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核技術と私たちの文明 ヒロシマ忌に考える

2013-08-06 01:56:06 | ひとを弔う
 今日はヒロシマ忌です。
 灼熱地獄のなかで亡くなられた多くの人々、その後、原爆症で亡くなられた多くの方々、一命はとりとめたものの後遺症に苦しんだり、いまなおその傷を負っている多くの人たちのことをいまいちど思い起こし、それを可能にした状況について思考すべき日です。

 ヒロシマ(ナガサキも含む)とアウシュビッツは、それまで人類が犯してきた残虐の歴史を一挙に超え出るものでした。それはもはや戦争とか、そこでの戦略戦術の次元を超えた全面的殲滅の実践であり、私たちの日常の意味ではもはや回収できないものでした。

 あれから68年、この国はいま、別の形での原子力禍に喘いでいます。いまなお十数万の人びとが故郷を追われ、農作物や海産物の被害も回復されてはいません。そして、修羅場と化した福島第一では億単位のベクレルを示す高濃度の汚染水が今にも溢れ出さんととぐろを巻いているなど、収拾の付かない事態が続いています。また、さきごろの報道によりますと、原発作業員経験者二万人のうち半数の一万人が基準値以上の放射能を浴びているとのことです。

 こうして書いてくると、原発推進派からは、ヒロシマとフクシマ、つまり、核兵器と原発ではまったく違うのだという主張が出てきそうですね。一方は軍事利用で片一方は平和利用だというわけです。
 しかし、両者とも核分裂という物理的現象を利用した技術であり、したがってその共通点を介して容易に相互転換を図ることができることはいうまでもありません。現実に今問題になっている北朝鮮やイランの核開発も原発という経路を辿ってのものでした。
 
 日本の原発も同様の黒い影をその開発段階から背負っています。1954年に端を発し、正力ー中曽根ラインの主導によって始まった原発への着手は、その当初からそこで出てくるプルトニウムを利用した核武装のへの布石であると囁かれ続けてきました。
 そして、そうした当時の深慮遠望は、軍事的にも「強い日本」を目指す現政権の誕生によって、ここへ来てぐんと現実味を増して来ました。現政権党の内部、あるいは中枢部、もしくはその周辺に核武装論者が少なからずいることは周知のとおりです。

 したがって私たちは、核の平和利用と軍事利用の区別すべきだという論理をナイーヴに信じるわけには行かないのです。

         

 もうひとつ考慮すべきは、軍事的にしろ平和的にしろ、核という「限度を超えた」技術を必要としてきた私たちの文明への反省です。軍事目的であれ産業目的であれ、核の利用は並外れたその効率の高さへの希求に依存しています。技術はその効率の最高点を目指します。いかにしてより効率よく人びとを殺戮ないしは殲滅できるか、あるいは、いかにして効率よくエネルギーを供給できるか、その両者ともにつねにその限界を越えようとする技術の運動、ないしはそれへの要請によるものです。

 これが私たちの文明が生み出してきたものの最先端なのです。
 したがって、私たちがあいも変わらず効率を求め続ける以上、軍事的な核も、「平和」利用の核も、その根底においては拒否できないのです。それを代替えエネルギーなどの方法に求める運動を拒否するわけではありません。それはそれで推進すべきでしょう。
 しかし、その根柢にある効率化を中心価値とした文明、すべてを計量化し、数値として測る現今の産業技術経済システムをそのままにし、その内部での改良を図る立場に留まるとしたら、そのうちに、またしても核の技術に、あるいはそれと同等かそれを上回る悪魔の技術にこの世界を引き渡すことになる可能性は残されているのです。

 ヒロシマ(ナガサキ)やアウシュビッツが、私たちの日常の意味を無にするかのようにその境界を越えたとき、そしてスリーマイルやチェルノブイリ、そしてフクシマが戦時ではなくとも破局が可能であることを示したいま、私たちに必要なことはこの文明そのものにブレーキをかけること、少なくとも立ち止まって思考することではないでしょうか。
 そしてそれが真にヒロシマの犠牲者たち、アウシュビッツの死者たちに今日的に応答することではないでしょうか。

 なお、これは前世紀から引き続く破局的な事態に対する私たちの思想的な立脚点についての考察ですから、現に行われているこの文明内部でのよりよい方策への模索を全面的に否定するものではありません。
コメント (3)
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