六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

奇跡の木曽馬生還物語・・・・優生学に抗して

2013-08-12 17:42:09 | 歴史を考える


 夏の一日、地域の同好会の人たちと一緒に、長野県と岐阜県にまたがる標高3,067メートルの御岳山麓にある開田高原に出かけました。
 標高1,000~1,500メートルに開けたこの高原は、同じ日、都市部が40℃近い高温に悩まされたのに比べると嘘のように涼しくて・・・・といいたいところですが、やはり気温は30℃以上あり、まったくの別天地とはいきませんでし。ただし、湿度は低く、からっとした清楚な空気は、そうした気温を感じさせないほど爽快なものでした。

   

 この高原には、蕎麦、トウモロコシ、ブルーベリーなど高地特有の産物がいろいろ見られますが、やはりこの地の人気者、アイドルといったら木曽馬だろうと思います。
 これら木曽馬の写真をご覧になって、競馬場で疾走するサラブレッドに比べズングリムックリで脚が短いなどといってはいけません。
 片や競走用に、そう、ただ走るだけのために人工的に創りだされたものであるのに比べ、わが木曽馬は後世、生み出されてきた競走馬のご先祖にして原型ともいえる馬なのです。
 しかも、後半に述べるような悲しい歴史も秘めているのですから。

 何よりも彼らは、農耕馬として、また運送の手段として、はたまた土木灌漑の担い手として、人間とともに働いてきた長い歴史を持っています。
 戦時中、私が疎開をした大垣市の農家の母屋にも、ちゃんと馬小屋がありました。というより、母屋の一室が馬に割り当てられていたのであり、外に馬小屋があったわけではありません。それほど大切にされ、馬と人とはともに暮らしてきたのでした。



 戦後、とりわけ高度成長期にあって、馬はそうした農耕や運送、力仕事の場を機械に奪われ、急速に退場してゆきました。今や動物園や競馬場、馬場馬術のトレーニングセンターでしかお目にかかれない動物になってしまったのです。

 そしてです、いわゆる道産子から与那国馬まで、日本列島の在来種の10種に近くがそれぞれ保護の対象になっているのですが、本州での在来種はこの木曽馬だけとなってしまったのです。



 こうした減少の歴史には、これまで見てきた産業の近代化による影響のみでは語り尽くせない事柄があったのです。
 ここまであえて書きませんでしたが、これらの馬々が、平和時に労力として利用されたのみではなく、戦時には軍馬として、兵力として利用されてきたのでした。
 これについては昨年、2回にわたって戦時歌謡を紹介しつつ述べていますので、興味のある方は参照していただくとして、今回は全く違う、まさにこの木曽馬が絶滅の危機に瀕したエピソードについて述べようと思います。
 
(過去の軍馬に関する記事は以下です)
   http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20120502
   http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20120506

 ここに述べた木曽馬ももちろん、兵力として戦場に狩りだされたわけですが、しかし、ここでかられを待っていたのは単に荒れ狂う戦火のみではありませんでした。
 軍部は、木曽馬固有の体型を欧米型のがっしりした体躯に変えるべく、なんと、木曽馬の雄の断種手術を敢行し、欧米型の雄のみを残すようにしたのです。
 ナチスはその優生学思想を人間に対して断行しましたが、日本の軍部はそれを木曽馬に対して適応したのです(1939年制定の種馬統制法による)。

 かくして、木曽馬はドンドンその純血性を失ってゆきました。
 しかしながら、奇跡的にその去勢を免れた馬が一頭のみいました。それは、武水別神社の神馬であることから処分を逃れた、「神明号」で、このわずか一頭の雄が、純粋種の雌、「鹿山号」と結ばれて戦後生まれたのが「第三春山号」です(1951~75年)。以後、その産駒やその子孫が現在の木曽馬を形成しているのですが、その数は200頭を切るといいます。

   


 私が木曽馬について調べていて驚いたのは、産業構造の変化などによるものとばかり思っていたその純血種の減少に、戦争が、しかも、その戦禍によるというよりも、優生学を利用した人為的な統制によって、深く関わりあっていたということです。
 私の彼らを見る目は、いつしか、「お前たち、よく生き残ってくれたなぁ」という思いでいっぱいになるでした。
 
 私達のすぐ近くで悠然として草をはんだりしていた木曽馬の群れは、陽が高くなるにつれ木立のある方へと移動してゆきました。
 この物静かでおとなしい動物たちが、戦場での効率向上のために種全体が消されようとしていたなんて、そしてたった一頭の雄から奇跡的に蘇ったなんて、やはりこの青空が果てしなく広がり、白い雲がポッカリと浮かぶ高原では考えたくない話です。
 しかしながら、それが私達人間の現実なのです。
 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸太ん棒はだれでもいいのです。あなただって、私だって・・・。

