兄の祥月命日供養で、毎年紅葉の頃は必ず京都に行くのですが、今年は「お十夜」の最終日に大きな法要があるので行ってみました。
お稚児さんの行列とかフルバージョンで見たかったけど、コロナの影響でまたまた無くなってしまい、読経のあとはご住職の法話とお土産で解散。その後、墓前でもお経をあげて頂きました。
もう三十三回忌を過ぎているので、特に親族を集めるのでもなく、自然の流れにまかせています。
最近は都会ではマンションタイプの合同墓が流行ってますが、形はどうでもいいのかな。
「死んだ人はもう現世では何も出来ないので、生きている人が世話をしてあげなければいけない」と昔、言われましたが、年を取るとその意味がわかってくる。
花で飾って水で清めて線香に火を灯し、塔婆を立てて軽く墓掃除。
全て、死んだ人は出来ない。
喉が渇いても、誰かに会いに来て欲しくても、何も出来ない。
だから生き残った人が代わりにする。
つくづくと、「生き残ったから何でも出来るんだなあ」と思うのです。
「死」に一番近いところに立つと、生きている事の価値が浮かび上がってくる。
ご住職はこの間、お仕事で五島列島に行かれたそうです。あちらにもお寺がいっぱいあるわけですね。
全く観光せずお経だけをあげに行かれたそうですが、朝ドラの舞台ということでなかなか島は盛り上がっているとか。舞ちゃん、今週は五島に行くのかな?
いつもだと大きな法要時には「おふるまい」のちらし寿司を頂くのですが、コロナで再開のめど立たず。
代わりに頂いたお土産は「五島のうどん」でした。
ありがたやー★