ライトノベルセレクト
『ジャパンドール・2』
なんで、こんなに幼稚園や学校が集中しているんだろう?
峰子は、ホテルのテレビを観て疑問に思った。
それは、峰子もアメリカで何度か見たことのある軍用機だった。確かに初期のころは呼称も多く「未亡人製造機」と皮肉られたこともある。キャスターは眉間にしわを寄せ、キザに眼鏡を上げると、こう言った。
「みなさん、どう思われますか。この機体は2005年に実戦配備されてから60件近い事故をおこしています。こんなものを日本に持ち込んでよいものでしょうか?」
峰子は知っていた。60件近くは、正確には58件の事故であり、死者や怪我人が出たクラスAの事故は4件だけで、中には整備士が、整備中にタラップを踏み外して軽い怪我をしたのまで含まれていることを。
反対運動をやっている40代の女の人の顔を見てピンと来た。
――ああ、取り憑いている――
峰子は、反対運動が起こっているK市まで行ってみた。
「わたくしは、反対運動にも理解を示す者でありますが、老朽化が進んだ校舎、通学の便、そして、何よりも子供たちの安全を考えまして、S小学校につきましては建て替えではなくて、移転を考えた方が理にかなっておるのでは……」
議員がそこまで発言したときに、そのオバサンが、傍聴席から叫んだ。
「本末転倒、そもそも米軍基地があることが間違っている。ここを論じないで、移転など敗北主義者の考えだ!」
「そうだ!」
「米軍基地こそ、廃止すべきだ!」
などと野次が飛ぶ。静かに傍聴している人もいるが、テレビカメラはいっせいに彼らの方ばかりを映し出した。
その日はホテルに帰り、テレビを点けてみた。峰子が傍聴した議会の様子が流されていた。実際の数倍の反対があったように感じられるように編集されていた。
――荒れる議会。配備反対の声高まる!――
朝刊は、トップに、その見出しを踊らせていた。
夜になって、町中の人形たちが起き出すころに、峰子は情報を集めた。
『反対派のごり押しで、学校や幼稚園は移転ができないんだ』
『反対派のほとんどは県外の人間だよ』
『とりあえず反対しておかないと、町には住めないし』
いろんな意見が聞こえてきた。
朝になって、峰子は、米軍基地の側まで行ってみた。晴れていたことと、テレビが三社もきていることもあり、参加者は人数の割には意気盛んであった。
――ミリー、ミリー――
峰子は、後ろの方から声にならない念を飛ばした。そして人形の冥界にミリーを呼び出した。ミリーは焼かれる前のすがたをしていたが、表情は醜く歪んでいた。
『誰よ、あんた!?』
『あなたたちの代わりにアメリカに送られた人形の代表、峰子・シドニー』
『ケ、アメリカで大事にされたお嬢ちゃん人形ね。あんたなんかに邪魔はさせないわ』
『もう、終わりにしよう。ミリー』
『いやなこった。あたしを焼き殺した日本にも、送り出したアメリカにも両方呪い続けてやるんだ!』
『これを、ご覧なさい……』
峰子は、ミリーを送り出した、オクラハマの景色と、彼女を送り出した姉妹の映像を見せてやった。
『ケイト、ジェシカ……オクラハマの古里……』
ミリーの顔が穏やかになった。峰子は静かに呪文を唱えた。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、汝ミリー、古里の大地に戻り給え……」
そして、十字を切ると、ミリーの姿は、細かい粒子に変わり風に流されて、飛んでいってしまった。はるか東、アメリカのオクラハマを目指して……。
オバサンは、ばったり倒れると、そのまま救急車で病院に運ばれ、回復すると東京に帰って、静かな生活に戻っていった……。
百年近い昔、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国と日本のあいだで政治的緊張が高まっていた。
また、1924年に成立した「排日移民法」も両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を心配し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られた。「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られ、ずいぶん歓迎された。
そして返礼として、峰子たち「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本からアメリカ合衆国に贈られた。
日本に贈られた「青い目の人形」……第二次世界大戦中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが焼却処分された。けれど、これをを忍びなく思った人々は人形を隠し、戦後に学校等で発見された。現存する人形は2010年現在、323体にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。
峰子が、今回日本に来た目的は、この焼却処分された人形たちの「今」を確認し、その魂を慰めることだったのだ。
『ジャパンドール・2』

なんで、こんなに幼稚園や学校が集中しているんだろう?