2013-08-09 23:23:25 | ひとを弔う
 今日はナガサキ忌ですね。
 
 原爆や原発の相互関連については6日の日記(http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20130806)に書きましたので改めて触れませんが、ここで亡くなられた人たち、その後、原爆症に苦しみながら斃れた人たち、生きながらえたものの後遺症に苦しんだ人たちに、かけるべき言葉もありません。
 とりわけここでの炸裂が、本来なら小倉で投下さるべきものが、そこでの三度の投下失敗のもと、予備であったこの地への投下であったことを知っている私にとっては、複雑な思いとともに考えさせられるものがあるのです。

 もちろん、小倉であればよかったという意味では全くありません。どこであろうとこの所業は許されるべきではありません。と同時にどこであろうともよかったところにこの殲滅兵器の特色があります。ようするに、小倉でも長崎でも、あるいはその他の都市のどこでも良かったというところにこの兵器が通常兵器とは一線を画す、いわば通常兵器の限界を超えたものであることが示されているのです。

 たとえば、日本の戦国時代の戦は、どこの領地を、あるいは敵のどの武将を倒すかに焦点は絞られ、それが達成された時点で戦は終了しました。ヨーロッパなどでの戦もやはりその限度内であったように思います。
 近代の戦争は、飛び道具などの発達により不特定多数を殺戮する範囲がぐんと増えたとはいえ、それもまだ戦略戦術の範囲内で、どこをどう落としたら勝利に至るのかの範囲内でした。

         
 
 しかし、原発は違います。もはやそうした戦略戦術を超え、ただひたすら人間の殲滅を、多くの人間を殺すことのみを使命とするにいたったのです。
 殲滅を使命とする原発という兵器ののもとにおいては、どこの誰をというのはもはやまったくの関心外なのです。

 ですからそれは、小倉であるか長崎であるか、はたまた他の都市か、そんなことはどうでも良かったのでした。したがってそのもとで死するのはあの人でもこの人でも、そしてあなたでも私でも誰でもよかったのです。
 誰であるかを選ばず、ともかく死へと至らしめる、そしてその量が膨大であることのみを自己目的とする技術としての殲滅兵器はもはやその対象を選ばないのです(詳論はさけますが、これは技術というものの持っている究極のありようと通底するものです)。
 
 原爆が、アウシュビッツと並んで殲滅の装置であることは今や明らかです。アウシュビッツのユダヤ人たちが、何であるか、誰であるかをすべて奪われて、ただ殲滅の対象として消されていったのと同様、ナガサキでもヒロシマでも、彼らが何であれ、誰であったのかは不問のまま、ただひたすら殲滅のために殲滅されたのです。

 ここに私たちが当面している文明があります。
 この文明はひとを不要品を片付けるように、しかももっとも効率よく片付けることを心がけます。人種や民族、老若男女、労働者、教育者、芸術家、ジムやローラ、ヨセフやアンナなどなどの区分はもはや不要なのです。0093471、83409427、お望みならばアルファベットを一文字加えましょうかD816435501 。
 しかし、ガス室からブルドーザーで運び出される多くの死体たちにとってはそうした個体表示すらもはや不要なのです。

 戦争は、あなたでも私でもなく、ひたすら人間そのものを殺しに来るのです。
 かつてナガサキで処刑された26人の殉教者はパウロ三木のようにミカエル小崎のように、それぞれがその名をもち、親戚縁者がいて、それらを嘆き悲しむ人びともいるなかで、個として名を残すことのになりました。

 ただし、68年前の今日、ナガサキで焼かれた人は丸太ん棒のように黒く焼け焦げ、どこの誰ともわからないまま軍用トラックで無造作に運ばれたのでした。

 今日地球上には、私たちを数十回にわたって黒い丸太ん棒にする核兵器が存在します。それらはまた、「非保有国」という名のもとにそこに散りばめられた多くの原発と連動しながら増殖を続けています。

 こうした状況下で迎えるナガサキ忌もヒロシマ忌も、ある種のカタルシスに終わらせてはならないのです。本当は、原発再稼働や、さらには日本の核武装を密かに企むような連中を壇上に乗せてはいけないのです。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フクシマは放射能治療やレントゲンと一緒???

