大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

タキさんの押しつけ映画評・15『最強の二人』

2012-08-31 21:44:38 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・15
『最強の二人』


 この映画評は、わたしの友人で映画評論家のタキさん(滝川浩一)が個人的に、仲間内に回しているものですが、面白くてもったいないので、タキさんの了解を得て、転載しているものです。

 久し振りのフランス映画、本作はフランス歴代3位の大ヒット作で、ドイツを始めヨーロッパ各国でもヒット。セザール賞主演男優賞を授与されている。
 パラグライダー事故で全身不随になった富豪フィリップが介護人の面接をしている。黒人ドリスはその面接を受けに来たのだが、端から採用される気はなく 失業保険金を受け取るための書類にサインが欲しいだけだった。しかし、数多い応募者の中から採用されたのはドリスだった。
 かくしてシニカルな富豪と、粗野で無教養な黒人青年のコンビが誕生、一切噛み合わないこの組み合わせがやがて奇跡を生み、二人は強い絆で結ばれていく……というストーリー。

 これは実話がベースであり(ドリスのモデルは黒人ではない) ご両人共に健在である。
 しみじみ人生を語る映画を撮らせればイタリア人がNo.1であり、人生を謳歌する映画はフランス人が上手い。本作は確かに名作であると思う、見ていて胸の真ん中がほんのり暖かくなってくる。ただ、パンフレットには「大爆笑」 「涙が溢れる」 などと最大級の讃辞が踊るが…ちょっと待った!
 
 各シーンは微笑ましくはあるが「大爆笑」には遠い、「涙が溢れる」どころか これじゃ泣けない。ヤバイ!俺の感性が鈍くてこの作品の良さが理解できないのだろうか……で、知り合いのフランス人に聞いてみた所、彼女も、その友人達も「良い映画だとは認めるが、何故ここまでヒットしたのかは理解の外だ」との返答。良かった、とりあえず私の感性だけがおかしい訳ではなさそうだ。
 では、どこに問題が有るのか…「最高の人生の見つけ方」をご覧に成っているだろうか。ジャック・ニコルソン(富豪)とモーガン・フリーマン(自動車工)は共に末期癌で余命短い。この全く境遇の違う二人が、それぞれ人生でやり残した事を命あるうちにやり尽くそうと旅に出る…っていう話で、本作のベース実話を参考にしたんじゃないかと思えるほどなのだが、この作品こそが「大爆笑」と「溢れる感動」というに相応しい。あなたが未見であるなら衷心から一度ご覧になることをオススメします。

 さて、フランス映画とハリウッド映画の間には、製作作法(哲学ともいえる)、映画文法に大きな隔たりが有る。また、フレンチとヤンキーの観客の好みも違う。ただ、この違いは昔から有るのだが、古くは「望郷」(ペペル・モコ/ジャン・ギャバン主演)や「ヘッドライト」から一連のフィルム・ノアール、「パリのめぐり逢い」などのクロード・ルルーシュ、最近ではリュック・ベッソン作品にはもっと観客を引きつける工夫がされている。本作はこれらとは系譜を異にする…いわば「潜水服は蝶の夢を見る」と同じジャンルと見るべきなのかもしれないが、各シーンの作りから判断するに「潜水服~」よりはハリウッド映画に近い作りになっている。 ならば、本物の感動実話をベースにしながら、この乾いた感覚は何なんだろうか。 要するに感情移入する一歩手前でシーンが切れているのだが、ハリウッド作品のように「感動の押し売りはしない」って事にしては、「ほんの後一歩」の所まで作り込んである。役者が巧すぎて演出意図以上に味わいが出てしまっているとも考えられる。 思うに、実在のモデル達をリスペクトするあまり、ドキュメンタリー性に拘り過ぎたかってのが、当たらずとも遠からずなんだと思う。ただ、作りは間違いなく輸出を意識しているので、ならば娯楽性にもう少し気を使った方が良かったんじゃないかと思われる。 この辺りに男優賞は取れても作品賞は逃がしている原因があるのだろう。

 こんな書き方をしておいて 今更の感はあるが、感動のお薦め作品である事は間違いない。 ここからは余談であるが、本作の原題は「INTOUCHABLS」 パンフレットにはなぜか英語で「UNTOUCHABLS」とある、いずれも形容詞で「触れてはならない」 「触れることが出来ない」と言った意味だが、フランス語の場合、この形容詞が複数形(語尾に“S”が付く/フランス語では主語が複数形だと それに掛かる形容詞も複数形になるらしい)になると、名詞扱いになって、いわゆる インドの「不可触民」を指す言葉となる。思えば英語のほうも、FBIエリオット・ネスのドラマのタイトルであり、マフィアを指す表現であり その裏には「穢れた奴ら」が隠喩として隠されている。 主人公二人に掛かる形容詞だから複数形であり、名詞形としてドリスとフィリップの階級(カーストに引っかけてある)を暗喩し、そして まさにこの二人の友情には何人たりとも触れるべからす、とまぁトリプルミーイングなタイトルなのだと考えるのは深読みのし過ぎだろうか。フランス人の間にも同じように考える人がいるそうである。余談でござる。 アッハ、ここまでお読みいただいたアナタ、長々とご苦労様でございましたぁ。
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高校演劇・クラブはつらいよ 秋編一

2012-08-31 10:48:14 | エッセー
クラブはつらいよ 秋編一

まだ生きてる!?

 って、なにが? 君の、あなたのクラブである。
 「なんて、失礼な!」……と言って欲しい。


 夏休みが過ぎて、自然消滅するクラブが多いからである。夏休み前には、あれこれ計画はたてたものの、人が集まらず、結果的に開店休業に終わってしまったクラブ。昔から多い。
 つぶれないまでも、「あ、あいつ、二学期になってから、一度もクラブに顔を出してないよ!?」ってのが、何人かいないだろうか? 
 演劇部というのは集団芸術、総合芸術といわれるが、本質のところでは、個人芸術、もしくは、それに近いものだと思っている。かねがね、演劇部というのは、全員が集まってやる稽古より、個人で悩み工夫するクラブであると言ってきた。極端な言い方をすれば、全員でやるクラブの時間が一で、個人で悩み工夫する時間が九である。そうやって、ストイック(一途に、禁欲的に物事に取り組むこと)に部員一人一人が、自分を磨いていかないと、全体としては、けして成長はしない。この点で、演劇部というのは、文化部ではなく運動部に近い。
 
 夏休みの部活は、とくに公演の予定でもないかぎり「やめときなはれ」と、夏編ではくりかえし言ってきた。私服を着て図書館に行き、できるだけたくさんの本を読んだり、芝居をみたりして至福の時間を過ごし、雌伏する時であると言ってきた。親父ギャグのゴロ合わせで、至福の時といったが、アクティブに図書館に通い本を読み、芝居を観ることは、じつは苦痛である。だから、できていない諸君が多いのではないかと思っている。「わたし、やったもーん!」という人がいたら喜ばしいことであり、わたしとしては「ごめんなさい」である。
 
 もし、わたしが言ったように、本(戯曲にかぎらない)の十冊も読み、芝居の五・六本も観ていたら。やりたい本のイメージがふくらんでいると思う。それが運良く夏休み前に決まっていたら、こんなにめでたいことはない。ひたすら、文化祭やコンクールをめざして稽古すればいいだけである。決まらずともイメージがふくらんでいるのなら、みんなで意見を戦いあわせ……お話し合いなど、生ぬるいことではだめである。いかに自分のプランなり、やりたい本がすばらしいかをプレゼンテーション(自分の企画、見積もりをピ-アールすること)し、仲間を説き伏せる。また、仲間の押す本がすばらしいと思えたら、質問攻めにしよう。互いにプレゼンテーションをし主張する中で、企画やアイデアは磨かれ、現実的なプランになり、みんなのモチベーションを上げることができる。
 
 不幸にして、夏休みをノンベンダラリとすごしてしまったのなら、やや手遅れではあるが、必死のパッチで(大阪弁では、懸命にがんばることをこう言う。強調的自動詞「こく」をつけて、「必死のパッチこいて!」とも言う)本を読もう。もう図書館などでは、間に合わない。ネットで星雲書房、門土社、晩成書房高校演劇、井上ひさし戯曲、つかこうへい戯曲、野田秀樹戯曲など、劇作家の名前に戯曲をつけて検索してみよう。やや、手前みそではあるが、前記二社の本が手軽で、種類もそろっているように思える。個人的には、わたし(大橋むつお)の本がお勧めであるが、故井上ひさしさんの「父と暮らせば」などに挑戦してもいいのではないかと思う。

【いまさらながら創作劇について】
 この時期において創作劇にとりかかるのは、いささか無謀なのであるが、図書館もだめ、ネットで検索しても、いい本にめぐりあえなかった。または、本の値段が高かった。ネットで買うのは不安だというクラブは、もう自分で書くっきゃない! 本の書き方については、先月号で述べたので、ここではインスタントラーメンのような書き方について述べよう。さまざまなやり方があるが、わたしの経験からいくつか紹介しておく。

(1)ものの裏側を見る(または、災い転じて福となす)
かつて、現役の教師で演劇部の顧問をしていたころ、部員が二十七人いたことがある。それが、その子たちの目の前で、引退した(させた)元部長とケンカをしてしまった! 「大橋、ちょっと顔出せや」「おのれ、だれにもの言うとんじゃ!」廊下に出て、互いに河内弁まるだしで、どなりあった。今思うと若気のいたりであるが、言い負かしたつもりで教室にもどると、二十七人いた部員が三人に減ってしまっていた……「やられてしもたぁ」女の子ばかりだったので、みんな、「怖いクラブや」ということで、三人を残して、みんないなくなってしまった。「大橋のクラブをつぶしてやる」が、その元部長のネライだったのである。コンクールまで、一ヶ月あまりしかない。「どないする?」と三人に聞くと、二年生の女の子が「こんなんで、やめるのんイヤや」「イヤや言うたかて……」「センセ、なんか書いてください」「……よっしゃ、書いたろやないか!」
 