峰子は、ホテルのテレビを観て疑問に思った。
それは、峰子もアメリカで何度か見たことのある軍用機だった。確かに初期のころは呼称も多く「未亡人製造機」と皮肉られたこともある。キャスターは眉間にしわを寄せ、キザに眼鏡を上げると、こう言った。
「みなさん、どう思われますか。この機体は2005年に実戦配備されてから60件近い事故をおこしています。こんなものを日本に持ち込んでよいものでしょうか?」
峰子は知っていた。60件近くは、正確には58件の事故であり、死者や怪我人が出たクラスAの事故は4件だけで、中には整備士が、整備中にタラップを踏み外して軽い怪我をしたのまで含まれていることを。
反対運動をやっている40代の女の人の顔を見てピンと来た。
――ああ、取り憑いている――
峰子は、反対運動が起こっているK市まで行ってみた。
「わたくしは、反対運動にも理解を示す者でありますが、老朽化が進んだ校舎、通学の便、そして、何よりも子供たちの安全を考えまして、S小学校につきましては建て替えではなくて、移転を考えた方が理にかなっておるのでは……」
議員がそこまで発言したときに、そのオバサンが、傍聴席から叫んだ。
「本末転倒、そもそも米軍基地があることが間違っている。ここを論じないで、移転など敗北主義者の考えだ!」
「そうだ!」
「米軍基地こそ、廃止すべきだ!」
などと野次が飛ぶ。静かに傍聴している人もいるが、テレビカメラはいっせいに彼らの方ばかりを映し出した。
その日はホテルに帰り、テレビを点けてみた。峰子が傍聴した議会の様子が流されていた。実際の数倍の反対があったように感じられるように編集されていた。
――荒れる議会。配備反対の声高まる!――
朝刊は、トップに、その見出しを踊らせていた。
夜になって、町中の人形たちが起き出すころに、峰子は情報を集めた。
『反対派のごり押しで、学校や幼稚園は移転ができないんだ』
『反対派のほとんどは県外の人間だよ』
『とりあえず反対しておかないと、町には住めないし』
いろんな意見が聞こえてきた。
朝になって、峰子は、米軍基地の側まで行ってみた。晴れていたことと、テレビが三社もきていることもあり、参加者は人数の割には意気盛んであった。
――ミリー、ミリー――
峰子は、後ろの方から声にならない念を飛ばした。そして人形の冥界にミリーを呼び出した。ミリーは焼かれる前のすがたをしていたが、表情は醜く歪んでいた。
『誰よ、あんた!?』
『あなたたちの代わりにアメリカに送られた人形の代表、峰子・シドニー』
『ケ、アメリカで大事にされたお嬢ちゃん人形ね。あんたなんかに邪魔はさせないわ』
『もう、終わりにしよう。ミリー』
『いやなこった。あたしを焼き殺した日本にも、送り出したアメリカにも両方呪い続けてやるんだ!』
『これを、ご覧なさい……』
峰子は、ミリーを送り出した、オクラハマの景色と、彼女を送り出した姉妹の映像を見せてやった。
『ケイト、ジェシカ……オクラハマの古里……』
ミリーの顔が穏やかになった。峰子は静かに呪文を唱えた。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、汝ミリー、古里の大地に戻り給え……」
そして、十字を切ると、ミリーの姿は、細かい粒子に変わり風に流されて、飛んでいってしまった。はるか東、アメリカのオクラハマを目指して……。
オバサンは、ばったり倒れると、そのまま救急車で病院に運ばれ、回復すると東京に帰って、静かな生活に戻っていった……。
百年近い昔、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国と日本のあいだで政治的緊張が高まっていた。
また、1924年に成立した「排日移民法」も両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を心配し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られた。「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られ、ずいぶん歓迎された。
そして返礼として、峰子たち「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本からアメリカ合衆国に贈られた。
日本に贈られた「青い目の人形」……第二次世界大戦中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが焼却処分された。けれど、これをを忍びなく思った人々は人形を隠し、戦後に学校等で発見された。現存する人形は2010年現在、323体にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。
峰子が、今回日本に来た目的は、この焼却処分された人形たちの「今」を確認し、その魂を慰めることだったのだ。