2013-08-07 02:51:57 | 社会評論
          

 昨日のブログの記事に対し、以下の様な反論がありましたので、下記のようにお答えしておきました。すでにコメントとして載せたものですが、若干の補遺を付して改めて記事と致します。

<昨日の拙日記>
 
  http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20130806

<それに寄せられた反論>
 
 相変わらず、何を言っているのかわかりませんが・・・
 放射線技術は、がんの治療にも用いられていますが、それはなくなってもいいということですか?

 遺伝子組み換えや再生医療の研究は、将来、難病に苦しむ患者さんにとって福音をもたらすともいわれていますが、核以外の現代科学についてはどう考えるのか、「核」だけがダメなのか、教えてもらいたいものです。(by Q)

<それについての私のお答え>

>Qさん
 私が自然科学に疎いと思って馬鹿にしているんじゃないですか?
 ベクレルによる放射能の発見、レントゲンによるX線の発見は1895年~96年のことですよ。その後の研究で、その強弱を問わず、太陽からも、この地球自身からも、そして私達の周りにある物質からも放射線が出ていることが確認されています。

 そうした事実と、1939年に、原子核に中性子を「人工的に」ぶつけることによって核分裂を起こし、膨大なエネルギーを発生させるという発見とはまったく異質なものですよ。
 共通点は、核分裂によって放射能が発散されるということですが、その量たるや、桁違いなものです。

 いいですか、たぶん中学生でも知っていることだと思いますが、放射能やX線の発見と核分裂とはまったく異なる次元の技術的問題なのです。
 もし、フクシマもレントゲンや放射能治療も一緒だというあなたの論理をまともに受け止めるとすれば、太陽も、この地球も取っ払えということになりますよね。

 遺伝子組み換えと再生医療もその間にも差異があって一緒にはできない問題ですが、ともに慎重に検討すべき問題を含んでいることは事実です。
 世の中は、あなたがお考えのように単線的に進歩してゆくのではなく、ひとつの技術が登場すれば、その副産物や副作用ともいうべきさまざまな問題が相次いで発生し、それらをも考慮したトータルで複眼的な視点からの評価や検討が必要なのです。

 核については現段階でいえることは、物質を壊すということ、壊した結果出てくる放射能や廃棄物は不可逆性をもっていて、人間の制御の範囲内にないということです。
 フクシマの廃炉に何年かかるのか、御存知ですか?周辺住民が戻れるのがいつ頃か御存知ですか?百年単位ですよ。人の一生を超えた単位ですよ。
 それでも、抽象的な「人類の進歩」とやらのために耐え忍べというのですか?

 冒頭の「何をいっているのかわからない」というのはあなたの勉強不足、自分に都合のいい情報の海に溺れていてものごとをトータルに見る視点を失っている結果であろうと推察いたします。

 Qさんのコメントを読んでいて、フクシマの被曝直後、少しぐらい放射能を浴びたほうが健康にいいと講演して歩いた御用学者のことを思い出しました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核技術と私たちの文明 ヒロシマ忌に考える

2013-08-06 01:56:06 | ひとを弔う
 今日はヒロシマ忌です。
 灼熱地獄のなかで亡くなられた多くの人々、その後、原爆症で亡くなられた多くの方々、一命はとりとめたものの後遺症に苦しんだり、いまなおその傷を負っている多くの人たちのことをいまいちど思い起こし、それを可能にした状況について思考すべき日です。

 ヒロシマ(ナガサキも含む)とアウシュビッツは、それまで人類が犯してきた残虐の歴史を一挙に超え出るものでした。それはもはや戦争とか、そこでの戦略戦術の次元を超えた全面的殲滅の実践であり、私たちの日常の意味ではもはや回収できないものでした。

 あれから68年、この国はいま、別の形での原子力禍に喘いでいます。いまなお十数万の人びとが故郷を追われ、農作物や海産物の被害も回復されてはいません。そして、修羅場と化した福島第一では億単位のベクレルを示す高濃度の汚染水が今にも溢れ出さんととぐろを巻いているなど、収拾の付かない事態が続いています。また、さきごろの報道によりますと、原発作業員経験者二万人のうち半数の一万人が基準値以上の放射能を浴びているとのことです。

 こうして書いてくると、原発推進派からは、ヒロシマとフクシマ、つまり、核兵器と原発ではまったく違うのだという主張が出てきそうですね。一方は軍事利用で片一方は平和利用だというわけです。
 しかし、両者とも核分裂という物理的現象を利用した技術であり、したがってその共通点を介して容易に相互転換を図ることができることはいうまでもありません。現実に今問題になっている北朝鮮やイランの核開発も原発という経路を辿ってのものでした。
 