 たまたま、近所で地上げにあって、ただ一件残った一人暮らしのお婆ちゃんがいた。地上げ屋のオッサンは最後には、バブルがはじけたこともあってあきらめた。お婆ちゃんをして、そこまで粘らせたものはなんだったんだろう? これは、あくまでも、わたしのひねくれ根性なのであるが、お婆ちゃんは淋しくて地上げ屋のオッサンとの会話を楽しんでいたのではないかしらん!? と想いががふくらんで、地上げ屋のオッサンと、お婆ちゃんのバトルのようなコミュニケーションを三日で書き上げた。稽古を通じて書き直し「欲しいものは……」というドラマが一ヶ月後にはできあがった。お婆ちゃんが欲しかったものは、お金ではなく、人とのコミュニケーションであった。というシニカルなコメディーで、わたしとしては、ケンカした元部長の子とのコミュニケーション不足の反省が底に沈んでいる。この芝居、火事場の馬鹿力で、近畿大会の二位までいってしまった。
 
 わたしの初任校は、奈良との県境の、大阪ではめずらしい田舎であった。ある日遅刻しそうになって、いつもと違う道を通って学校にいこうとして、車にはねられて息絶えた動物を見かけた。「あれは、犬とちゃう。タヌキかキツネか?」 これがずっと頭の隅っこにあり、出版社の指示で、三人ものの芝居を三週間で書かなければならないはめになった(締め切りをわすれていた!)そこで、頭にひらめいたのが、あのキツネかタヌキかわからない動物であった。ひょっとしたら、本人自身もわかってなかったんじゃないかしらん!? という妄想である。ここから「たぬきつね物語」という芝居ができあがった。そのときネコとコブタをくっつければ、「たぬきつねこぶた物語」という傑作が生まれると思ったのだが、すでに童謡で「たぬきつねこぶた」というのがあることを知って、あきらめた。

(2)物語の続きを考える
 「ローマの休日」という映画を、高校生のころに観た。オードリー・ヘプバーンの王女さまと、グレゴリ-ペックが演ずる記者との粋なお別れで終わる有名な映画である。二十年ほどして、あのオードリーの王女が女王になり、娘がいたら、母親の人生をどう思うだろうかと考えて、「ローマの休日をもう一度」を書き上げた。
 
「犬のおまわりさん」の後をかんがえてみた。~名前を聞いても分からない、お家を聞いても分からない♪ で、ひねくれ者のわたしは、こう考えた。コネコは、うそ泣きをして、黙秘権をつかっているにちがいない! そこにタヌキの署長と、ウサギの女先生があらわれて、バトルになり、お人好し……お犬好しのおまわりさんは、あいだに入って大騒動という「犬のおまわりさん」という芝居ができあがった。
 桃太郎の後日談を考えてみた。鬼をやっつけて、村人から尊敬され、やがて村長、そして、あたり一帯を治める殿様になる。しかし財政破綻になり、やむなく年貢をあげざるをえなくなり、領民から「鬼の殿様」とよばれるようになる……これは、まだアイデアの段階で、本にはしていない。

(3)歌からアイデアをいただく
 昔から、ヒットソングをもとに映画が創られることがある。この手で、音楽のメロディーや、歌詞からヒントを得て本を書く手である。前記の「犬のおまわりさん」は、べつの面から見れば、まさにこれである。むかし、南こうせつの「妹」を聞いて、実態としての妹と、兄がかってに思いこんだ妹象のギャップからくる、行き違いのドタバタをコメディーにしたことがある。案の定、秋吉久美子主演で映画になった。同じことを考えてる人間はいるもので、当然映画のほうが出来がよかった。日頃から、ジャンルにかまわず、自分の中にイメージやパッションをわきたたせる曲の一つや二つは持っておきたいものである。
 以上は、わたしなりの速く芝居を書き上げる方法であるが、基本的には、時間を十分とって書き。稽古の段階で、手直しがほどこされ、上演されたとき初めて戯曲というものは完成するものである。本番一ヶ月、いや、二ヶ月をわったら、既成の本を」使うのが常道であろう。

【上演権について】
 著作権法三十八条に、営利を目的とせず。かつ、聴衆、観衆から料金を受けない場合。著作者に無断で上演してもよいことになっている。つまり、コンクールなどでの上演は無断でもかまわないし、上演料を払わなくてもよい。という規定である。これは十年ほど前の法改正でこうなったのだが、困ったものである。
 どう困るかというと、まず教育的によろしくない。脚本は、観客、役者と並んで、演劇の三大要素の一つである。中学生や高校生の演劇だからといって、装置を作る材料は無料になるだろうか。衣装に使う布地は無料になるであろうか。会場へ行く交通費は、メイク道具は、業者から借りてくる照明器具は……けして、無料にはならない。コンクールも本選の会場などは、ちゃんと使用料がとられ、音響や照明の技術者をよんだ場合、ギャラを払っている。そこに、上演にあたって不可欠な脚本に関してだけ、上演料の支払いも、著作者へのことわりもいらないというのは、理屈にあわず、生徒諸君に著作権を軽く見るようにさせはしないだろうか。とくに中学校にこの傾向が強く、ネットでしばしば無断上演を見つける。
 もう一点。著作権法は矛盾している。二十条で、著作者に同一性の保持を認めている。同一性というのは、作者の許可なく脚本に手を加えてはいけないということである。厳密に言えば、台詞の一言、句読点までこれに含まれる。原作と一言一句違えてはいけないのである。こんなことは事実上不可能である。わたしは、無断上演を発見したときは、上演を記録したビデオかDVDの提出を求めている。そして、原作と異なる箇所があれば、抗議することにしている。 高校演劇の場合、たいていきちんと上演許可を求め、上演料を支払ってくださる。会場や役者の個性は千差万別で、当然、必要に応じて本に手を加えなければならない。手続きをふんでいただければ、たいがいの改変には文句はいわない。はなはだしい改変の場合は、「原作」としてもらうようにしている。なんだか、口うるさいオヤジのようであるが、著作権という劇作家にとっての、人権……なんだかイヤな言い方。まあ、お互いに、芝居を創る者として、お互いを大切にしましょう。てなことです。はい。

【創る側からの著作権】
わたしは、自分の作品を書くとき。きみたち、あなたたちは創作劇を書くときに気をつけなければならないことがある。人の著作権をおかしてはいけないということである。小説やアニメなどから、アイデアをいただく場合、はっきりそうと分かる場合は、原作者の許可がいる。例えば、創作劇の中にドラえもんは登場させられない。のび太くんも、ジャイアンもそうである。効果で特定の曲を使う場合、二小節以上は、無断では使えない。渡辺えりさんが、ゲゲゲの鬼太郎を本の中で使おうとしたとき、きちんと、原作者の水木しげるさんの許可を得ている。

 今月は、なんだか硬い話ばかりになってしまった。コンクールに向けて台本が決まる時期なので、ついつい……まあ、今回だけなのでお許しを。で、今月もコントがのせられませんでした。ごめんなさい。

生きてますか!?

生きてるよね、とうぜん!
 
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草58『道心あらば』

2012-08-28 10:59:41 | エッセー
わたしの徒然草・58
『道心あらば』


徒然草 第五十八段

「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を願みる営みのいさましからん。心は縁にひかれて移るものなれば、閑かならでは、道は行じ難し(以下略)


 仏の道を学び、生死の迷いを捨て去ろうとするならば、坊主になって出家すべきだ!
 兼好のオッチャンの余計なお世話である。略した後半では「死を見つめない者は畜生と変わる所あるのか」とまでのお節介ぶりである。

 兼好のオッチャン自身、坊主のナリはしているが、都の中に身を置き、俗世間との付き合いにまみれてよく言えたものである。真偽のほどは定かではないが、足利氏の重臣高師直(こうのもろなお)のラブレターの代筆をやったり、祭りや宴会などにも喜んで顔を出したりしている。
 まあ、かくあらまほし(こうであったらいいなあ)の話であろう。

 なので、「かくあらまほし」の話しをしたい。
 わたしは、子どものころは画家になりたかった。なぜか……他に取り柄が無いからである。小学校のころ、算数などは、一年遅れで理解していた。ローマ字がまともに書けるようになったのは中学になってから。音符が読めないので音楽の授業も嫌いだった。運動神経が鈍く体育も敬遠。高校に入ってからは、絵と芝居ばかりやっていた。昨年演劇部の同窓会で、後輩にこう言われた。
「大橋さん、学校に勉強しにきてはったんとちゃうでしょ」
「そうや、絵描くのんと、芝居だけしに行ってた」
 美術の授業は好きだった。先生は和気史郎というプロの油絵の先生で、梅原猛氏、瀬戸内寂聴氏は和気先生を『狂気と正気の間の芸術家』と賛辞したほどの人である。学校で、ちゃんと進路を見据えて生徒扱いしてくれた唯一の先生である。ある日、先生にこう言われた
「大橋君、きみ美術の学校にいかないか」
 大人から、初めてかけられた「かくあれかし」の言葉であった。大げさにではなく身が震えた。そして担任に相談した。
「美術の大学行きたいんですけど……和気先生にすすめられ……」
 担任は椅子に座って背中のまま、顔も見ないでこう言った。
「美術の大学は、実技の他にも試験があるねんぞ」
 で……お終いになってしまった。
 わたしは後年教師になったが、生徒が相談に来たときは、必ず正対して顔を見て話すことを心がけた。

