった。だけど学校ではゼロ。あたし気が弱いから学校続けるって言ったけど……ゼロの場所にいても仕方がない。「がんばります」って言うたびに空しい、自分がカラッポになってくばかりで……自分にも先生にも嘘ついてるばっかりで……そんなことばっか思ってたら、久々にバイトで失敗して……トレーごと片づけてた食器ひっくりかえしちゃって(傷ついた手を隠す)店長に「どうしたんだ?」って言われて、心がそこにない自分に気がついて……(涙が頬を伝う)
由香 それがどうして、水汲むことにつながっちゃったの?
美保 学校辞めようって、その時思った……そのことを、この気持ち大石先生に伝えたいって思って。そうしたら、店長が手当をしてくれながら「それじゃ、この紅茶持ってって、先生と飲みながら話してこいよ。誤魔化さず、素直にな」って。そうしたら、水は、ここの水が一番合うから汲んでこいって……教えてもらった……もらったんです。
瞳 ……誤魔化さず、素直に。
美保 お母さんに電話で話したら、それがいいって言ってくれて……先生、家にも電話したんだね?
瞳 ……うん。
美保 ちょっと前か、他の先生だったら、ただチクられたって頭にくるだけだっただろうけど。夕方先生と話したら……ああ、上手に言えない。
由香 ストレートでいいわよ。
美保 うん……何もかも、ストンと心の中に落ちた。で、先生に会いたかった!
瞳 美保……。
美保 あたし、こう見えても、紅茶の出し方店で一番うまいの……いっしょに飲んでください。
瞳 うん。じゃ、あたしも素直に言うね……あたしもね、あたしも二学期いっぱいで学校辞めようと思って……。
美保 先生……。
由香 ……。
瞳 姉ちゃんがダンナといっしょに長野でペンション始めるから、そこで働こうと思って……。
美保 そんな……先生は先生でいて欲しい……大石先生はやっぱ先生だよ。先生は……先生だけでも、先生でいてほしいよ。辞めるあたしが言うのも変だけど……。
瞳 話は最後まで聞いてくれる。
二人 え?
瞳 今の美保の話聞いて、三学期いっぱいいっぱい居ようと思ってきた。
美保 先生!
瞳 でも三学期までね、契約だから。
美保 本雇いになる夢は?
瞳 もう三回も試験に落ちたし、あたしまだ二十四歳だし……。
由香 今夜限りだけどね。
美保 先生、明日誕生日だったの?
瞳 そうよ、その記念すべき日の退学生があんた。二十四の瞳も今夜限りよ……。
美保 二十四の瞳……。
瞳 ハハ、……いろんな意味でね。
美保 あたしと七つしかかわらないんだ。
瞳 それが、どうかした?
美保 あたし決めたの……いえ、決めたんです。二十五ぐらいまでは、自分探すためにいろいろやってもいいって。お母さんも、今の仕事で身をたてるって決心したのは二十五の時。だから、お母さんも二十五ぐらいまでにって……だから先生も二十四だったら、まだ色々自分の道をさぐっていてもあたりまえじゃない。お互いしっかりがんばろうよ!
瞳 はあ……って、なんであたしがなぐさめられんだよ!
三人 アハハハ……
瞳 そうだ! ねえ美保、三学期まで今のバイト続けて、その後いっしょにペンションで働かない?
二人 え!?
瞳 ささやかなペンションだけど、一応株式会社、あたしもちょびっと出資してるから取締役の一人なんだ。だから従業員一人決める権限くらいはある。そうしよう、お父さんお母さんには、あたしから話したげるから! そこで、お互い次の道をさぐればいい。そうしよう!
美保 だけど……。
瞳 だけど?
美保 わたしの人生なんだから、わたしが自分で見つけなきゃ。
由香 あなた……。
美保 そうさせてください……。
瞳 美保……。
美保 先生……!
瞳 よく決心した。
美保 うん。
由香 よかった!(拍手。感動的なBGMが入ってもいい)
瞳 って……ドラマだったら、美しく終わるんだろうけど、そうはさせないわよ。
二人 え……?
瞳 あたしのこと、一発シバキな。
二人 え……?
瞳 いいから、そうしないと幕が下りない……いいから、こうやって(美保の手を取る)
美保 いいよ……先生。わたしの中じゃ、帳尻あってっから。
瞳 あたしの中で帳尻があわないんだわよ……あたしは、あたしは……美保のことを……。
美保 辞めさせるための、アリバイ指導……だったから?
瞳 ……分かってたの?
由香 あなた……。
美保 優斗も拓也も香弥奈も、辞めてった。みんな知ってるよ。わたしたち、そのへんはバカじゃないから……ううんバカだから、ちゃんと、わたしたちのこと見てくれてるかは分かるんだ。
瞳 美保……。
美保 そんな顔してたんじゃ、生徒は寄ってきてもオトコは寄ってないって……みんな本気で心配してたんだよ。
由香 プフ……。
瞳 笑うな、由香!
美保 だから、だから……あたしは一人でやっていくから。
瞳 あたしのオトコの心配なんて百年早いわよさ。
由香 でもこの子の指摘は確かだよ。
瞳 でも、今の美保の決心なんて、朝になっちゃえば忘れっちまう。そんな無責任な幕は下ろさせないからね。美保は、わたしといっしょにペンションに行く。いいな!
美保 でも……。
瞳 でも……?
美保 そこまで先生に頼りたくない。
瞳 頼りたくなくても、頼りないぞ。ヘタレだぞ、美保は。
美保 ヘタレにもヘタレの意地があるから……。
瞳 美保……。
由香 じゃ、ジャンケンで決めたら!
二人 ジャンケン……?
由香 恨みっこ無しのジャンケン。
二人 よし!
由香 三本勝負……いくよ。
二人 おお!
由香 最初はグー……。
二人 ジャンケンホイ! 
瞳 勝った!
美保 もう一本!
瞳 おーし!
由香 最初はグー!
二人 ジャンケンホイ! ホイ! ホイ!
瞳 勝った!
美保 先生、強いなあ……!
由香 さすがチョキの……。
瞳 オホン。教え子を思う教師の真情よ、真情……最後のね。
美保 先生……でも……。
瞳 この期に及んで、まだ「でも」かよ。
美保 でも、その……ペンションが気にいってしまったら……。
瞳 ハハ、そうしたらずっとそこにいたらいいじゃん……そして……そして何か開けたら、その時はその時。素直にさ……美保の紅茶、ペンションの名物になるかもしれないよ!
美保 先生……。
瞳 なんか文句ある?
美保 あ、ありません!
由香 わあ……見てごらん、むこうの雲が晴れて都心の方まで見わたせる。千三百万人分の明かりだ……。
二人 うわあ、きれい……。
由香 千三百万分の二のエピソードの……新しい始まりだね……。
美保 胸の内さらけだしちゃった。
由香 だね。
瞳 まだまだ、ここは一発叫ぼうよ、胸の内をひっくり返してさ。
美保 はい。
瞳 いくぞ……。
由香 わたしも入れて!
瞳 もちの、論!
美保 じゃあ……一、二、三!
三人 うわー!!
瞳 そうだ、記念写真撮ろう、三人揃って!(デジカメをとり出し、三脚にすえる)
美保 写真撮るんだったら、もうちょっとましなナリしてくるんだったな。
瞳 それで十分。あるがままの自分でいいよ。
由香 今度は三脚大丈夫でしょうね?
瞳 バッチリ……だと思う。いくよ!

タイマーがかかりカシャリとシャッターが切れる。この少し前からエンディングテーマFI、三人無邪気に写真を撮りあう。ここで急速にFUしつつ幕。


作者の言葉
厳しい現実を、サラっとひとすくいのエピソ-ドとして書いてみました。最後のところで人間同士の信頼感を残しました。ドヨ-ンと落ち込んだ芝居ではなく、カラっと演じてもらったほうが伝わると思います。

【作者情報】《作者名》大橋むつお《住所》〒581-0866 大阪府八尾市東山本新町6-5-2
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劇団往来番外公演・『虫』作・藤本義一

2011-12-03 01:35:00 | 評論
劇団往来番外公演・『虫』作・藤本義一

この日、夕方から御堂筋線は、枕木のぼや騒ぎで止まっていました。

もともと難波から、会場の大丸北館のホールまでは歩こうと思っていたのですが、大勢の人たちが暮れなずんだ御堂筋を北へ歩く中にいると、なんだか集団で不思議な世界へ行くような気がしました。
気の早いクリスマスのイルミネーションが、いっそう夢幻の世界にいざなってくれるようでした。
おあつらえ向きに、大丸の手前には、手相見のオバサンが行灯に灯をともし、その向こうに大丸の入り口がポッカリと口を開けていました。
夢幻の行進の列から離れて、その入り口に一人向かっていきました。
夢幻の中の、さらに夢幻の世界に行くような錯覚。
まだ、開場には間があるので、十四階の会場に行くエレベーターには、数名のお客さんしか乗っていませんでした。

十四階につくと、ちょうど開場したところで、受付にはなじみの往来のみなさんが夢の世界の番人のごとく、最後の準備を終えたところ。
なんだか、これから落語の『七度狐』の世界に連れて行ってもらえそうな……で、小屋に足を踏み入れると、わたしの記憶の底に眠っていた、昭和の、それもかなり時代物のソレがそこにありました。

昭和三十年代前半の西成区山王町……といってもお分かりにならない人が多いでしょう。戦後復興の証のごとく再建された通天閣。その南側。飛田新地と呼ばれる遊郭が軒を連ね、世の裏と表が混在したような一角に、夢芸荘というアパート……と言っても、今のワンル-ムマンションのようなものではありません。引き戸の入り口を入ると二坪ほどの三和土(たたき) 入り口の横が共同の台所。粗末な流しの手前には、江戸時代のような水瓶。奥には、ご飯を炊く羽釜、コンロ。ずんと手前にはカンテキの上に、へこんだヤカン。
尺高の上がりがまちに続いて、共用のお茶の間。二階への階段が奥にあり、水屋や箪笥、神棚を上にした物入れ。上手には一階の部屋に続く廊下と思しき暖簾。