 日本の原発も同様の黒い影をその開発段階から背負っています。1954年に端を発し、正力ー中曽根ラインの主導によって始まった原発への着手は、その当初からそこで出てくるプルトニウムを利用した核武装のへの布石であると囁かれ続けてきました。
 そして、そうした当時の深慮遠望は、軍事的にも「強い日本」を目指す現政権の誕生によって、ここへ来てぐんと現実味を増して来ました。現政権党の内部、あるいは中枢部、もしくはその周辺に核武装論者が少なからずいることは周知のとおりです。

 したがって私たちは、核の平和利用と軍事利用の区別すべきだという論理をナイーヴに信じるわけには行かないのです。

         

 もうひとつ考慮すべきは、軍事的にしろ平和的にしろ、核という「限度を超えた」技術を必要としてきた私たちの文明への反省です。軍事目的であれ産業目的であれ、核の利用は並外れたその効率の高さへの希求に依存しています。技術はその効率の最高点を目指します。いかにしてより効率よく人びとを殺戮ないしは殲滅できるか、あるいは、いかにして効率よくエネルギーを供給できるか、その両者ともにつねにその限界を越えようとする技術の運動、ないしはそれへの要請によるものです。

 これが私たちの文明が生み出してきたものの最先端なのです。
 したがって、私たちがあいも変わらず効率を求め続ける以上、軍事的な核も、「平和」利用の核も、その根底においては拒否できないのです。それを代替えエネルギーなどの方法に求める運動を拒否するわけではありません。それはそれで推進すべきでしょう。
 しかし、その根柢にある効率化を中心価値とした文明、すべてを計量化し、数値として測る現今の産業技術経済システムをそのままにし、その内部での改良を図る立場に留まるとしたら、そのうちに、またしても核の技術に、あるいはそれと同等かそれを上回る悪魔の技術にこの世界を引き渡すことになる可能性は残されているのです。

 ヒロシマ(ナガサキ)やアウシュビッツが、私たちの日常の意味を無にするかのようにその境界を越えたとき、そしてスリーマイルやチェルノブイリ、そしてフクシマが戦時ではなくとも破局が可能であることを示したいま、私たちに必要なことはこの文明そのものにブレーキをかけること、少なくとも立ち止まって思考することではないでしょうか。
 そしてそれが真にヒロシマの犠牲者たち、アウシュビッツの死者たちに今日的に応答することではないでしょうか。

 なお、これは前世紀から引き続く破局的な事態に対する私たちの思想的な立脚点についての考察ですから、現に行われているこの文明内部でのよりよい方策への模索を全面的に否定するものではありません。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝉の死ぬるやあわれ ひょんと死ぬるや

2013-08-04 00:42:12 | よしなしごと
 昨夕、わが家で珍しいものを見つけた。羽化しつつあるアブラゼミである。
 幼虫の背を割って、半分ぐらいは抜け出ているが、まだ羽は見えないしこれからだと思った。
 蝉は、その羽化の間がもっとも無防備で天敵などに狙われやすいため、夕方から朝にかけてそれを行い、明るくなった頃にはスッカリ飛翔能力を身につけて危険から逃れるのだという。
 写真を撮り、「おい、もう少しだ。頑張れよ」と胸の内で声をかけてその場を離れた。

         
               半分は抜け出せたのだが・・・

 で、今日の午前、無事に羽化を済ませたかどうか見に行った。
 昨夕しがみついていた枝にはもういない。
 無事に羽化し終えてどっかへ飛んでいったかこの樹の上にでもいるのだろうとひとまずは安堵した。さてその抜け殻は?と探してもその枝には残っていない。ならば地上にと思ったのだがそこにも見当たらない。
 
 その枝の下にナンテンが生えているのだが、ひょっとしてそこにと思って見たら、やはりその枝に引っかかっている。それを取ろうとして出した手を思わず「アッ」と引っ込めた。
 たしかにそこにあったのだが、それは抜け殻ではなく、昨日私が写真に収めたように半分抜けただけの姿でそのまま引っかかっていたのだ。
 ひょっとしてまだ脱皮中で生きているのではないかと思ったが、やはりダメなようでピクとも動かない。

                 
              う~ん、さぞかし無念だったろう

 地中での雌伏6年間(アブラゼミの場合)、やっと地上に出て相方を見つけ、これから短い青春を謳歌しようとする寸前で、そのための羽化に失敗して命を失うなんてあまりにも哀れではないか。
 今度は地上で横たわる姿を写真に収め、引っかかっていたナンテンの根もとに葬ってやった。