 和気先生は、卒業記念の湯飲みの原画を無料で描いて下さった。生徒たちも和気先生を単なる美術の講師ではなく、人間的な師と仰いでいるようなところがあった。先生は無心に絵を描く生徒には実に優しく、美術室は施錠されることが無く、好きな時に好きなだけ絵を描かせてくださった。逆にいい加減な態度で授業に臨む生徒には厳しく、授業中抜けて食堂に行っていた生徒には本気で怒鳴っておられた。怒鳴られた生徒の中には、コワモテの学園紛争の闘士も混ざっていた。他の先生は、そういう生徒には一歩引いた物言いしかしなかった。この歳になるまでいろんな人間の怒鳴り声を聞いたが、和気先生の怒気を超えるものを聞いたことがない。
 担任は、その卒業記念の原画に、和気先生の落款をもらおうとして断られた。落款があれば作品となり、それだけで途方もない値打ちが付く。生徒たちは、密かに、担任を軽蔑した。
 和気先生は、わたしが卒業したあと、正規の教員(担任業務などの校務ができる)が欲しい管理職に申し渡され、退職された。
 そのころも、今でも、学校は間違った選択をしたと思っている。
「かくあらまほし」ということを、きちんと言える大人は少ない。
「かくあれかし」ということを、きちんと心に刻める若者も少ない。

 それからのわたしは芝居だけであった。わたしが人がましく見てもらえるものは絵と芝居しか無かった。消去法で芝居が残った。
 消去法ではあったが、真剣であった。早朝から学校に行き、演技の基礎練習をやり、昼休み、放課後は部室で何かしら演劇的な試行錯誤をくり返していた。自然とエチュ-ドが有効であることに気づき、哀れな後輩を捕まえては相手をさせた。
 青春とは臆病なもので、何か、誰かに後押ししてもらわなければ前に進めないものである。結局、芝居も一歩腰が引け、アマチュア劇団、高校演劇の世界の中で「ま、いいか」で四十年が過ぎてしまった。人間はNHKの朝の連ドラのようには成長しない。
 五十五で早期退職して、ようやく「かくあれかし」に向き合えるようになった。若い頃に専門教育を受けていないので、全て我流である。芝居の中でも「本書き」が専業のように思われ、また門土社の關さんなどに、エッセーや小説もどうかと巧妙に薦められ、今は劇作以外のエッセーや小説が主流になった。で、この駄文を書いている。

 今、和気先生の晩年の歳に近くなってきた。若者に「かくあらまほしき」と言えるだけのものは、わたしの中にはまだ無い。しかし、若者たちがやっていることで「これは違う」と思うことが気になりだした。ポジティブに「かくあれかし」とはなかなか言えないことがもどかしい。
 いつだったか、電車の中で初任校の卒業生に声をかけられた。聞くと、社会科の教師になっていた。
「先生の授業聞いてて、社会の教師になろと思たんです」
 わたしが教師になった理由は不純である。教員採用試験を受けることをプータロウでいることの言い訳にしていた。で、五回目の試験を受ける半年前に父が病気で仕事を辞めた。
 これに受からなければ、我が家は食っていけない。で、人生で初めて食うための勉強をして、なんとか通った。
 教師になってからは、教えてもらった先生達を頭に浮かべ、あんな教師にはならないでおこうと思ってやってきた。とても和気先生のように人格で圧倒できるような教師ではなかった。
 くだんの卒業生、ひょっとしたら「大橋のような教師にはなりたくない」と思ったのかもしれない。世の中には、わたしたちの世代が好んだ「反面教師」という言葉がある。
「かくあらまほし」というものは難儀なもんですなあ、兼好さん。

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タキさんの押しつけ映画評14・『プロメテウス』

2012-08-26 07:05:34 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評14
『プロメテウス』


 これは悪友の滝川浩一氏が個人的に仲間内にながしている映画評ですが、もったいないので、本人の許諾を得て転載しているものです

 アッハッハッ こうりゃ 強烈に賛否が真っ二つになりますなぁ。
 あっと、その前に、リドリーには トニー・スコットのお悔やみを申し上げます。さぞや気落ちされておられるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
 
 さて、映画ですが……う~ん、ちょっとストーリーに凝り過ぎましたねぇ。記念すべきエイリアンⅠの前段のエピソードになるので、矛盾しないように考え抜かれているようで、デカいミスが二つ(これは絶対容認しかねる)、 小さな疑問符のつくのが四つほどおます。さて、あなたのカウントだと幾つになるんでしょうねぇ。ただ、まぁええ根性してるなあとは思います。
 この映画、規模の割に全米での稼ぎがあまり良くなかったんですが、見ていて即判りました。本作は中西部及び南部の 所謂バイブルベルト地帯では上映出来ません。進化論を学校で教えただけで豚箱行きの州で、ハッキリ人類をつくったのは宇宙人だなんぞという映画を上映できる訳がない。こいつは端から全米公開出来ない前提で作られている。後は全世界公開でどれだけ稼ぐかですけど今のところ数字不明です。
 SF映画としてはええ線行ってるとは思いますが、先に書いたようにミスも有るんでそこが気に掛かる所。
 これから見る人の邪魔にならない程度に言うならば…まず、テクノロジーの進化度合いにチグハグがある。もっとも、エイリアンⅠは、ノストロモ号が貨物船だったので、ここまでのオーバーテクノロジーには無縁だったと言えそうです。しかし、Ⅱにおいては軍隊の出動に成っているので、この矛盾にはひっかかる。Ⅲは物語世界が先祖返りしているので無視するとして、会社がその後も存続しているので、人類起源か最終絶滅生物兵器エイリアンか、どちらを優先しているのかってえ問題が出てきます。こらあ、プロメテウスⅡかエイリアンⅤでも作らないと決着が着きません。
 私なんかはかえって今後どうなるのかワクワクするんですが、見た人みんながそう思ったかと言うと、結構怒っている人が多いんですよねぇ。何がそんなに気に入らんかったかって確認すると、これまたバラバラなんで…今更ながらSF映画ってなぁ難しいもんであります。この辺りを敢えて無視すれば、私なんかは良く出来た作品だとおもうんだよねぇ。  
 
 それにつけても3Dはどないかしてほしい。今日も字幕スーパーを見ようとしたら3Dしかなかった。未確認だが、本作は後からコンピューター処理で3Dにしてあるとおもわれる。こんな程度の画像を見せられて別料金を盗られるのは絶対に承服出来ない。ほんまにええ加減3Dはやめてほしい。バイオハザードⅤの3D予告をやっとりましたが、Ⅳの時と同じで「飛び出す映画」です。ほんまにええ加減にせえへんかったらスクリーンに火ィつけるよ!ガルルルル
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タキさんの押しつけ映画評13・『あなたへ』『るろうに剣心』

2012-08-25 17:51:16 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評
『あなたへ』『るろうに剣心』


これは友人の映画評論家タキさんが、個人的に仲間内に流している映画評ですが、深さ、趣、面白さは、もったいなく、本人の了解を得て転載しているものです。


『あなたへ』
 高倉健さん、ええねぇ~80越えてるのに、立っているだけで絵になります。
 歩いている姿はヤッパリご老人なんだけど、黙って立っていたり座っているだけで「高倉健」です。
「単騎、千里を走る」がもう6年前なんですねぇ。後何回、この人の「いずまい」「佇まい」をみれるんでしょうねぇ。
 映画館は爺ちゃん婆ちゃんで満タンでした。今時の20代は「残侠伝」も「番外地」も知らんでしょうから仕方ないけど、我々年代も少なかった。60年安保から全共闘世代とお見受けする。「止めてくれるなおっ母さん、背中の桜が泣いている」の世代ですねぇ。ちゅうことは、これで正解なんですかねぇ、昭和28年生まれは所詮 学生運動乗り遅れ組ですからねぇ。
  映画 映画~ 正直、さほど感動的な内容じゃありません。というより、敢えてそういうバックシーンを切り捨ててあります。初老の刑務官と童謡歌手が結婚し、妻が先に死に その死後「遺骨を故郷の海に散骨してほしい」との遺書が届く。
 この夫婦が出逢うまで 彼らの人生に何があったか、ほんの僅かに言及されるだけ。15年の夫婦生活も 何げない風景が追憶されるだけである。夫は、極短いセンテンスの2通の遺書に込められた 妻の真意を測りかねながら、妻の故郷へと旅をする。
 ご想像通り 旅の途中で出逢う人々との交歓から 次第に理解の糸口を掴んでいく。身も蓋も無い言い方をすれば「人間、皆 別々な時間を生きている」ということで…さて健さんは それが判った上で 亡き妻と どう別れるんだろうか、という内容です。
 例によって健さんはあんまり芝居していません…というより、そのまんま「ドキュメンタリー高倉」です。それに合わせ脇役陣が演技するのですが、ビートたけしが、健さんの向こうを張ってノープラン芝居をしています(何ちゅう奴っちゃ) しかし、ここは脚本が先読みしていて絶妙なキャラクター設定にしてあり、観客には大受けでありました。(どんな設定かは教えね~) 佐藤浩市はもうちょっと老けないと設定上無理があるんですが、それだとバレてしまうので これはこれでええのかな?
 健さんが 大滝秀治さんの仕事をベタほめしているのですが、見ていて「なるほど」と納得、健さんより6歳年上ですが、全く違う道を来た二人が、ほんの短い台詞のやり取りで人生を演じきる、こういうシーンに出逢うと 本当に日本人で良かったなあと実感します。

『るろうに剣心』
 アクションは確かに良く出来ていますが、こらぁ早回しの「香港カンフー」ですわいな。それもその筈、アクション監督/谷垣健治、この人が作ると全部そうなる。カンフー映画にハンドカメラを持ち込んで、変則方向から撮ったシーンを合成(ジェイソン・ボーンシリーズのあれですわ)したらこういう画になる。それなりに迫力はあるんですが、凄い映像・新しいアクションを見た…とは言えません。しかし、本作の問題点はここじゃない。
 大沢監督は「原作に忠実にではなく、誠実に作った」と言っている。この人が言うのならその通りなんだと思います。私、原作は未見ですが、本作の問題点は、総て原作に有ると断言しちまいます。
 世界観が薄っぺら過ぎるんです。原作者はあんまり歴史に敬意を払っていない…というより知りません。実在した斎藤ピンだとか山県UFOとか出てきますがおそらく名前を知っている程度でしょう。主人公の「不殺の誓い」の象徴として逆刃刀ってのが出てきますが……笑止!刃など無くとも日本刀で頭殴られたら即あの世行きです。
 いやいや、これは時代劇に良くある設定で そんな些末を言うとる訳ではないのです。つまり、一事が万事この調子 今時 少女漫画でも武器の扱い・設定には結構こだわりがあります。しかるに本作はまるで先祖返りの少女漫画。まぁ、絵柄と連載当時女の子のファンが多かったってあたり、さもありなんです。未読漫画が映画化されると、即 本屋で大人買いになるんですけど、今回はパ~スですわ。佐藤タケルンと武田エミリンのファンの方にはオススメいたしますです。
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草・57

2012-08-24 10:11:21 | エッセー
わたしの徒然草 第五十七段
『かたはらいたく、聞きにくし』


徒然草 第五十七段

 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意なけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

 中途半端な知識や経験で、あれこれウンチクをたれるのはウザイだよなあ……。
 これを、兼好のオッチャンは、自分の専門の和歌に例えて言っている。

「歌詠みは下手こそよけれ天地(あめつち)の動きいだしてたまるものかは」
 宿屋飯盛の狂歌を思い出す。
 これは古今和歌集の序、「力をもいれずして天地を動かし…」をもじったものである。
 この狂歌は、宿屋飯盛の意図を超え、中途半端を超えて専門家さえ疑ってかかれ。と言う風に聞こえる。

 子どもの頃、社会主義や共産主義の国が世界の半分あって、なかなか捨てたもんじゃない。と教えられた。唯物論の初歩を教えられ、遠回しではあるが、マルクス・レーニンの考えと、それを理念として、当時現実に存在していた国々は正しいとも教えられた。
 しかし前世紀末にそういう国々は地上から姿を消した。子どもの頃、朝日新聞の天声人語で入江徳郎氏がアジア某国に行き、その国を礼賛したものを読んだ。ずっと忘れていたがサンケイ新聞に載っていた記事で思い出した。
――ホテルから見える街は清潔で、労働者たちが隊列を組んで合唱しながら整然と職場帰る姿に、この国のすばらしさを感じた。そういう入江氏の一節を覚えている。
 中国の文化大革命を頼もしく思っていた時期がある。大人からの影響であった。
 高三のとき「誰も書かなかったソ連」という本を読んだ。あまりに習ったこととかけ離れたことが書かれていたので、先生に聞いてみた。
「アメリカはもっと矛盾に満ちた国だ」と答えられた。
 そのソ連の姿が現実であることは、ソ連が崩壊してから知ったし、もっと矛盾に満ちたアメリカが健在であることで、わたしは先生や著名人の言うことを鵜呑みにはしないニイチャンになった。

 わたしは、高校二年を二回やった。つまり落第したのである。専門用語では原級留置、高校生のスラングではダブリと言う。
 わたしは落ちた時に先生達から、こう言われた。
「オマエが落ちるとは思わんかった……」余韻の部分には軽蔑と非難のニュアンスがあった。
 わたしは、いわゆる品行方正な生徒で、留年が決定する、ほんの二週間前には在校生代表として、卒業式で送辞を読んだ。
「前代未聞だ!」と東京帝大卒の先生ななじられた。
「送辞を読んだ在校生代表が原級留置になるなんて、聞いたことがない」と続いた。
 純真だったわたしは自分を責めた。しかし現職の教師になって気づいた。
 留年する生徒には、成績面はもちろんのこと、出欠状況にも前兆がある。わたしは留年した年二十日ほどの 欠席があった。当時の生徒の出欠管理などいいかげんなもので、現実的には三十日は欠席していた。わたし が教師になったときは、成績、出欠ともに担任、狂歌担当は厳格に掌握していて、一学期末から本人への指導はもちろんなこと、保護者への連絡と連携指導は当たり前であった。
「オマエが落ちるとは思わんかった……」は、教師と学校の怠慢でしかない。今こんな言葉を留年決定時にいえば、学校は指導の責任を問われる。

 目出度く三年に進級したとき驚いた。学年の落第生が三人同じクラスになった。落第など学年に一人いるかいないかの学校だったので、落第三人組は喜んだ。
「わあ、大橋君と○○君もいっしょや!」
 落第ガールがそう言って笑った。無邪気なものである。
 学年の他の担任の先生も「卒業できるようにがんばれ!」と、励ましてくださった。
 現職の教師になって分かった。留年生などの問題を抱えた生徒は、どの担任も持ちたがらない。で、キャリアや分掌の仕事などを考え、話し合って、そういう生徒は分担して受け持つ。
 わたしたち落第三人組を引き受けたのは、カバであった。
むろんあだ名である。
 お顔と動きの緩慢さから付いたあだ名で、学年主任の先生であった。担任会で引き受けてのない三人組を主任の責任で、お引き受けになったのであろう。
「がんばれよ!」と励ましてくれた他の先生たちは、留年生の受け持ちにはなりたくなかったのである。学校とは社会の縮図、それも一時代遅れの縮図である。わたしが高校で教わった教養は美術の他は、ただ一つ。
「反面教師」の四文字であった。
 かたはらいたく、聞きにくしい言葉ではある。
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草56

2012-08-21 06:56:36 | エッセー
わたしの徒然草五十六段
『よき人の物語するは』


徒然草 第五十六段

 久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる。いとらうがはし。
 をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
 人の見ざまのよし・あし、才ある人はその事など定め合へるに、己が身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。

 これは人付き合いについての兼好のオッチャンの意見ってか、感想ってか、処世術。
 久しぶりに会った人に、自分のことばっかし喋りまくるのはアカンという。
「おれさ、あれから、あんなこと、こんなことあってさ。そんでよ……」
 という具合で、自分の事しか言わない。会話で大事なのは、いかに人の話が聞けるかにある。
 わたしも久方ぶりの人は、まず相手の話を聞くことにしている。
 教師をやっていて身に付いたことである。
 懇談などやっても、「お子さんの成績がどうのこうの」などとは始めない。
「お家のほうでは、いかがですか?」から始める。
「いや、ちょっとも言うこと聞きませんわ」
「どんな話をしはるんですか?」
 あとは、出てきた話に合わせる。
「いや、うちの主人が、ちょっとも子どものことやら、家のことは言わしませんねん」
 ああ、このお母ちゃんは、かなり自分の亭主のことに不満があるなあ、と知れる。
 ひとしきり、亭主の棚卸しを聞く。長くなりそうだったら、こう提案する。
「お母さん、なんやったら、別に時間とってお聞きしましょか」
 十人に一人ぐらい「そうしてもらえます!?」になる。
 そう答えたお母さんの大半は、それだけで終わりになる。
 ごく稀に、本当に、もう一度やってくるお母さんがいる。最長で、六時間喋っていったお母ちゃんがいた。子どもへの不満から始まり、果ては自分の半生記を語り出す。
 それをとぎらせず、ひたすら聞く。黙って聞いていてはいけない。「ほー」とか「それから?」とか合いの手を入れる。「大変でしたなあ」「よう辛抱しはりましたなあ」などと親和的な言葉も挟む。
 生徒に対しても同じで、相手の言葉から、話のトッカカリをつかんで話を聞く。
 男子生徒が、女子生徒を叩く現場に出くわしたことがある。当たり前なら暴力行為で、すぐ生活指導室に引っ張っていき、事情聴取、そして主担や生指部長に報告、で、停学処分となる。周りに他の教師や生徒もおらず。二人が個人的関係であることも承知している。「夫婦ゲンカやったら外でやってくれよ」から始めた。女の子の表情も伺う。涙目ではあるが、「二人のことやねん」と目が言っている。
 で、二三日様子をみる。夫婦ゲンカは収まっている。で、時を置いて聞いてみる。
「なんでどついたんや?」
「しょうもないこっちゃねん。こないだ待ちきっとったら用事できて行かれへんかってん。ほんなら、あのブス、ムクレよったさかい」
「あほか、おまえら」
「エヘヘ……」
 と、話して収まりがつく。
 これ、普段から生徒との関係ができていて、また生徒同士の関係を承知していなければできない芸当である。

 よそのクラスの懇談で、こんなことがあった。たまたまPTAの担当だったので、その懇談に来たお父ちゃんのグチを聞くことができた。
「子どもを、私立の大学にやりたい言うたんですわ……」
「ほう、で、なにか?」
「担任のセンセ、いきなり『三百万用意してください。四年間でそのくらいかかります』ですわ」
 子どもにしろ、親にしろ、私学の大学に行かせるのには、それなりの葛藤があったはずである。なんせ、わたしの学校は進学と就職が半々なのである。まずは、進学と決めたことへの敬意を持ち、経緯を聞かなければならない。そのお父ちゃんは、自動車の買い換えを諦めたそうである。そんな話を食堂でうどんをすすりながら聞いた。
 とにかく、話は喋る前に聞くことが大事である。

