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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

怒りを鎮める梅雨の晴れ間の散歩から

2015-06-29 11:42:10 | 日記
 写真は後半の散歩道からのもので、前半の怒りの部分とは関係ありません。

 ご政道筋の話はますます剣呑になってきて、自分たちの施策が国民に理解されないのはメディアのせいでそれをぶっつぶせというところまで差しかかったようだ。
 無責任な暴言を振りまいた講師という男は、「飲み屋での放談だ」といったと報じられている。


 
 話の内容もだが、それ自身が許せない。飲み屋を舐めている!飲み屋での話は厠の垂れ流しでどうでもいいのだと言いたげだが、30年間飲み屋を営んできた身にはそれが許せない。
 自民党の「文化芸術懇話会」なるところで話された内容は、私のかつての店のカウンターで話されていたものよりはるかに次元が低いものなのだ。

 もしそれが、あの店のカウンターで話されたとしたら、私がチェックし、反論し、たたき出していただろう。そのようにした客も、数少ないがいた。
 飲み屋を舐めるんじゃないっ!と私の怒りはおさまらない。


 
 彼の発言は同時に、私の宝であり、貴重な遺産である今にも続く人間関係を、そしてそのネットワークを支えてくれている当時の顧客を、自分と同じレベルに引き下げて蔑んでいるという点で断じて許せない!

 こうした「どうせ飲み屋なんて・・・」という意識は、それ自身差別そのものであり、それに依拠して自分の見解とは差異を持つものは力づくで「潰してしまえ!」という発想につながるのだ。


 
 こんなことでウジウジしていてはこちらの健康にも差し支える。そこで梅雨の晴れ間を縫って散歩に出た。よく歩くコースだが、今回は久しぶりだ。
 ある意味では見慣れた光景だが、季節ごとの風情の違いが面白い。

 田植えの遅いこの地方だが、稲はだんだんたくましくなり、その緑も濃くなってきた。田の水面を渡る風がさざ波となって広がる。若い稲の葉先が揺れて、それだけでじゅうぶん美しいと思う。


 
 距離はあまりないが、じっくり見て歩く方なので時間はけっこうかかる。当然だが風景にも歴史がある。かつてあった木がなくなり、一枚の田が休耕田になり、田園には不釣り合いな家が突然現れたりする。最近の建築は、ブロックの組み立てのようなものだから、ちょっと見かけないうちに忽然と姿を現す。



 気がつけば、散策に値する範囲がどんどん限定されてゆく。
 それでも残されたかつての痕跡を求めて彷徨う。
 なくなってしまったもの、なくなりつつあるものを極力記憶に留めたいと思うのだが、老いの記憶力の限界、かつてあったものを想起できないことが多い。
 悲しいが、ものごとが更新されるということはこういうことなのだろう。

 百田のしゃっ面が、少しは希薄になったかな。

 

 

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2 コメント

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その怒りに賛同 (A.S(たわごと的オピニオンの))
2015-06-29 12:17:48
初めまして。
自分だけが正しくて、それを弁解するのに他を貶めるというなんて奴なんですかね。何か喋る前にまづ謝るべきです。でも心底判ってないのでしょう。お怒り至極真っ当なことと賛同いたします。
桃が美味しそうですね。
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Unknown (六文銭)
2015-06-30 01:02:03
>A.S(たわごと的オピニオンの)さん
 はじめまして、そしてようこそ。
 自民党本部で語ろうが、居酒屋で語ろうが、問題はその語られた内容なのですが、彼はそれを、居酒屋にいるつもりで語ったのだからいいじゃないかと正当化するわけです。それが許せません。
 本文に書いたように、私は居酒屋を30年間営んできましたが、あんな馬鹿げたことをいう人はいませんでした。

 住んでいる場所が、都市と田舎がせめぎ合うような郊外なのですが、都市化の波が不況でやや停滞していたのが、またぞろ「開発」が台頭し、上の写真のような風情がいつまで見ることができるか疑問です。
 またいろいろレポートしてゆきますのでよろしく。

 これを機会によろしくお願い致します。
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