 そうこうしているうちに、三重県の伊勢市出身で若干23歳で戦死した竹内浩三(1921~45年)が21歳の頃に作ったという詩を思い出した。
 青春を奪われたその死がどこかで重なったのだろう。


 骨のうたう(1942年)
 
 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるや あわれ
 遠い他国で ひょんと死ぬるや
 だまって だれもいないところで
 ひょんと死ぬるや
 ふるさとの風や
 こいびとの眼や
 ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや
 その心や
  (以下略)


         
               これは羽化に成功した抜け殻

 考えてみれば、この竹内浩三は、私よりも17歳上にしか過ぎないのだ。
 この17年が示す差異の重みを考えながら、同時に現状を考えた。
 激動の昭和の重みを本当に知らない人たちによって、そこでの愚行や悲惨をなかったことにするかのような言動が横行している今日、哀しいかな私たちは、そうした無知に発する言動と、現政権のありようとを区別する指標をすらもはやもってはいないのだ。


       誰が罪を責めて夜半の蝉しぐれ   六

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼はナチ? 麻生発言の核心について検証する

2013-08-02 02:24:42 | 社会評論
 麻生氏の発言が波紋を広げ、国内からも、そして海外やユダヤ人の団体からも抗議の声が上がっているようです。ようするに、憲法改正にあたっては、ナチスのやり方に学び、静謐のうちに進むのがいいといった主旨で、それがナチの積極的な肯定にあたるとして非難や抗議が寄せられているわけです。

 それを受けて、麻生氏は慌ててその発言を撤回しました。
 撤回してもその発言は残ります。
 そこで、当初の発言を書き起こしたものをじっくり読んでみました。

 相変わらず、主語述語の関連が曖昧で、なおかつ、ワイマール憲法下のドイツでナチズムの支配がすんなり出てきたのような歴史認識上のずさんな見解が加わり、あたかも、彼自身がナチを全面的に肯定していたかのように受け止められる向きもありますが、必ずしもそうではないと思います。

         

 一番危ない箇所というのは、「憲法は、ある日、気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」という部分ですが、これは確かに「手口を学ぶ」ということでナチの肯定のように受け止められる節もありますが、彼のいいたかったことは必ずしもナチの全面的な肯定ではないように思います。

 ようするに、彼の言語能力からして、自分が何を語っているのかがよくわかってはいないので、発言そのものは極めて曖昧で揺らぎまくっているのですが、ナチズムの肯定といわれてもっとも驚いたのは麻生氏自身ではないかとも思えるほどです。

         

 ですから、これをもって麻生氏の辞職を求めたりする動きがあることを否定しようとは思いませんが、しかし、「麻生=ヒットラー」と短絡してその首をとったとしても、なおかつ、彼の発言の核心は無傷で残るように思います。
 それでは、彼の発言の核心はどこでしょうか。それは、繰り返しいわれ、そのためにこそ言わずもがなのナチを例証に出した以下の点だと思います。

 「ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。」
 「わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。」


         

 ようするに、憲法改正が、「喧騒」の中ではなく静謐のうちに行われるべきだというのが論旨なのです。そのために「靖国」の例も引いていますが、やはりみんなが騒ぐのが良くないという主旨です。
 最後の引用にある「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」と「喧騒のなかで決めてほしくない」は矛盾しています。
 ナチズムによる統治やスターリニズムによるそれ、あるいは戦前の天皇制におけるそれのように、上意下達の「静謐」のうちですべてが進められるような決定は民主主義とはまったく反するものなのです。

 逆に、「喧騒」を認めること、侃々諤々を認めることが民主主義の本意なのです。彼はそれを否定するためにこそ、不確かな知識しか持ち合わせていないワイマールからナチへの移行をとりあげ、それがなにかとてもスムーズな移行であるかのように脚色しました。
 そこには、自民党の改憲案が、「喧騒」にさらされることなく、「静かに」実現さるべきだという主観的願望が吐露されているのです。

             

 もし、あなたが進められつつある自民党の改憲案に反対だとしたら、「麻生=ナチ」としてその首を挙げることにのみ血道を上げるのではなく、麻生発言の核心、改憲を粛々と進めたいという主旨に反して、改憲反対の声を侃々諤々、まさに「喧騒」として組織してゆくことこそが必要なのではないでしょうか。

 なお、半分冗談ですが、私は麻生氏の辞任に反対です。
 彼が政権中枢にいることによって、安倍氏が慎重に隠蔽している政権の本音が漏れ出てくるからです。菅官房長官が優等生のスポークスマンだとしたら、麻生氏は本音を漏らしてくれる貴重な情報源ではないでしょうか。



 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする