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『ジャパンドール・1』
その子は、降りる駅を、全く意識しないで勉強していた……。
「あなた、次ぎ終点だけど、降りないの?」
「え、あ、あたし……ああ、また一往復しちゃったんだ……」
「ひょっとして、勉強するために電車に乗ってるの?」
「う、うん。家でやったら誘惑多いし、集中できないから。いま中間テストの真っ最中」
そう言って、その子は、小型のトランクの上に広げていた勉強道具を、手際よく片づけ始めた。
――次は、終点XXです。この電車は回送になります。どなたさまも、お忘れ物のないようにご用意下さい。本日は○○鉄道ご利用、まことにありがとうございました――
車内放送がして、まばらな乗客は降りる準備を始めた。
この子とは始発駅からいっしょだったけど、二往復目だとは気づかなかった。
大きな港湾都市である○○から各駅停車で終点のXXまで行く人間は少ない。この車両ではわたしと、この子だけだった。
「名前、よかったら教えてくれる。せっかくの縁だから」
「須藤結衣。この近所のU学園の二年」
「U学園……そう。わたし峰子・シドニー。よろしく」
「シドニー……ああ、日系の人?」
で、結衣は三番線に目をやった。
「ええ、アメリカのね。ああ、あなたは南○○線に乗り換えるんだ」
「うん、家がTKやから、ここからは準急。まあ、明日のテストは、これでなんとか。じゃ、わたし地下鉄だから、ここで」
「うん。さよなら」
結衣は軽やかな足どりで三番線に向かった。
――そうか、U学園も男女共学になったんだ。でもあんな女生徒がいるんだ。番外だけど安心一号かな――
峰子は、地下鉄に乗って、A町に向かった。A町は峰子の生まれた古里だ。
八十五年ぶりの里帰り。
地上に出て、びっくりした。予想はしていたけど、生まれたころと、まるで町の様子が違う。せめて道路ぐらいはもとのままかと思ったけど、昔のままの道は本町筋だけ、
「よかった、本町筋だけは昔のままだ……あの角の大城人形店で、わたしは生まれたんだ。四番目の娘として」
もう、実家の大城人形店は無くなっていたけど、そこには市が作った女性や子どもの人権を取り扱う、ボーンセンターが出来ていた。一階が劇場スペースになっていて、見るとR高校の自主公演で『ジャパンドール』という芝居がかかっていた、最終日の千秋楽。なにかの縁だろうと峰子は観ることにした。
小屋は、高校生の観客が多く、少し親近感。でも舞台の芝居は、前衛というのかアヴァンギャルドというのか、ジャパンドールとはなんの関係もなかった。峰子は芝居はわからないけど、これでは多くの人に共感してもらうのは無理だろう。まして、これから峰子に与えられた任務を果たす手がかりにはならないだろう。
ま、初手から『ジャパンドール』のタイトルの芝居。そう上手くいくはずはない。まあ、最初に深呼吸をしたつもりぐらいに思っておこう。
小屋を出ると、そこに結衣がいた。
「峰子ちゃん、あなたひょっとして、答礼人形でアメリカに行ったお人形……?」
「結衣ちゃん、あなたは……?」
峰子は、少し身構えた。探している対象は多く、中には、怨念のあまり鬼になっているかもしれないからだ。
「わたし、マーガレット。カンサスから来たの。今は結衣の中に住まわせてもらって、なんとかやってるわ。アメリカから代表がくるらしいっていうんで、あの電車に乗っていたの。ほんとに会えるとは思ってもいなかたわ」
「わたしもよ、マーガレット。最初にあなたみたいな子に会えてラッキーだった」
「本気で仲間たちに会おうと思っているの?」
「できたら……」
「気をつけて。焼かれた仲間は12500ほども居るわ。中には……」
「分かってる。無理はしないわ。でも、最善は尽くす。だって、お互い元は『友情の人形』だったんだから」
「分かった、お手伝いはできないけど、祈ってるわ……あなたの成功を」
そういうと、結衣は頬笑みながら消えてしまった。
峰子は、結衣が最後に見せた頬笑みに、12500体の人形がたどった苦しさ。歴史の重さを知ったような気がした。
背後では『ジャパンドール』を見終わり、駅に向かう人たちのさんざめきがしていた……。
百年近い昔、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国と日本のあいだで政治的緊張が高まっていた。
また、1924年に成立した「排日移民法」も両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を心配し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られた。「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られ、ずいぶん歓迎された。
そして返礼として、峰子たち「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本からアメリカ合衆国に贈られた。
日本に贈られた「青い目の人形」……第二次世界大戦中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが焼却処分された。けれど、これをを忍びなく思った人々は人形を隠し、戦後に学校等で発見された。現存する人形は2010年現在、323体にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。