 先日、ご主人の母国フランスに帰る女友達の送別会を六人でやった。前述したような会話のコツを心得たもの同士であったので、話題の振り方も程よく、互いの近況をほぼ等分に聞くことができた。わたしは高校演劇関係でカタキを作りすぎると意見された。友人は、日本人がいかにフランスを尊敬しすぎているかについて述べ、間接的にフランスに行くのがイヤだということをおもしろおかしく話してくれた。この友人の子どもは三人だが、上の二人は日本に留まり、上の子は自衛隊に志願するとのことで、一般論としては賛成。個人的には「もうちょっと考えたほうがいい」と言った。これから先、自衛隊は体と命を張った任務が増えそうだからである。

 よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ(本当にできた人の話は、大勢の人に語っているようでも、一人一人に語りかけているようでいいんだよなあ)
 こんな人は少なくなった。先の大震災のおりの天皇陛下のお言葉など、これであったように感じるが、そういうと「おまえはカタヨッテいる」と言われる。陛下は石原慎太郎都知事が「被災地のお見舞いは、皇太子殿下にお任せになっては」との意見具申にいちいち頷かれ、会談の終わり、会場の出口で立ち止まられ、こうおっしゃった。
「やはり、被災地へは、わたし自身で行きます」
 さすがの石原氏も汗顔であったそうだ。こういう話に日本人はドンカンになってしまった。兼好の時代の日本人は、人の話を聞くアンテナの感度が、今の日本人よりよかったのではないかと感じてしまう。鎌倉仏教が隆盛になったのは、兼好のオッチャンより少し前の時代であったが、感度がよかったからこそ、日蓮、法然、親鸞などの「よき人」の話が素直に入ったのではと想像する。今の時代ならば中程度の新興宗教で終わっていたであろう。
 今の時代の「よき人」とマスコミでもてはやされる人は、いたずらに多弁で、言葉が紙くずのように軽く感じるのだが、読者はいかがであろうか?
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草・55

2012-08-17 15:24:14 | エッセー
わたしの徒然草 第五十五段
『家の作りやうは、夏をむねとすべし』


徒然草 第五十五段

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪え難き事なり。
 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。 天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。


 日本の家屋は、弥生の昔の高床式倉庫から、夏の暑さと、湿度を気遣った作りになっていた。むろん一般の人々の家屋が高床になるのは、都市部では江戸時代。地方にいくとどうかすると昭和に入ってからというところもある。
 では、庶民の家屋は夏に弱かったか。いや、エアコンなど無くても、けっこう涼しかった。
江戸時代までの庶民のほとんどは、弥生の昔の縦穴住居と、あまり変わらない住まいに住んでいた。近代に入り庶民の家も人がましくなっても、夏には強い生活空間であった。
 日本建築では、壁というものが、あまり存在しない。たいがい障子一枚が、外界との境であり、屋内の部屋の仕切も襖一枚である。

 南こうせつの『妹』という名曲の中にもある。
~妹よ~襖一枚隔ててぇ~いまぁ~小さな寝息をたててる妹よ~♪
 そう、夏は、障子を開け放ち、襖を取り払えば涼しかった。都市部でも緑が多く、地面もアスファルトで塗り固められるということもなかった。昼過ぎの暑い盛りになると、近所のオバチャンたちがホースで盛大に水を撒いていた。打ち水などというヤワで上品なものでなく。ちょっとした防火訓練並の撒きようであった。
 ホースから放たれる水に、時に小さな虹がかかることもあった。ガキンチョたちは、オバチャンたちがホースで盛大に撒く水の中をキャーキャー言いながらくぐり抜け、程よく濡れて涼んでいた。
 土がむき出しの道路は、すぐに水を吸い込んだし、お日さまは残りの水を蒸発させ、その吸い込み、蒸発していく中で道路の空気は冷まされ、開け放った家の玄関や襖、障子を緩やかな冷風となって、通り抜けていった。
  
 七十年代の歌に、こんなフレーズのものがあった。
 ~通り雨、過ぎた後に残る香りは夏このごろぉ~♪
 そう、夏には香りがあった。今よりも、もっと濃厚な香りが。
 あれは、地面がアスファルトで塗り固められることもなく、家々の玄関や障子が開け放たれていたからこそ感じられた香りである。
 夏の朝などは、集団登校のため、ちょっと遅れたりすると、同じ班のガキンチョ仲間が、玄関の中まで入ってきて、呼ばわった。
「むっちゃん、もう時間やでぇ」
 近所のオバチャンたちもよく玄関に立っていた。
「田舎から、こんなん送ってきたよってに、少ないけど、どうぞ」
 あるときは、裏庭が共用になっている縁側に、友だちや、オバチャンたちが顔を出した。
「むっちゃん、熱下がったんかいな」
 明治生まれの隣りの年かさのオバチャンなど、そのまま上がり込んで、おでこの熱を診てくれたりしてくれた。

 わたしは三歳のころ行方不明になったことがある。もちろん、わたし自身には記憶が無い。
しかし、そのときはご近所総出で探して下さったそうである。三軒となりのオッチャンは元陸軍の優秀な斥候兵で、瞬くうちに近所の人たちに捜索の手はずを指示した。当時の大人達は、子どもの遊び場所をよく心得ていて、三十分ほどで心当たりの捜索を終えた。
 しかし、わたしの行方は要として知れない。元斥候兵のオッチャンは 、三人のオッチャン、オバチャンを指揮して、所轄の警察署までの道の角に配置し、いつでも捜索願を出せる体制をとった。そして索敵範囲を電車道の向こうまで広げた。
「電車道やと、難儀やなあ……」
 なんせ、交通事故の死者が年間数万人の時代である。
「もう、捜索願出したほうがええで」
 元陸軍准尉のパン屋のオッチャンが、作戦変更を提案。筋向かいの元海軍さんが走りかけたころ、わたしは、見知らぬオバチャンに手を引かれて戻ってきた。
「カネボウの方から来ました」
 その人は、電車道のその向こうの方でウロウロしていたわたしを不審に思い、訪ね訪ねしながら、わたしを連れてきてくださったそうである。
 丙種で、戦争に行けなかった父は、元陸軍さんや、海軍さん、国防婦人会、女子挺身隊のみなさんに頭の下げっぱなしであった……そうである。
 まさに『三丁目の夕日』の世界であった。

 わたしたちの世代は、そんな『三丁目の夕日』のような肌を接し合うような関係は苦手で、大きくなると、近所の大人たちには、会っても軽く頭を下げる程度。
 今は、お向かいさんがやってきてもカメラ付きインタホンで確認してから玄関を開けている。
 町内会の班長にあたったときなど、こんな風であった。
「~さん、回覧板です」
 そう呼ばわった。わたしの常識では、回覧板とは、直接顔を見て渡すものであった。
 何度か呼ばわるうちに、半ば困惑した顔でやっと出てこられた。
「回覧板やったら、郵便受けに入れとってください」
 わたしの中に残っていた微かな『三丁目の夕日』を初めて感じると共に、失ってしまった。ご近所さんの大半とは、越してきて十八年、原稿用紙で五枚程度の会話しかしたことがない。

 家の作りやうは、夏をむねとすべし……とは熱さしのぎだけのことではないことを兼好のオッチャンは知っていたのだろうか。
 いや、知る知らないという以前に、そういうものは空気のように当たり前だったのだろう。
 小説やエッセーを書く人に、こんな人はいない。
「そこには、酸素何パーセントの空気があった……」
 家の作りやうは、人をむねとすべし……なのかもしれない。
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高校演劇・驚異の第33回 高校・中学校軽音楽系クラブコンテスト

2012-08-15 23:10:58 | 評論
驚異の第33回高校・中学校軽音楽系クラブコンテスト

 この8月の10日から19日まで、松下IMPホールで第33回 高校・中学校軽音楽系クラブコンテストの予選が行われる。近畿一円から130校あまりの軽音楽系のクラブが集まって大盛況である。
 参加校数は、演劇部の近畿全体のそれを下回るが、大阪の高校に限って言えば、大阪府高等学校演劇連盟のコンクール参加校を僅かに上回る88校である。また平均部員数も、おそらく演劇部のそれを大幅に上回り、100人を超える軽音部も珍しくない。
 予選が行われた、松下IMPホールはキャパ800を超え、そのホールが9日間毎日満席になる。
 そして、本選に当たるグランプリ大会は、12月24日舞洲アリーナで行われる。舞洲アリーナの収容人数はよく分からないが、10000程はあるであろう。パンフを見ても16000人の軽音楽!!とうたってある。
 高校演劇の近畿大会はオフィシャルな発表はされていないが、観劇した印象では二日間で、延べ1000から1500の間と思われる。軽音のおおよそ1/10といったところであろう。

 高校生の身体表現文化は、明らかに演劇部などから離れ、軽音やダンス部に移行している顕著な現れだと思う。高校演劇連盟、なかんずく大阪の連盟は、考えるところに来ているように思える。高校・中学校軽音楽系クラブコンテストの参加校の大半は大阪の高校である。

 こういう反論が返ってくるかもしれない。 高校・中学校軽音楽系クラブコンテストの主催者は産経新聞と三木楽器である。手弁当の連盟とは比較にならない。
 しかし、逆に言えば、ここまで産経新聞と三木楽器を33年間にわたって主催たらしめた軽音楽にそれだけの魅力があると言える。