要は、江戸、明治、大正、昭和が混在したような立体長屋を想像していただければいいでしょう。

ここの住人は、落語家の円丸(まるまる)を始め、売れない、あるいはメジャーからはみ出してしまった芸人とその家族が住んでいます。その数九人。普通これだけのキャラを板の上に乗せると、人間関係どころか、誰が誰だか混乱し、勢い説明的な台詞などが入るのですが、全てドラマの中のイザコザの中で分かる仕組みになっています。一見簡単そうで、むつかしい。高校演劇の場合など、劇中にメモらないと、そういうことが分かりません。
そういうことが自然に分かるのは、本と演出、そして役者の演技がしっかりしているからであります。往来の皆さんは円熟の手前までこられたと感じました。一昔まえは、往来の役者さんたちは役者の声で、台詞を言っていましたが(発声はいいが、役者個人の個性が正面に出てしまう)今回は、完璧に役の声として観客席に届いていました。立ち居振る舞いも、役の個性として完成されていて、舞台に出てきて違和感を感じる役者がいませんでした。

話を、簡単にまとめると、落語家円丸が咽頭ガンに罹っていることが分かります。芸能斡旋所の所長が、こっそり亭主に死なれた漫才師の松子に「ここだけの話」として漏らしてしまい、それが落語のように、次々と他の住人の知るところとなる。この展開は大いに笑わせてくれます。
住人たちは、円丸には知られないように気を遣いながら、時にエゴから邪険にしてしまったりします。円丸も住人たちの善意を素直に受け入れられず、捨て鉢になったり。
そんな、ある日芸能斡旋所の所長が、住人たちに、こう言ってきます「若松座の支配人が、新人発掘のためこの夢芸荘にやってくる」
しかしテストを受けられるのは二組だけ。奇術師横田の発案でくじ引きで、それを決めることになります。くじに当たったのは、急ごしらえの漫才コンビ松子と宏次と円丸。
いよいよテストの日がやってくる。松子と宏次のコンビは合格するが、円丸は芸を商品としか見ない支配人(マスコミの、芸を見る目の代表としての目)によって、不合格となるばかりか、時代遅れの烙印を押され、芸人としての人格を否定されます。咽頭ガンの病状も悪化し、円丸は発狂し精神病院に入れられることに……円丸は、狂いながら「早よ、芽え出しや」と、菊の鉢植えに肥やしをやり続けます。貸衣装屋のオバハンが、貸した羽織をむしり取っていきます。
そして、病院から迎えが来ます。

ここにいたるまで、住人たちは人情的で自分勝手、プライドが高いわりに線が細く、お人好し、涙もろくて面白い。
どこかで、自分を笑い飛ばしながら、風に震えている人間群像の描き方が見事であります。

どこか、ゴーリキーや黒澤明の『どん底』を思わせる話ですが、藤本義一という作家の人を見る目は暖かい。
円丸が精神病院に入れられるところで終わってしまえば、それはそれで、人間の破綻した生き様を描いたドラマにはなるのですが、藤本義一という人は、話を、こう続けます。
そこひを患った講釈師夫婦が、こう締めくくります。
「あんた、当たりくじを円丸はんに……あげたやろ」
「うん。せめてなあ……と、思て。ワシの目はもう見えへん。せやけど目えは見えんけど、涙は出てきよる」
そして、出囃子で幕が下りると思いきや……下手、アパートの入り口のところにサスがおち、円丸が肥やしをやった鉢植えの菊が見事に花を咲かせています。これは、本の指定なのか、鈴木さんの演出なのか、観る者の心にも花を咲かせる分かりやすくて、心を癒してくれる演出でした。


妙な例えですが『どん底』が、「ビーフシチュー」だとしたら、この『虫』は「肉じゃが」であります。それもたきしめて、肉やジャガ芋にしっかり味の染みこんだそれ。

道具は、ほぼ完璧なのですが、わずかに不満が残りました。
汚さがキレイなのです。汚しはかけてあるのですが、柱や軒、引き戸、フスマに寸分の狂いもない。場末のアパートなら、いささかのガタピシがあっても良かったのではないだろうかと。また三和土に汚れやクスミが無く、茶の間も、なぜかタタミではなく三和土と同じくパンチのジガスリのようで、違和感がありました。往来の道具作りの上手さが逆効果になったか……役者さんの演技が激しいので、滑ることを心配されたのかもしれません。
また、柱時計。往来なら針を動かすかと思いましたが、動かない。アラを見つけたと思って喜んでいたら、きちんと話の中でそうあるべしになっていました。以前このアパートにいた住人が、中身の機械だけを質に入れたというオチがついています。藤本義一といい、演出の鈴木さんといい、大阪という土地と人情を、よくご存じでありました。
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