峰子が、今回日本に来た目的は、この焼却処分された人形たちの「今」を確認し、その魂を慰めることだった。
『ジャパンドール・1』
その子は、降りる駅を、全く意識しないで勉強していた……。
「あなた、次ぎ終点だけど、降りないの?」
「え、あ、あたし……ああ、また一往復しちゃったんだ……」
「ひょっとして、勉強するために電車に乗ってるの?」
「う、うん。家でやったら誘惑多いし、集中できないから。いま中間テストの真っ最中」
そう言って、その子は、小型のトランクの上に広げていた勉強道具を、手際よく片づけ始めた。
――次は、終点XXです。この電車は回送になります。どなたさまも、お忘れ物のないようにご用意下さい。本日は○○鉄道ご利用、まことにありがとうございました――
車内放送がして、まばらな乗客は降りる準備を始めた。
この子とは始発駅からいっしょだったけど、二往復目だとは気づかなかった。
大きな港湾都市である○○から各駅停車で終点のXXまで行く人間は少ない。この車両ではわたしと、この子だけだった。
「名前、よかったら教えてくれる。せっかくの縁だから」
「須藤結衣。この近所のU学園の二年」
「U学園……そう。わたし峰子・シドニー。よろしく」
「シドニー……ああ、日系の人?」
で、結衣は三番線に目をやった。
「ええ、アメリカのね。ああ、あなたは南○○線に乗り換えるんだ」
「うん、家がTKやから、ここからは準急。まあ、明日のテストは、これでなんとか。じゃ、わたし地下鉄だから、ここで」
「うん。さよなら」
結衣は軽やかな足どりで三番線に向かった。
――そうか、U学園も男女共学になったんだ。でもあんな女生徒がいるんだ。番外だけど安心一号かな――
峰子は、地下鉄に乗って、A町に向かった。A町は峰子の生まれた古里だ。
八十五年ぶりの里帰り。
地上に出て、びっくりした。予想はしていたけど、生まれたころと、まるで町の様子が違う。せめて道路ぐらいはもとのままかと思ったけど、昔のままの道は本町筋だけ、
「よかった、本町筋だけは昔のままだ……あの角の大城人形店で、わたしは生まれたんだ。四番目の娘として」
もう、実家の大城人形店は無くなっていたけど、そこには市が作った女性や子どもの人権を取り扱う、ボーンセンターが出来ていた。一階が劇場スペースになっていて、見るとR高校の自主公演で『ジャパンドール』という芝居がかかっていた、最終日の千秋楽。なにかの縁だろうと峰子は観ることにした。
小屋は、高校生の観客が多く、少し親近感。でも舞台の芝居は、前衛というのかアヴァンギャルドというのか、ジャパンドールとはなんの関係もなかった。峰子は芝居はわからないけど、これでは多くの人に共感してもらうのは無理だろう。まして、これから峰子に与えられた任務を果たす手がかりにはならないだろう。
ま、初手から『ジャパンドール』のタイトルの芝居。そう上手くいくはずはない。まあ、最初に深呼吸をしたつもりぐらいに思っておこう。
小屋を出ると、そこに結衣がいた。
「峰子ちゃん、あなたひょっとして、答礼人形でアメリカに行ったお人形……?」
「結衣ちゃん、あなたは……?」
峰子は、少し身構えた。探している対象は多く、中には、怨念のあまり鬼になっているかもしれないからだ。
「わたし、マーガレット。カンサスから来たの。今は結衣の中に住まわせてもらって、なんとかやってるわ。アメリカから代表がくるらしいっていうんで、あの電車に乗っていたの。ほんとに会えるとは思ってもいなかたわ」
「わたしもよ、マーガレット。最初にあなたみたいな子に会えてラッキーだった」
「本気で仲間たちに会おうと思っているの?」
「できたら……」
「気をつけて。焼かれた仲間は12500ほども居るわ。中には……」
「分かってる。無理はしないわ。でも、最善は尽くす。だって、お互い元は『友情の人形』だったんだから」
「分かった、お手伝いはできないけど、祈ってるわ……あなたの成功を」
そういうと、結衣は頬笑みながら消えてしまった。
峰子は、結衣が最後に見せた頬笑みに、12500体の人形がたどった苦しさ。歴史の重さを知ったような気がした。
背後では『ジャパンドール』を見終わり、駅に向かう人たちのさんざめきがしていた……。
百年近い昔、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国と日本のあいだで政治的緊張が高まっていた。
また、1924年に成立した「排日移民法」も両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を心配し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られた。「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られ、ずいぶん歓迎された。
そして返礼として、峰子たち「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本からアメリカ合衆国に贈られた。
日本に贈られた「青い目の人形」……第二次世界大戦中は反米・反英政策により敵性人形としてその多くが焼却処分された。けれど、これをを忍びなく思った人々は人形を隠し、戦後に学校等で発見された。現存する人形は2010年現在、323体にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。
峰子が、今回日本に来た目的は、この焼却処分された人形たちの「今」を確認し、その魂を慰めることだった。