 もう一つ驚いたことは、審査基準がしっかりしていることである。
 テクニック面では、リズム、楽器アンサンブル、歌唱力、ボーカルアンサンブルに分けて配点。
 全体評価でも、プレゼンテーション、応援度、総合力に分け、総合計200点で点数化している。応援はともかく(上演中に応援されてはたまらない)高校演劇としても見習うべきものがあると思う。

 巨視的に見れば、高校生の身体表現文化がマスとしては大きくなってきており(軽音、ダンス、吹奏楽の隆盛)喜ばしいことなのであるが、高校演劇をお里とするわたしは危機を感じる。

 もう一度の繰り返しになるが、大阪の参加校数は、軽音が演劇を超えてしまった。
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タキさんの押しつけ映画評12・アベンジャーズ

2012-08-15 11:52:29 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評 
アベンジャーズ


 これは、悪友の映画評論家タキさんが個人的に仲間内に流している映画評ですが、視点と語りが面白く、もったいないので、本人の了承を得て転載したものです



 すみましねぇだ、おらぁアベンジャーズ みそこなってだよぉ。

 こんな東映マンガ祭り的ヒーロー大集合映画、古くは踊る狸御殿的スター総出演映画が面白ぇわきゃあねえ!って思っとりゃあしたわよ、はい~。
 いやぁ、面白かったでっせ。
 そらぁ、突っ込み所満載ですけど、ああた、そんな事一々言うとったらアメコミ映画なんざ観れまへん。てな訳で、メッチャ納得満足作品でありました。

 さすがの自他ともに認める漫画読みではありますが、アメコミまで網羅しちゃおりません。アメコミに詳しい知り合いに確認した所、アベンジャーズの初出は1963年だそうで、ちゅう事はもう50年になります。私ャ知りませんでしたが、アベンジャーズの最初の結成時には「シールド」は関係なかったようで、ちゅうかマーベルユニバースにシールドが登場するのは随分後に成ってからのようです。しかも、シールド長官のニック・フューリーは、始め白人キャラクターだったそうです(アッチョンブリケ!) も一つ言うと、今回の映画と同じメンバーの原作は無いようです。大変なんでしょうねぇ、ばらばらのヒーローストーリーを一つにして、矛盾の無いように再構成するのは結構高度なテクニックが必要だろうし、観客側にコンセンサスがないと理解し辛い。
 たとえ、これまでのキャラクター作品を全部見ていても、マーベルユニバースに通暁していないと理解不能な部分が幾つかあります。ましてや、ハルクなりキャプテン・アメリカなり、何か見ていない作品が有るとさらに辛くなります。 そんな時は、そう言うストーリーなんだと流してしまえば宜しい。なぁに、すぐに怒涛のアクションシーンが始まって、そんな事は気に成らなくなりますわい。とは言え、全面的に納得して見たい私としては不満なんですけど…取り敢えずこの件は忘れましょう。 こういう作品で気になるのは、数多ヒーロー登場の中で、さあ誰が一番強いのか?という事ですが、まぁ それぞれが能力に一長一短があるので、一概には言えないのでありますが、なんと「ハルク最強!」っちゅう結論になるようです(ヒェ~!)

 所で、実はそんなこんな、ど~でもええんどす。ブラックウィドウ/スカーレット・ヨハンセンがメッチャ綺麗! もうこれだけでこの映画百点満点の三百点ですわい。「アイランド」の時から綺麗な娘だなと思っとりましたが、「アイアンマン2」で魅力爆発、今作では少しふっくらして…もう、抵抗不能!殊にあの唇たるや……いやいや、この辺にしときます。

 ラストに次回作(そら絶対おまっしゃろ)のボスキャラらしき怪人が登場、このキャラ、サノスと名乗るタイタン人(当然宇宙人)で、悪役キャラとしてはかなり人気があるようですが、アタシャ存じ上げません。またもやイライラさせられそうですが、きっとスカーレットが救ってくれるでありましょう。
 
 最後に、エンドクレジットに成っても絶対席を立ってはいけません!最後の最後に必見シーン有り、これを見逃すと本作を見に来た意味が半分吹っ飛びますぞ。
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高校演劇・ベジタリアンさんからの便り・3

2012-08-15 11:21:47 | エッセー
ベジタリアンさんからの便り・3

 ベジタリアンさんから、お便りをいただきました。まずお読み下さい。

 先生、こんにちは。今日、私は大学の課外授業として教授さんや同じ学生の友達と西成の釜ヶ崎区の見学に行って参りました。
 その地区の福祉施設であるポスターを発見しました。


 タイトル:たそがれコンサート
 日時:2012年8月30日(木)
 淀川工科高校 吹奏楽部


 このポスターを見たとき、高校演劇ってこのようなチャリティー活動してるのかな、と思いました。
 もちろん、吹奏楽は楽器と人がいれば成り立ちます。それに比べれば、演劇って人によっては場所を考えてしまうものかもしれません。
 でも、人って誰しも芸術を楽しむ権利があるんだと思います。この吹奏楽部さんもその考えのもとで成り立っていると私は思います。
 私が以前見た、バラエティー番組でブラジルの演劇教室が取り上げられました。ドラッグや親を亡くした子供、犯罪に手を染めてしまった大人。様々な問題を抱えた人々がある日本人の講師のもとで演劇を学び、人間として成長していきました。
 これに対して、大阪の高校演劇はどうなのか?自分たちの楽しみ、いい例として挙げるなら、うんちくばかり言っている、グルメ評論家状態になっていないかと疑問に思っています。ぬくぬくと恵まれた施設だけでやっていないか不安です。

 

演劇ってなんでしょう
 演劇とは、ベジタリアンさんがおっしゃるように元来大きな可能性、多様性を秘めたものです。
 古くは、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が天の岩戸に隠れた天照大神を岩戸から引き出すために、岩戸の前で演ったパフォーマンスが始めとされています。ちなみに天宇受売命は芸能の神さまで、京都の車折神社などが有名です。
 ま、神話はともかく、上代の歌垣、観阿弥・世阿弥の昔の田楽・猿楽にまで遡れます。いずれも庶民のお祭や田植え行事に起源があります。江戸期は浄瑠璃、歌舞伎が一般化し、ちょっとした村でも、村祭りで歌舞伎や、人形浄瑠璃を奉納していました。また、神事としてだけでなく、商人や、武士の中では必修の教養になっていました。
 江戸期は、商品流通が栄えた時代で、よその地方の人と会話は、方言がきつく、なかなか通じませんでした。そこで、浄瑠璃などを通して、全国どこでも通じる言葉や所作を覚えたのです。当然娯楽の側面もありました。テレビが普及するまでは、こういう小屋が全国にありました。
 欧米では、教員養成課程に演劇を持っているところ、また、娘さんたちが、嫁入り前に行儀作法の勉強に地元の劇団に入ることもあるようです。
 現代でも、人間関係の問題を解決するために、演劇的なメソードが使われることはあります。
 なんだか、大学の講義めいてきました。まあ、それだけ現代よりも身近なものであったと言いたいわけです。

 今、日本の観劇人口は減りつつあります。これを論ずると、キリがありませんので、高校演劇に的を絞ります。以前『高校演劇事始め』というブログで、戦後の高校演劇の黎明期の話を書いたことがありますが、芝居(それも高校生)を演るというだけで人があつまりました。演劇部は、たいていの学校にありました。今は全高校数の半分にも満たないでしょう。原因は複合的ですが、コミュニケーション教育の柱としては現場から外されたこと(昔の国語の教科書には「戯曲」という単元がありました) また、高校演劇が創作偏重になってきたことに大きな原因があると思います。
 ベジタリアンさんがお書きになっているように、吹奏楽は、よく校外公演や、社会的なイベントに声がかかります。淀川工科高校は全国的に有名な伝統吹奏楽部ですが、そうでない吹奏楽部でもそれなりに声がかかります。有名な『スゥイングガール』には、全国各地の吹奏楽部が出演しています。地方では地域のイベントなどに、よく呼ばれて出演しています。演劇部が、そういうものに呼ばれたことは、ほとんど聞いたことがありません。
 なぜでしょう……面白くないからです。大阪府大会や近畿大会、いや全国大会で上演される作品でも、一般の人たちの観賞に堪えるものはあるでしょうか。
 吹奏楽の人たちは、創作はやりません。知恵袋でも質問しましたが「ありえない」というのが、全ての答えでした。演奏することと作曲することは別物で、作曲は高度な資質がいることをご存じです。ある吹奏楽の指導者の方が、こう答えられていました「音符を並べれば、らしいものにはなるが、きちんとした曲にならないことは、吹奏楽をやっているものには常識」 で、吹奏楽の人たちは誰でも知っているスタンダードを演奏します。コンクールなどでは、プロの作曲家に自分たちの演奏を聞いてもらい、その実力やクセにあった曲を作曲してもらうことが流行っているようです。演劇部は、適当に言葉を並べて創作劇にします。芸術の在り方として、吹奏楽と高校演劇には大きすぎる差がありすぎます(文法的には変ですが、気持ちとしては、こうなります)伝法な言い方ですが「ナメテかかっちゃいけねえ」です。
 手前みそで恐縮ですが、拙作『I WANT YOU!』の原形である『欲しいものは』は在阪の劇団が老人介護施設慰問の演目にして、いくつかの施設を回ってきました。一昨年「作品に血が通っていない」と酷評された『すみれの花さくころ』は、名古屋音楽大学のミュージカル科によって、音楽芝居にしていただき、地域交流の公開作品に、さらにオペレッタになり、翌々年名古屋で有料公演されました。自画自賛のようですが、わたしは、本を書くとき、自分ではない、他者が演じても演りやすい、観ていても分かり易い作品を意識しています。おかげで、この夏、分かっているだけで(施設への慰問公演などは含みません)163ステージになりました。微々たるものですが、少しは、スタンダードになれたかなと半生を振り返って思います。
 府大会の常連校には、この普遍性がありません。常連校で創作劇を多数書かれている先生方をネットで検索したり、出版社に問い合わせても、他者による上演はほとんどありません。ひどく閉じた高校演劇の中でしか通用しないものになっています。
 念のため申し上げておきますが、全ての創作劇のレベルが低いと言っているわけではないのです。高校演劇関係者や専門家が観て面白い作品はいくつかあります。しかし、多くの懸賞募集の戯曲がそうであるように、普遍性がありません。たいていの懸賞募集の作品がそうですが、地元の劇団によって一回上演されておしまいということが多くあります。
 僭越ではありますが上記の理由で、劇団新感線などの一部の商業劇団を除いては低迷のラビリンスから抜け出せていません。ご批判をいただくかもしれませんが、その低迷した劇団関係者や大学の演劇科の先生を審査員、講習会の講師にしているようでは、高校演劇も、このラビリンスからは抜け出せません。

 ベジタリアンさんが、足を運ばれた地域には、以前地元の人たちの劇団車座という、ハンナリ面白劇団がありました。小学校の講堂などを借りて良い芝居をやっておられました。江戸時代の村芝居の末裔と言っていいような劇団でしたが、現在は、劇団の存在を含めて分かりません。
 多くの劇団が、この三十年あまりで潰れました。わたしが主催する大阪小劇場も、今や看板だけです。
 戦後、特にこの三十年、さらにこの数年間で、文化は受益者負担という考えが広まり、名うての交響楽団や文楽でさえ、その存続が危ぶまれています。我々アマチュア劇団や高校演劇は青少年会館という活動拠点を失って……奪われてしまいました。大阪の演劇、高校演劇の将来は厳しいものがあります。

ベジタリアンさんの想いへ

「芸術は誰にでも楽しむ権利がある。」
 そのもとで先生方は、地域の人々と一体となって演劇を広めてほしいし、生徒も芝居一本になるのもいいけれど、様々なもの、を見て世間を知ってほしい。そしてそれを芝居に生かして様々な人にぬくもりを与えていってほしいと思いました。


 同感です。そのための基盤整備、これは行政の仕事でしょうが、今の大阪府政、大阪市政には希望は持てません。
 では、我々に出来ることは何か。吹奏楽のように普遍性のあるものになること。具体的には、特設ステージや、スーパーの駐車場、ただの会議室、お座敷でも演れるレパートリーを持つことと、一般の人たちの観賞に堪える表現力を身につけることです。
 もっと具体的に言えば、淀川工科高校さんと同じスペースで演れることです。
「淀川工科高校さんの次は、○○高校演劇部のみなさんによる○○です」と、紹介され、10分程度のショ-トコントをやって、観客の人たちの興味をひっぱり拍手がもらえることです。
 わたしは、若い頃に着ぐるみショーをやっていました、戦隊ものでアクションもやれば、MCをやったこともあります。20分ほどの時間、スーパーの駐車場に人を集め、その耳目をむけさせ拍手をいただくのが、どれだけムツカシイかは承知しています。だからAKB48のタカミナさんや、ももクロが好きです。

 残念ながら、今の高校演劇にこれを求めることは困難です。なにより頭の切り替えが必要だからです。
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高校ライトノベル・嗚呼タソガレの携帯電話!?

2012-08-14 17:19:57 | エッセー
嗚呼タソガレの携帯電話!?

 二日前から、未発表、旧作を含めて、ある言葉を書き直した。
 
 携帯電話→スマホ  チョー→ガチ

 息子が、この春に高校生になったのを機に携帯電話を許可することにした。
 で、買ってきたのがスマホである。だから愚息は「携帯」とは言わずに「スマホ」と言う。聞いてみると、友だちの大半が、このスマホだそうで、携帯は少数派になりつつあるらしい。
 ちなみに、パソコンでSUMAHOと入力し変換すると「スマホ」が素直に出てくる。
 一昔前なら「須磨帆」と出てきたであろう。ちなみにスマホの普及率は、まだ20%に過ぎない。
 しかし、シンガポールでは60%を超えている。
 なぜシンガポールを引き合いに出したかというと、十年以上前の新聞にこうあった。
「進むシンガポール信号機のLED化」
 当時日本の信号機は、そのことごとくが、いわゆる電球であった。頻繁にメンテナンスしなければならず手間も経費もかかるものであった。しかし、日本の信号機のメンテナンスを生業とされている方もたくさんおられ、また、信号機の数も、シンガポールとは二桁以上の違いがあり、おいそれと切り替えられなかったようである。
 そこへいくとシンガポールは国家としての図体が小ぶりで、切り替えが容易であったようである。で、今の日本の信号機はおおむねLEDに切り替わった。

 スマホは普及率こそ20%であるが、テレビのCMはスマホが携帯を追い越し始めている。数年後にはスマホが大勢を占め、携帯は「ケータイ」という言葉ごと絶滅していくのではないかと思っている。それで先を見込んで携帯をスマホに切り替えたのである。

 言葉もそうである。男前のことをイケメンと言う。一昔前はハンサムと言った。今は紳士服のノスタルジーなネーミングで、ハンサムスーツがあるくらいなものである。もう一昔前には「ソース顔」「しょうゆ顔」という細やかな言い分けもあった。イケメンの前半分は、イケテルで、これは明治時代から軍隊の隠語である「イカス」の転訛したものである。「イロケをつける」というのも、海軍で本来の意味から外れ、隠語となった言葉で、本来の機能や性能以上にイカシタ状態にしておくことで、今の海上自衛隊にも受け継がれている。護衛艦の艦内の信号旗や、各種ロープの芸術的と言ってもいいほどの美しいまとめ方がこれにあたる。
 「チョー」「マジ」という言葉がタソガレかけている。「チョーイケテル」「マジイケテル」は少数派になりつつあり、「ガチ」に置き換わりつつある。「ガチ、ガセ」とセットの言葉で、昔は怪しい情報などを「ガセネタ」と言ったが「ガチネタ」という言い回しは無かった。

 携帯情報端末機を「ケ-タイ」と言う世代は、近い将来「ええ、ケータイだって」と若者からいわれるかもしれない。
 そう言えば、AKB48の、わたしのオシメンである某嬢などは、メンバーから「昭和生まれのアイドルなんて考えられな~い」といじられていたが、意気軒昂でいる。彼女は先を見越しているように感じる。
「二十世紀生まれのアイドルなんて考えられな~い」
 その時代は、もうすぐそこに来ている。
 かく言う小生(古いでんなあ、男の一人称です)は、いまだに携帯電話も持たない原始人でアリマス。
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タキさんの押しつけ映画評11・トータルリコール

2012-08-13 15:54:29 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評
トータルリコール


 面白い!そいつは保証、但し体調は整えてから見ていただきたい。兎に角アクションに次ぐアクション、特殊映像がド派手にブッ飛んで行きます。このジャンルは大好きだし見慣れているのですが…いやあ~疲れた、見終わってヘトヘトですわ。
 
 監督はレン・ワイズマン(ダイ・ハード4)、出演がコリン・ファレル(SWAT)ケイト・ベッキンセール(アンダーワールド)ジェシカ・ビール(Aチーム)と誰か一人でアクション映画が一本撮れる役者が勢揃いしている。これでド派手な映画に成らない訳がない。
 レン監督はディック原作のファンというよりは、ディック原作映画のファンらしい。本作は小説の再映画化ではなく、前作ポール・ヴァーホーベン/アーノルド・シュワルツェネッガー版のリメイク。
 設定が火星に行かず、地球上で終始する以外はほぼ同じ、前作では火星の大気改造というスペクタクルが有ったが、本作にはそれに代わる設定が用意されている。台詞も殆ど同じです。
 レン監督がディック原作映画のファンだというのは間違いない。本作の世界観には「ブレードランナー」や「マイノリティーリポート」が混ざっている。ディック原作映画のファンなら思わずほくそ笑むこと100%保証、小道具にしても、車はスピナーだし、ピストルはデッカードタイプ…いくつあるか探してみるのも面白い。 ディックは現実と虚構、記憶と自我をテーマに数多の作品を書いている。そのテーマは現代にいたるも普遍性を失わず先端を走っている。ただ表現内容は惜しいかな古い。だからタイトルとテーマだけを借りて内容は全く新作の映画になる。今作を見るにF/Xの進歩には今更ながらに驚かされる。だったら、そろそろ「高い城の男」や「逆転世界」なんてな長編の映画をみたああいなあ~。
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高校ライトノベル・らいと古典・わたしの徒然草・54『御室にいみじき児』

2012-08-09 10:33:25 | エッセー
わたしの徒然草54
『あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり』


徒然草 第五十四段 御室にいみじき児

 御室にいみじき児のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたため入れて、双の岡の便よき所に埋み置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそそのかし出でにけり。
 うれしと思ひて、ここ・かしこ遊び廻りて、ありつる苔のむしろに並み居て、「いたうこそ困じにたれ」「あはれ、紅葉を焼かん人もがな」「験あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木の下に向きて、数珠おし摩り、印ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、 つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。埋みけるを人の見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくいいさかひ、腹立ちて帰りにけり。

 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。


 これは、ちょっと訳がいる。
 御室(みむろ)とは、法皇さま(天皇さまが引退して坊主になったの)のいる寺。ここでは例の仁和寺を指すらしい。そこにメッチャ可愛い稚児(坊主見習いの少年。ま、十歳ぐらいか)がいるので、仁和寺の坊主たちが、この子を誘い出して、双岡(ならびがおか=仁和寺の近所、京都大学のあたり)でピクニックをやろうと計画。で、あらかじめ稚児が喜びそうなプレゼントを適当な場所に隠しておき、稚児を連れ出した。
 そうして、自分たちの法力で、あらら摩訶不思議。地中からプレゼントが出現! そう企んだ。
 そして、いざ、印を結んだり、経を唱えたり、もったいつけて、その場所を掘り返した。
 ところが……出てこない。で、いい歳こいた坊主ドモが「場所間違えたとちゃうんか!?」などと、ネタバレバレに言い騒いだ。どうやら埋めるところを見ていて盗んだやつがいるらしい。
「なんや、このオッチャンら」と、稚児はドッチラケ。
 あんまりものごと凝りすぎると、ろくな事にはならないぞ……というお話。

 わたしは、むかし見合い魔であった。
 二十代から、三十代前半にかけて手ひどい失恋を三回やった。そこで、アトクサレが無く、精神的なダメージがない見合いに賭けてみた。友人知人に声を掛け、その手の会社にも登録をして、見合いを重ねた。だいたい月に三回ぐらいのペースで、延べ五十六回の見合いをし、職場の同僚からは「大橋の見合いは趣味や」と言われた。
 見合いは一種の面接で、最初の三十秒、三分、三十分が勝負。
 三十秒で、相手に好印象を与えなければ、あとの挽回は極めて難しい。
 三分で、相手は「話を聞いた方がいいのか、こちらがリードして話題を提供しなければいけないのか、見極めなければならない。リードするといっても、最終的には相手にお話してもらえるようにする。人というモノは、共感してもらいたいものなのである。それも百パーセントではいけない。二割方の質問や、疑問は呈しておいたほうがいい。
 三十分もしたら(状況しだいで一時間)場所を変える。外に出た方がいい。お日さまに当たればセロトニンがお日さまからいただけ、人間はポジティブになれる。
「どこに行きましょうか?」
 これは、最低。主体性がないこと丸出し。
 男たるモノ、自然にエスコートできなければならない。
 わたしは、たいてい事前に見合いの場所と、その周辺を下見しておく。むろん雨になった時のことも想定しておく。途中立ち寄るかもしれないレストランや、喫茶店もチェック。
 これは、教師として校外学習の準備をするときの下見と同じなのである。校外学習では、タバコの自販機、トイレの有無、生徒のニーズに合ったアミューズメントやショッピングの場所。遊園地などだったら、同日に予約を入れている他の学校まで調べる。学校によってはケンカが起こる恐れがあるためである。
 わたしは、担任を持った時には、生徒にこう提案した。
「将来、困らないために、デートコースを遠足の場所にしよう」
 で、初めてのデートから、恋人として互いが認めあえたレベルまで三段階に分け、実益を兼ねて見合いやデートコースの研究にいそしんでいた。

 で、最初はよかった。
「大橋さんは、迷わないからいいですね。お見合いして、『どこ行こうか?』なんて、主体性の無いオトコなんて最低」
 で、三十回目ぐらいからは裏目に出ることがしばしばになってきた。
「大橋さん、慣れてますねえ……」
 で、当然、見合いしまくりのオッサンということがバレてしまう。

 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり……である。

 芝居に話しが飛ぶ。
 高校演劇である。本選レベル以上のコンクールを観にいくと、必ず、道具や証明、音響などに凝りまくった芝居に出くわす。たいてい中味の芝居が痩せている。
 津波を扱った芝居があった。非常灯まで消して真っ暗な中、ボリュ-ムいっぱいにして、
――ドーン!!!!!!!
 津波の音であることはすぐに分かった。そして暗がりの中から、何人もの声がする。
「おーい……おーい……」
 そして、薄明かりが入ると、雨傘もったコロスが客席に八人ほどいて、陰鬱に「アメアメフレフレ、カアサント……」と歌い出す。で、明かりが点くと舞台一杯の道具。
 そして、役者が出てきて台詞を喋ると、一気に芝居は崩壊する。台詞が、ことごとく一人称。台本がコミュニケーションを求めているところでも、台詞が交わることが無い。そして、ラストには、「傷ついているのは君だけじゃないんだ」という、唐突な「カタルシス」
 芝居がドラマとして成立していないので本物のカタルシスにはならない。わたしにはウケ狙いに津波を扱ったようにしか見えず、終始不快であった。
 あの時の災いを日本人として忘れてはならず、拙くとも、高校演劇で、これを取り上げることには反対しない。しかし、いかにもアザトイ取り上げ方。アケスケに言って、ウケ狙いの作劇に陥らないように心すべきであると思う。

 かつて、こんな芝居が、高校演劇で上演された。
 舞台に日の丸が掛かっている。一人の生徒が舞台に上がり、この日の丸をビリビリに引きちぎるところから、この芝居が始まった。
 実行委員長の先生は、思わず頭を抱え、始末書の下書きを書き始めた。まだ、国旗国歌法案ができておらず、学校の式日でも国旗の掲揚や、国歌の斉唱がきちんと行われてはいない時代であったが、国際常識から見てもかなり問題のある行為(演技以前の問題)であった。この本は顧問による創作であったが、これが星条旗や五星紅旗であったらやったであろうか。
 確かに、芝居のツカミとしては効果的である。しかし、無頓着に一線を越えすぎている。

 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり……である。
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高校演劇・志忠屋亭主 雑口雑言3『桜の園・3』

2012-08-06 06:32:17 | エッセー
●●志忠屋亭主 雑口雑言●● ☆☆滝川浩一☆☆

●亭主、更に観劇す 「桜の園」(3)
●いよいよ芝居が始まった。原作通りの台詞が交わされる、総ての台詞を覚えているわけではないが、違和感は無い。ところが、この導入部からしてそこはかとなく可笑しい。台詞のニュアンスが変わっている、殊更ギャグを挿入せずとも、それだけで笑いが起こる。
●「泣き」の芝居と違って、「笑い」には注釈が必要である。100年前には笑えた状況も、現代人には意味不明である事が多い、よって、現代的に台詞を変えたりギャグを挿入する必要がある……と、早速エピホードフ(高木渉)にいかにもテレビバラエティー的なギャグが…「これはやり過ぎ?」と思うも会場の反応は温かい、そしてまた原作通りのやりとりに戻って行く。
●見ていて感心したのが、このシーンに出ている人々の人間関係がすんなり理解出来る事。ロシア戯曲のネックは、まず人名に馴染みが無いこと、またやたらと重々しく演じられる為、台詞に込められた意味になかなか到達できない、だから、当然の帰結として人間関係の把握に時間がかかる。だが、笑いを導入する事によって、見事にこの呪縛が外されている。私だけなら、過去の経験から判るのだろうと言われそうだが、一緒に行った友人が本作初見にも関わらず、頭から全部判ったと言っている。
●以後、これは挿入ギャグだなと思う台詞もあるが、基本、元のテキストのまま、チェーホフが本作を喜劇として書いたのだと確信、三谷の読み解き方は間違ってはいない。
●以降、次々と登場する人物達が各々少しずつズレており、各人がそれぞれにそこはかとなく可笑しい。
●筆頭は、やはりラネーフスカヤ(浅丘ルリ子)だろう、この人は“絶品”である。天然の貴族夫人の可笑しさ
、それ故の悲しみ、しかし本人は自覚も後悔もしていない、と言うより理解していない。今や、世界はその様相を変えようとしている。その激動の時代の荒波を、木っ端のように、全く無防備に前世紀の遺物が渡って行く……このイメージ、そこにラネーフスカヤの悲劇があるのだが、浅丘はそれこそ自然体でさらりと演じている。まるでラネーフスカヤその人がそこに佇むようである。
●次いで、これも無邪気ではあるが、新しい世界を積極的に生きようとするアーニャ(大和田美帆)とトロフィーモフ(藤井隆)がフレッシュだった。殊に藤井は出色の出来と言って良い。もとより彼を単なるコメディアンと見た事はなかったが、今回の舞台には驚かされた。
●三谷は「桜の園」を何から何まで笑いに変えたわけではない。三幕ラスト、桜の園が競売に賦されたその後、ロパーヒン(市川しんぺー)が「桜の園を買い取ったのは、農奴の倅のこの俺だ!」と叫ぶシーンはそのままである。ただ、ここに至るまでが笑いの連続なので、かえってこの台詞の残酷さが浮かび上がる。
●ロパーヒンは、この物語の冒頭からラストまでほぼ出ずっぱりの役、彼一人だけが事態を正しく把握しており、終始状況打破の為に説得するのだが全く受け入れられない。市川は、この役を極めて誠実に演じていたが、この日は疲れが出たのか声を飛ばして(喉を潰して)いた。それが力みに繋がったようで、声が正常であれば違った演技だっただろうと思われる。
●他にも何人か、声を飛ばしている役者がいたが、ナマモノの舞台としては、こういう日も避けがたい。
●阿南健次(没落地主ピーシク)は、いかなる役にも飄々と入っていく人なのだが、今一乗り切れていないように見えた。あるいは旧来の「悲劇」作法に引きずられたか?
●旧来の作り方にこだわりが有りそうなのは神野美鈴(ワーリャ)もそうなのだが、しかし彼女は三谷演出に添うべく努力しているのが良く判る。今後、この舞台で大化けする人がいるとすれば彼女に違いない。
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