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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

なぜもっと早く・・・・敗戦記念日に思う口惜しいこと

2013-08-15 01:20:37 | 歴史を考える
 写真は過ぐる戦争で亡くなった人たちへの献花です。
  (コスモス、ソバ、キキョウ、ユリ)


 
 日本が敗戦を迎え、第二次世界大戦が集結してから68年、この戦争で亡くなったすべての民族、すべての国家に属する人びと、兵士や民間人を問わぬすべての人びと、その総数は幾千万に達するのですが、それらすべての人々に改めて哀悼の意を表したいと思います。

          

 国民学校の一年生で、生まれてこの方戦争しか知らなかった私は、大きくなったら立派な兵隊さんになって天皇陛下のためにこの命を捧げるのだと叩きこまれ、かつそうなるべく覚悟を決めていたのですが、68年前のこの日、疎開先の農家の母屋に正座させられて、玉音放送によるご聖断なるものを聞かされました。

 それが降伏を意味することはにわかには信じられませんでした。
 日本にジリジリと敵国が迫ってくるのも、本土決戦に誘い込んで一挙に彼らを殲滅する作戦なのだと教えこまれていたからです。それに、神国、日本を象徴する神風が吹くはずでした。

             

 やがてそれらが、大本営による根拠のない法螺話であることがわかってくるのですが、なにはともあれ、連日、空襲警報で逃げ惑うことからは解放されたのでした。

 長じて、この戦争の、とりわけ日本が関わりあった局面について考えるとき、やはり断腸の思いでいいたいことがあります。それは、その前年の1944年、太平洋上での日本軍の戦略拠点のほとんどを、米軍を始めとする連合国側に奪われ、逆に日本本土攻撃の拠点となるに及び、客観的に見ても敗戦必至という状態に及びながら、なぜその段階で「ご聖断」がなかったかということです。

          

 戦史を紐解くまでもなく、それ以降の日本はもはや制海権も制空権もなく、一方的な攻撃にさらされたのでした。
 もし、そこで白旗を掲げる叡智があったなら、その後の各地での玉砕(全滅)も、沖縄の地上戦も、ヒロシマもナガサキも、そして東京を始めとする各都市への無差別爆撃もすべては回避できたのです。
 おそらくそれらでの死者の総計は100万に及ぶでしょう。

 その意味では、1945年8月15日は、まったくもって遅すぎた敗戦記念日なのです。ですから毎年、私はこの日を複雑な気持ちで迎えるのです。

 今この国は、「戦前の」「強い日本」を志向する政権によって担われています。その憲法改正案は明治の欽定憲法同様、国家が国民を縛ろうとするものであり、それへの移行は「ナチを手本とする」といわれています。

          

 私はすでに述べたように、天皇や国家のために命を捨てろと教育され、68年前にその呪縛から開放されました。しかし、もう死語になった言葉ですが、いまなお「逆コース」という言葉が生きていて、再び国家という抽象物のために個人が消費される気配を感じざるをえません。
 願わくば、若い人々がその迷妄から抜け出て、人びとが得体のしれぬ名目(それらはしばしば正義や真理の看板を背負って現れます)のためにその生命を失うことのない世界を志向してくれることを願ってやみません。

 そしてそれが、過ぐる大戦で無念の死を遂げた幾千万の人びとの霊を慰め、そしてこれからの人類の生存ために参加することだと思うのです。

 

コメント (5)
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